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継ぎ足し継ぎ足しの秘伝のタレに魅力を感じるのは私だけじゃないはず。
人は誰だって隙があれば継ぎ足し継ぎ足しで秘伝のタレをつくります。
開店当初から継ぎ足した秘伝のカレーなんてのもありますし、それは汚いという意見と、ロマンがあるという意見と半々ですよね。


フィオラの意見は別にあります。
誰もが体内に「継ぎ足しの秘伝のタレ」を持っていると。
それのおかげでいまこの瞬間まで生命を維持し続けているのだから、今回のウィルスを迎えるのはどこかのワクチンや薬剤ではないと。
いまたとえば新型コロナがⅢ型になっているのなら、
この先、Ⅳ型V型と変異がどれだけ続こうとも、
ひとりひとりが頼りにすべきなのは病院の人工呼吸器ではなく、
この「生命の水」だというのですね。


神に委ねるなら、一人一人を支える生命の水にはもっと大きな
「解錠」の力が宿るのではないだろうかと希望をもっています。
(※鍵の解錠は鍵を壊さずに開けることを意味しており、それに対して開錠は手段を問わず壊してでも鍵を開けることを意味します)
n121545


この新型コロナ騒ぎは第二次世界大戦以来の危機と言われています。
そこで考えてみますと、世界で大騒ぎになったのが2020年2月と3月の2ヵ月だとするなら、その直前で国家的な体制が大きく変わったのは
2019年5月1日に令和となり、10月22日に即位礼正殿の儀を終えたばかりの日本ではないでしょうか。
BREXITをギリギリ直前で成したイギリスもそうです。
偶然、または運が良かったということかもしれません。
混乱が始まる前で良かったです。n121501


新型コロナウィルスが既に変異しているとして、神岡氏の観測のように4月から出たⅢ型がどのくらい強いかです。
これに1万人が隠れ感染していたら被害は拡大しそうです。


最初期の中国の型と、現在のヨーロッパの型が同じだとは確かに思えません。
致死率はイタリアやイギリスで13%に届きそうで、スペインとフランスで11%に近づいています。病床に余裕のあるドイツの致死率も日を追うごとに耐えきれなくなりつつあり3%に向かっています。


ここからは事実を追いかけるしかないみたいです。
当初の予測は捨てるべきタイミングなのかもしれません。n121125





他人がほんとうに求めているものはわからないです。
でも自分がほんとうに求めているものは、探れる人が一人だけいるとしたらそれは自分ですよね。この自分だけです。
他に適任者はいません。


自分は、自分の専門家であります!


そうでなくては周囲も困ってしまいます。
自分を知る立場に一番近い人は自分だけ。シンプルな分担なんです。


フィオラに昔
「わたしの兄弟姉妹に話しかけないでください。自分の気持ちとしっかり向き合えるまでは、あなたに他人と話す資格はありません」というニュアンスを言われたことがあり、非常に困惑した記憶があります。


おそらくなんですが、
自分の気持ちと他人の気持ちを
50 : 50
で推し量っている内は「他人に毒を与える存在」だと言いたかったのかもしれません。


逆説的ですけれども、
100 : 0
で自分の気持ちと正直に向かい合う人のほうが他人に害を与えない結果になる、気もしています。


フィオラはそういうことが言いたかったのかなといまはなんとなく思っています。n120109





あなたは世界のなかに平和と調和を求めながら、あなた自身のなかにそれをもつことは拒んでいるのだ。


マハルシ ヴィバクティ(分離)があるかぎり、バクティ(帰依)がなければならず、ヴィヨーガ(分離)があるかぎり、ヨーガ(合一)がなければなりません。二元性が存在するかぎり、神と帰依者は存在せざるを得ないのです。探求(ヴィチャーラ)についても同様です。ヴィチャーラがあるかぎり、二元性もあることになります。しかし源に融け入れば、そこには「一なるもの」だけが在ります。それはバクティにおいても同様です。帰依によって神を実現すれば、そこに存在するのは「一なるもの」だけでしょう。神もまた真我の中で真我によって考えられたものです。それゆえ、神は真我と同一なのです。もし神への帰依心を抱きなさいと言われた人がすぐさまそのとおりにするなら、それでよいでしょう。しかし自らを振り返って「そこには二人がいる。神と私だ。遥か彼方にいる神を知るよりも、より身近で、より親しい『私』を知りたい」と言う人もいるのです。このような人にこそ、真我探求の道(ヴィチャーラ・マールガ)が説かれるべきです。実際、真我探求と帰依には何の違いもないのです。

(対話154)


「あなたは自我ではない。実在を実現しなさい」と言われたにもかかわらず、なぜまだ自我と自分自身を同一視するのでしょうか? それはちょうど「薬を飲むときに猿のことを考えてはならない」という諺のようなもので、不可能なことです。普通の人々にも同じことが起こります。実在について教えられたのに、なぜ「私はシヴァである」や「私はブラフマンである」に瞑想し続けるのでしょう? その真の意義を見極め、理解しなければなりません。単に言葉を繰り返したり、それについて考えたりするだけではだめなのです。
実在とはただ自我を失うことです。

(対話146)


マハルシ あなたがどの場所に、どのように置かれているかということに何の意味があるでしょう?
重要なのは、「心が常に源にとどまっていなければならない」ということです。内面にないものが外面に現れるということはありません。すべては心だからです。心が活動的であれば、たとえ隠遁していても市場にいるのと同じです。目を閉じることは何の助けにもなりません。心の目を閉じなさい。そうすれば、すべてはうまくいくでしょう。世界はあなたの外側にはないのです。心正しき人は、行為する以前に計画を立てたりはしません。なぜでしょうか? なぜなら、私たちをこの世界に送り込んだ神には、神自身の計画があるからです。そしてその計画は必ず成就されることになるのです。

(対話542)


人間が、自分は卑しい罪人であり、「父」は自分の外にいるのだという教えを受け容れたとき、人間は自分を神から完全に切り離してしまった。そしてこの理解、この信念の受容こそが、人間を繰り返し化身に戻らせている原因なのだ。


人の持つ不安がどんなに強烈なものであったとしても、神からあまりにも遠くかけ離れてしまって、自分はもう神のところへ戻れないのではないか、という不安に比べると、そうした不安はものの数ではありません。自分は神のところに行けるほどの価値がないのではないか、という巨大な怖れを人は持っています。これは圧倒的な力を持った無意識の怖れであり、誰のなかにもあるものです。どうかそれに目を向けてください。


マハルシ 二元性と欲望の根本は外側へと向かう心です。
人は仕事を遂行する間、高次の力に自分自身を明け渡し、そのことを常に心に刻みこんで、けっして忘れてはなりません。そうするなら、いったいどうして得意になることができるでしょう? 彼は行為の結果に関心を持つべきでさえないのです。そうしたときにのみ、行為は非利己的となるのです。

(対話502)


では、自分が本当に愛情深い人間かどうか、どうしたらわかるのでしょうか。あなた方にとって、その答えはあまりにシンプルすぎて、受け入れがたいかもしれませんが、こういうことです。自分の心をよぎるすべての人、自分の目の前に現れる人のすべてに対して、温かい思いやりの心とその人たちの気持ちを理解する心を持つことができたとき、その人は本当に愛情深い人ということができます。


相手は”神の大いなる光”で満ちているのだ、ということをつねに覚えていてください。そうした態度が、人の”存在”が持つ、言葉では表現できない神秘のなかから、愛の贈り物を引き出してくれます。あなたが彼らに贈り物を与え、その贈り物があなたのところに戻ってくるわけです。与えることと受け取ることは同じことです。あなた方はこの目的のためにおたがいを創造したのです。つまり、「本当の私たちは、自分たちが考えているようなものではない」ということを、おたがいに思い出させてあげるためです。
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