トシさん、こんばんは。とんでもないです、返信はいつでも大丈夫です。
また納得されるまでキャッチボールを続けて大丈夫ですので、
どうぞゆっくりしていってください。
そもそもコーヒーブレイクのために書いています。ほっと一息で読んでいただくのが一番嬉しいです。
>1、開いた沈静な空間にある・居るけれども、
何かをトリガーにした思考の発生に同一化して
飛びついて離れなくなることに気づきます。
全く気づかない内に、思考の陰に、檻に吸い込まれたことに、はっと気づく繰り返しです。
この無意識の同一化が、自分を単なる個人と見なしていることでしょうか?
無意識の同一化自体は、意識の正常な機能の範疇だと思っています。
それよりも檻に吸い込まれたことに気づいて「戻ってくる」ときの自分の意識の動き、焦点の動きが「自分を単なる個人と見なしているかどうか」現状を示しているのだと思うんですね。
(空間に意識が)戻ってくるときに、ご自分が何を考えているか追跡できるでしょうか?
ああ、私は個人ではないと一回一回戻ってくるときに意識が動いているようなら
「単なる個人だと見なす癖は既に抜けている」と思います。
たとえば、
私(肉体の私・想念を発生させている主体であるのだろうと見なされている人格の私)は
いまこの環境で有利だろうか? 不利だろうか?
という計算をするような想念に囲まれている場合は、想念の中心、駒の軸に(偽の)私が既にいます。
もうその時点でニュートラルからズレています。
なぜズレているかというと、想念の私(ただの個人で利益が欲しい)は幻想に過ぎないからです。
そういう個人性は確かに限定的に実在しますが、それは自分に対する過少評価・誤解に過ぎません。
このズレを
本当の中心
想念の私の発生していない空間という中心に戻します。
空間「への認識」は
雲に吸い込まれるように想念と同一化していた瞬間を経ても
失われていませんでした。
空間「への認識」はそのまま留まっているんです。
言わばOSみたいな基幹なんです。
OS上で動いている個々のソフトが思考であり想念です。
戻ってくるときに一回一回私は個人ではないのだと意識が向き直るようだと正常です。
戻ってくるときに一回一回「想念の私の発生状況の監視」に自然に戻るようだと正常です。
そんなふうに私は思ってます。
この意識の向き直り方が
現状の「自分を単なる個人だと見なす癖がどのくらい抜けているか」を示します。
>2、分離的・破滅的・敵対的思考に気づいて、
それも個人として受け容れて、
その上で大神様に捧げる行動を、
きちんと選択・点検すること。
こちらにズレはありますでしょうか?
すばらしく、ズレがない
ご意見だと私は感じました。
分離的・破滅的・敵対的思考はあって当然です。
以前トシさんがおっしゃっていた
「私を守ろうとして発生した自我」
言わば護衛官としての自我が、限定された自己を守ろうとしているんだと思うんですよね。
健気とも言えますし、合理的で何もおかしくありません。
私たちが気をつけるほうがいいのは、
主(大神様)に捧げる言動としてあらゆる物事を見ること。
なぜならそれが事実だからです。
主より小さい相手への言動だから後で許してもらえると考えて、
ここに段差をつくってしまうと後悔します。
主はすごい方なので、段差なんてつくっていないからです。
今日もっとも弱い立場の誰かにやったことは、主に対してやった自分とは何かの表明です。
自己表現の一環として発生したこれらの敵対的思考を
まずいったん認めて(事実もう発生しているのだから認めるのが最善です)、
その上で
主への捧げものとして「選択権」は手放さないこと。
自分とはこの「選択権」にあるわけですから。
1、想念の私はいつも監視されている。
2、主への捧げものへの選択権を明瞭に感じている。
これらがニュートラル、開かれた空間だと思います。
開かれた空間とは、ノー矢印。指向性がありません。
それが「私は在る」という確認の時点です。
想念の上に空間が間借りしているわけではありません。
想念は複雑ですが、空間はいつも同じように開かれています。明瞭で、無限です。
開かれていることに気づくためには
青空に発生した雲へ飲み込まれてしまった意識を空間に「向けなおす」だけ。
または月を覆い隠していた雲が風で流されて月はまた自然に顔を出します。
意識を向けなおすまでもなく、有限のものが去り、無限が戻ります。
そのときに「自分は単なる個人である」という想念の私を潜在させていなければ、限定の解除、すなわち無限に戻っています。
私たちは無限には気づけない、
限定のみに気づけて、限定を解除できるだけ。
そうラマナ・マハルシは言っていました。
ドライブに入っているギアをニュートラルに抜く。
限定(自己を限定していること)に気づこう、ということです。
それは、
いま私は「想念が発生していた以上」
「想念の私が発生していたはず。どこに? どこに発生していたのだろう?」と発生源を意識上で探す、監視することと同一の状態ではないでしょうか。n110240
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