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緊迫感が増してきてますよね。n220043


【コメント返信】
skさん、お返事ありがとうございます。
(もうハンドルネーム使いますね、以前のコメントなどもすべて非表示にしていますので)
以前はこう説明していたんです。


・スクリーン(無=存在・意識・至福)←全員の本当の形なき姿「虚空」
・映像(愛の顕現神)←私たちは分化した愛の神「皇」の一部「個の神」


わたしたちの日常生活も「映像」なんですね。
神、にはこの「スクリーン」と「映像」の二つの側面があります。
霊界やそれより上の神界を支配しているのは「映像としての頂上にいる神」なんです。
実在するんです、そういう御方たちが。
そしてトップのトップに、唯一神(映像)がいらっしゃるんです。


そしてこの唯一神(映像)のお姿は、当然ながら「映像のすべて」でして、わたしたちが日常で苦しんだり喧嘩したりしていることまで全部この御方の映像を超拡大視したものなんですね。虫メガネで拡大して見てみると地球人類が映っているというわけです。


愛の顕現の神と書いているのは、概念の説明のために適当だからです。
でもこの御方は、スクリーンのほうとも通じていまして、同等・同格なんです。
ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジが確認していたのは「スクリーン」の側面がすごく強いです。


私が考えているのは、
スクリーンが起源なんです。そこに「体験をしてみたい」という願いのようなものが収束しまして、





が生まれたんですね。スクリーンを神と呼ぶのに語弊があるということで、このブログの初期は「虚空」と分けて呼んでいたんです。
でもいまは「神」という一語で「スクリーン+映像」を兼ねた意味で使っています。
I AM THAT I AM はスクリーン(神)の説明でもありますし、映像(神)の説明でもあります。


「神」のすごいところはですね、わたしたちのありとあらゆる渇きが一瞬で癒えることなんです。
「存在理由」という言葉がありますが、skさんや私やこの地球人類の存在理由は「神」なんです。
存在理由=神 なんです。
地上に生まれた時点でその記憶を封じているだけなんですね。
この人生の旅は、70億人全員が「神のために」旅をしているんです。
ですから「盲目的な信仰であっても、唯一神(内在する良心神)に対する信仰」はありとあらゆる環境への最適解なんです。
神の前に良心とつけるのは、アブラハムの宗教が良心を無視して、外在の神という誤解で互いに争ったからです。これが人類の今に至るまでの大失敗でした。


話は変わりますが、
霊団にとっての金メダルというのはこの日常の「体験」の「中」にあるらしいんです。
体験の種類を変えなくてもよくて、絵の題材やテーマは何でもよくて、
金メダルは「絵に没入する中」にあるらしいんです。n



【空】…「雲行きが怪しい」
【雨】…「ひと雨来そうだ」
【傘】…「傘を持って出かけよう」





【空】…状況:Fact(事実)に基づく状況把握
【雨】…解釈:その状況に対する解釈
【傘】…行動:その解釈から導き出される行動





【空】…例)「○○ということがおきました」
【雨】…例)「私はそれは△△なのではと思います」
【傘】…例)「そこで□□したいと思いますが、いかがでしょうか?」 かならず、この【空・雨・傘】を3点セットで会話しましょう、ということ。
イケてない会話の4症状は、
症状1:【空】のみ      →「それで???」
症状2:【空・雨】止まり      →「だから、どうしろ/したいというの?」       (評論家、自己弁護人、愚痴屋)
症状3:【空・傘】短絡      →「本当にそうすべき?」
症状4:突然の【傘】      →「なぜ???」       (思いつき屋、アイデアオタク)


運用ルールは、
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ルール1:【空】を見たら【雨】を思え、【雨】を思ったら【傘】につなげよ!
ルール2:【傘】の前には必ず【空】を見よ、【雨】を思え!
ルール3:【空】のみや【空・雨】止まりには「So what?(それで?)」
ルール4:【空・傘】短絡や突然の【傘】には、「Why so?(なぜ?)」
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不幸をなげき悲しみ、他人や社会のせいにするのはたやすい。しかし自己憐憫からは何も生まれないとアランは述べる。そして幸福を得る方法としてまず大事なのは、不幸の原因を見詰め、対処法を見つける事だという。そしてアランは、気分が沈まないようにするため、意識的にあくびや背のびをして気分をリラックスさせるといいと語った。第1回では、誰にでも出来る幸福への道筋を解説、負の感情にとらわれないようにする術を学ぶ。


アランは幸福の例として芝居をあげる。つまらない芝居を見ると退屈する。しかし自分が芝居に出る時にはつまらない芝居でも退屈しない。だから「幸せになりたい人は舞台に上がらなくてはならない」とアランは言う。幸福を得るためには、人生の主役になって前向きに努力することが何より大切だ。もちろん努力は苦しいことでもある。しかし人は苦しさを乗りこえた時こそ、幸福を感じる。棚ぼた式の幸せはありえないとアランは記した。


礼儀を知らない人はよい人間関係を築けない。そのため人は礼儀を学ぶ必要があるとアランは言う。アランは礼儀とはダンスのようなものだとした。規則だけ覚えても、自然に動けるようにならなくては、ダンスにならない。過剰に意識するのではなく、半ば無意識のうちに相手に敬意を払えるようになること—それが礼儀だとアランは説いた。ありのままの相手を受け入れられる広い心を持つ、それも幸せには大切なことなのだ。


ほめられると、ばかにされているとみる。 親切にされると、侮辱されているとみる。 秘密を打ち明けられると、 まったく腹黒い謀(はか)りごとがあるとみる。 こうした想像力の喚起する病には、 つける薬がないのだ。
(3章)


幸福になりたいと思ったら、 そのために努力しなければならない。 無関心な傍観者の態度を決め込んで、 ただ扉を開いて幸福が入るようにしているだけでは、 入ってくるのは悲しみでしかない。
(90章)


気分というものは、正確に言えば、 いつも悪いものなのだ。 だから、幸福とはすべて、 意志と統御によるものなのである。
(93章)


あなたが上機嫌でありますように。 これこそ交換し合うべきものである。 これこそみんなを、 まずは贈る人を豊かにする真の礼節である。
(80章)


幸福とは、 報酬など求めなかった者たちのところへ 突然やってくる報酬である。
(87章)
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