
100分de名著とか本のレビューを取り上げているのは、自分用でして、頭が固くなるからなんです。何か少しでも題材と異なる角度が欲しいと感じることが多いです。n210021



庭師の心がまえとは 「耳で聞くのは、なにもお施主さんの要望だけでない。木の気持ち、土の心もよく聞かないといけない。音はお施主さんの声であり、また、木の声、土の心でもある。ともかく職人は、いい耳をもたなくては駄目だ。納得いくまで何遍も何遍も聞いて、よしと決まってから、本腰を入れて仕事にかかる」
「庭師は四六時中、勉強だ。松花堂や幕の内弁当の仕切り方などは、色といい、とてもいい勉強になる。私の住む京都は1200年の都だ。完成されたといっていいほどの美(文化)が日常生活に息づいているから、毎日のように発見がある。即、造園に生かせないとしても、見る目をきちんと養っておけば、必ずいつかは役にたつものだ」
梅の剪定は花後という本が多いのですが、この本では花芽文化が終了した秋に剪定する。 花後の剪定などとんでもない、早く切り過ぎると花を呼べない、園芸書なるものの弊害を被るとハッキリ言っています。 こういうところに本当のプロの経験則や知識の深さというものを感じますし、 目からウロコともいえる様々な知識が伝承されていきます。
《庭師の勘所》として、「植える」・「切る」・「育てる」に分かれて大切な要点が書かれています。
「植える」・・・木は前かがみに植える、深植えは根腐れする、よく調べた上で木にあった土に 仕上げてから植える、木を植えてよい時期を知り植えること。
「切る」・・・・「切る」言葉の意味、切り口はなめらかにスパッと切る、大枝を間引き整姿する、いらない枝を見定める、切り口には手入れを、冬の日当たりを冬至の頃考え日当りを考慮する。
「育てる」・・・根を冷やすな、防寒のため根元を暖める、薬かけの効用、消毒の回数、アリの退治、ゼニゴケの退治。
「実をならせたいなら、根をいじめろ」、
「根の張り方と樹木の形は相関がある」、
「病気にならないためには、まずは丈夫に育てることだ」など、 基礎的で当たり前なことかもしれませんが、大事な内容が書かれていると思います。
「日本庭園には松が一番」ということで、松の剪定方法なども、かなりのページが割かれていました。
「綺麗な枝ぶりにしたいなら、4-5年おきに根をいじって向きを変えなさい」
わが家の小さな小さな庭にも、植木市などで求めては植えた何本かの木がある。元々は山の木、手入れなどは必要あるまいと、自然流と称してほったらかしにしていた。
そうしたら、桃の苗木の枝は、秋に植えて翌年春はすごい元気に葉っぱを茂らせたが、その葉っぱに虫が付くや、秋には丸裸になってしまい、翌年には枯れてしまった。牡丹は腐葉土を入れて土壌を肥えさせても、さっぱり大きな花が咲かない。そのうち枯れそうになってしまった。モミジは枝が天に向かって伸び放題に伸び、どうにも見られた姿ではない。他の木も、葉っぱに斑点がついていたが、どうしたらいいか分からないままこれも自然にまかせていたら木が枯れてしまったりと、もう散々だった。
つくづく思った。無知は駄目だと。それで植木の勉強が始まった。もう15年も前のことである。
以来、植木、庭園関係の本をいろいろ買っては読んだ。その中でこの本が今も手元に残っている。買ってから12年ほどになる。
読めば読むほど味わいのある本である。それはそうだろう、京都の植木職人の親方が古人の知恵、先人の知恵を書いた、植木管理の薀蓄がズッシリと詰まった本だから。
この本は、全体は大きく,『植える』,『切る』,『育てる』の3つの勘どころで基本を伝授し、最後は「とっておき庭木の極意」でそれぞれの庭木の管理法の極意、という全部で4つの構成になっている。はじめから順に読んでもよいが、庭にある木の手入れの仕方を知りたいと思ったら、すぐ、「とっておき庭木の極意」を見るのもよいだろう。ここには50種類近くの樹木の管理法がでている。
例えば、「ボタン(牡丹)」の項では、親方は「ボタンは西日を当てるな」とピシャリと言った後、その理由を述べ、立派な花を咲かせるコツ、毎年大きな花を咲かせるコツなどを惜しげもなく披露している。その通りにやってみたら、立派な花が咲いた。感謝です。
又、簡単に見えるモミジには11頁も費やしている。実際に植えてみると考えているほど、手入れは簡単ではない。伸び放題になる枝を見て、どうすればよいのか右往左往する。幹にウロもできやすい。
だから親方の、「モミジの手入れがうまくできるようになれば1人前」という話には納得した。

マキャベリは、大学を出ていないにもかかわらず、その才覚が認められ、29歳でフィレンツェ外交官に抜擢された。そして様々な国王との交渉を行った経験から、誠意だけでは問題が解決しないことを知る。43歳の時、外国の介入によるクーデターで、政府を追放されると、マキャベリは自らを奮い立たせるように、“政治論文”を書いた。それが「君主論」である。人間の現実を通して、指導者の決断とは何かを説いた君主論は、道徳論ばかりが語られていた当時の社会では、極めて画期的だった。第1回では君主論に込められたマキャベリの真意に迫る。
君主論で優れた統治の例として書かれているのが、冷酷さで知られる、ヴァレンティーノ公のチェーザレ・ボルジアである。ボルジアは占領した町で側近を長官に任命、裁判の公正化などの改革を矢継ぎ早に進めた。しかし厳しい統治に住民の不満が高まると、今度は側近に罪を着せて処刑してしまった。政治の決断には、非情であっても、ぶれない勇気とタイミングが必要だと見抜いていたマキャベリは、優柔不断な指導者への警鐘として、ボルジアの判断は正しいとした。
君主論では、人間関係の極意についても多くのページが割かれている。そこには、恩恵や賞罰の与え方、様々なグループをまとめあげる技、部下への接し方、他人との距離の取り方など、具体的な方法が事細かに記されている。大衆は移り気なものだと痛感していたマキャベリは、人心をつなぎとめるためには、常に細心の注意を払うべきだと考えていた。 第3回では、人付き合いにひそむワナと、その対処法について考える。
フィレンツェは小国で、安全保障をフランスに頼っていた。しかしフランスとの交渉は、戦費の負担をめぐり、紛糾することが多かった。そこでマキャベリは、金で譲歩する代わりに、統制のとれていないフランス軍の欠点を指摘して、しぶるフランスに同盟の維持を約束させるなど、抜群の交渉力を発揮した。 最終回では、シリーズ講師の武田好さんに加え、元外交官の東郷和彦さんを招き、君主論やマキャベリの書いた書簡を読み解きながら、政治の現場での交渉術について語る。
人間は恐れている人より、 愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つける
(第15章)
わたしのねらいは、 読む人が役に立つものを書くことであって、 物事について想像の世界のことより、 生々しい真実を追うほうがふさわしいと、わたしは思う。
(第15章)
永年、君位についていたイタリアの諸君侯が、 しまいに国を奪われたからといって、 責任を運命に負わせては困るのだ。 これは彼ら君主の怠慢のせいである。 ―いいかえれば、凪の日に時化のことなど想ってもみないのは、 人間共通の弱点であって―彼らもまた、 平穏な時代に天候の変わるのをまったく考えなかった。
(第24章)
運命は変化するものである。 人が自己流のやり方にこだわれば、 運命と人の行き方が合致する場合は成功するが、 しない場合は不幸な目を見る。
(第25章)
運命は女性に似てつねに若者の友である。
(第25章)
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