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こんばんは。とんでもないです。
>よく書籍では映画のスクリーンに喩えられていますが、全ての物質・感情・想念が存在することを可能にしているモノ? 空間? = エーテル = 気づき = 不苦の状態 = 今この瞬間の裏 = 分離してない本当の自分
→ 大まかに、その通りです。
空間? という疑問はもっともですが、空間と言うよりは
可能性 です。
無限の可能性 がスクリーンであり気づきです。
分離していないというのは、このスクリーンの次元が
分離のないひとつ
であるという認識で合っています。
神のただひとつの海 のようなものです。この中にあらゆる意識存在が異なる深度ですが、同じ海に共にいるわけです。
>今スマホを見ている自分とスマホが別々に存在しているという感覚、それは自分が頭の中で区別してるからそう感じているだけであって、本当は全体がただあるだけ…?
→ おっしゃるとおりです。肉体を持つと、その肉体の能力による自己認識が始まります。トンボにとっては見える世界は複眼です。
人間が、自分の手とスマホを個別認識していることに何も間違いはありません。ただ、玉ねぎのように肉体意識ではない意識も重なって存在しています。
「全体がただあるだけ」という認識はイエスともノーとも言えます。
その唯一の全体の中には、個別の肉体の自己認識が区分けされているのですから、全体も部分もどちらの世界認識も「正しい」わけです。
>未だ頭の中での理解で、今この瞬間の裏を感じられた訳ではありませんが…自分が今この瞬間の裏そのものだったら、それを感じるというのも何か変ですね…?
→ おっしゃるとおりです。ですから、感じるではなく 在る という表現が非二元では多用されています。
このボブの会話の「フルストップ」という回答が出てくるところを
何回かゆっくりと読んでみていただくと多少ヒントになるかもしれません。
>今この瞬間の裏を観るというと、それを観ようとする意思を持った主体が別にいる感じがしますが、実際にはそれそのもの…頭がこんがらがりますね。笑
→ そうですよね。でもそういう論理の直線上を歩いて追ってほしいわけではないんです。
苦しみや不安が襲ってきた時に、 飛躍 していただきたいんです。
目の前にあるものは全てこの瞬間の構成要素に過ぎません。答えや楽になることはそれらをどんなに探してもありません。
答えは飛躍にあります。
>普段この身体・思考・感覚が自分だと認識している状態から、今この瞬間の裏だと認識がシフトするきっかけや方法みたいなものはあるのでしょうか。。
→
どうやって飛ぶか、日常での切り替え方ですね。
基本は、苦しみの発生するピンポイント、「私」(肉体=私だよね? という感覚)の発生するピンポイントを見張る状態に戻ることです。
コンビニの唯一の出入口をヤンキー座りして塞ぐ感覚とご説明しましたが、
塞がないと「私」が出入りし続けてしまうんです。
ですから
基本は 塞ぎに戻ること です。
塞ぐことではないんですね、塞ぎに戻ること、です。
この感覚が伝わるでしょうか?
ルックねもと は ないものを探す間違い探しなんです。
私がない をいつも探しているんです。
「私」という想念の発生するピンポイントを塞ぐ感覚が伝わるでしょうか?
n300114
こんばんは。とんでもないです。
>よく書籍では映画のスクリーンに喩えられていますが、全ての物質・感情・想念が存在することを可能にしているモノ? 空間? = エーテル = 気づき = 不苦の状態 = 今この瞬間の裏 = 分離してない本当の自分
→ 大まかに、その通りです。
空間? という疑問はもっともですが、空間と言うよりは
可能性 です。
無限の可能性 がスクリーンであり気づきです。
分離していないというのは、このスクリーンの次元が
分離のないひとつ
であるという認識で合っています。
神のただひとつの海 のようなものです。この中にあらゆる意識存在が異なる深度ですが、同じ海に共にいるわけです。
>今スマホを見ている自分とスマホが別々に存在しているという感覚、それは自分が頭の中で区別してるからそう感じているだけであって、本当は全体がただあるだけ…?
→ おっしゃるとおりです。肉体を持つと、その肉体の能力による自己認識が始まります。トンボにとっては見える世界は複眼です。
人間が、自分の手とスマホを個別認識していることに何も間違いはありません。ただ、玉ねぎのように肉体意識ではない意識も重なって存在しています。
「全体がただあるだけ」という認識はイエスともノーとも言えます。
その唯一の全体の中には、個別の肉体の自己認識が区分けされているのですから、全体も部分もどちらの世界認識も「正しい」わけです。
>未だ頭の中での理解で、今この瞬間の裏を感じられた訳ではありませんが…自分が今この瞬間の裏そのものだったら、それを感じるというのも何か変ですね…?
→ おっしゃるとおりです。ですから、感じるではなく 在る という表現が非二元では多用されています。
このボブの会話の「フルストップ」という回答が出てくるところを
何回かゆっくりと読んでみていただくと多少ヒントになるかもしれません。
>今この瞬間の裏を観るというと、それを観ようとする意思を持った主体が別にいる感じがしますが、実際にはそれそのもの…頭がこんがらがりますね。笑
→ そうですよね。でもそういう論理の直線上を歩いて追ってほしいわけではないんです。
苦しみや不安が襲ってきた時に、 飛躍 していただきたいんです。
目の前にあるものは全てこの瞬間の構成要素に過ぎません。答えや楽になることはそれらをどんなに探してもありません。
答えは飛躍にあります。
>普段この身体・思考・感覚が自分だと認識している状態から、今この瞬間の裏だと認識がシフトするきっかけや方法みたいなものはあるのでしょうか。。
→
どうやって飛ぶか、日常での切り替え方ですね。
基本は、苦しみの発生するピンポイント、「私」(肉体=私だよね? という感覚)の発生するピンポイントを見張る状態に戻ることです。
コンビニの唯一の出入口をヤンキー座りして塞ぐ感覚とご説明しましたが、
塞がないと「私」が出入りし続けてしまうんです。
ですから
基本は 塞ぎに戻ること です。
塞ぐことではないんですね、塞ぎに戻ること、です。
この感覚が伝わるでしょうか?
ルックねもと は ないものを探す間違い探しなんです。
私がない をいつも探しているんです。
「私」という想念の発生するピンポイントを塞ぐ感覚が伝わるでしょうか?
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