神縁 101
思いこみには現実的な価値がある
たとえば、
死後、善性が評価されると信じ続けて亡くなった方は、死後どうなったかの前に、
生前に善性を意識した影響が人生のあらゆる部分に反映されます。
死生観は人生そのものの質に関わることになります。
単なる概念・観念としてだけでも確かな価値があります。
そしてそれが(死後に)事実だった場合はさらに天井知らずで価値の上昇が起こります。
当然デメリットもあります。
理性や合理的思考を軽視するようになれば、
現実を読み間違えるようになります。
科学と信仰は、その長短を知り尽くした上で良いところを取り入れるのが個々人のバランス感覚です。
実際は、唯一神に隙はない(人間の言うところのバランス感覚など滑稽なものにすぎない)ものの、神の名を利用しようとする(何者かの)悪意に大きな毒があります。
この悪意に対抗するために、日常的にこれらのバランス感覚が必要になるように思います。
高次への信頼と
低レベル対策は別なのですね。n250636
終わり良ければすべて良し。
金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。
しかし、勇気を失うことは全てを失う。
地上において、あなたの使命が終わったかどうかを知るテストをしてみよう。
もしもあなたがまだ生きているのであれば、それは終わっていない。
汝が生まれたとき汝は泣き、汝の周囲の人々は喜び、
汝がこの世を去るときには汝の周囲の人々が泣き、汝のみ微笑むようにすべし。
人生は物語のようなものだ。
重要なのはどんなに長いかということではなく、どんなに良いかということだ。
「時」の歩みは三重である。
未来はためらいつつ近づき、
現在は矢のように速く飛び去り、
過去は永久に静かに立っている。
今今と今という間に今ぞ無く 今という間に今ぞ過ぎ行く
人間は、
自分が他人より劣っているのは能力のためでなく、
運のせいだと思いたがるものだ。
諦めるな。一度諦めたらそれが習慣となる。
ぼくらは謙虚でなくちゃいけない。静かな生活の美しさを知るべきだよ。
「運命」の目にさえも気づかれないで、そっと人知れぬ一生を終えるべきなんだ。
なんだ、あれが僕たちの探している青い鳥なんだ。
僕達はずいぶん遠くまで探しに行ったけど、本当はいつもここにいたんだ。
時間は友情を強めるが、恋愛を弱める。
人はだれしも、
自分自身の生涯を一人で生き、
自分自身の死を一人で死ぬものです。
現実よりも記憶の中の女のほうが美しい。
金のある者は、金があるために不正をし、
金のない者は、金がないために不正なことをする。
われわれは現在だけを耐え忍べばよい。
過去にも未来にも苦しむ必要はない。
過去はもう存在しないし、
未来はまだ存在していないのだから。
なるほど、あの娘は美しい。しかし、美しいと思うのはお前の目なのだよ。
金持ちがどんなにその富を自慢しているとしても、
彼がその富をどんなふうに使うかが判るまで、彼をほめてはいけない。
ある人に魚を一匹与えれば、その人は一日食える。
魚の取り方を教えれば、その人は一生を通して食える。
私たち一人一人が航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、
理性は羅針盤、情熱は疾風。
私の人生は、一度もリハーサルのチャンスをもらえなかった公演のようなものです。
何もかも失われた時にも、未来だけはまだ残っている。
他人の厚顔無恥に腹が立つとき、ただちに自らに問うてみよ。
「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありえようか」
「ありえない」と答えるだろう。それならば、ありえぬことを求めるな。
人生とは孤独であることだ。
幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。
人生を越えた何かがあるとき、人生は美しくなる。
結婚生活で一番大切なものは忍耐である。
時を短くするものはなにか──活動。
時を絶えがたくするものはなにか──怠惰。
花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ。
時間が過ぎ去って行くのではない。
われわれが過ぎ去っていくのだ。
自分にとって大切なことは、
他人が自分のことをどう考えているかということではなく、
自分が彼らのことをどう考えているかということだ。
人間は心の底ではまったく死を嫌悪していない。
死ぬのを楽しみにさえしている。消えてゆくランプに苦しみはないのである。
友人の失敗には目をつぶれ、だが悪口には目をつぶるな。
恋は小鳥のように小枝に止まり、歌を聞かせて人をうっとりさせる。
そして、恋が、飛び立つ翼を持っていることを忘れさせる。
楽しく生きていきたいなら、
与えるための袋と、受け取るために袋を持って行け。
世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。
自分の考えたとおりに生きなければならない。
そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう。
意志もまた、一つの孤独である。
大多数の若者は、そのぶしつけと無作法を、
天真爛漫のつもりでいる。
人生における大きな喜びは、
君にはできないと世間がいうことをやることである。
人間は九ヶ月かけて生きる準備を整えるが、
人間を死に導くには一瞬の間しか必要としない。
涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない。
理解し合うためにはお互い似ていなくてはならない。
しかし愛し合うためには少しばかり違っていなくてはならない。
絶望は死にいたる病。
結婚したまえ、君は後悔するだろう。
結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。
人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える。
そして人生の問題を殆ど発見する。
その後は、それに慣れて、だんだんにそれを忘れていく。
心が変われば態度が変わる。
態度が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
生は全ての人間を水平化するが、
死は傑出した人をあらわにする。
我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、
偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。
希望はいいものだよ。多分最高のものだ。いいものは決して滅びない。
強い人間は自分の運命を嘆かない。
借金は愚行と犯罪の多産な母親であり、知恵の不足はその父親である。
もし、人生に再版があるならば、私は改訂したい。
この世に存在する数々の問題は、
その問題が発生したときと同じ考え方では解決できない。
幸福は我が家の炉辺で成長する。
そして他人の庭先で摘み取るべきものではない。
古き良き時代。全ての時代は古くなると良くなるもの。
今日の一つは明日の二つに勝る。
死は人生の終末ではない。
生涯の完成である。
ある年齢以後になると友人を選ぶよりは、
友人に選ばれる場合の方が多い。
金は底のない海である。このなかに名誉も良心も心理もみんな投げ込まれる。
往く者は追わず、来る者は拒まず。
己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。
天下に一人もそれを理解してくれる人がなくたって、
己はそれに安んじなければならない。
それに安じて恬然としていなくてはならない。
人生は、私たちが人生とは何かを知る前にもう半分過ぎている。
大文字ばかりで印刷された書物は読みにくい。
日曜日ばかりの人生もそれと同じだ。
「貧困は恥ではない」というのは、すべての人間が口にしながら、
誰一人、心では納得していない諺である。
人間は毅然として現実の運命に耐えていくべきだ。
そこには一切の真理が潜んでいる。
自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した。
──こんな軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世の中で最も幸福な人である。
しばらく二人で黙っているといい。
その沈黙に耐えられる関係かどうか。
一年の希望は春が決める。
一日の希望は晩が、家族の希望は和合が、人生の希望は勤勉が決める。
最高のものを求める人は、つねにわが道を行く。
人間は最高のものを決して共存しない。
幸福になろうとする人はまず孤独であれ。
孤独は厚い外套である。
しかし、心はその下で凍えている。
時の言うことをよく聴け。時はもっとも賢明なる法律顧問なり。
初恋の魅力は、この恋がいつかは終わるということを知らないことだ。
人間の自由を奪うものは、悪法よりも暴君よりも、実に社会の習慣である。
何かいい物語があって、それを語る相手がいる。
それだけで人生は捨てたもんじゃない。
私達の一切の悩みは、
私達が孤独で存在し得ないということから生まれてくる。
死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。
18歳では即座に崇拝し、20歳では愛し、30歳では欲情し、40歳では反省する。
私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある。
私は賢明に思慮をめぐらし、愚かに行動し、一生の日々を送った。
目を閉じよ。そしたらお前は見えるだろう。
夜の静けさのなかで、わたしは千の人々の喝采より、
愛する人からの一言、二言が欲しくなるわ。
与えられたるものを受けよ。
与えられたるものを活かせ。
人生は一歩一歩、死に向かっている。
幸運がもたらされても、その全てを使ってはいけない。
孤独はこの世で一番恐ろしい苦しみだ。
どんなに激しい恐怖も、みんながいっしょなら絶えれるが、
孤独は死に等しい。
人を誘惑することのできないような者は、人を救うこともできない。
金は我々にとって母親でもあるが、また、我々の死でもある。
最初の呼吸が死の始めである。
愛とは相手に変わることを要求せず、
相手をありのままに受け入れることだ。
世界全体が幸福にならないかぎりは、
個人の幸福はありえない。
人生が終わってしまうことを恐れてはいけません。
人生がいつまでも始まらない事が怖いのです。
今日という日を自分自身のものと呼びうる人は幸せである。
いや、彼のみが幸せである。
運の悪い人は安心するがよい。
なぜなら、なおいっそうの悪運におちいる心配はないから。
相手の話に耳を傾ける。
これが愛の第一義務だ。
どんな不幸のなかにも幸福がひそんでいる。
どこに良いことがあり、どこに悪いことがあるのか、
我々が知らないだけである。
我々はみな真理のために闘っている。
だから孤独なのだ。
寂しいのだ。しかし、だから強くなれるのだ。
人が天から心を授かっているのは、人を愛するためである。
「珠玉の時間を無為に過ごさないように」と注意を受けたことがあるだろうか。
そうなのだが、無為に過ごすからこそ珠玉の時間となる時もある。
時は万物を運び去る。心までも。
一番だまし易い人間は、すなわち、自分自身である。
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
われわれの生まれ方は一つ。だが死に方はさまざま。
人生はつくるものだ。
必然の姿などというものはない。
自分が立っている所を深く掘れ。そこからきっと泉が湧きでる。
他人を幸福にするのは、香水をふりかけるようなものだ。
ふりかけるとき、自分にも数滴はかかる。
過去のことは過去のことだといって片付けてしまえば、
それによって、我々は未来をも放棄してしまうことになる。
未来を予測する最善の方法は、自らそれを創りだすことである。
「青春が楽しい」というのは迷想である。
青春を失った人達の迷想である。
金縷の衣は再び得べし。青春は再び得べからず。
我々は命あるものを、
使い古したら捨ててしまう靴や身の回りの品のように扱うべきではない。
生きる、それはじぶんの運命を発見することである。
賢明に世俗的であれ、世俗的に賢明であれ。
急いで行こうと思ったら、古い道を行け。
この世で生きてゆくということは、損得勘定じゃあない。
短い一生なんだ、自分の生きたいように生きるほうがいい。
登山の目標は山頂と決まっている。
しかし、人生の面白さはその山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にある。
人生を明るいと思う時も、暗いと思う時も、
私は決して人生をののしるまい。
善良だけでは足りない。
何もしないで傍観しているのは愚劣なルールへの同調だ。
不幸な人は希望をもて。幸福な人は用心せよ。
孤独とは、港を離れ、海を漂うような寂しさではない。
本当の自己を知り、この美しい地球上に存在している間に、
自分たちが何をしようとしているのか、
どこに向かおうとしているのを知るためのよい機会なのだ。
問題なのは人生ではなく、人生に対する勇気だ。
生き物は全て孤独である。
そして人間は自らが孤独であることを最も良く知る者である。
自分自身以上に愛するものがあるとき、人は本当に傷つくのだ。
男は自分の知っているたった一人の女、つまり自分の妻を通して、
女の世界全体をいい加減に判断している。
誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けていくときほど、
強く孤独を感じるときはない。
人間がこの世に存在するのは、
金持ちになるためでなく、
幸福になるためである。
山中の賊を破るのは易く、心中の賊を破るのは難し。
この世に運などない。
全ては試練、刑罰、保証ないしは先見である。
深海にいきる魚のように自ら燃えなければどこにも光はない。
若き日の恋なんてな、
老いたる男が老妻に抱く愛に比べたらまるで軽薄じゃよ。
私たちは他人を愛して生涯の半分を過ごし、
他人の文句を言って残りの半分を過ごす。
人生は、私たち一人一人が、それぞれの目を通して見ている映画です。
そこに何が起こっているのか、ということは大した違いはありません。
それをどのように受け取るかが重要なのです。
君、時というものは、
それぞれの人間によって、
それぞれの速さで走るものなのだよ。
死は救いとは言いながら、そうは悟りきれぬものである。
幸福には翼がある。つないでおくことは難しい。
金を持たずに済ますことにも、金を儲けるのと同じくらいの苦労と価値がある。
臆病者は本当に死ぬまでに幾度も死ぬが、
勇者は一度しか死を経験しない。
金持ち連中の軽蔑には容易に耐えられる。
だが一人の恵まれない人の視線は、私の心の底に深く突き刺さってくる。
勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである。
人は、いつか必ず死ぬということを思い知らなければ、
生きているということを実感することもできない。
空はどんな人の上でも青いわ。
科学は農薬を生み出すが、それを使うなとは言ってくれない。
人生の小さな不幸せは、
我々が大きな不幸を乗り越えていくのを助けてくれる。
我々はつねに自分自身に問わなければならない。
もしみんながそうしたら、どんなことになるだろうと。
明るいときに見えないものが暗闇では見える。
お前がいつか出会う災いは、
おまえがおろそかにしたある時間の報いだ。
彼は私の北であり、南であり、西であり、東であった。
私の出勤日であり、日曜の休息であった。
私の正午であり、真夜中であり、
私のおしゃべりであり、私の歌であった。
あの愛が永遠に続くと思ったけれど、私は間違っていた。
人生は一頭の馬である。軽快なたくましい馬である。
人間はそれを騎手のように大胆に、しかも細心に取り扱わなければならない。
頭で理解できることに価値はない。
友情のための最大の努力は、
友人に我々の欠点を見せることではない。
彼に彼の欠点を悟らせることだ。
孤独でいかに暮らすかを知らない者は、
忙しい群集の中でいかに忙しく暮らすかも知らない。
結婚生活──この寂しい海原を乗り越えて行く羅針盤はまだ発見されていない。
全てが失われようとも、まだ未来が残ってる。
死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。
人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。
普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。
いたらお目にかかりたいものだ。
人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。
世の中は美しい。それを見る目を持っていればね。
千年後にも人間は 「ああ、人生はなんというつまらないものだろう!」
と嘆きつづけるにちがいない。
そしてまた同時に、今とまったく同じように死を恐れ、死ぬことをいやがるにちがいない。
人生の節目となる瞬間は、自分でそれと分からない。
落し物の広告。
昨日、日の出から日の入りの間のどこかで、
それぞれ六十分のダイヤモンドをちりばめた貴重な時間を紛失。
なお、拾い主には賞金なし。永遠に失われしゆえ。
金持ちでも貧乏人でも強い者でも弱い者でも、
遊んで暮らしている市民はみんな詐欺師だ。
我々が誕生の日に受け取る人生は真の人生の前渡しに過ぎず、
真の人生は我々が一人で見つけねばならない。
人生で一番楽しい瞬間は、誰にも分からない二人だけの言葉で、
誰にも分からない二人だけの秘密や楽しみを、ともに語り合っている時である。
眠い人が眠るように、
瀕死の人は死を必要としているのです。
抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ。
昨日まで人のことかと思いしがおれが死ぬのかそれはたまらん
人は異郷に生まれてくる。
生きることは故郷を求めることだ。
考えることとは生きることだ。
あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、
良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす。
結婚は夫、または妻によって創り出されるものではなく、
逆に夫と妻とが結婚によって創られるのだ。
このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、
最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。
「僕はずっと山に登りたいと思っている。……でも明日にしよう」
おそらくあなたは永遠に登らないでしょう。
幸福は夢にすぎず、苦痛は現実である。
まことに人生はままならなもので、
生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である。
我々は泣きながら生まれて、文句を言いながら生きて、
失望しながら死ぬ。
人間にとって大切なのは、
この世に何年生きているかということではない。
この世でどれだけの価値のあることをするかである。
「一体どれだけ努力すればよいか」という人があるが、
「君は人生を何だと思うか」と反問したい。努力して創造していく間こそ人生なのである。
人みな我が飢を知りて人の飢を知らず。
一日だけ幸せでいたいならば、床屋にいけ。
一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。
一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚をしろ。
一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。
一生幸せでいたいなら、正直でいることだ。
幸福とは幸福を探すことである。
私たちは死の心配によって生を乱し、
生の心配によって死を乱している。
時間の使い方の最も下手なものが、
まずその短さについて苦情をいう。
男は建設すべきものも、破壊すべきものもなくなると、
非常に不幸を感じるものである。
未来のことは分らない。
しかし、我々には過去が希望を与えてくれるはずである。
尊敬ということがなければ、真の恋愛は成立しない。
人生は食パンのような普通の年が多いが、ハムや辛子の年もある。
辛子も一緒に噛み締めなきゃならん。
神は人間に額に汗して働けと命じている。
銀行に金を積んで、何もしないで食べていこうとするのは人間の掟に反することだ。
二人の間に恋がなくなったとき、
愛し愛された昔を恥ずかしく思わない人はほとんどいない。
恋する男と女が一緒にいて、少しも退屈しないのは、
いつも自分たちの事だけを話題にしているからだ。
寒さにふるえた者ほど太陽を暖かく感じる。
人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。
四十歳をすぎると、男は自分の習慣と結婚してしまう。
人はいつだって、いろいろなものにさよならを言わなければならない。
宴会と同じように、人生からも飲みすぎもせず、
喉が乾きもしないうちに立ち去ることが一番良い。
世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ。
毎日自分に言い聞かせなさい。
今日が人生最後の日だと。
あるとは期待していなかった時間が驚きとして訪れるでしょう。
私は決して拒絶しないし、決して反対しない。
忘れてしまうことは時々ある。
不幸はナイフのようなものだ。
ナイフの刃をつかむと手を切るが、とってをつかめば役に立つ。
自分自身を愛することは、
一生涯続くロマンスを始めることである。
笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生。
死を恐れることは、自分が賢くもないのに賢いと思うことと同じである。
人生には、全てをなくしても、
それに値するような何かがあるんじゃないだろうか。
世界を恐れるな。ただ自己を恐れよ。
自分のポケットの小銭は、他人のポケットの大金にまさる。
魅力あるもの、キレイな花に心を惹かれるのは、誰でもできる。
だけど、色あせたものを捨てないのは努力がいる。
色のあせるとき、本当の愛情が生まれる。
考えすぎると、人間は臆病になる。
人生を喜びなさい。
なぜなら、人生は、愛し、働き、遊び、星を見つめるチャンスを与えてくれたのだから。
幸福になりたいのだったら、
人を喜ばすことを勉強したまえ。
貧困は僕にとって必ずしも憎むべきものではなかった。
なぜなら、太陽と海は決して金では買えなかったから。
もしある人が自分の不幸な出来事について話したら、
そこにはなにか楽しんでいるものがあると思って差し支えない。
なぜならば、本当にみじめさだけしかないとしたら、
その人はそんなことを口にしないだろうから。
貧しさは貧しいと感じるところにある。
なんと速やかに我々はこの地上を過ぎて行くことだろう。
人生の最初の四分の一はその使い道もわからないうちに過ぎ去り、
最後の四分の一はまたその楽しさを味わえなくなってから過ぎて行く。
しかもその間の期間の四分の三は、
睡眠、労働、苦痛、束縛、あらゆる種類の苦しみによって費やされる。
人生は短い。
惚れるのは状態であり、愛するのは行為である。
一つの命を救える人は、世界も救える。
人生は全て次の二つから成り立っている。
したいけど、できない。できるけど、したくない。
雨は一人だけに降り注ぐわけではない。
自分自身に正直であることはなんと困難なことだろう。
他人に正直である方がはるかにやさしい。
人生とは、切符を買って軌道の上を走る車に乗る人には分からないものである。
人生が死より恐ろしいところでは、あえて生きることが最後たる真の勇気である。
青年たちは判断するよりも発明すること、
評議するよりも実行すること、
決まった仕事をするよりも新しい企てに適している。
諸君は一緒にいる人々よりも、
けっして利口に思われてはならないし、
また、より物知りに見られてはいけない。
結婚するとき、私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。
今考えると、あのとき食べておけばよかった。
われわれの人生は織り糸で織られているが、良い糸も悪い糸も混じっている。
道を知っていることと実際に歩くことは違う。
私は生きているときに、死以外のあらゆるものに対して備えをしていた。
今、私は死なねばならぬ。そして、まだなんの備えもない。
友情は人生の酒である。
酒飲みは自分では節酒していると思っているように、
青年たちはみずからを利口だと思いがちだ。
一番多忙な人間が一番多くの時間をもつ。
私達は竹馬に乗っても何もならない。
なぜなら、竹馬に乗ってもやはり自分の足で歩かなければならないからである。
そして、世界で一番高い玉座に上っても、
やはり自分の尻の上に座っていることに変わりはない。
青春は単なる人生の花盛りではなく、
来るべき結実の秋への準備の季節である。
青年は老人を阿呆だというが、
老人も青年を阿呆だと思っている。
「明日は、明日こそは」と、人はそれをなだめる。
この「明日」が、彼を墓場に送り込むその日まで。
なんのために人間は裕福でなければならないのか?
なんのために彼には高価な馬が、立派な服が、美しい部屋が、公共の娯楽場に入場する権利が必要なのか?
すべてはこれは思考の欠如からきている。
こうした人々に、思考の内的な仕事を与えよ。
さすれば彼は、もっとも冨裕な人々よりも幸福になるだろう。
時はその使い方によって金にも鉛にもなる。
少年老い易く、学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。
人生で最も良いものというのは、決して配給されることはない。
友情、忠誠心、愛は、配給券を必要としないものである。
馬で行くことも、車で行くことも、
二人で行くことも、三人で行くこともできる。
だが、最後の一歩は自分ひとりで歩かなければならない。
二十歳のときに詩人であるものは、詩人ではなく、ただの人間にすぎない。
二十歳を過ぎて詩人であれば、そのときかれは詩人である。
誤りを犯さなければ、人生は非常に面白いものである。
自分の目標を達成している人、
あるいは今の自分に本当に満足している人には滅多に出会うものではない。
それなのに人生を左右するような問題の選択を大多数の意見に委ねるべきだろうか?
私が死んだとき、一匹の蝿がうなるのを聞いた。
部屋の中の静寂は、嵐の高まりの間の大気の静寂のようだった。
友人同士は完全な平等のうちに生きる。
この平等は、まず第一に、
彼らが会ったときに社会上のあらゆる相違を忘れるという事実から生まれる。
畏れることなく醜にも邪にもぶつかって見よう。
その底に何があるか。
もしその底に何もなかったら人生の可能性は否定されなければならない。
常に自分の中に答えを求めなさい。
周りの人や、周りの意見や、周りの言葉にまどわされていてはいけません。
私を静かにさせておいてくれ。
私が静かにそっとしておれるものなら、いますぐにでも、全世界をだって、
タダの一文で売り渡したいくらいのものだ。
人はつねに自分の幸福を望むものだが、
つねに幸福を見分けることが出来るわけではない。
人間には不幸か、貧乏か、勇気が必要だ。
でないと人間はすぐに思いあがる。
お金──手放すとき以外、何の役にも立たぬ恩恵物。
愛されているという驚きほど、神秘的な驚きはない。
それは人間の肩に置かれた神の指だ。
死が老人だけに訪れると思うのは間違いだ。
死は最初からそこにいる。
幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、
不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。
人が踊る時は一緒に踊れ。
僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。
楽しい顔で食べれば、皿一つでも宴会だ。
一人では何も出来ぬ。
だが、まず誰かがはじめなければならぬ。
習慣は、最高の召使いか最悪の主人のいずれかである。
酒が作り出した友情は、酒のように一晩しかもたない。
三月の風と四月のにわか雨とが五月の花をもたらす。
人生というのは矛盾から成り立っているものなんだ。
もしも、矛盾の中心にちゃんと止まるものなら、人生の意味が分かるはずだ。
明日はなんとかなると思う馬鹿者。
今日でさえ遅すぎるのだ。
賢者はもう昨日済ましている。
あなたは目的があってここにいます。
この広い世界にあなたと同じ人間はいません。過去にもいなかったし、未来にもいないのです。
あなたは何かの必要を満たすためにここに連れてこられたのです。
このことについて、ゆっくりと考えてみて下さい。
時間こそ最も賢明な相談相手である。
運は我々から富を奪うことはできても、
勇気を奪うことはできない。
ある事を真剣に3時間考えて、自分の結論が正しいと思ったら、
3年かかって考えてみたところでその結論は変わらないだろう。
いつも自分を磨いておけ。あなたは世界を見るための窓なのだ。
自転車は走ればこそ転倒しない。
要領の良い連中は、不安定な世の中を遊泳する。
運命が明日なにを決定するかを問うな。
瞬間こそ我々のものである。さあ、瞬間を味わおうではないか!
山は山を必要としない。
しかし、人は人を必要とする。
あなたは弱さから逃げることはできない。
時には最後まで戦わなければならないし、死んでしまうこともある。
戦うなら、何故今でないのか、あなたは何処にいるのか?
人生を恐れてはいけない。人生は生きるに値するものだと信じなさい。
その思いが、事実を作り出す手助けとなるであろう。
あちこち旅をしてまわっても、自分自身から逃れられるものではない。
人間は自己の運命を創造するのであって、これを迎えるものではない。
今この瞬間にあなたが無常の喜びを感じていないとしたら、理由は一つしかない。
自分が持っていないもののことを考えているからだ。
喜びを感じられるものは、全てあなたの手の中にあるというのに。
人生にはただ三つの事件しかない。
生まれること、生きること、死ぬことである。
生まれるときは気がつかない。
死ぬときは苦しむ。
そして生きているときは忘れている。
いい日は幾らでもある。手に入れるのが難しいのはいい人生だ。
人生とは出会いであり、
その招待は二度と繰り返されることはない。
悪い仲間は犬のようなものだ。
一番好きな相手を一番ひどく汚してしまう。
私が孤独であるとき、私は最も孤独ではない。
状況?
何が状況だ。俺が状況をつくるのだ。
死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。
この道より、われを生かす道なし。
この道を歩く。
若い時われわれは学び、年をとってわれわれは理解する。
諸悪の根源は金そのものではなく、金に対する愛である。
死すべき時を知らざる人は、生くべき時を知らず。
禍福は糾える縄の如し。
神のもとには大きなものも小さなものもありはしません。
人生においてもまた、大きなものも小さなものもありはしません。
あるものはただ、まっすぐなものと曲がったものだけです。
老人はあらゆる事を信じる。
中年はあらゆる事を疑う。
青年はあらゆる事を知っている。
金は必要だが、重要ではない。
天が私にあと十年の時を、いや五年の命を与えてくれるのなら、
本当の絵描きになってみせるものを。
山から遠ざかればますますその本当の姿を見ることができる。
友人にしてもこれと同じである。
人生は一冊の書物に似ている。
馬鹿者たちはそれはパラパラとめくっているが、
賢い人間はそれを念入りに読む。
なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが出来ないのを知っているから。
我々は人生という大きな芝居の熱心な共演者だ。
欲しいと思うものを買うな。
必要なものだけ買え。
最も難しい三つのことは、
秘密を守ること、
他人から受けた危害を忘れること、
暇な時間を利用すること。
オーケストラを先導しようとする者は聴衆に背を向けねばならない。
魂のこもった青春は、そうたやすく滅んでしまうものではない。
樫だけが樹ではない。バラだけが花ではない。
多くのつつましい冨が私たちのこの世を豊かにしているのだ。
幸福というものは、一人では決して味わえないものです。
人間の死ぬのはいつも早すぎるか遅すぎるかよ。でも一生はちゃんとけりがついてそこにあるのよ。一本、線が引かれたからには総決算しなけりゃ。
あんたは、あんたの一生以外の何ものでもないのよ。
人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、
真に向上するのは不運の時である。
我々は、幸福になるためによりも、幸福だと人に思わせるために四苦八苦しているのである。
愛情には一つの法則しかない。
それは愛する人を幸福にすることだ。
話好きが暖炉に背を向けるように、
人は死と背中合わせになっている。
不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものです。
人生とは、病人の一人一人が寝台を変えたいという欲望に取り憑かれている一個の病院である。
結婚は一切のものを呑み込む魔物と絶えず戦わなくてはならない。
その魔物とはすなわち──習慣のことだ。
人生はただ歩き回る影法師、哀れな役者だ。出場の時だけ舞台の上で、見栄をきったりわめいたり、そしてあとは消えてなくなる。
いくら長生きしても、最初の二十年こそ人生の一番長い半分だ。
人は自分の死を予知できず、人生を尽きせぬ泉だと思う。
だが、物事はすべて数回起こるか起こらないかだ。
自分の人生を左右したと思えるほど大切な子供の頃の思い出も、
あと何回心に思い浮かべるか? せいぜい4、5回思い出すくらいだ。
あと何回満月を眺めるか? せいぜい20回だろう。
だが、人は無限の機会があると思い込んでいる。
運命は花崗岩より堅固だが、人間の良心は運命より堅固である。
女が男の友達になる順序は決まっている。
まずはじめが親友、それから恋人、そして最後にやっとただの友だちになる。
死だけが唯一の本当の締め切りである。
生きている限り、学ぶべき事が未だある。
愛することによって失うものは何もない。
しかし、愛することを怖がっていたら、何も得られない。
自愛、自識、自制、
この三者だけが人生を導いて高貴な力に至らしめるものである。
我々は、大人も子供も、利口も馬鹿も、貧者も富者も、
死においては平等である。
人生において、諸君には二つの道が拓かれている。
一つは理想へ、他の一つは死へと通じている。
自分の言ったことを決して取り消さない人は、真理よりおのれを愛する人間である。
過去の否認は有害な態度である。
現在と戦い、未来を創造するには、往々にして過去が最も有効な武器なのである。
人間が幸福の夢を追うときに犯す大きな過失は、
人間の生来から備わっているあの「死」という弱点を忘れてしまうことだ。
すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。
相談するときには過去を、
享楽するときには現在を、
何かするときには未来を思うがよい。
自分自身を幸福だと思わない人は、決して幸福になれない。
過去の成果で未来を生きることはできない。
人は一生何かを生み出し続けなければならない。
愛の光なき人生は無意味である。
それ自体の不幸なんてない。
自ら不幸を思うから不幸になるのだ。
夫婦間の会話は、外科手術のように慎重に取りかからなければなりません。
ある種の夫婦は正直なあまり、健康な愛情にまで手術を施し、そのために死んでしまうようなことになるのです。
俺たちの一生を台無しにするのは、運なんて言うものじゃない。
人間なんだ。
運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する。
寝床につくときに、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。
どのみち死なねばならぬなら、私は、なっとくして死にたいのだ。
どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。救いのない運命というものはない。
災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、救いの道を残している。
叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。
諸君は必ず失敗する。
成功があるかもしれませぬけど、成功より失敗が多い。
失敗に落胆しなさるな。失敗に打ち勝たねばならぬ。
昨日は昨日。大事なのは明日だ。
何も咲かない寒い日は、下へ下へと根をのばせ、やがて大きな花が咲く。
下手糞の上級者への道のりは己が下手さを知りて一歩目
成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない。
真に怖いのは弱さを攻撃に変えた者なのだ。
世の中は、君の理解する以上に栄光に満ちている。
人生は道路のようなものだ。
一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。
チャンスは貯蓄できない。
今日という日は、残された人生の最初の一日である。
この世で変わらないのは、"変わる"ということだけだ。
一人の子ども、一人の教師、1冊の本、1本のペン、それで世界は変えられます。
情報は知識にあらず
うれしいな。一人で完結してない世界は、思ってたより、ずっとうれしい。
人付き合いがうまいというのは、
人を許せるということだ。
人生で絶対に忘れてはならない人は、憎い人ではなく、好きな人だ。
人のことを憎み始めたらヒマな証拠
孤独とは物事を深く考えるチャンス。
友達が多いことは必ずしも幸せではない。
知恵ある者とともに歩む者は知恵を得る。
愚かな者の友となる者は害をうける。
勉強するから、何をしたいか分かる。
勉強しないから、何をしたいか分からない。
誰しも成功は約束されていなくても、成長は約束されているんじゃないでしょうか。
たとえ失敗しても「成長」だけは絶対的に約束されていると思っています。
インスピレーションを待っていたら何もかけない。
私は毎朝必ず作曲をする。
そうすると神様がインスピレーションを送ってくださるんだ。
根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることである。
もしかしたらできるかもしれない。もしかしたらできないかもしれない。
その際の部分に挑戦したい。
あなたは挑戦しては失敗する。挑戦しては失敗する。
挑戦しては失敗する、を繰り返す。
しかし本当の失敗は、あなたが挑戦することを辞めることだ。
あなたの顧客の中で一番不満をもっている客こそ、
あなたにとって一番の学習源なのだ。
道徳なき経済は犯罪であり、
経済なき道徳は寝言である。
どんな仕事でも、どんな使命でも、
そこに人を思う心があればその仕事は誰かの心に必ず届く。
現在与えられた今の仕事に打ち込めないような心構えでは、
どこの職場に変わっても決して良い仕事はできない。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ心を込めたかです。
苦しいから逃げるのではない。
逃げるから苦しくなるのだ。
人には燃えることが重要だ。 燃えるためには薪が必要である。
薪は悩みである。悩みが人を成長させる。
このかけがえのない未踏の人生で、
あなたは何をしようと思う?
自分自身を愛していなければ、結局幸せにはなれないのよ。
本当の自分はどんな人間なのか。
それを示すのは能力ではなく、どういう選択をするか、だ。
真の発見の旅とは、新しい風景を求めることでなく、
新しいものの見方を得ることだ。
人生には試合に勝つことや負けることよりも重要なことがある。
すべての答えは出ている。
どう生きるかということを除いて。
どんなことにも教訓はある。
君がそれを見つけられるかどうかさ。
成長の最大の源は選択にある。
人はなろうとした人物にしかなれない。
だからといって、必ずしも良い条件に恵まれるわけではない。
だが、なろうという意志がなければ、その人物には決してなれない。
空っぽのポケットほど、人生を冒険的にするものはない。
目指す港がないような航海をしていたら、どんな風が吹いても助けにならない。
最高を望みながら、最悪に備える。
そして、その中間にあるものに驚かないこと。
取り返しのつかない大きな失敗をしたくないなら、早い段階での失敗を恐れてはならない。
恐れることはない。
宿命は取り上げられることはない。
それは贈り物なのだ。
他人を押さえつけている限り、自分もそこから動くことはできない。
己はこの世のすべてである。
気楽な人生を願うな。
困難な人生を耐え抜く強さを願え。
細かく考えすぎたらその場から動けないし、だいたいで動いているだけでは目的地につくことはできない。
人格は厳しい状況のもとでこそ計られる。
過去と現在しか見ない人は、確実に未来を見失う。
人生を生きるには、修練が必要です。
「まずまずの目的、過ち多き行為、ぐらぐらしている意志」のうちに人生をうやむやに過ごしてはなりません。
過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。
渇しても盗泉の水を飲まず。
熱しても悪木の陰に息わず。
何事もゆきづまれば、まず、自分のものの見方を変えることである。
案外、人は無意識の中にも一つの見方に執して、他の見方のあることを忘れがちである。
幸福な人生を歩んでいる人は、言葉の使い方を知っています。
言葉は選んで使いなさい。
言葉の選択一つで、人生は明るくも暗くもなるのです。
私は何事も最悪の事態を想定することから始める。
人生の意味とは、それが終わるということです。
教育とは、人々が知らないことを教えるのではなく、実例によって道を拓いてやる不断の困難な仕事である。
善悪、大小、かねの有る無し、社会的な地位の上下などという、人間の作った相対的な価値観を一切やめてみることです。
過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。
大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。
濡れている者は雨を恐れない。
裸の者は盗賊を恐れない。
一切の人生の果実は、その人が蒔いた種子のとおり表現してくる。
どんな遠くに旅をしても、その距離だけ内面へも旅をしなければ、どこへも行きつくことはできません。
自分になにができるかを知るより、なにができないかを知ることのほうが重要よ。
道に迷うことこそ、道を知ることだ。
むしろ「成功は失敗のもと」と逆に言いたい。
その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている。
あなたの運命が形作られるのは、あなたが決断する瞬間なのだ。
いくつになってもわからないものが人生というものである。
わからない人生を、わかったようなつもりで歩むほど危険なことはない。
第三者の評価を意識した生き方はしたくない。
自分が納得した生き方をしたい。
自分の内なるものも外なるものも、見ているものを変える必要はない。
ただ見方を変えればいいのだ。
人生のほとんどすべての不幸は、自分に関することがらについて、あやまった考え方をするところから生じる。
どうにも乗り越えられない障害にぶつかった時は、頑固さほど役に立たないものはない。
自分にとって最も重要な価値観について考えるには、自分自身の葬儀に出席したところを想像するといい。
人生とは、その時々に自然に変化し、移りゆくものだ。
変化に抵抗してはならない。
それは悲しみを招くだけである。
絶えずあなたを何者かに変えようとする世界の中で、自分らしくあり続けること。
それがもっとも素晴らしい偉業である。
物事に敏感で自分なりの価値判断を持っていることを「細心」といいます。
気が小さいことは人生の武器なのです。
毎日を生きよ。
あなたの人生が始まった時のように。
竹にはフシがある。
そのフシがあるからこそ、竹は雪にも負けない強さを持つのだ。
明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。
一人ひとりに天の使命があり、その天命を楽しんで生きることが、処世上の第一要件である。
私たち一人ひとりが航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、理性は羅針盤、情熱は疾風。
効率や損得にとらわれると、人間が小さくなる。
PR
HN:
Fiora & nobody