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こんばんは。どういたしまして。
おっしゃるとおりセイラー・ボブさんです。


一人一人肉体感覚が違っていて、こういう非二元の伝わり方も一人一人きっと違うんです。


skさんは、論理的に理屈で追ったほうがいいのかもしれません。
skさんのおっしゃる寝起きからの「私」の感覚は痛いぐらい共感できます。たぶん私も同じように感じていたと思います。


「飛躍」は確かに別次元の意識の拡がりをイメージして発言しています。
ですが多分に私の主観的な感覚ですので、ピンとこなければこれはそのままお忘れください。


>私の発生するピンポイントを「塞ぎに戻る」という状態がなかなか想像つきません。
>自分がこの肉体だと感じている領域から全体だと感じる領域に戻るというようなことでしょうか…
→ 私=肉体だよね? という感覚がモグラ叩きのモグラのように穴から顔を出すと思ってください。その穴は簡単なことに一つだけなんです。その唯一の穴を塞ぐという意味です。
その穴はどこよ!? と思われたら、私初期は後頭部に感じていたかもしれないです。そのうちになって、になったかもしれません。
でもこういう肉体感覚は一人一人違って参考にならないので、精神をよく見ながら、私=個人 と感じ始めたらすぐに
どこに私がいる!? と必死に探します。
そうすると「私」はどこにもいないことがわかります。ただの虚像ですから、いません。
いるように感じて想念が発生していただけです。
肉体の感覚はもちろんありますよ。肉体=私 という定義がどこにもないことを確認するんです。
どこにもいないことを確認したら、
「私」がない 状態を確認した精神のまま止まります。


対外的には今までどおりの作業をすればいいですが、精神は「私がない」を確認しているので、思考がすぐに止まります。思考(想念)とはその虚像の「私」のために発生するものだからです。


>「塞ぐ」と言う表現を使われているので、全体性が意識された状態で、私という感覚が意識に上がってくるのを阻止するようなイメージを持ったのですがちょっと違うでしょうか…
→ 全然違わないですね。まさにおっしゃるとおりです。「ただ全体性が意識された状態で」は必要ありません。ただ単に
私という感覚が意識に上がってくるのを阻止するだけです。


>ボブさんとデルさんのやり取り、まさに自分がデルさんみたいです。どうすれば見つけられるのか、どうすれば止められるのか、どうすれば…と考えてしまうこと自体が私が頭でやろうとしてることで、どうしようもないですね…。
→ どうすれば「私」は在ることができるのか? の質問自体が「私」がいることを前提にしているので自己矛盾だとボブさんは指摘されているんですよね。
「私」はいないよね? それを「いま確認できる」よね?
と言っているだけなんです。
肉体はあります。目の前に落ち葉はあります。スマホもあります。
でも、 「私」 は虚像だよね? と言っています。
虚像かどうかを確認できるのは、本人しかいないので、自己確認してもらおうと誘導しています。


私は在る は確かな真実(=存在の確実性)ですが、
マインドの中の 「肉体=私=個」 は…虚像 だとボブさんは言います。


苦しみの根源は、迷子の感覚 であり、
エーテル が 不苦の状態 であり


苦しみの生じるポイントは 「私」(個) だということです。


もし今のskさんにこういう考え方のルートが向いてなさそうであれば、お忘れください。
楽になる方法はもっといろいろあるはずです。この話は、skさんの今の日常の気持ちを軽くすることに貢献できなければ、1ミリもこだわる必要はありません。


私の経験では、目の前のことに答えを探そうとするとつらいんです。
探すことがつらいんじゃなくて、探している間中
探している主体の「私」というくだらない人間がいつも一緒にいることがつらいんです。
だから「私がない」に一番ほっとするのが自分なんですね。
楽になる方法は色々あれど、結構この苦しみは根本的なことなのかなと思います。n012333
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