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skさん、こんばんは。
昨日のskさんのご不安についていただいた内容はよくよく拝読した上で、恐怖の根源は応用の幅が半端ではないので申し上げました。


恐怖というのは、いま、この瞬間もう怖いわけです。
いま、恐怖の根源、根本があるんですね。
何か言われたから怖いとかではなくて、その恐怖の根源を何か言われて刺激されたから恐怖が襲ってくるんです。


ほとんどの人が、その恐怖の根本の部分を観ようとしていません。
いまですよ、いまこの瞬間に、観なくては見れません。
私たちが、瞬間を見るときに、(自分という)存在の根本を観るような感じです。
もう何年も前に、
目の前のテレビ画面を見ている自分を見ている(つまり目の前のテレビ画面と肉体の自分を両方対比して観ていられる視点」」意識の位置という比喩でご説明したことがあると思います。


これは恐怖の根本を観る意識を説明するための比喩なんです。
意識の立ち位置の感覚を説明するための言わばちょっとだけデフォルメされた説明です。


恐怖の根本を観ている状態を
ルックねもと と便宜上呼ぶならば


ルックねもとは、いま、自分が大いなる存在と離れて存在していて一人ぼっちであるという意識が「立ち上がってくる」場所、コンビニの唯一の出入口をヤンキー座りして塞いでしまう感覚です。


一人ぼっちが(誤解によって)造られた感覚なので、この偽造感覚はいま変更できます。


ピンとこなくても、どうか気になさらないでください。


応用範囲はめちゃくちゃ広くてですね、自分がいまなんとなく不安を感じているとか、恐怖や憂鬱を感じているとき、感じ始めた時に、


ルックねもと になりさえすれば


不安はすぐに薄まり、恐怖は光を浴びたように少し昼間の雰囲気になり、憂鬱は楽しみに少し変わります。


意識の立ち位置がわからなくても
理屈を思い出してみてください。


私たちが怖がっているのは、
偉大な慈愛から離れてしまって、自分が一人ぼっちでもうそこには帰れないのではないかという無意識の恐怖であることを思い出します。


分離してしまった、が事実か嘘か、それが ねもと です。


事実か嘘かわからなくていいんです。
事実か嘘かをこれから検証しようとする地点が意識の中にありますよね。
そこに立ちます。出入口を塞ぐようにそこを塞ぎます。


(一人ぼっちで)怖いをスタートさせない んです。


こういう描写は伝わりにくいものですから、聞き流してくださいね。
ワクチンのこともまた書きます。skさんがそう主張されたことを聞いて正直すごく安心しました。おやすみなさい。n250011
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