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昨日の納豆の話じゃないですけども、なぜ敬神崇祖を人生の最大事としていたのだろうかと思います。そういうことのきっかけはそれぞれありますし、それが感染症のように人から人へ燃え移ることもあります。
失明していた人が目の前で治ったら、人生観はかなり大きく変わりますね。
「そういうことも、あるんだ」にきっと変わります。
大切な人が病気になって考えたことがあるんです。
医者がいままでに検証し蓄積してきたノート数百冊分の知識、言葉と、
いま人体のバランスをとってくれている微生物や、細胞、組織全体の「一人の患者さん」
いったいどちらのほうが巨大で、壮大で、神秘で、愛情に満ちているのだろうか。
治療が思ったようにいかなくて医者がぽつりと「おかしいな…」と言うとき、
どちらのほうが、何に照らして「おかしい」のだろうと。
おかしいのは、
壮大な神殿を前にして、自らの小ささに気づいていないことのほうだったりしませんか。
そういう嫌いが誰にでもあると思います。n060144



何を言っているかはわからない。
でもね、これはわかる。好き。n
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