最悪を感じるときに
「これもまた過ぎ去る」というメッセージを見る小話を聞きます。
たしかに、何か確かなことがあるとしたら、
その最悪期は過ぎ去るということです。いままで過ぎ去らなかったことがないのはみんな知ってます。
だから最悪期の問題というのは、
最悪をもっと違うように見ることができていたら、という素朴な願いなのかもしれません。n130109

公園さんが2019年5月16日に更新されたなかに、
↓
唯一神とされる【創造神】の存在は見えなくても、創造神の存在を信じることそのものが創造神との【縁結び】なのです。【縁】が無ければ救えないと言う意味合いでもあった
↑
一行ですが、率直に天才だと感じました。
【縁】が無ければ救えないから、フィオラや団の諸霊は焦っているのです。しかもこれは霊との縁ではダメで、あやしい自称神様との縁でもダメです。これは、地上人が地上人だけで生活していれば、きっと見過ごされる現実です。この大変革期にいまどうしても必要とされているのがこの【縁結び】なのだと思います。
【神縁】が必要です。入り口は一瞬だけ誰か他人を経由してもいいですが、すぐに直接「大神様と本人の縁」を結び直すことがいま緊急で必要とされている時節なんだと強く感じます。n
遠神恵賜
とおかみえみため(遠くの神が恵みを垂れてくださる)
なぜ遠いのか。
答えは重要ではありません。この問いが大事だと直感で思います。
スポイトの一滴の水とコップ一杯の水の違いで言えば、スポイトの一滴は日常生活で「自己のスケール」を基準に物事を推し量るようになります。対象物との遠近感もそのスケールです。結局、自分の理解できるものを近くに寄せるのです。
何も改めないならば、人生の入り口と出口で、同じものの見方をして、同じものを引き寄せて、同じ癖を強化し固陋(ころう)であり続けたことになるのかもしれません。
神のスケールはいつも遠く、計り知れず、側面が無限で、だからこそ「今回どのように関わろうとしているか」が切り取られた窓になります。
一日一日、そのように切り取られた窓なんですよね。n
吾が舞えば あ(私)がまえば
麗し女 酔いにけり くわしめ(美女) よいにけり
吾が舞えば
照る月 響むなり てるつき とよむなり(共鳴する)
夜這いに 神天下りて よばい (結婚式)に かみあまくだりて
夜は明け よはあけ
鵺鳥鳴く ぬえとり(夜の鳥)なく
吾が舞えば
麗し女 酔いにけり
吾が舞えば
照る月 響むなり
夜這いに 神天下りて
夜は明け
鵺鳥鳴く
遠神恵賜 とおかみえみため(遠くの神が恵みを垂れてくださる)
遠神恵賜
遠神恵賜
一日一夜(ひとひひとよ)に 月は照らずとも
悲傷(かな)しみに 鵺鳥(ぬえとり)鳴く
吾(あ)がかえり見すれど
花は散りぬべし
慰(なぐさ)むる心は
消(け)ぬるがごとく
新世(あらたよ)に神(かむ)集(つど)いて
夜は明け
鵺鳥鳴く
咲く花は
神に祈(こ)ひ祷(の)む
生ける世に
吾が身悲しも
夢(いめ)は消(け)ぬ
怨恨(うら)みて 散る
陽炎(かぎろひ)は
黄泉(よみ)に 待たむと
陽炎は
黄泉に 待たむと
咲く花は
神に祈(こ)ひ祷(の)む
生ける世に
吾が身悲しも
夢(いめ)は消(け)ぬ
怨恨(うら)みて 散る
怨恨(うら)みて 散る
百夜(ももよ)の悲しき
常闇(とこやみ)に
卵(かいこ)の来生(こむよ)を
統神(すめかみ)に祈(の)む

円から出るな
マスク・オブ・ゾロの修行シーンで、この「円から何があっても出るな」と言われます。
上達すればするほど、必要とする円の大きさは小さくなっていく。
これを人生の修行において師匠から言われた言葉だとするなら、円というのは自身の(主に心の)動きです。
たとえば15回の人生をいままでに繰り返しているとして、どの人生でも共通なのは「中心」です。半径は中心との距離です。円の大きさは(人生のイベント時に必要とした)中心との往復運動です。
中心に何があるのか、14回の人生では掴めなかったかもしれません。老若男女、奴隷、農民、貴族、犯罪者、金持ち、権力、被害者、貧乏、障害、病気、愛情。
1回目の人生でも14回目の人生でも中心は同じものでした。他のすべては変わった。でも中心は変わりません。そして、中心を用いた「円の大きさ」は15回の人生を通じて成長し続けています。
より小さく小さくなっていき、中心に焦点が近づいていきます。
中心の正体は何か。人間に知覚できる程度のものではないから、人生を超越した「続き」が存在するのです。
この地上界での中心を学び終わったら、垂直に移動し、また上の階層での「神」の側面を学ぶ旅が続きます。
どの旅、どの人生においても「中心との関係」が問われています。
今日一日に限っても同じです。円のなかの動きを吟味し続けているこの過程は、中心との関係を吟味し続けていることに等しいのではないでしょうか。
中心を点のようにとらえることに反対します。この複数の人生を越えて、自分が外からの刺激(人生のイベント)に対して、ある一定の円の(なかの)動きをしていることを自覚する価値があると思うのです。n

一つ ”はい”という素直な心
一つ ”ありがとう”の感謝の心
一つ ”私がします”という奉仕の心
一つ ”おかげさまで”という謙虚な心
人には愛 花には水を
初心忘れるべからず 言い訳は口ごたえ
常日頃の自分の生き方
朝起きてからの
そういうところから入っていくんじゃないですかね
今日の一日を大事にして
1分1秒を大事にして
貴重な時間を積み重ねていって
自分のものにする
すべてが 1日1日が
芸者さんの仕事だと
そういうつもりで頑張ってますけどね
16歳のとき高校を辞め熊本市にある置屋に飛び込んだ
早朝から炊事洗濯に始まり
先輩芸者の身の回りのお世話
日中は三味線や踊りの稽古
夜はお座敷の手伝いと
目の回るような忙しさ
でもつらいとは思わなかった
4年後には踊りに秀でた気立てのいい芸者として
熊本では名の知れた存在となった
転機が訪れたのは昭和39年 24歳のとき
雑誌で東京赤坂に日本有数の花柳界があることを知った
自分の力を試したい
先輩芸者の伝手で赤坂で働き始めた
ときは高度経済成長のまっただなか
政財界の接待 夜毎行われる赤坂は
300人の芸者が鎬を削っていた
まもなく変な噂話を耳にした
あの女は熊本から逃げてきたと
必ず結果を出し 見返してみせる
人一倍踊りの稽古に励んだ
さらに力を入れたのは 客を楽しませるための話術
客との共通の話題をもつため ゴルフや競馬など
あらゆることを勉強した
そして昭和40年代半ば 30歳を前に
多くの御贔屓がつくようになった
ときに政界のトップ(佐藤栄作以降のすべての総理大臣)
ときに国民的スター(石原裕次郎 力道山 美空ひばり 勝新太郎)
いつしか赤坂で最も人気のある芸者の一人となった
昭和50年 35歳のとき
御贔屓の社長にゴルフの話に関する言動で失望されてしまった
けっして失礼なことを言ったつもりはない
でも自分の発する言葉一つに
どこまで気を配っていただろうか
もう一度すべてを一から見直そう
お座敷では会話をしながらも客の細かな言動にまで注意を払うようにした
踊りのうまい先輩芸者に頭を下げ
指先の角度から目線に至るまで徹底的に細部を見直した
着付けから化粧 歩き方
朝起きてから夜眠るまで 芸者であることを意識しつづけた
気がつけばあっという間に62年が過ぎた
お稽古してお稽古して、あの舞台を踏む。それでも百パーセントの踊りはできない。でも、指の先まで神経を張り詰めていると伝わるものがある、と思っています。
芸者さんはお座敷での話を聞いちゃいけない。右から左に流さないといけないんです。そして、お座敷を一歩出たら忘れないといけないので、たとえ廊下で、さっきまでいたお座敷のお客さまと会っても「先ほどは…」とは言えない。「しばらくでございます。ご機嫌いかがですか」と挨拶しなければなりません。
東京に来た当初、1年半から2年ぐらい赤坂のおかまバーに通って、会話術を学びました。今もテレビで1日3つは話題を見つけるようにしてます。政治の話はタブー。サッカーとか差し支えのない話を選びます。お仕事の話ばかりしているお座敷を「お通夜」と言うんですが、話に乗ってくれそうな人を見つけ、会話のピンポンができる芸者じゃないとお通夜になります。
私は踊りのお稽古でも手元をたたいたり、何度も同じ間違いをしたら「ばか野郎」と言ったりすることもあります。よその(踊りの)流派の人でも舞台に立つときは一緒。だから厳しく言うし、それが赤坂のためになると思っています。それを「自分のためにやってくれている」と思える人は残ります。
お客さま同士が話しているときは絶対、芸者さんは入ったらダメ。芸者同士が話すことは絶対にダメ。「料理を食べていいよ」と言われても食べたらダメ。
でもね、育てたいよ。赤坂のため。若い子が増えなきゃ、赤坂はさびれちゃう。その子が生涯、芸で生活できるという保証はできないのが難しいところだけれど、ご挨拶、素直な心、奉仕の心、謙虚な心、感謝の気持ちを持っていれば、きっと幸せが来るんじゃないかな。

1個にしよう!
自分が見つけた法則が100か条あったとしても、それを一番重要で根源的な、それさえあればなんとかなる1個に集約してしまいます。
その1個を大切にしている100人を集めて、またその100か条の中で、一番重要で根源的な(以下略)
また1個になりました。
これを個人の中で繰り返すことは、夢物語ではありません。n

実は(真理は人に思われていることと)ポイントが違う、ということがよくある
(イチロー:基本的には人体の動きを理解しながらプレーをすればケガを防ぐこともできる。例えば、肩の力が入ってる。「リラックス、リラックス」って言われても、ここ(肩)だけやっても無理なんですよ。僕の感覚ですよ。膝の力を抜かなきゃいけない。
↓
膝の力を抜いたら肩も抜ける。
↑
そういうことを理解しているかどうか)
実践上、経験から学びとったポイントと、人の又聞きや教科書のそれは違います。
ポイントは往々にして「具体的」かつ人が一般に思っていることとまったく「違うところ」にあり、それを知っている(体得している)人の人数が少ないためなかなか遭遇できないということがよくあります。
どの分野にでもあります。ですから、
私はポイントを知っている(または、すぐ学び取れる)という思い込みは非常に危険です。
「上」は、そういう本物のポイントを本人に学ばせようとしますが、
本人が「頭」で学べると思い込んでしまっているタイプだと、素通りしてしまうことがこれまたよくあります。n

鉄舟「修身二十則」
(鉄舟が満13歳の時に自身に課した人生訓)
一 嘘を言うべからず候
二 君の御恩は忘るべからず候
三 父母の御恩は忘るべからず候
四 師の御恩は忘るべからず候
五 人の御恩は忘るべからず候
六 神仏ならびに長者を粗末にすべからず候
七 幼者をあなどるべからず候
八 己れに心よからざることは、 他人に求むべからず候
九 腹を立つるは、 道にあらず候
十 何事も不幸を喜ぶべからず候
十一 力の及ぶ限りは、 善き方につくすべく候
十二 他をかえりみずして、 自分のよきことばかりすべからず候
十三 食するたびに、 稼穡(※)の艱難を思うべし、 すべて草木土石にても、 粗末にすべからず候
※かしょく・・・種まきと収穫、農業
十四 ことさらに着物を飾り、 あるいはうわべをつくろう者は、 心に濁りあるものと心得べく候
十五 礼儀を乱るべからず候
十六 何時何人に接するも、 客人に接するように心得うべく候
十七 己の知らざることは、 何人にても習うべく候
十八 名利のために、 学問技芸すべからず候
十九 人にはすべて能不能あり、 いちがいに人をすて、 あるいは笑うべからず候
二十 己れの善行を誇り顔に人に知らしむべからず、 すべて我が心に恥ざるに務むべく候
もののふ(武士)というものは、 出所進退を明らかにし、 確乎として自己の意志を決した以上は、 至誠もって一貫するのが、 真の武士でまた武士道でもある。
晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり
人は至誠をもって四恩の鴻徳を奉答し、 誠をもって私を殺して万機に接すれば、 天下敵なきものにして、 これがすなわち武士道である。
一国を治めるものは、 まず手近く自身からしなければならない。 親子兄弟一族の治めがついて、 さしつかえがないというに至ったならば、 この秘法はたちまちに万機に応じることができる。
剣法を学ぶ所以は、 ひとえに心胆練磨。 もって、天地と同根一体の理を果たして、 釈然たる境に、 到達せんとするにあるのみ。
およそ大凡人たるものは、 誠忠が肝要である。 ゆえに時変に接しては 死を見ること帰するがごとき 確固たる心胆を動かさぬように 鍛練が第一である。
道は千載不滅だよ。 いかなる大敵でも、 道には勝てぬ。
人である以上は、 なにびとに限らず 人の本分を尽くさねばならない。 人間である以上は、 他の動物と異なる 人間らしい道を歩まねばならない。
心身ともに忘れ、 自ずから天地万物、 一筆に帰するの妙。
無刀とは、 心の外に、 刀が無いこと。 敵と相対するとき、 刀に拠ることなく、 心を以って心を打つ、 これを無刀という。
自然は教師なり、 自然を眺めて学び、 自然に即して考える。
人のこの世の中に処するには、 必ず大道を履行しなければならない。
宇宙と自分は、 そもそも一体であり、 当然の帰結として、 人々は平等である。 天地同根、 万物一体の道理を悟ることで、 生死の問題を越え、 与えられた責務を果し、 正しい方法に従って、 衆生済度の為に尽くす。
諸行無常のならいにて、 因果は車の輪のごとく、 密接不離のものである。
人には必ず信心という大磐、 すなわち宗教心が第一である。
(明治維新のときに、当時の日本にこういう人物がゴロゴロしていたのかと想像すると圧倒されますn)
北朝鮮への帰国事業から考える
彼岸には「楽園がある」という大嘘が蔓延し、「着の身着のまま」で帰っておいでと吹き込まれました。到着した帰国者の想いは単純で「ダマサレタ!」それだけでした。
各国の思惑にも複雑な「裏」はなく、日本側はただ「厄介払い」したかっただけでした。韓国は「冷戦の論理」から帰国事業に猛反発し、北朝鮮は「韓国への優越性を宣伝」したかっただけ。どの「裏」にもダマサレタ人々の人権を守る意識は欠片もありませんでした。
彼らを守れるものが当時あったとしたらそれは、
「自分で考え、自分で裏を読み、自分で警戒する」というごく当たり前の心構えだけです。それしか家族を守る方法はありませんでした。家族の一人にそのような警戒心が欠けていれば、自分が警戒し家族を引き留めなければ助けることはできませんでした。
これを考えたくなったのは、この世とあの世の構造に似ているからです。
彼岸は、正確な情報がありません。あるのは基本的には噂の類です。
◆ですから「最悪を想定した準備が必要」です。
結果的に「着の身着のまま」で良かったとしたら、あとで杞憂だったねと笑い話にすれば良いだけなのですから。手ぶらで岸を渡るのは勇気ではありません。n
PR
HN:
Fiora & nobody