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困難になればなるほど、シンプルに対応したほうがよいと感じています。複雑に対応していても許されるのはまだ状況に余裕があるときだと思うんですね。
honesty is the best policy というのは、浅はかな思慮では未来が読めないからこそ、最初から大道に沿っていたほうが安全ですし、何より周囲に悪影響を及ぼす恐れがありません。
計算しているつもりで、普通はなぜか浅はかな結論に曲がって到達してしまいます。
自我が曲げます。
愛情と知恵に満ちて風景を解釈できていれば、大体において正確なんですが、自我によって曲がった風景では人はみな悪意に満ちています。
でも悪意では(滅多に)ないんですよ、(それらはただの)恐れなんです。
(それでも恐れに対処する必要はあります)
しかもどちらかというと、他人の中にある恐れではなく、自分の中にあるほうの恐れが風景を曲げてしまっています。
重力場のような自分と、向こうからの光とこちらからの光の中間で風景が形成されます。
つまり優先順位からすると、自分の中の恐れを認知するほうが大事なんですね。
自分が、何を恐れているかを認識しようとしている人が、何かをする場合は何の問題もありません。マルクス・アウレリウスのようにです。n122357



僕は今まで魔法など存在しないと言ってきたが、実は嘘だ。
どんな困難もたちどころに吹き飛ばしてしまう秘密の呪文を僕は知っている。
鏡の前に立ち、自分自身に向かってこう唱えるんだ。



なぜベストを尽くさないのか

上田次郎


山田「赤面せずに読めませんね」
上田「渋谷、道頓堀の若者たちの間ではね、なぜベスって呼ばれてバイブルになっているらしいんだよ」



「自省録」というユニークなタイトルの本があります。今から2000年近く前に書かれた、人生についての洞察あふれる名著です。J・S・ミル、ミシェル・フーコーら思想家たちが「古代精神のもっとも高貴な倫理的産物」と賞賛し、欧米の著名な政治家たちもこぞって座右の書に挙げる古典です。書いたのは、第16代ローマ皇帝、マルクス・アウレリウス(121- 180)。パックス・ロマーナと呼ばれる古代ローマが最も繁栄を謳歌した百年の、最後の時代を統治した哲人君主です。


ローマ皇帝という地位にあってマルクス・アウレリウスは、多忙な公務を忠実に果たしながらも心は常に自身の内面に向かっていました。その折々の思索や内省の言葉を日記のように書きとめたのが12巻からなる「自省録」です。公開を一切前提にして書かれていないため、整理もされていないし、文章にも省略や論理の飛躍がたびたび見受けられます。にもかかわらず、人生の内実を問うその言葉の一つひとつは切実で、緊迫感に富む迫力があります。それには理由がありました。


マルクス・アウレリウスが生きた時代は、洪水や地震などの災害、ペストなどの疫病の蔓延、絶えざる異民族たちの侵略など、ローマ帝国の繁栄にかげりが見え始めた時代。ローマ軍最高司令官として戦場から戦場へ走り回ったマルクス・アウレリウスは、闘いの間隙を縫うようにして、野営のテントの中で蝋燭に火を灯しながら、自身の内面に問いかけるようにして「自省録」を綴ったともいわれています。机上の空論でなく、厳しい現実との格闘、困難との対決のただ中から生まれた言葉だからこその説得力があるのです。また、「君が求めるものは何だ」等と二人称で問いかけるように書かれているのは、弱い自分を戒め叱咤激励するような思いが込められているとされますが、読み手に呼びかけているようにも聞こえ私たちの心の深いところに響いてきます。


マルクス・アウレリウスは「人間はいかに生きるべきか」を生涯考え抜いた。富や名声といった自分の外部にあるものにのみに心を動かされると、人間は運命に翻弄され心の動揺を招くという。そうではなく「自分の内を見よ。内にこそ善の泉がある」と説く。自然を貫く理法(ロゴス)に照らして、絶えざる自己点検と内省を通じた自分の立て直しをはかっていくこと。外側にではなく内側にこそ価値があり、それを高めていくことこそが真の幸福であるという。そして真の幸福をつかんだときに、人間は全くぶれることがなくなる。


生涯、異民族からの侵略や同胞からの裏切りに悩まされたマルクス・アウレリウス。にもかかわらず彼が貫いた信条は「寛容」だった。「私たちは協力するために生まれついたのであって邪魔し合うことは自然に反する」と説く彼は、どんな裏切りにあってもひとたび許しを乞われば寛容に受け容れた。これは多様な民族を抱えるローマ帝国を統治する知恵でもあったが、何よりも自分が学んだストア哲学の「すべての人間は普遍的理性(ロゴス)を分けもつ限りみな等しい同胞である」というコスモポリタニズム(世界市民主義)がベースにあった。


人生の岐路に立った時、あるいは対人関係に悩んだり、生きづらさを感じたりした時に、皆さんはどんな本を手に取るでしょうか。その一冊に是非加えていただきたいのが、今回取り上げる『自省録』です。


名門家庭に生まれたアウレリウスは、その資質と見識を見込まれ、わずか十八歳で帝位継承者に指名されました。大抜擢に応えて公務に献身し、三十九歳で帝位を継承すると自ら軍を率いて国防の前線に赴きます。戦いに明け暮れる中、野営のテントで蠟燭(ろうそく)の灯りを頼りに、あるいは宮廷の自室で書き留めていたのが『自省録』です。


本書は戦況や政局の困難を吐露した日記でも、自らの武勇や帝王学を論じたものでもありません。皇帝が書いたものだと聞けば、偉い人が高いところから教訓を垂れているのではないかと思って敬遠する人もいるかもしれませんが、そういう本ではありません。前後の脈絡なく、自分の思いを絞り出すように、ひたすら自分の内面を見つめ、戒め、己を律する言葉が綴られた手記、個人的なノートです。


アウレリウスは、皇帝の地位も、宮廷での華やかな暮らしも望んではいませんでした。彼の心が求めていたのは、少年時代から深く傾倒していた哲学でした。皇位に就き、学問として哲学を探求する道は絶たれてしまいましたが、多忙な公務の合間を縫って内省し、哲学の示すところを実践するよう自分に言い聞かせていたのです。


十二巻から成る『自省録』は、そうした折節の思索や自戒の言葉を書き留めた覚え書きです。誰かに読まれること、あるいは読ませることを前提として書かれたものではありません。彼はローマ人ですが、本書はアウレリウスの母語のラテン語ではなく、ギリシア語で書かれています。テーマが整理されているわけでもなく、書きかけのような文章や、本からの引用、論理に飛躍がある文章もあります。それにもかかわらず、脈々と伝承されてきたのは、その真摯な言葉が多くの人の心を打ったからにほかなりません。


彼は自分が立派な人間だとは考えていませんでした。自分が不完全であることを自覚し、迷いも弱さも正直に披瀝(ひれき)しています。それを強い言葉で戒めつつ、人としてどうあるべきかという指針や理想を示してくれています。そうした理想を、不完全ながらも体現し、善き人になろうと煩悶、苦闘する過程を、アウレリウスは身をもって私たちに見せてくれているのです。


お前自身には成し遂げ難いことがあるとしても、それが人間に不可能なことだと考えてはならない。むしろ、人間にとって可能でふさわしいことであれば、お前にも成し遂げることができると考えよ。 (六・一九)


親が死ぬことを避けることはできないけれども、それをどう受けとめるかは自分で選ぶことができます。
「親は、いつかいなくなる。それはつらいことだが、誰もがそれを乗り越えてきたのだから、お前にもできる──」
『自省録』を開いた私は、アウレリウスにこのように語りかけられた気がしました。 私は意識を失いベッドに身を横たえている母を見て、人間はこの状態でなお生きる価値があるかということを、死についてしばしば言及する『自省録』を読みながら考えていました。母はその後間もなく亡くなりました。


彼が紡ぐ言葉、行間からにじむ苦悩、それでも前を向いていこうとする姿勢には、生きづらい世の中を生き抜くヒントがあります。仕事に追われ、幸福を感じられない人には、哲学を愛しつつも政務に追われ、理想と現実の狭間で葛藤していたアウレリウスが自分に重なって見えるかもしれません。裏切りや謀略に悩まされていた彼の言葉は、競争社会の中で不信と孤独に苛まれている人に寄り添い、励ましてくれるでしょう。『自省録』は、対立を否定し、協力して生きることを繰り返し訴えています。


「肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である」と語るマルクス・アウレリウスは、人間の条件を「絶えざる変化」だと洞察する。そして自らに起こることを自分の権限内のものと権限外のものに峻別。自分の権限外にある困難な出来事や変化は与えられた運命として愛せと説く。その上で、自分の意志で動かせることにのみ誠実に取り組み自分の役割を果たすべきだという。


アウレリウスの言葉、「怒らずに教え、そして示せ」や「教えよ、さもなくば耐えよ」は子育て中の私にとって強烈でした。
さらに、この一言にも敬服。
それは、「お前が今いる状況ほど哲学するために適した生活はないということが、どれだけ明らかに納得できることか。」です。
アウレリウスにとって哲学は、寝食を忘れるほど打ち込んでいる学問です。人生をかけて取り組みたいと強く思っているのに、それがままならない立場に置かれたとき、こう捉えることができるでしょうか。


打ち続く戦乱の只中で、数多くの同胞や家族の死を目の当たりにし続けたマルクス・アウレリウス。自らも病に苦しむ中で「死とは何か」を思索し続けた。「死を軽蔑するな。これもまた自然の欲するものの一つである」と語る彼は、「死」も万物の変化の一つの現象であり、我々が死ぬ時には我々にはもう感覚がないのだから、死に対する恐れの感情も死を忌避する感情ももつ必要はないと説く。その自覚の上で「一日一日をあたかもその日が最期の日であるかのように」誠実に生き抜くことをすすめるのだ。


「私が影響を受けたのは、実はプラトン自身の思想ではなくて、彼が描いたソクラテス自身の生き方だったんです。その最も良質なところを受け継いだのがストア哲学やその影響を受けたマルクス・アウレリウスではないかと考えています」











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