まっすぐか、曲がっているか
この世に良いとか悪いはなくて、まっすぐか、曲がっているかしかないと誰かが言いました。
それをよくよく考えてみたら思い当たることが多いんです。
自分が曲がっていることに気づかないで、「まっすぐ」だと思いこんでいることが一番恐ろしいです。
だから、まっすぐに戻すための習慣を心の底から尊敬しています。n140356
自分がわかっていないことがわかるということが一番賢いんです。
小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。
前向きにもがき苦しむ経験は、すぐに結果に結びつかなくても、必ず自分の生きる力になっていく。
失敗という苦い薬に我慢できない人が多い。しかし失敗を受け入れて失敗から学ぶ意思があれば、失敗は姿を変えた祝福だと考えてもう一度立ち上がれば、成功につながる最も力強いパワーを手に入れる可能性がある。
人生の勝負は、「自分」というたった一人の相手に勝てばいい。
自分と他者が創造した瞬間の世界は「完璧だ」(個人として人類全体としての課題に理想的に合致している)と知って生きること、そして望めばいつでも何が完璧なのかという定義を新たにできると知っていること。
すべてのことの意味はわたしが与える。
あることが自分にとってどんな意味をもつかを決めるのは自分であり、自分だけだ。
習慣は、最高の召使いか最悪の主人のいずれかである。
友人とは、あなたについてすべてのことを知っていて、
それにもかかわらずあなたを好んでいる人のことである。
神のもとには大きなものも小さなものもありはしません。
人生においてもまた、大きなものも小さなものもありはしません。
あるものはただ、まっすぐなものと曲がったものだけです。
好機は、それが去ってしまうまで気づかれないものだ。
ほんとうは自分の前に戸口があるのに、壁にぶつかっていると感じる。
その違いを「識別」する力だけが、真実を教えてくれる。
いちばん頻繁にいちばん強く感じることが燃料になる。
愛する人が死ぬことはあり得ないの。だって愛は不滅だから。
時には、問いが複雑になっているだけで、答えはごくシンプルなことだったりします。
行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、
よどみに浮かぶ泡沫は、且つ消え、且つ結びて、久しくとどまりたるためしなし、
世の中にある人と住家と、またかくの如し。
貧しさは貧しいと感じるところにある。
将来の可能性がなくなったと思うのは
自分の思い込み
できないと思っているその先に
実は無限に可能性って広がっていて
それに気づけるかどうかで人生は変わる
人生というゲームは
いい持ち札に恵まれることよりも
悪い持ち札で上手に戦うことにこそ
意義がある
どこに行こうとしているのかわかっていなければ、
どの道を通ってもどこにも行けない。
問題なのは人生ではなく、人生に対する勇気だ。
あなたの運命を決めるのは
あなたの心に張られた帆であって
風ではありません
あなたが本当に輝くのは
「あなたの役割」をまっとうしているとき
宇宙には一種類の反応、「イエス」という反応しかない。
宇宙はあなたに、しかも何よりもあなたが強く感じていることに非常に注意深く耳を傾けている。
すべての障害は形を変えた祝福である。
幸せとは欲しいものを得ることではなく、得たものを欲しがることだ。
生涯をかけて学ぶべきことは、死ぬことである。
真理は喝采では作れない。是非は投票では決められない。
ありとあらゆる多細胞生物で、身体のどの部分にでもなりうる未分化の細胞のようにすばらしいものを神が創造できるとしたら、神は「それ自身」についてどんなことができると思われますか?
どんなことであれ、それがあなた自身の心に及ぼす影響の現実性を否定することだ。これは「良い」ことにも「悪い」ことにもあてはまる。
自分の経験に実体があると考えているかぎり、自分がその経験によってこうむる影響を自分で変えることなんてできないと思ってしまう。人生で自分は無力だと感じ、経験から経験へと引きずりまわされ、その影響に翻弄されつづける。
ひとや場所や経験に依存しているかどうかは、そのひとや場所や経験がないと幸福も消えるかどうかでわかる。
あなたが世界に向かって送り出すエネルギーや思考や感情は、良くても悪くてもつねに必ずあなたに返ってきます。
①わたしの世界のあらゆるものは現実ではない
②すべてのことの意味は、わたしが与える
③わたしはわたしがこうだと言うわたしで、わたしの経験はわたしがこうだと言う経験である
それが存在しないという意味ではない。そうではなくて、それは「現実」ではない、ということだ。つまり「見かけ」は「実体」ではない。量子力学に基づいているが、心理学的で霊的な真実でもある。(この考え方に関する深い霊的な見方を示したのが「奇跡のコース」で、そこには「わたしが見るすべては現実ではない」と書かれている)。
人生がうまくいくためには、何が必要なのか?
どうしてわたしは人生でこんなにもがきつづけていなければならないのか?
ルールを教えてくれ!
誰か、頼むからルールを教えてくれ!
そうしたら、ルールに従ってプレーする。
約束する。
「あなたが人生でもがきつづけなければならない理由はない。問題は簡単だ。あなたは自分の人生の中心は自分だと思っている。だが、あなたの人生の中心はあなたではない」
「違うんですか?」わたしはたずねた。
「違う」神は答えた。
人々は、それが痛みや苦しみや怖れに似ているというだけで、楽しむなどということは思いもおよびません。しかし、それらを自分から遠ざけようとすることは、命の一部を自分から切り離すことです。どうか、自分自身のマスターになる決心をしてください。自分の怖れの部分を受け入れ、自分の人生に統合するまでは、その人は人生を半分しか生きていません。
エネルギーが動くままにまかせて、エネルギーにしたがうようにすると、エネルギーはそれ独自の道を開いてくれます。
自分にとっての真理の道はキリストまたはキリスト意識を体現化した道をあゆむことだと決心したとします。その場合、キリストの愛と叡智を今の時点でも受け取ることができます。ここで私が言っているのは、二千年前に示された、神の真理を肉体を通して現したパワフルで創造的な叡智であって、現在、キリストの言葉として信じられている単なる宗教上の解釈のことではありません。キリストの没後、人間の言う「連続する時間」の流れのなかのどの時代においても、キリストの道をあゆむ者なら誰でもこの真理に生き生きと触れることができました。
そして、これらの人々の存在が真理の勢いを今まで維持してきました。すぐれた使徒はこのようにして偉大な師に仕えるのです。つまり、使徒は学び、理解し、教えを身につけ、さらにその教えに心を注ぎ、行動し、自ら体験することによって教えを生かし、「後世に残して」いくのです。ですから、使徒が教えを身につけ、それを実践することは、師に対して大きな貢献をしていることになります。
人間の想念は、人間どうしを引き離す性質があります。他人は自分を攻撃する者だと見なし、その結果、自分を守らねばならないと考え、あらゆる方法で自分を防衛しようとします。自分が攻撃されていると信じている限り、死ぬまで自分を守ろうとしつづけることになります。自分の帰るべきところだ、とあなた方が言っているこの宇宙に、あなた方はどんな想念を送りだしているのでしょうか。
執着しているものが車であろうと、人間であろうと問題ではありません。自分以外のものに執着していると、それがなくなったら自分の価値は減ると感じます。自分の執着が見えたからといって、自分の愛情関係から抜けだしたり、自分の所有物を全部売ったりしなさい、ということではありません。するべきことは、その執着の後ろに空虚感、疎外感、空しさがあることを認めることです。
あなたにできることは、愛を体現していると思う道にしたがうことだけです。
自分が今弱さに負けそうだ、という危険に気づくだけの強さを得ることができます。
寒さが神だと知っていると、寒さに耐えるのはむずかしくありません。石が神だと知っていると、石に打たれるのはむずかしくありません。彼は死ぬまで、「何もへだてるものはない」ということを、心の奥底から理解して生きました。
ここでいうパワーは、人を傲慢にするものではありません。このパワーは、人の存在のなかをめぐり、気分を高揚させるものです。それは大胆で、勇気に満ちたもので、「これでいいのだ」と常に思える気持ちです。これこそが、”神なる源”とつながっているあかしです。
「この世は幻影であるというが、どういうことなのか」とよく聞かれます。この地球界で、パワー因子といわゆるエゴとの組み合わせで、人が生みだしたものの一部は永続しません。そして、永続しないものは「幻影」なのです。あなたが「ひどい親」で、子供に多くの苦しみを味わわせたとしても、その苦しみは永久ではありません。肉体を超えた次元から見ると、それはまさに幻影なのです。幻影と「真の現実」とのちがいは、「真の現実」は決して存在しなくなったりしないということです。
イエス・キリストや釈迦牟尼の人間性に対して持っているあやまった考えや、神が人間に何を望んでいるかに関する誤解にもとづいて、人は自分を「完全な形」に凍結しようと努力しています。人間は神さえも特定の形に押しこめようとしました。しかし、神はあなた方が考えているよりもっと利口ですよ。神は一瞬も止まらずに動き、変化し、進化し、拡大しつづけ、ひとときも同じではない、すばらしい存在です。そうでなければ意味がないではありませんか。
神なるものは、創造された宇宙のすべての部分で感じられなくてはならず、それを感じることが、あなた方のやるべきことです。
自分には生きる目的があり、神は存在し、自分はこのままでよいのだ、と感じさせてくれるイメージ……心のなかにひそむ、そうしたイメージを燃え上がらせてください。
あなたには、自分の真実を知る能力があります。
その真実とは、あなたは偉大な存在だ、ということです。つまり、あなたの中には、いつでも高い次元に従って行動できる思いやり、勇気、強さ、知恵があります。本当の自分の偉大さを反映していない役割を演じているとしても、それはたんなる役割にすぎず、本当のあなたの自己ではありません。
誠実に真実から行動し発言すれば、そのたびに自分のエネルギーを軽くします。
あらゆる人や状況は、自分のエネルギーを浄化し、自分自身を進化させ、より高く行くための機会を与えています。
人生で、自分の真実に従って行動することが要求される状況、すなわち、自分の存在のより深い次元に到達することが要求される状況はすべて、成長への機会なのです。自分の深い次元に従って行動していれば、苦痛や葛藤を経験したとしても、それに応じて非常に多くのエネルギーを浄化することができます。
現人生は、自分の最も深い次元の真実を見つけだす旅です。あなたは、葛藤や苦痛をもたらす人生の状況すべてから、魂に忠実になることを学んでいるのです。
否定的な、あるいは、自分を制限するイメージを見つけるたびに、光がそこに差し込んでいるところを想像してください。それ以外には何もする必要はありません。
もし誰かを変えたいと思ったら、その人にイメージを送ってください。たとえば、ある人にもっと能率よく働いて欲しいとします。そのとき、その人を批判しないでください。そんなことをしたら、否定的なイメージを送ることになり、変えたいと思っている態度を余計に強めてしまいます。その代わりに、その人が能率よく仕事をしているところを想像してください。その人が達成していないことを指摘するのではなく、相手が自分の望むように能率的に働いている瞬間瞬間を認め、誉めてください。そうすれば、イメージを使ってその人を助けることになります。そして、その人が変わっても変わらなくても、お互いの間にあるエネルギーが軽くなっているのに気づくはずです。
多くの人々はたえまなく否定的なイメージを経験していますが、その一連の否定的イメージの多くが、文化に根ざした欠乏のイメージからきています。それはつまり、何かが十分にあるはずはないので、欲しいものを手に入れるためには一生懸命に働いて、努力しなければならないとか、他人の成功は自分の成功を奪ってしまうというものです。
あなたが他人に対して持っているイメージを、相手は必ず受け取っています。
人生の一つ一つの領域を見て、こう尋ねてください。
「私にとっての最高のヴィジョンとは何だろうか」と。
あなたは一人ぼっちではなく、自分の最高の目的を中心に据えれば、あらゆる扉が開くのがわかるでしょう。宇宙はアイディアや援助を与えてくれるのです。つまり、人々を通じて、助け、お金、助言を与えてくれ、愛や支援の手を差し伸べてくれるでしょう。自分の最高の目的に専念してください。今すぐに専念し、最高の目的を達成しようとしてください。自分の最高の善についてヴィジョンをしっかりと持ち、そして、予期せぬ驚きに対してハートを開いてください。
あなたは、こまごました日常の煩雑なことに関わらなければいけない、と思っているかもしれませんが、自分の最高のヴィジョンやより高い道に集中していれば、そうしたことは簡単にこなすことができます。
あなたは自分が以前やったことを、もっとうまくやれたのにと思っているかもしれません。だからこそ、過去へさかのぼり、見方を変え、自分自身を解き放して許し、そのとき何を学んだのかを見ることが大切なのです。その状況のおかげで、自分の内面でどんな質が育っているのか、あるいは、育ったのかを見てください。
あなたは相手を励ましていますか。また、相手を気高く考えるようなヴィジョンを持っていますか。あなたが焦点を当てるものは何であれ、大きくなります。
二人の人がお互いに恋に落ちた最初の段階では、両方とも相手の中に最良のものを見て、その最高のヴィジョンを抱きます。
自分が望んでいるものになるために必要な道具はすべて、あなたの中にあります。
マインドの平静さは、アイディアが自分の現実にやって来たり、生まれたりするための空間を生みだします。
エネルギーをはっきりと感じることは、善悪の判断を手放すということです。
癒し合う関係を得るために最初にすべきことは、人々に会ったとき、その人たちを許すことです。まず、彼らに対して以前に持っていた、あるいは、現在持っているかもしれない憤慨に気づいてください。また、彼らに対する優越感や劣等感、恨み、そして、あなたが彼らに送っていた否定的な考え(彼らの持っているあるものが、あなたの価値基準には合わない、という程度のイメージであってもです)にも気づいてください。癒し合うためには、思考や感情の次元で自分が相手の進化を妨げるものを送ってしまったことに対して、自分自身に許しの気持ちを感じることです。
自分が誰であるかについて新しい見方が欲しいのなら、自分を他人の目で見て、他人の立場になってください。その人の課題やそれに対する姿勢、そして豊かさ、あるいは、豊かさがないことを考えて、自分にそのイメージが流れ込むようにしてください。今あなたは、自分の肉体と現実を離れ、他人のエネルギーシステムの一部になったとします。自分の人生や見方から一歩外に出ることで、他人の行動や振る舞いを理解し、自分自身についても理解を深めることができるようになります。まずは、明日あなたが会うすべての人たちから始めて、その人たちの目で人生を見てください。そうすれば、彼らの住む現実、彼らのストレス、彼らのマインドで展開する思考の種類、そして、何が彼らの現在の課題なのかを観察することができます。また、これらを理解すれば、自分と相手の両方を癒すようにお互いに関係することができます。このプロセスを努力したり、考えたりすることなくできるよう習慣にしてください。
自分が必要としていることに耳を傾けるべきときと自己主張すべきでないときを知ってください。
自分を中心にすえて、本当の自分を知り、自分の人生を第一に考えることが重要であるのと同時に、自分が他人に与えている影響について知っていることも重要です。自分の行動が他人にどんな影響を及ぼすのかを理解したうえで、望む行動をとるときには、もっと力強くなります。なかには、自分にとって正しい行動をとると、利己的になってしまうと心配する人もいます。しかし、自分の高い道と自分自身を尊重するときはいつでも、そのときにはそうは見えなくても、結局は他人の高い道と彼ら自身をも尊重することになります。反対に、自己主張すべきでないとき、つまり、エゴの欲するままに動かず、流れに逆らわず進むべきときを知ることも大切です。さして重要でない事を決めるときには自己主張しないことです。しかし、自分の高いヴィジョンに従ったり、人類全体に貢献するようなことをするときは、自己主張をすべきです。(しかし、思いやりのある、優しい自己主張をしてください)
他の何をおいても、自分自身に専念するのでなければ、エネルギーをはっきりと感じることはできないし、力強くなって、エネルギーを自由自在にすることもできません。自分の人生、思考、目標を第一に考えなければ、他人の要求や期待のエネルギーの流れの中で自分を見失ってしまいます。
本当の自分を知ることは、自分自身に専念することです。
瞬間瞬間自分の気持ちに耳を傾け、今の瞬間の自分にとって正しいことをすることです。
「私は自分自身を十分知っているので、今この瞬間にとって正しいことができる」と認め、今現在に生きることです。それは自分を信頼することであり、自分を奮起させて、こうあるべきだとか、こう物事に対処すべきだ、などと自分に言わなくてもいいと知ることです。今日から三週間後とか、一年後なんて心配する必要はないのです。未来では自分が今とは違った人間になり、もっと賢く、もっと進化していると知っていることです。もちろん、未来に望むことについて計画を立てたり、それを視覚化したりすることは大切なことですが、それが終わったら、楽にして、未来の自分を信頼してください。
自分自身に専念することは、現在にとって何がふさわしいかを知っていることです。それには、自分の感じていることがわからなければいけません。あなたは、「自分がどう感じているかくらいはわかっている」と言うかもしれません。しかし、多くの人々は自分がどう感じているかがわかっていないのです。
他人の話を聞いているとき、どういうふうに答えようかとか、何と言い返してやろうかなどと考えて、つねに頭の中でぶつぶつ言っている人がたくさんいます。私は次のような言い方をしたいのですが、これは「行動している」という状態であって、「存在している」という状態ではありません。
「存在している」状態は、とても静かで、人の言うことに集中し、熱心に耳を傾けているときです。
心静かに聴いてください。そうすれば、自分と相手との間のエネルギーの流れを自由自在にできます。
他人と一緒にいるとき、「存在している」状態を練習してください。何かをしたり、考えたり、何かに反応したりしない練習をするのです。ただ、言葉を越えた次元で、音や匂いや空間、そして、エネルギーの相互作用などに注意を払ってください。相手が言った言葉に対し、自分がどんなふうに感じたかをチェックし、どんな見方をしたかを観察してください。
感情は、エネルギーをはっきりと感じることを妨げることがあり、問題について非常に感情的になっているとき、自分の高い道を見つけるのがずっと難しくなります。宇宙に答えを求める前に、その答えが流れ込めるような平和に満ちた静かな空間が、自分の中にあるかどうか確かめてください。
人生で疲労を感じている領域に意識を向ければ、自分のエネルギーがどんなふうに流れているのかについて、多くのメッセージを受け取ることができ、それらを直面している問題や課題と見なすことができます。
義務感、怒り、憤慨などの否定的感情は、エネルギーが消耗するときにいつも起こります。
他人と癒し合う関係を望むなら、どれだけ与え、受け取ったらいいかを知ることです。
まず、自分の高い目的に専念し、自分を愛することが最優先です。日々の人間関係で、自分の時間とエネルギーを誰にも借りてはいないということに気づいてください。時間とエネルギーは、あなたが今まで与えられたものの中で、最大の贈り物です。そして、それをどう使うかによって、この人生でどれだけ進化するかが決まります。
他人が自分の感情に与える影響に注意することは大切です。
まず、最初にするべきことは、誰かがいるせいで疲れを感じたら、たとえそれがほんのかすかであっても、それに気づくようになることです。
たえず自分をチェックして、「自分はいい気分だろうか。満たされた感じがしているだろうか。それとも、何か足りない感じがしているだろうか」と尋ねてください。
あらゆるエネルギーの相互作用から、自分自身について学ぶことができます。
他人も自分も責めないでください。
人々はみんなたえずエネルギーを発しています。そして、それぞれの肉体には特有の体質があるように、人々はそれぞれ独自のやり方でエネルギーを発します。エネルギーは信号と同じだと考えられますが、二つとして同じ形の雪の結晶がないように、同じ信号もありません。だから、あなたが一緒にいる人々は、それぞれ少しずつ違った影響をあなたに与えています。
自分の肉体、思考、感情に気づくと、他人が自分に与えている影響がわかるようになります。
エネルギーは気流のようなものですが、それはしばしば自分のまわりに流れて来ては、通り過ぎて行きます。それをまわりに漂う芳香と考えることもでき、それに影響されるかどうかは、自分がそれに対してどう反応するのか、あるいは、それをどんなふうに認識しているかによって決まります。そして、自分自身をよく知れば知るほど、外部に影響されることは少なくなり、反対に自分自身について無知であればあるほど、また本当の自分に意識を向けることが少なければ少ないほど、エネルギーにますます影響されることになります。
地球のまわりにはエネルギーの流れがあって、望むときにいつでもそれを受信することができます。もし肉体エネルギーが必要なら、深呼吸をして、活力あふれる人々全員のエネルギーの流れと自分が結びついているところを想像してください。
あなたが必要としているエネルギーは、すべてこの世界にあります。
計画に基づいて行動しているとき、それを成し遂げるのが難しいと感じたとします。そのとき、世界には自分の計画を順調に達成している人々がいますから、その人たち全員と波動を合わせることができます。
あなたは、自分が注意を向けるものを創造しますから、何か知りたいことがあれば、それに焦点を合わせてください。
軽くて、喜びに満ちた気持ちが得られるまで、やろうと思っていることを少しずつ変化させて、未来の可能性を想像し続けてください。
想像力は信念の構造に縛られていないので、エネルギーを感じる最も強力な道具の一つです。想像することは高い次元の精妙なエネルギーと結びつくことです。想像力は時間や空間に縛られていませんし、肉体にも縛られていません。
もしどのようにしてやったらよいかわからない場合でも、自分がそれをやっているつもりになってください。なぜなら、潜在意識は「つもり」になっていることと、実際に起こっていることの違いがわからないからです。潜在意識は、あなたが現実だと思いこんでいることは、何でも信じこんで、それを使って外部の現実を作りあげます。
自分を軽くするには、柔軟になって、望む結果を生みだすのに役立つ考え方は、どんなものでも取り入れてください。たいていの人々は自己の存在の中に自分を押し込めています。彼らは、「世の中こんなもの」と教えられてきたので、そのように世界を見ているのです。このように柔軟性がないと、自由や選択の幅がどんどんと狭くなっていきます。あなたも、ある決まりきったやり方に固執している人々を見たことがあると思いますが、彼らは、自分の人生がうまくいかないにもかかわらず、やり方を変えようとしないのです。
こういう人々は、他人のエネルギーにほとんど気づいていないのでしょう。つまり彼らは、自分が世界のあらゆることに影響を与えているとは思わず、それらが自分に影響を及ぼしていると考え、自分のまわりを世界が回っているかのように思っています。彼らはそんなふうに世界を見ているので、現実を変えて、望む結果を達成することはできないと感じることが多いのです。また、自分が宇宙の中心であると決めてかかっているので、他人の気持ちや、自分の行為や行動がどんな反作用を作りだしているかをほとんど気にしないのです。
エネルギーを感じるために、最初に発達させるべき技術は、注意を払う能力です。自分の身を引いて眺めるというあの方法です。まずは、より多くの情報が欲しいと思っている領域を観察してください。
注意を払った後の次の段階は、自信を持ち、自分がこれから受け取る情報を信頼することです。
静かにすわって、自分の人生のある領域に将来何が待ち構えているか見せて欲しいと頼んでください。情報は、喜びや不快感のように、ぼんやりとした感覚としてやって来ることもあります。はじめはうまくいかないことがあっても、それを判断したりせず、ただあらゆる印象をそのまま受け取ってください。
もっとよいところに移りたいと思ったら、自分が今いるところを愛することから始めてください。
自分が望まないことよりも、望むことを考えて、時間を過ごしてください。
自分が望むイメージを送りだす時間が少なくなればなるほど、他人があなたに望むヴィジョンで、いっぱいになってしまいます。あるいは、自分の古い行動パターンから来る、低い次元のあまり進化していないイメージで満たされてしまいます。それでは、自分が欲しいものを手に入れるどころか、それらのイメージを生きることになってしまいます。
どんな分野であっても、あなたの手に入れることができる導きは無限です。
あなたの呼びかけはいつも聞かれています。その唯一の問題は、あなたの聴く能力だけです。
情報はいつもそこにあるのですが、唯一の障害は、その放送を受信しようというあなたの意志と意欲が欠けていることです。
もしもっと多くの知識を受け取りたいなら、しなければいけないことは、ただそうする決心をして、それに集中することだけです。
あなたの進化を決定するのは、行う仕事の種類ではなく、それをどのようにやり、それについてどのように考えるかです。
もし他人の問題を受け取るより、自分の平静さを送りだすなら、彼らのコミュニケーションのどの部分が自分にやって来るかをコントロールすることができます。特に、自分のエネルギーを奪う人の場合、「私はあなたを愛にあふれる高い存在として見ています。私は自分の魂からあなたの魂へと話しかけたいと思い、今ハートを開いてあなたの言うことに耳を傾けます」というような思考を意識的に送ることを選択できます。もし自分に戻って来る感情が好きになれなければ、その受け取りを拒否するか、または相手を癒す思考を送ることができます。
相手を癒す思考を送るためには、まず他人に対する愛と思いやりを経験することです。彼らがどんな方法であれ、ふさわしい方法で自分の人生をうまくやっていることを想像し、彼らの偉大さと魂の美しさを見てください。
話す前に、立ちどまって考えてください。「このコミュニケーションはこの人の最高のヴィジョンに役立つだろうか」と。そうすれば、知恵から行動することになります。賢明な人は、話すとき、正確に言葉を選びます。そういう人は他人に伝える前に、「どうしたら私の言うことが彼らの成長に役立つだろうか」と尋ねます。そして、もしそれが相手に何らかの点で役立たないなら、その人はそれを言わないのです。
知的思考にはそれなりの役割があり、それは計画を立て、どこに行くかを決定し、行動してそれを実行することです。知的思考の最高の使い方とは、あなたをコースに乗せ続け、目標を設定し、世界と関わるのに使うことです。
自分の船の舵をとるのは知的思考ですが、先にある嵐、回り道を教えるのは直感です。
魂の目標の一つは、マインドをより高く、愛のある波動の中へと連れて行くことです。これを行うためには、人間からではなく、より高い次元の現実から思考を受け取ることが必要です。もしぼんやりと他人のことを考えていると、その時点で彼らが感じていることや、持ち運んでいる思考の次元を何でも自分に引き入れてしまいます。たとえば、彼らが苦しんでいると、それを引き入れることになります。だから、他人のことを考えるときは、彼らに愛を送ることが大切なのです。というのは、愛を送るときには、彼らの放送を拾いあげないからです。もし人々が自分のマインドの中に入って来ることに気づいたら、愛を送り、彼らを手放してください。彼らの状況や人生に何が起こっているかをクヨクヨ考えたりしないことです。というのは、そうすると、自分の現実の中に彼らの現実を引き入れてしまうからです。
直感とは、言葉なしで知り、説明なしで真実を感じる能力です。
時間と空間を越えて作用します。
他人に与える最大の贈り物は、明確に正確に真実を伝えることです。実際、何を言うべきで、それをいつ言うべきかを知るためには、大きな知恵が必要です。もし自分が誰かに何かを言うべきかどうか曖昧だったら、沈黙し、内面に入ってください。
もしあと一回しか一緒にいる機会がないとわかっていたら、人生で関わっている様々な人々に対して自分がどのように振る舞うだろうかを、マインドの中で想像してください。
もし人々を許すことが困難ならば、次に彼らと話す日は、この人生での彼らの最後の日であるふりをしてください。
あなたが苦しみ、傷ついているとき、本当に他人に望んでいることは、相手に自分の言うことを聞いてもらい、優しくしてもらい、動揺していることを理解してもらいたいということです。
自分にとって愛に満ちたことは、他人にとってもつねに愛に満ちたことです。
訓練されていないマインドは、通過する思考に従って、感情をわきあがらせます。
否定的エネルギーに気づくたびに、それを癒し、人々が進化するのを助け、自分の家の肯定的エネルギーを高め、人間関係の質を変える能力が、あなた方すべての中にあります。
もし自分の内側に何も苦痛がなければ、他人がそれを引き出すことはできないのです。
自分にとって正しい行動をとると、利己的になってしまうと心配する人もいます。しかし、自分の高い道と自分自身を尊重するときはいつでも、そのときにはそうは見えなくても、結局は他人の高い道と彼ら自身をも尊重することになります。
重苦しく、不透明な次元から、調和のある、洗練された次元にいたるまで、この宇宙には様々なエネルギーの次元があります。重苦しい次元のエネルギーは、重い感情や否定的思考として存在しますが、それに対して高い次元のエネルギーは、善悪のような相対立するものを越えたところに存在して、感情の嵐に支配されることもありません。そういったエネルギー次元では、愛や光や自己の人格的力は増加します。そして、どの次元にも必ず課題がありますが、高い次元へと進化する最も効果的な方法の一つは、それらの課題を成長のための挑戦や機会と認めることです。
あれやこれを拒絶すべきだという霊的修練の観念は、何かを見いだしてそれを体験するためには、行為者、瞑想者が何かをしなければならないという無知な思いこみに基づいている。あなたが苦しみ、際限なく瞑想するのは、この誤った仮定に気づかないからだ。
あなたは常に心に依存せずに行為している。だが、想念がそうではないとあなたに思わせるのだ。心があなたのすることを決定すると考えるのは一つの古い習慣なのだ。あなたが考えようと考えなかろうと行為は続いていく。
探し求められている真我は、その探求している同じ真我だということを私たちは知らずにいる。私たちにこの無駄な外的な探求をすることを可能にさせている同じ力、同じ意識、同じ気づきが、実際のところ私たちの探求の目標なのだ。
誰も、「意識を探求している私の探求を可能にさせているこの意識とは何なのか?」と尋ねる者はない。
意識はすべてにとって必要だ。気づきはすべてにとって必要だ。あなたが必要とするこの気づきとは何なのか? それが何であり、どこから来たのかと注意を向ける者は誰もいないのだ。
探求があるのはまだ認識が確立されていないからだ。探求者は探求を通してゆっくりと認識に向かう。それは自分自身を鏡の中に見るようなものだ。あなたは鏡を見、自分自身の反映を見て、自分自身を認識する。ひとたび自分自身を認識すれば、鏡を捨て去ってもかまわない。
心は対象物を楽しむことでそれに執着し、意識あるいは空であるそれ自体の源を忘れてしまう。対象物が取り除かれたとき、心は空の状態に戻る。対象物がなければ、本来の自然なあるがままの状態だけが残る。この自然な本来の状態への気づきを妨げるのは、対象物への執着心なのだ。これが起こると単一の意識は分割され、限定されてしまう。この分裂した状態の中で気づきは失われ、意識はもはや単一の全体として体験されなくなるのだ。
第四の状態、トゥリーヤはいまだに一つの概念でしかない。それはまだあなたの心で理解できるものだ。心は、三つの他の状態(目覚め、夢見、眠り)の根底に横たわり、深い眠りの間に継続している気づきについての概念を把握することができる。だが、その残余の気づきの背後にあるもの、その彼方にあるものについては、いかなる観念や概念を抱くこともできないのだ。
あなたが助けようと思っている人のことを思い、その人も神の完璧さの中にいることを知りましょう。
あなたの心にその人のことが浮かんだ時は、いつも神に思いをはせましょう。あなたの心の目で神の完璧さを見て下さい。
人は自分が傷ついている時だけ、人を傷つけるものです。
あなたが出会う人すべてを祝福しましょう。
人々に説教したり、政府を批判しているだけで平和をもたらすことはできません。
否定的な思いを吸収して落ちこみ、自分もその否定の一部になってしまうか、あるいは、そんなものから超越して、それらを良いものに変えてゆくかのどちらかです。
私たちは神の存在そのものの中に生きています。私たちの中に神がいるのです。私たちは常に神の存在とひとつですから、神の愛とも常にひとつです。
質問者 アートマン(真我)、アナートマン(無我)、パラマートマン(至高の真我)とは何なのでしょうか?
マハルシ アートマンとはジーヴァートマン(個的真我)であり、その他は明白です。
真我は永遠に存在しています。誰もが真我を知りたいと望んでいます。自分自身を知るために、いったいどんな助けが必要だと言うのでしょう? 人々は何か新しいものとして真我を見たいと願っています。しかし真我は永遠不変に存在し続けるのです。彼らは真我を輝く光か何かのようなものとして見ることを望んでいます。どうしてそうありえるでしょう? 真我は光ではなく、暗闇でもありません。それはただあるがままに在るのです。それを定義することはできません。最もふさわしい定義は、「私は私で在るものである」(I AM THAT I AM)です。聖典は真我を親指大のもの、髪の毛の先、電気の閃光、広大なもの、最微小より微小なものなどと記しています。それらには何の事実的根拠もありません。それはただ「存在」なのです。しかし実在や非実在とは異なります。それは「知識」です。しかし知識や無知とは異なります。いったいどうやってそれを定義できると言うのでしょう? それはただ「存在」なのです。
(対話122)
あなたの人生に起こるすべての出来事は、明確な深い意味と目的を持っています。
自分が行うこと、経験することのすべてが、自己に対する理解を深めるプロセスの一部となります。
あなたのなかにある「神を見つけたい、”大いなる故郷”へ帰りたい」と切望する気持ちは、神から切り離された自分というものがあって、神を見つけるためには、どこかへ行ったり、何かをしたりしなければならないとまだ信じている、そういう部分の自分なのです。
人生のいいものすべてが欲しいと人は言います。欲しがらないで、すべてになってください。あなたは、自分が求めるものそのものなのです。そこに達するために越えなくてはならない障害は何もありません。ただしその境地に達するには、自分は神から分離した存在であるという考えを捨てなければなりません。
体験そのもののなかに”神の本質”が含まれています。悟りとか、神を見つけるということの神秘は、まさにこの点にあります。
何も私は、むずかしくてつらいことをしなさいと言っているのではありません。
体験のなかに含まれているものに気づいてほしいのです。
人がそれに気づくのを邪魔する些細なことが山ほど存在するので、注意してください。人を堂々めぐりさせるのは、じつにこうしたつまらない事柄です。
「あれが欲しかったのに」
「もっと私に関心を払って」
「気持ちを傷つけられたわ」
こうした無意味なことが無数にあります。けれどもそれらの背後に隠れているのは、値段のつけようもないほどみごとな真珠であり、永遠に光り輝く”大いなる光”であり、尽きることのない慈悲であり、自分の”存在”のすばらしい神秘の実感なのです。
マハルシ 問題は「自分は限定されている」と考えるために起こります。その考えは誤りです。そして
↓
その誤りを自覚する
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ことはできるのです。
(対話63)
「あなたは自我ではない。実在を実現しなさい」と言われたにもかかわらず、なぜまだ自我と自分自身を同一視するのでしょうか? それはちょうど「薬を飲むときに猿のことを考えてはならない」という諺のようなもので、不可能なことです。普通の人々にも同じことが起こります。実在について教えられたのに、なぜ「私はシヴァである」や「私はブラフマンである」に瞑想し続けるのでしょう? その真の意義を見極め、理解しなければなりません。単に言葉を繰り返したり、それについて考えたりするだけではだめなのです。
実在とはただ自我を失うことです。
(対話146)
人生の一日一日に目的があります。
他人の過失を見る必要はありません。
他人のした事と、しなかった事を見るのではなく
自分がした事と、しなかった事だけを見るようにしなさい。
神はどこか遠くに住んでいるわけでもありません。神はここにいるのです。
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どんな方法を用いてでも、あらゆるものは神なのだということを覚えていられるならば、
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自分の悩みの本質がはっきりと見えてきます。約束します。
誰かに腹を立てたり、人生そのものに嫌気がさしたりしたとき、そう感じるのはかまいませんが、一見原因らしく見えるものは、じつは真の原因ではないのだ、ということを覚えていてください。怒ったり寂しかったり不安になったりしている本当の理由は、あなたが思っている理由とは別のものです。まったくちがいます。人生という物質界のなかで、望むものを手にできないのではないかという不安よりも、もっともっと深刻な不安、もっと強烈な怖れがそこにはあるのです。
人の持つ不安がどんなに強烈なものであったとしても、神からあまりにも遠くかけ離れてしまって、自分はもう神のところへ戻れないのではないか、という不安に比べると、そうした不安はものの数ではありません。自分は神のところに行けるほどの価値がないのではないか、という巨大な怖れを人は持っています。これは圧倒的な力を持った無意識の怖れであり、誰のなかにもあるものです。どうかそれに目を向けてください。
マハルシ あなたがどの場所に、どのように置かれているかということに何の意味があるでしょう?
重要なのは、「心が常に源にとどまっていなければならない」ということです。内面にないものが外面に現れるということはありません。すべては心だからです。心が活動的であれば、たとえ隠遁していても市場にいるのと同じです。目を閉じることは何の助けにもなりません。心の目を閉じなさい。そうすれば、すべてはうまくいくでしょう。世界はあなたの外側にはないのです。心正しき人は、行為する以前に計画を立てたりはしません。なぜでしょうか? なぜなら、私たちをこの世界に送り込んだ神には、神自身の計画があるからです。そしてその計画は必ず成就されることになるのです。
(対話542)
マハルシ 二元性と欲望の根本は外側へと向かう心です。
人は仕事を遂行する間、高次の力に自分自身を明け渡し、そのことを常に心に刻みこんで、けっして忘れてはなりません。そうするなら、いったいどうして得意になることができるでしょう? 彼は行為の結果に関心を持つべきでさえないのです。そうしたときにのみ、行為は非利己的となるのです。
(対話502)
では、自分が本当に愛情深い人間かどうか、どうしたらわかるのでしょうか。あなた方にとって、その答えはあまりにシンプルすぎて、受け入れがたいかもしれませんが、こういうことです。自分の心をよぎるすべての人、自分の目の前に現れる人のすべてに対して、温かい思いやりの心とその人たちの気持ちを理解する心を持つことができたとき、その人は本当に愛情深い人ということができます。
相手は”神の大いなる光”で満ちているのだ、ということをつねに覚えていてください。そうした態度が、人の”存在”が持つ、言葉では表現できない神秘のなかから、愛の贈り物を引き出してくれます。あなたが彼らに贈り物を与え、その贈り物があなたのところに戻ってくるわけです。与えることと受け取ることは同じことです。あなた方はこの目的のためにおたがいを創造したのです。つまり、「本当の私たちは、自分たちが考えているようなものではない」ということを、おたがいに思い出させてあげるためです。
人は各種各様(かくしゅかくよう)の旅をして、
結局、自分が持っていたものだけを持って帰る。
不確実性の最も小さな選択肢を常に選ぶべきだという考えは正しくない。そのような考えは大きな誤りである。危険性の高い、大胆不敵な行動が最適な選択である場合もあるからだ。
何をしているかを聞かれて、それぞれが「暮らしを立てている」「最高の石切りの仕事をしている」「教会を建てている」と答えた。第三の男こそマネジャーである。
何のために石を切っているのか。
まだ行っていなかったとして、かつ今知っていることをすべて知っていたとして、今これを始めるかを問わなければならない。答えがノーであるならば、次の反応は、それでは何を行うかでなければならない。
脳は頭蓋のなかにある。だが、精神はない。
「唯一の偉大な真実」は存在する。究極の現実はある。だが、その現実とはかかわりなく、いつもあなたがたの選択どおりになる。なぜなら、究極の現実とは、あなたがたが神聖な被造物で、自分が経験を創り出してそれを体験しているということだから。
真実とはとても簡単です。どんなに小さな子供にも理解することができ、守ることができるものです。
ものごとが複雑にこんがらがってしまった時は、できるだけ早く、単純さを取り戻す努力をしましょう。あなたがいつも静かで、良い聞き手にならなければならないのはそのためです。
自己憐憫にとらわれ、それに浸り切ります。もう万事休すです。
そうです。すべてうまくいっているから神の助けを借りないで、一人で行こうとすると、私はいつもそうなりました。
(中略)
「自分を非難しないこと。自己批判をしないこと。自分を許し、先に進みなさい。しなければならないことはいくらでもあります」
失敗した時はいつもこの教えを使用しました。
(中略)
修養を常に続けて、神といつもつながっている感覚を保つようにして下さい。
「今まで自分は、主導権を発揮することのできない、現実の次元ばかりに気を取られていて、主導権を握っている自分の側、自分の内側に無頓着だった」とその矛盾に自ら気づいたとき、私たちは、主導権のある内を変革して、結果として外が変わるという態度を示してゆくことができるようになるのです。
人間社会において、唯一確実なものは変化である。自らを変革できない組織は(略)
決定の基礎となった仮定を現実に照らして継続的に検証していくために、決定そのものの中にフィードバックを講じておかなければならない。決定を行うのは人である。人は、間違いを犯す。
他人をあれこれと判断しないこと。他人の値踏みもしないこと。人の噂話もしないこと。
あの人はどうのこうのといつまでも考えないこと。
そのような想像や考えをできるかぎり少なくすること。
真実ばかりではなく、真実をどう思っているかを隠さねばならない場合が多い。事実は正反対でも、そう言ってはならないことを知らねばならない。
その後振り返ってみて、ホーはあらためて、チーズ・ステーションCのチーズは一夜にして消えてしまったわけではないことを悟った。チーズはどんどん少なくなり、残りもしだいに古びて、もうおいしくなくなっていた。
彼は気づかなかったが、しだいにカビてきていたのかもしれない。
Q. すると、最も高次の信頼とは、「信じる必要がない」ことなんですか?
A. そのとおり。
Q. でも、どうすれば、あなたに何も望まず、要求もせずにすむようになれますか?
A. すでに自分のものだと気づくことによって。あなたは、必要なものはすべてもっている。
Q. でも、すでにもっているのなら、どうして必要だなんて思うんでしょう?
A. すでにもっていることを知らないから、認識の問題だよ。
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