トシさん、こんばんは。
ありがとうございます。
>思考が騒がしくても、それをどうもしようとせず、
ただ一緒に居るのは、輪郭線を描かなくなることに近づきますか?
鋭いご質問をありがとうございます。
単なる私の考えですので、参考程度にしていただければと思うのですが、
ただ一緒に居るだけでは、(少し弱いというニュアンスで)不十分だと思います。
輪郭線を真っ先に描く態度(や習慣)というのは、
真っ先に「私(偽の私・想念の私・言わばプレイヤーの私です)」を基準にして
プラス・マイナスを価値評価したり、
行動計画を立てることを意味します。
つまりですね、
トシさんのおっしゃる思考が騒いでいるときには既に、
輪郭線の「私は描かれてしまった後」なんです。
私のための 思考
私のために既に発生した 思考
しかもその私というのが、
想念の私(この肉体の主人として意思決定を下している人格的な私が想定されていて、それが思考をしている主体だと一般的には見なされています)
プレイヤーなんです。
「いま 在る」のは、
想念の私(プレイヤー)がいるからではありません。
「いま 在る」の中に想念の私が現れたり・消えたりしているのが事実です。
では定期的に現れる想念の私の
「発生源」を確認しようとされたでしょうか?
仕事中、うんざりすることばかりです。
ですけれども、
単なる個人 + うんざりする日常のあれこれ
という要素のどちらかが「思考の発生源」です。
もちろんそれは「単なる個人」という想定の側です。
発生源は、外側の仕事ではなくて、
自分が自分を「単なる個人(が翻弄されている)」と見なしていることのほうなんですね。
自分を単なる個人と見なしている ← これはコンマ何秒の世界でしょうか。
この瞬間的な癖の
★発生源を見ようとするんです。
(これ簡単に書きましたけど、ニュアンスが伝わるかどうか最重要な部分です。コンマ何秒の超スピードの思考の根本、これは「私にとって有利か不利か?」などの「基準となる私」という「私(偽の私)」が「発生しているかしていないか」を「見ようとしている状態」です)
★★この「状態(偽我の発生チェック=その時点)」に、何度も何度も意識的に立ち戻るんです。
そうするとですね、思考は止まるんです。
なぜなら、それが荒れ狂う思考の親分、本当の原因菌だからなんです。
この根本を抑えられたとき、
荒れ狂っていたはずの思考は活動できなくなるんです。
もう7年も前の話ですから、
このSの良いところも(運用をめざす上での)悪いところも
トシさんも私も深く理解していると思います。
ただ7年前と変わっていないのは、
私の人格でもトシさんの人格でもなく、
「いま 在る」という無限の潜在的可能性です。
この無限は、
想念の私が前に出すぎる(輪郭線を描く態度)ことによって、
見えなくなってしまうんです。在り続けているけれど、見えなくなり聞こえなくなります。
ただどんなに見えない時期が来てもそれは一時的なものなので心配は要りません。
Sはシフトレバーをニュートラルに「抜く」技術に近いと思います。
カヌーを進行させようと苦心しているとき、
人は自分を漕ぎ手だと思っているから「苦心」しているんです。
つまり苦心の源は、
カヌーの上に「誰かいる」という発想なんですね。
この発想・この習慣・この源を見守ることによって、
輪郭線を描く態度をやめることに成功する人たちが出てくるんです。
今日のこの書き方でも少し別の視点から見ていただけたら嬉しいです。
いま多分私とトシさんしかいないので、いくらでもキャッチボールのように投げてくださいね。ではまた。n082348
私たちは唯一の現実と色分けの色鉛筆で生きていて
色分けや輪郭線での「現実の解釈」のほうは誰に頼まれたわけでもないんですよね。
自分が、勝手にやっていることです。
その色分けや解釈の「回数」も「焦り・強迫観念」も自分だけが固く握りこんでいるものです。
10年前も20年後も
唯一の現実は唯一の現実です。n082236
ありがとうございます。
>思考が騒がしくても、それをどうもしようとせず、
ただ一緒に居るのは、輪郭線を描かなくなることに近づきますか?
鋭いご質問をありがとうございます。
単なる私の考えですので、参考程度にしていただければと思うのですが、
ただ一緒に居るだけでは、(少し弱いというニュアンスで)不十分だと思います。
輪郭線を真っ先に描く態度(や習慣)というのは、
真っ先に「私(偽の私・想念の私・言わばプレイヤーの私です)」を基準にして
プラス・マイナスを価値評価したり、
行動計画を立てることを意味します。
つまりですね、
トシさんのおっしゃる思考が騒いでいるときには既に、
輪郭線の「私は描かれてしまった後」なんです。
私のための 思考
私のために既に発生した 思考
しかもその私というのが、
想念の私(この肉体の主人として意思決定を下している人格的な私が想定されていて、それが思考をしている主体だと一般的には見なされています)
プレイヤーなんです。
「いま 在る」のは、
想念の私(プレイヤー)がいるからではありません。
「いま 在る」の中に想念の私が現れたり・消えたりしているのが事実です。
では定期的に現れる想念の私の
「発生源」を確認しようとされたでしょうか?
仕事中、うんざりすることばかりです。
ですけれども、
単なる個人 + うんざりする日常のあれこれ
という要素のどちらかが「思考の発生源」です。
もちろんそれは「単なる個人」という想定の側です。
発生源は、外側の仕事ではなくて、
自分が自分を「単なる個人(が翻弄されている)」と見なしていることのほうなんですね。
自分を単なる個人と見なしている ← これはコンマ何秒の世界でしょうか。
この瞬間的な癖の
★発生源を見ようとするんです。
(これ簡単に書きましたけど、ニュアンスが伝わるかどうか最重要な部分です。コンマ何秒の超スピードの思考の根本、これは「私にとって有利か不利か?」などの「基準となる私」という「私(偽の私)」が「発生しているかしていないか」を「見ようとしている状態」です)
★★この「状態(偽我の発生チェック=その時点)」に、何度も何度も意識的に立ち戻るんです。
そうするとですね、思考は止まるんです。
なぜなら、それが荒れ狂う思考の親分、本当の原因菌だからなんです。
この根本を抑えられたとき、
荒れ狂っていたはずの思考は活動できなくなるんです。
もう7年も前の話ですから、
このSの良いところも(運用をめざす上での)悪いところも
トシさんも私も深く理解していると思います。
ただ7年前と変わっていないのは、
私の人格でもトシさんの人格でもなく、
「いま 在る」という無限の潜在的可能性です。
この無限は、
想念の私が前に出すぎる(輪郭線を描く態度)ことによって、
見えなくなってしまうんです。在り続けているけれど、見えなくなり聞こえなくなります。
ただどんなに見えない時期が来てもそれは一時的なものなので心配は要りません。
Sはシフトレバーをニュートラルに「抜く」技術に近いと思います。
カヌーを進行させようと苦心しているとき、
人は自分を漕ぎ手だと思っているから「苦心」しているんです。
つまり苦心の源は、
カヌーの上に「誰かいる」という発想なんですね。
この発想・この習慣・この源を見守ることによって、
輪郭線を描く態度をやめることに成功する人たちが出てくるんです。
今日のこの書き方でも少し別の視点から見ていただけたら嬉しいです。
いま多分私とトシさんしかいないので、いくらでもキャッチボールのように投げてくださいね。ではまた。n082348
私たちは唯一の現実と色分けの色鉛筆で生きていて
色分けや輪郭線での「現実の解釈」のほうは誰に頼まれたわけでもないんですよね。
自分が、勝手にやっていることです。
その色分けや解釈の「回数」も「焦り・強迫観念」も自分だけが固く握りこんでいるものです。
10年前も20年後も
唯一の現実は唯一の現実です。n082236
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