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青空さん
基準に満たない霊や邪気の全てを排出されているところをイメージするか
それとも例の神気か。
青空さんの場合は常にどんな時もあの「神気」の扱いに習熟していったほうがいい(霊団と即座につながれるから)んですけれども、排出には排出専用のイメージを用いることもお勧めです。
よく一般的に用いられるのは
「川」です。
川にどんどん流すという方法が、使いやすいんです。
新型コロナの邪気をご家族から吸い出すのに掃除機のコードのようなものをイメージしたり、ここはそれぞれ工夫次第ですね。
そして排出が完全に終了したら、光のシールドをかけたり、
青空さんはお家全体を神気で覆ったり、ご家族をコーティングしたり、何重にもかけます。練習して習熟していくしかないです。


瞑想は明日されても全然いいですけれども
瞑想の前に防御をお願いして、瞑想後に必ず御礼を言う必要があります。
そうしながら排出とシールドをかけるのを毎日続けてみていただけたら
3~4日で、もうおかしなのは抜けると思います。
最後に「主の御心のままに」を忘れないでいただきたいです。


ラテン語 色
気づかれてたんですね。許可が下りたらお話しますし、ショックなことではないですので気になさらないでください。
私は、青空さんはまず何よりもあの神気で霊団とのコンタクトを回復すべきだと感じました。


フィオラのドレスに意味はあるらしいです。
「ロイヤルブルー」ということでした。このブログのこのデザインにも意味があり、これを変えられなくなったのはフィオラの指示です。
深海=神界 なんですけど、お気づきでしたか?
左上の泡には〇と+(十字)がうっすら浮き出ています。n240035



ラマナ・マハルシがよく言っていた喩えに、夢の中で財布を無くし、驚き、焦り、喪失感を抱え、哀しみ、諦めかけていたところに財布が見つかり、信じられない想いで確認し、財布が戻った喜びに包まれ、心の底から安堵する、
そして朝起きて夢から覚め、
財布は元々失われてはいなかったことに気づく、
全体がただの夢であったことに気づく、
これらはすべて「自分の中でだけ起こっていたのだ」というものがあります。


実はその時々の感情に根拠なんてなくて、ただそう「想っていたから」その想念が引き起こしていた感情だったんです。


では「体験」というのは、そういうことなのではないでしょうか。
想念で「想いこむ」ことさえできれば、「体験ができる」のではないでしょうか。
わたしたちの「この人生」が、バーチャルリアリティーなのかもしれないですよね。
そういう可能性さえあります。


わたしたちの体験というのは、
実際にこの人生で感じている感情であり、体験です。
一人一人違いますけれども、それが「想念によって、想いこむことによって」起こっていることには変わりがありません。


それぞれの体験に没入するチャンスはいましかないかもしれません。n


【コメント返信】
skさん
◇罪悪感と焦燥感
大なり小なりみんな同じような気もしますけど、skさんの感じていらっしゃるそれがどのくらい強いかですよね。


◇重要性は二の次で…
そうなんですね。


◇自分が本当は何をしたいのかも…
ひとつお聞きしたいのは、現状のご自分を「変えたい」ですか?


私は先日最初にいただいたskさんのコメントの意味がよくわからなかったんです。
「お願いします」というのは何をお願いされているのかがよく掴めなくて。
6年前のやりとりの何が気になっていらっしゃるのか、skさんの出自の詳細なビジョンを求めているのか、具体的には何がほしいのか。
出自の詳細なビジョンは、いまのところフィオラからまったく返答はないです。
返事があったのはskさんが「どこに座っていいかわからないくらい困惑していること」だけでした。


本線のことにしたって、こんな話を信じる必要はまったくないです。
私もフィオラの言動で日々理解できないことばかりですから。
よその方に信じていただきたいなんてとても言えません。
ですから、私がコメントいただいたときにやることはシンプルで、
私にいま何が差し出せるのかお知らせすることだけです。


私も銀河鉄道の夜の雰囲気大好きですよ。
何か知らないですけど惹かれてしまいますよね。n



主要な食用植物や園芸植物でない曼珠沙華(ヒガンバナ)になぜ多くの関心が集まり、また書籍類があるのでしょうか。この素朴な疑問を解き明かすために『ヒガンバナと日本人』を某誌に連載し曼珠沙華の渡来について、①いつの時代に(when)、②何処から(where)、③誰が(who)、④何の目的でwhy)もたらされたかを調べ、結論として室町時代に仏教新宗派・臨済宗の伝教と普及に資するために曼珠沙華が伝播させたと述べました。また⑤どのように日本で分布したか(how)や⑥日本文化への影響なども述べました。本書をとおして曼珠沙華渡来の謎解きに加えて植物的側面を紹介できるものと考えます。また曼珠沙華の歴史と文化、そして植物的魅力についてもより深く理解頂けると期待しています。


ヒガンバナは謎多き植物である。情念を感じさせる真っ赤な花、火炎のような花弁の形、葉の無い時期に突如の花など。そのうえ何時日本に渡来したのかも定説がなかった。そんなこともあってこの花に惹かれる人も多い。この著者もヒガンバナに魅せられたひとりのようだ。  本の前半では、一体、いつ、だれが、どこから、何のためにヒガンバナを日本に持ち込んだか、の謎解きに挑んでいる。諸説がある中、万葉集や古事記に遡り、様々な関連文書を掘り起こし、矛盾点や論拠を示しつつ、最終的には15世紀前半に中国に渡航した坊さんによってもたらされたことを突き止める。あたかもミステリー小説のように厳密で理詰めの手法で謎を解き明かした下りは面白い。  ヒガンバナは渡来後、急速に日本社会に浸透・拡散する。本書の後半部分では、ある時は広く受け入れられ、またある時は不吉な植物として疎まれて行く様を描ている。1000を超す地域毎の里名をもつヒガンバナが、日本の文化にどのような影響を与えたかを立花、文藝、俳句などの面から述べている。日本自生のキツネノカミソリなど七種類の由来についてのやや難しいある解説があるが、この部分に配されている多くのカラーの植物画に癒やされつつ読了した。カラー版植物画、文芸、俳句などからの「日本人」の感覚の豊かさも読み取れます。一読を勧めたい一書です。


日本人が持つ精神性の豊かさを示す記述などは文化論ともいえる内容です。その上に、曼殊沙華が既にあればその性状から当然万葉集に記述されるはずのものが見られないことから、まだ渡来前であるとの結論も説得力があります。   唯一記載があるとして牧野富太郎が挙げている柿本人麻呂の和歌の意味を解釈し直し、特に灼然の解釈の間違いを正して白色とし、それから壱師が白色の花であり曼殊沙華ではないと結論しているのも明確で貴重な提言です。 室町中期の「温故知新書」に曼殊沙華が本邦最初の記載となり、「本草綱目」に石蒜が」初記載され、その両者の関係は不明でした。しかしその後の「和漢三才図会」や「本草綱目啓蒙」、「本草図譜」で、曼殊沙華、石蒜。ヒガンバナなどが併記され同一もものであることを確認。 また、曼殊沙華の起源地の南宋にある臨済宗寺院で研鑽を積んだ多くの臨済宗建仁寺派僧侶が持ち帰ったことを例証をあげて示しています。  また 稲作の起源で、私など古い考えでいたその起源の訂正を明快にされた点も大きく, 一般の読者の興味を呼び起こすことでしょう。


(1)ヒガンバナ(曼珠沙華)の学術的な解説に加え、文化的な内容の説明にも重点が置かれ、バランスの取れた内容になっています。 (2)詳細な統計資料、写真、イラストなどが豊富に掲載され、説明文も明快。途中に掲載されている著者の俳句からも、著者の文才の背景が 感じられます。 (3)思わず読みたくなるような素敵な表紙に惹きつけられ、ヒガンバナの魔力にとりつかれる仕儀になります。(これほどの内容ですと、   ページ数が増え、これに圧倒されたり、身構えたりしてしまうものすが)本書ではページ数が手頃な分量に抑えられ、準備された丁寧な   引用文献により、さらに理解を深められるように配慮されております。 (4)1回読めば良いというものではなく、折に触れて繙くのに相応しい宝玉の著作になっていると感じました。


156ページの本著は、寝ころびながらでも持って読める本である。しかし、読み進んでいくと、読み手の力量を試されるような手ごわい中身を持っていることに気づく。巻末の著者のひとことにあるように、「曼殊沙華に取り憑かれ」てでもいないと、書けない労作である。秋の花で、だれでも一度見たら忘れない鮮烈な印象を放つヒガンバナ(曼殊沙華)の渡来を、室町時代の臨済宗の伝来時期に帰するとする。これまでの諸説を覆すこの結論も、万葉集や古書などの文献を丹念に読み解くなどで実証的に導き、十分説得力がある。単にヒガンバナの記述にとどまらず、稲作の起源、資源作物の起源に関するテーマもツボがきちんと説明されている。著者の要約を読めばこうした大きなテーマの理解も大筋を外れることないという安心感と満足感が得られるのはありがたい。曼殊沙華はヒガンバナの同質3倍体であるが、ヒガンバナ属の多様性と変異に関し、DNA分析を通して研究した著者の成果報告も大変興味深い。  白川静博士の『文字逍遥』中に「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である」というよく知られた一文がある。本著は著者が長時間心血を注ぎ結実した力作に違いないが、全編にみなぎる豊饒な中身を、最初から最後まで一気に楽しみながら読み進むことができ、読後はむしろ軽やかな印象が残るという不思議な本である。著者は句作を趣味としてきたためか、各編とも記述は詩情にあふれ、文章は滑らかで理系人間の評者にも読みやすく、フルコースで硬質の中身にもかかわらずストンと頭に残る。本著のそこかしこから著者の遊び心が感じられる。


昔は墓花とか幽霊花などと嫌う人も少なくなかったヒガンバナですが、近年は人気者となり、秋霖の季節が来れば、TVや新聞で高麗川やごんぎつねの里に、真っ赤な絨毯を敷き詰めたように咲く姿が報道され、観光客がつめかけていますね。そんなヒガンバナと私たち日本人とのかかわりを、詳しく紹介する好著です。20年ほど前に出版された『ヒガンバナの博物誌』以降の新知見も紹介されています。本書にも見られるように、いつ渡来したかは、さまざまな方が論考されていて、縄文時代説・弥生時代説・鎌倉室町時代説などの諸説がありますが、著者は鎌倉室町以前の渡来はなかったと勇断されています。中国では宋の『図経本草』巻末の「本経外類」に石蒜(ヒガンバナ)の名があって、以降の本草書ではこれを初出として取り扱っていますね。


みんなのよく知っているヒガンバナ。でもそれがいつどのようにして日本にやってきて日本人とどのような交流を経て現在に至っているのか。こんな一見簡単に思えることでも、実際に調べようとすると、歴史書や生物、遺伝子など多方面についての検討が必要になってきます。本書を読み進むうちに、ひとつの花と人との間にも深い歴史があり、その積み重ねで現在に至っていることに改めて気づかされ、それを探っていく推理小説のようなドキドキ感も加わって、どんどん引き込まれていきました。


ヒガンバナはヒトをひきつけたり、時に忌み嫌われたり。でももともとは日本になかった花。ではどうして日本で咲いているのか? 過去の名著といわれる推察の引用やDNAなどの最近の科学的知見・植物や作物を通したわれわれの永い生活史まで。筆者のたぐいまれなる教養が、この本を形作り魅力的にしている。 花や木に興味があっても、どこから入ったらわからない方に是非お勧めします。日頃の何気ない散歩やハイキングの空間を豊かにしてくれること、請け合いです。



兼好は、たとえ仲のいい間柄でも、時には改まった態度を示すのが良いと記した。人間関係では、お互い気を遣わなくなった時に落とし穴がある。なれ合いになったら距離をおき、疎遠になったら距離をせばめる。そうすることによって、新鮮な関係を保つと、トラブルも減るとした。人間の弱さを熟知した兼好流の気配り術を学ぶ。


兼好は、上達したいと願う時には、形だけでも良いから達人のまねをすることから始め、人前に出ることを恥じるなと説いた。そして、心から大事だと思っていることは、タイミングと関係なく、今すぐとりかかれと述べている。人生は一瞬一瞬の積み重ねであり、同じ事は2度と起きない。毎日に緊張感を持って生きることが、自分を高めることになると兼好は説いた。


世の中、いわゆる「世間」というものは、うっかりしていると、あらぬ噂を立てられたり、笑いものにされたり、食い物にされたりする恐ろしいものである。そんな世間にふりまわされて嫌な思いをしないためには、どうしたらよいのだろうか。兼好は、自省を怠らず、自分自身を様々な方角から見つめ直すことを勧めた。世間という“魔物”に対峙する心構えを解く。


最終回では、大学で日本中世文学を学び、徒然草のファンである嵐山光三郎さんを招く。兼好は、成功や失敗といった固定概念を嫌った。そして完全なものでなく、不完全なものを愛した。嵐山さんは、こうした柔軟で優しい視線があったからこそ、平凡な日常を前向きに楽しむ余裕が生まれ、世の中の真実を見つめる力を養うことができたと考えている。兼好の姿から、人生の前向きな楽しみ方について考える。


万の道の人、たとひ不堪なりといへども、 堪能の非家の人にならぶ時、必ずまさることは、 たゆみなくつつしみて軽々しくせぬと、 ひとへに自由なるとのひとしからぬなり。 どの道であっても専門家というものは、たとえ未熟であったとしても、 熟練の素人に比べた時に、必ず勝っている。 それはいつも油断なく慎重で軽率なことはしないのと、 ただただ勝手気ままにするのとは、違うからである。
(第187段)


筆をとれば物書かれ、楽器をとれば音をたてむと思ふ。 盃をとれば酒を思ひ、賽をとればだうたむことを思ふ。 心は必ず事にふれて来る。仮にも不善の戯れをなすべからず。 筆を手にとると自然とものを書き、楽器を持てば音を立てようと思う。 サイコロを握ると賭けに勝つことを思う。 心は必ず物事に触発されてその気が起こってくる。 仮にもよからぬ遊びをしてはならない。
(第157段)


蟻のごとくにあつまりて、東西にいそぎ、南北にわしる。 高きあり、賤しきあり、老いたるあり、若きあり。 行く所あり、帰る家あり。夕にいねて、朝に起く。 いとなむところ何事ぞや。生を貪り利を求めてやむ時なし。 蟻のように集まって、東へ西へと急ぎ、南へ北へと走る。 身分の高い人もあり、低い人もいる。老いた人もあり、若い人もいる。 行くところがあり、帰る家がある。夕べには寝て、朝には起きる。 忙(せわ)しそうにしているのは何事なのか。 生命の続くことを貪り求め、利益を求めて、とどまる時がない。
(第74段)


一時を必ずなさむと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず。 もひ一事をなし遂げようと思うなら、 他のことがうまくいかなくても心を痛めてはならない
(第188段)


世は、定めなきこそいみじけれ。 人の命は定めがないからこそ、すばらしいのである。
(第7段)


家集のなかから、[1] 隠遁生活 [2] 自然 をテーマの和歌をご紹介します。 いずれも、技巧に走らず、文字そのままのシンプルな詠み口です。 [1] 出家して年月が過ぎたころ、訪問者を煩(わずら)わしく感じるまでに閑居に慣れた様子を、 さびしさも ならひにけりな 山里に 訪(と)ひ来(く)る人の 厭(いと)はるるまで と詠むいっぽう、たまに都にもどって友を訪ねる人恋しさもあったようで、 たちかへり 都の友ぞ 訪(と)はれける 思ひ捨てても すまぬ山路(やまぢ)は と詠むなど、出家はしても人づき合いを絶ったわけではないことがわかります。 [2] 花鳥風月のなかでは、「月」の歌が多く、満ち欠けに無常を感じたのかもしれません。 月やどる 露(つゆ)の手枕(たまくら) 夢さめて 晩稲(おくて)の山田 秋風ぞ吹く 手枕の 野辺(のべ)のはつ霜(しも) 冴(さ)ゆる夜(よ)の 寝ての朝(あさ)明(け)に 残る月かげ 閑居で寝そべってひとり眺める月です。のちに「手枕の兼好」と称されたそうです。 *意味がとりやすいように、漢字表記を多用しました。


「親しく交流した人」として文献から拾える人物に、[1] 弘融僧都(こうゆうそうず) [2] 頓阿(とんあ) がいます。 [1] 弘融僧都は仁和寺(にんなじ)の僧で、『徒然草』第82・84段に登場します。故実(こじつ)にくわしいうえに柔和で優雅な人柄を、兼好は高く評価していました。番組でも、第4回の第84段で、優しい目線を持つ人物としてご紹介しました。 [2] 頓阿は、「出家した隠遁者」で「二条流門下の和歌四天王のひとり」という点が、兼好と共通しており、『徒然草』第82段にも風雅を解する好人物として登場します。 兼好の家集には、頓阿の母親が亡くなったときの哀悼の贈答歌があります。また、頓阿の『続草庵集(そうあんしゅう)』には、隠遁生活の困窮から「米」と「銭」を融通(ゆうずう)し合う様子が、各句の冠(かんむり:句の冒頭)と沓(くつ:句の末尾)に暗号として織り込まれた贈答歌も見られます。 そのほか、今日的な友情とは違うかもしれませんが、宮家では[3] 邦良親王(くによししんのう)、和歌の道ではのちに二条家の当主となる[4] 二条為定(ためさだ)との交流も深かったようです。 [3] 邦良親王は、第4回でゲストの嵐山先生から、兼好が『徒然草』で「帝王学」を教えようとした皇太子とのお話がありました。 [4] 二条為定は、第2回にアニメーションでご紹介した第32段で、月を眺める女性を訪問した「ある人」ではないかといわれています。また、邦良親王亡きあと、兼好は為定を『徒然草』の最初の読み手と想定して書いたとする説もあります。


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