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失敗ばかり気にする人は、失敗しか求めることができない。
トーマス・フラー(英国の聖職者、歴史家 / 1608~1661)



00:53 DOUBT
05:28 Sold out
09:43 マリオネットの憂鬱
14:08 マテリアル・ガール
17:10 バスルームエンジェル
20:48 ドラマティックエスケープ
24:45 1986年のマリリン
28:59 Sosotte
32:02 HELP
36:38 the Cross-愛の十字架-



戦国大名の特色を色で表したとして、信長の革新性も、家康の慎重さも、すべて兼ね備えているような『虹色』が
いまこの時代に(あらゆる政治家にも)突然要求されてしまっているのかもしれないですね。
当然ながらそんな要求は無茶すぎるのだけれども、人間の事情など知ったことではなく、自然界からの要求だけが飛躍しているのかもしれません。
それを台本として形にした上で読ませてもらったら、あまりの非現実的な山あり谷ありに全員本をぶん投げるのではないでしょうか。n112331



月と水星(海王星)によって(あなたがたは)遡行していくと言われたので昨日は月、今日は水星、そごうの遡行CMです。ちょうどいい素材で使いたくなってしまいました。今月は月と冷気の支配下にあり、ようやくたどり着いた終点から突如始点に逆行するような動きが出るそうですので、何をするときも最初から始点を外さないほうがよいのかもしれません。堂々巡りで始点に戻るなら最初から無駄をなくせるかもというような意味です。n



1900年(明治33年)、33歳のときにイギリスに留学した漱石は、そこで他人本位の自分のあり方に苦悩。神経衰弱に陥り帰国します。時あたかも日本が近代化に向けて邁進し続けていた時期。しかし、急激な西欧化がひずみや葛藤を生じさせ、表面的な近代化は成し得たが伝統思想と西洋近代思想との間で鋭い矛盾が露呈。日本人はこれまでにない不安と孤独を抱えていました。そうした状況の中で漱石は、西洋のまねを捨て、自力でオリジナルな文学を確立しようと小説の執筆に踏み出していきます。その作品群には、「自我の確立」と「エゴイズムの克服」の間の矛盾をなんとか乗り越えようとした漱石の苦闘を読み取ることもできます。


しかし、漱石作品の魅力はそれだけではありません。東京大学教授の阿部公彦さんは、これまでの私たちは、漱石をあまりにも大文豪として神格化しすぎてきたといいます。むしろ、私たちは今、漱石を等身大の「B級グルメ」のように味わう必要があると強調します。そんな風に読むことで、漱石作品は、さまざまなディスコミュニケーションが大きく問題になっているSNS全盛の現代でも、「異なる他者」を理解するための大きなヒントを私達に与えてくれます。今、漱石作品を読むこととは、「どうやって人の心を理解するか」「相手が何を考えているかをどう知ることができるか」といったスリルとサスペンスを味わうことだというのです。



「三四郎」は作品全体が「冒頭」のような作品だという阿部公彦さん。冒頭でうたたねから目覚めた主人公の小川三四郎は、突然、自分の理解を絶した女性や知識人たちと行き当たる。それは未知なる世界の象徴だ。その初々しい体験は、まだ誕生したばかりの近代小説、それを書き始めた漱石、それと出会った当時の読者、そして、産声をあげたばかりの近代国家・明治日本のとまどいを象徴している。この作品は、そんな三四郎をつい応援してしまう「応援小説」であり、「小説」「読者」「国家」の成長を追体験する絶好の素材でもある。また、作品の面白さを味わうポイントは、三四郎の「歩行」に注目することだという。


「夢」という荒唐無稽なものの中に、合理では説明できないような深い真実が隠されているのではないか。漱石は、今まで築き上げていった文体をいったん手放すように夢を素材とした小説を書き連ねていく。そこには、期せずにして、日本文化と西欧文化に間で引き裂かれた漱石の葛藤や、明治という時代がもつ欠陥が浮かび上がってくる。とともに、この作品は、私たちに対して、人生においてどうしても言語化できない「不可解なもの」「答えのでないもの」への向き合い方を教えてくれる。


夏目漱石は食いしん坊でした。甘いものやこってりしたものが大好き。ステーキの味を覚えたのはロンドン留学の間でしょうか。お菓子にも目がなく、ジャムを舐(な)めるのも大好き。お腹に悪いから食べ過ぎないように、と鏡子夫人は戸棚の奥に菓子類を隠したそうです。美食というより、B 級グルメといったほうがいいかもしれません。


漱石の小説家としてのデビュー作となったのは『吾輩は猫である』でした。設定からして、とにかく楽しい作品です。出版物としても人気で、よく売れた。漱石にはエンターテイナーとしての天性の才能があったのでしょう。当時のトップエリートとしての道を歩んだはずの彼が、通俗的にアピールする力を備えていたというのはおもしろい。「B 級」の感性のおかげかもしれません。


漱石の作品を読むと、「B 級」の匂いが強くすることがあります。そこは漱石の大事な魅力の一部。しかし、同時におもしろいのは、漱石がそうした「B級」性に安住せずに外に出ようとしたとき、とても創造的にもなったということです。彼は作家として、つねに挑戦的な人でした。読者に喜んでもらうことも大事だったでしょうが、譲れない部分もあった。漱石の魅力を味わうにはこうした機微に注目する必要があるでしょう。


小説を読むというのは、全身的な行為だと私は思っています。頭や感情ももちろん関係する。しかし、体も忘れてはいけない。胃腸や、呼吸や、背骨も大事。感触を味わい、文章のリズムに身を委ねたい。笑ったり、ツッコミをいれたり、顔をしかめたり。場合によってはぜえぜえあえいだり、踊り出したり、地団駄踏んだり。


漱石は日本でどう小説が書かれ、読まれてきたかを理解するのに、うってつけの作家でもあります。生まれは一八六七(慶応三)年ですが、本格的に小説を書き始めたのは、『吾輩は猫である』を発表した一九〇五(明治三十八)年以降。四十歳近くになってデビューした、遅咲きの作家なのです。


明治という時代は、日本に西欧の近代小説が輸入され、日本語で小説を書くことに多くの作家たちが挑戦した時代でもあります。漱石もまた、さまざまな小説スタイルを取り入れ、消化し、多様な作品に結実させました。漱石作品を読めば、彼が日本語と日本文化のなかに小説という新しいジャンルを根づかせようと頑張ったさまを見て取ることができます。



『夢十夜』などに顕著ですが、漱石が小説という新興のジャンルを完全に信じることができず懐疑的になっていたと感じられる作品もある。冒頭でも触れたように、おもしろおかしいものを求めようとするB 級性も漱石にはあった。単にエリートとして、近代小説の様式にどっぷりつかっていたわけではないのです。冒険を試み、ときに、ちょっと変なこともした。


漱石は職業作家になる以前は、当時の中学・高校や大学で教育と研究にたずさわっていました。その後、文部省から国費での留学を命ぜられ、渡英します。イギリスにおいても、アカデミズムのなかで英文学研究が成立したのは十九世紀の終わり、しかもイングランドではなくてスコットランド周辺からです。漱石は、英文学研究のやり方が今のように確立する前から、英文学とは何か、ひいては文学とは何か、という問題とも一人で向きあっていました。その立場から、日本の文化・文明、明治という国家、近代小説、英語教育、さらには日本の発展という問題にも直面しました。


漱石はわずか十二年という短い作家生命の間に、十五の長編作品と三つの短編集、そして評論と随筆を世に送り出しました。これらの作品の文体はすべて異なりますし、読者が受け取る文章の感触もちがいます。


『三四郎』は、彼が職業作家として、近代小説を自分の方式で洗練させようとした最初の作品です。近代小説という輸入物の様式をはじめて本格的に使ってみた。だから、いろいろと「初物づくし」のところがある。そういう意味では記念碑的な作品と言えるでしょう。


『夢十夜』は、輸入物の近代小説を受容した『三四郎』のスタイルとは逆に、むしろそこからの逸脱を目指している作品に見えます。両者を読み比べれば、漱石の幅広さや挑戦も感じられるはずです。



『道草』は、漱石と対立すると考えられていた自然主義リアリズム小説の一派に対する、一種のジェスチャーと読める作品。「俺だって自然主義をやれるぞ」とばかりに、どちらかというと自然主義に近い書き方をしている。読者をおもしろがらせるようなプロットの要素は控えめで、「片付かないままの」混沌とした日常を露出させた、自伝的な小説です。


『明暗』は、漱石の絶命によって未完に終わった遺作。とにかく心理のからみあいが濃厚で、スパイ小説のような趣さえあります。読みどころは、主人公の津田と女性たちとの「対決」シーン。彼は女たちに出し抜かれたり、そそのかされたり、助けられたりしながら、最終的には他者に負けることでこそ、他者を知る。そこに漱石の達した最終的な境地を見て取ることもできるでしょう。興味つきない作品です。


漱石は「道草」という作品の素材として自伝的な要素を選んだ。作家本人の写し鏡ともいえる主人公・健三が直面するのは「金銭をめぐる親族たちへの愛着と嫌悪」。それは生涯漱石自身を悩ませ続けた苦悩。「おぞましさと愛着がないまぜになった幼き頃の記憶」「一分の隙間もないような人間関係のしがらみ」……それらを漱石は、終生悩まされた「胃弱の不快感」と重ね合わせながら描いていく。どうしようもなく自身を縛り続ける桎梏(しっこく)と漱石はどう向き合ったのか。「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない」という健三の言葉からは、表面的な意味とは裏腹に「引っ懸かりだらけの片付かぬ人生」を引き受けていこうとする漱石の覚悟が見えてくる。


「まだ奥があるんです」という象徴的な言葉が冒頭で発せられる漱石最晩年の小説「明暗」。 未完で終わったこの作品は、日常の中に、底知れぬ「奥」が存在することをさまざまな形で突きつける小説だ。登場人物同士が腹を探りあい騙しあい、対決していくこの作品は、やがて読者をもこの騙しあいに巻き込んでいく。人間の意志や努力ではいかんともしがたい、日常の「奥」に横たわる「暗い不思議な力」。それは、ままならぬ人生の中で、漱石が晩年に行き当たった深い諦念を象徴する言葉でもあった。


私が最も印象に残ったのは、「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉です。「わからないものをわからないまま受容する能力」を示す言葉として、イギリスのロマン主義の詩人、ジョン・キーツが提示した言葉ですが、「夢十夜」という作品を読むのにぴったりなキーワードでした。


「ネガティブ・ケイパビリティ」は、何に対してもわかりやすい説明だけが求められる現代、そんな窮屈な考えから私たちを解放してくれる非常に優れた概念で、英文学という分野で詩人を研究している阿部さんでなくては決して出てこなかった解説になったと思います。











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