輪郭線を描かないと風景に溶ける
誰かが何かをしている、と言葉にする前の
「事実の世界」には
言葉以前、が渾然一体となって溶けています。
そこで言えることは一つだけ
私は在る(言葉として発さずに、これを確認するということです)
ここ(私は在る)から出ていこうとしない態度は
輪郭線を描こうとしない態度と共通していると思います。
S(主語) + V(動詞) + 0(目的語)
このS(主語としてのS)を描こうとしないと、
残るのは「いま 在る」です。
これを特定するのがむずかしいのは伝わると思います。
対象物にできない「いま 在る」が感知できるのは、
余計な習慣(輪郭線を描こうとする態度)が落ちたときだけだからです。
没入
と一言書くとき
どこに? どこに没入するの?
と思ってしまう「自分」がいます。
それが邪魔をする唯一の存在、「つなぎ目」の私です。
=想念の私(アハム・ヴリッティ) 偽の私です。
この偽の私を主人公とした
輪郭線を描きながら、物事の本質に「没入」していくことはきわめてむずかしいです。
だから簡単な方法、
この輪郭を真っ先に書く癖をやめるんです。
Sとは
たった一つだけ「癖が抜け落ちた」人たちのことです。
伝わるでしょうか?
何か疑問や課題があればおっしゃってくださいね。n072059
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Fiora & nobody