西暦1700年頃の指導霊に自分がなったら


私たち一人一人が指導する立場で300年前の人類を変えようとしたら
この現状の悲惨さを回避できただろうか?


ここまでの人類の歩みは、何が一番の問題だったのか。
権力に阿ることのない言論の自由の確保は重要だった。
そのスペースと制度を確保しなければならなかった。
(いまの日本のマスコミは何かおかしい。言論の自由を認めないと書かれた改憲草案を出されて文句を言わなかったのだ)
産業のデザイン、持続可能な調和の文明を最初からデザインしているべきだった。
動物実験は一切許容すべきではなかったのかもしれない。


日本の自殺者がやっと年間2万人を切ったように、もっと最初から自殺防止の支援を試みるべきだった。
自殺に対する考え方そのものを変えるべきだった。


後を考えずに始めることをすべきでなかった。
調和から外れた態度は、調和する地球にダメージを与える結果にしかつながらなかった。
途中で改善されることはなかった。
最初の考えなしは、破滅的な結果につながった。


社会には急所がある。


道の”はじめ”に、道の”とちゅう”に調和的態度が必要だった。
それが不十分だったために道の”おわり”が見えはじめている。n180140



木花咲耶姫様の御神示より
2020年01月17日
神職のお役目


日本には神宮、神社が至るところに数知れぬ程存在す。
それのみ考えるも、日本の国は、他国とは異なれり。
なれど神社は、あくまで人間の世界にあるもの。
人が、神と人との境界をつくり、その場を聖域となし神を崇め、感謝をささげ、己を反省し懺悔の場とするなら
大いに意義ありなん。
なれど今は物質信仰、己の願いのみ叶えたしと、都合の良き時のみの、己への恵みを求める神頼み。
さなる浅ましき心捨てなば、かえりて、神の怒りをかわんとす。


神職にあるものとて、人間なれば、正しき信仰心と、美しき魂もたねば、ただの人なり。
今のこのとき心から神の使いになりたしと願うなれば、訪れる人々へ魂を磨く大切さと、心の浄化の大切さを説かねばならぬ。
神職につくものが、ただの人なれば、神社になんの意味もなし。


形のみお祓いし、形のみ御札を出しなんになろうぞ。
そもそも、日本は神国ならん。
神職を担う者は、心から神にお仕えし、日本民族の特性日本人の魂の在り方について、神に代わりて、人々に指導できる程の器をもたねばならぬ。








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