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こんばんは。とんでもないです。少しでもこれからのお役に立つ可能性があるならこれに勝る喜びはありません。
100人お会いしても恐怖の根本を理解している方はまず1人もいません。
なぜなら神が実在していることを思い出していないと、神への喪失感がどれほど人間の精神を裏から支配しているか一生かかっても思い出すことはないからです。
>目の前の出来事そのものに恐怖を感じているのではなく、その出来事によって大いなる存在と分離して一人ぼっちになったという感覚が刺激されることで恐怖を感じ~ トラウマのものすごく大きい~
→ おっしゃるとおりです。トラウマの中で、最大で最古のものです。
顕在意識での親を求める衝動と比較すると
無意識下での” 神(想像の及ぶ限りにおける最高の慈愛) ”を求める衝動は比較にならないほど巨大で、根本的です。
でも見失った親を探す迷子と構造はまったく一緒です。
一人で遭難し絶望に涙している人が、誰かの呼び声を聴いたと思ってください。
その瞬間がどれほどありがたいか、その声を切望しているか、
神を求める衝動は、無意識に押し込められているその切望です。
みんな助けがほしいと切望したまま、いまを生きています。日常のすべての感情はこの切望の影響下にあります。
>「誤解によって造られた分離の感覚」がまさに問題の根源~
→ おっしゃるとおりです。さらに「分離してしまったかも・怖い」感覚のまま自我が保身に走ることで、問題はさらに大きく複雑化していきます。
昨今流行のマウント合戦も、この恐怖のねもとをお互いに刺激し合うことで相手への悪い解釈が積み重なっていきます。
相手も同じものを怖がり(相手も迷子の恐怖)そして自分も同じものを怖がっている(自分も迷子の恐怖)のにお互いが身をよじりながら迷子の恐怖にピント外れの応急手当をしようとします。
世界に相手と自分の二人しか残らなかったら、
どんな相手であろうと良いところがいっぱい見つかるはずです。
相手も迷子から逃れようと身をよじっているだけの自分と同じただの人間です。
相手が悪意の塊のように見え、忌むべき外道だと思いがちなのは、
自分の迷子の恐怖をしっかり見つめていないからかもしれません。
灯台下暗しです。n260106
こんばんは。とんでもないです。少しでもこれからのお役に立つ可能性があるならこれに勝る喜びはありません。
100人お会いしても恐怖の根本を理解している方はまず1人もいません。
なぜなら神が実在していることを思い出していないと、神への喪失感がどれほど人間の精神を裏から支配しているか一生かかっても思い出すことはないからです。
>目の前の出来事そのものに恐怖を感じているのではなく、その出来事によって大いなる存在と分離して一人ぼっちになったという感覚が刺激されることで恐怖を感じ~ トラウマのものすごく大きい~
→ おっしゃるとおりです。トラウマの中で、最大で最古のものです。
顕在意識での親を求める衝動と比較すると
無意識下での” 神(想像の及ぶ限りにおける最高の慈愛) ”を求める衝動は比較にならないほど巨大で、根本的です。
でも見失った親を探す迷子と構造はまったく一緒です。
一人で遭難し絶望に涙している人が、誰かの呼び声を聴いたと思ってください。
その瞬間がどれほどありがたいか、その声を切望しているか、
神を求める衝動は、無意識に押し込められているその切望です。
みんな助けがほしいと切望したまま、いまを生きています。日常のすべての感情はこの切望の影響下にあります。
>「誤解によって造られた分離の感覚」がまさに問題の根源~
→ おっしゃるとおりです。さらに「分離してしまったかも・怖い」感覚のまま自我が保身に走ることで、問題はさらに大きく複雑化していきます。
昨今流行のマウント合戦も、この恐怖のねもとをお互いに刺激し合うことで相手への悪い解釈が積み重なっていきます。
相手も同じものを怖がり(相手も迷子の恐怖)そして自分も同じものを怖がっている(自分も迷子の恐怖)のにお互いが身をよじりながら迷子の恐怖にピント外れの応急手当をしようとします。
世界に相手と自分の二人しか残らなかったら、
どんな相手であろうと良いところがいっぱい見つかるはずです。
相手も迷子から逃れようと身をよじっているだけの自分と同じただの人間です。
相手が悪意の塊のように見え、忌むべき外道だと思いがちなのは、
自分の迷子の恐怖をしっかり見つめていないからかもしれません。
灯台下暗しです。n260106
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