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こんばんは。
skさん、こちらこそお気を使わせてしまったようで申し訳ないです。
skさんがこのルートを使う場合、最も重要なポイントだったものですから繰り返してしまいました。
私がこの要点の伝わり方を軽く考えすぎていたかもしれないですね。
お返事は不要ですので私の考えを書かせてください。


非二元の教えを学んでいく過程で私が最も驚いたのが、
ふだんの日常の意識につけていた ラベル が変わったことです。
冷蔵庫に入っていた黒い液体に当初は コーヒー と書かれていたんですが、
いまは めんつゆ とラベルだけ変更されました。


強調したいのは、変わったのはラベルだけで、
中身の液体、つまり
意識状態は全く何一つ変わっていないことです。


ラベルがどう変わったのか。


今この瞬間に 「私」 はいない。


に変わりました。
ラベルだけ変わったとはいえ、これにより物事の感じ方も変わりました。


残ったのは、


今この瞬間そのもの がそのまま残りました。


すごく単純な変化なんです。


お話を聞いてほしいのはここからなんです。


喩えの話なんですが、私がいま、skさんの身体をお借りしたとしますね。
skさんの今の意識状態から何一つ変えません。変わりません。
でも、私なら
skさんが 「私」 を感じている という意識状態そのままで


ラベルだけを変えます。
「私」がいない、とラベルだけ変えます。



skさんの文面から推測するに、思考がある以上
思考を発生させた主体がいるはずで、それがプレイヤーとしての「私」であり、その「私」がいるという感覚がある。どうしてもその感覚が拭えないということだと理解しました。
「私は在る(存在の確実性)」は真実です。
この真実と
「思考の主体の私(行為者の私)がいるだろう」という推測が混じってしまっているように思います。


「私」がいない というのは、観念的な話でもなんでもなくて、
目の前にテレビ画面やスマホ画面は見えていても、
両手や両足が見えていても、
鏡に顔が見えていても、
行為者としての「私」の具体的な姿 は見えないではないですか。
棒人間のようなイメージも見えないし、ゆるキャラみたいなキャラクターデザインも見えません。
カップラーメンをすするときに見えるのは両手とカップラーメン、箸と湯気と、
ラーメンの味、食感、そういうものだけが現実としてあります。
これを日本語で表現すれば


「私」はカップラーメンをすすっている


なんですが、


カップラーメンをすすっている


は確かに見えている(動作や状況として見えていますよね)のに対して


「私」


は見えていないんですよ。
「私」とは物理的動作ではないですし、物理的肉体部位でもない
「私」とは精神的な概念としての像だから【肉眼で見えない】んです。ここに同意していただけるでしょうか。
さらにマインドの中の精神的な像は5秒で通り過ぎてしまいます。5秒後、通り過ぎた後に目をこらすと見えません。ですから精神的な像は今この瞬間には見えないんです。
具体的な姿では今主観的には見えていないということ、
この言い分に30%でも同意してくださったら、無理やりラベルだけ変えてしまうんです。


カップラーメンはすすっているが、「私」はいない。


ずずず。いま動作だけがあります。
熱い美味な塊が喉を通ります。


変わったのはラベルだけ。


さっきまでは


「私」がカップラーメンをすすっているなあ とラベルを貼りながら食べていました。


いまは


カップラーメンはすすっているが、「私」はいない。


です。
そうすると、何度も何度もこのような
「私」はいない ラベルを貼り直す瞬間が次々にやってくるようになります。


そうしたら発生する思考が減っていきます。
この後は自動的に変化しますので問題ありません。


以上にしますね。
もし追加の疑問が発生するようなことがあればどうぞ遠慮などなしでつぶやいてください。
この方法でもいいですし、どんな方法で向かい合うにしても応援してます。
くどすぎるくらいくどくしてごめんなさい。


また明日です。おやすみなさい。n042305
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