フィオラの最初の言葉は
かえりなさい
でしたから、かえる場所が一か所しかないことを同時に意味しているように感じています。
スイッチのオンオフがないくらい一か所
ですから、どんな分野も業界もシンプルです。
(人間の日常生活からすると、スイッチのオンオフの概念はとても有用ですけれども)
シンプルじゃないという想いは、かえって障害にしかなっていないことのほうが多いようにも思います。
シンプルが真理で、
真理がシンプルです。
時代劇でよくあるような
真剣を通した殺し合いの中で、
向かい合った二人は
シンプルな原理の中にあります。
剣の豪華さやいままで培った技術を競っているとその瞬間思っているようなら隙だらけでしょう。
相対する二人は同時に
唯一の神殿に
なにかを捧げ合う関係に近いのではないでしょうか。
ブーメランというのはそういうことでして、
投げた という意味は 受けた になり
受けた という意味は 投げた になります。
没入 ということの意味は 愛 または 知識 になります。
かえりなさい
に対して
どこに?
とか
在りなさい
に対して
どうやって?
と返しているうちは
どこに?(選ぶ場所が複数ある前提で想定していること)
どうやって?(在り方が複数ある前提で想定していること)
という想念を投げていることに自分で気づいていないということで、
当然それを「受け」ます。
フィオラは日本刀を円のように一閃させることや
円環
というイメージをよく使うのですが、
全ては円で、
全ては縁です。
鶴ひろみさんや辻谷耕史さんが亡くなった後で、
彼らの声を聴くと
ああ、ほんとうにいい声を聴かせていただいていたんだなあと思います。n220521
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Fiora & nobody