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君に起ったことが君の正しくあるのを妨げるだろうか。




(出会ったことのある人は誰でも)叡智と一片の神性を共有しているのだから、彼らのうち誰一人私を損ないうる者はない。というのは誰ひとり私を恥ずべきことにまき込む力はないのである。


一つ一つの行動を一生の最後のもののごとくおこなえ。
自分を大事にする時などもうないのだ。
めいめいの一生は短い。


君の人生はもうほとんど終りに近づいているのに、君は自己にたいして尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ。


自分自身の理性と、ダイモーン(神的存在を指す一般的な語だが、哲学では理性、人間の内なる神的部分を表す)と、その徳に帰依することとを何よりもまず選びとった者は、悲劇のまねごとをせず、泣き声を出さず、荒野をも群衆をも必要としないであろう。


肉体のことが君を未だにつかまえて放さないのか。ひとたび叡智が自己を取りもどし、自己の威力を知ったときには、平らかにまたは荒々しく動く息になんの関わりも持たないことを思え。
君自身の内なるこの小さな土地に隠退することをおぼえよ。


つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。
曰く「これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。」


たとえば誠実、謹厳、忍苦、享楽的でないこと、運命にたいして呟かぬこと、寡欲、親切、自由、単純、真面目、高邁な精神。
今すでに君がどれだけ沢山の徳を発揮しうるかを自覚しないのか。
こういう徳に関しては生まれつきそういう能力を持っていないとか、適していないとかいい逃れするわけにはいかないのだ。
もしあることが人間にとって可能であり、その性質にかなったことであるならば、それは君にも到達しうることだと考えるべし。


なんぴとに出くわそうとも、ただちにまず自問せよ。
「この人間は善悪に関していかなる信念を持っているか」と。


人間も神も宇宙もすべて実を結ぶ。各々固有な季節に実を結ぶ。


すべてを与え、また奪い取る自然に向かって、教養ある慎み深い人間はつぎのようにいう。
「あなたの欲するものを与え、あなたの欲するものを奪って下さい」と。
強がりでいうのではなく、ただ自然にたいする従順と善意からいうのである。
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