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質問 自分の怖れを逆転させて、代わりに繁栄を視覚化することで、それを生みだすことができますか。


すべての人が繁栄を必要としているわけではないので、私はその方法をお勧めしません。私の基本的考え方は、「内なる自己」は各人が必要としていることを、はっきり知っており、それはその人を常に幸せにすることではなく、その人の内なる自己の進化をはかることだ、というものです。貧困のなかでのほうが、魂の成長をとげやすい人もいます。そういう人は、苦境のなかでは自分を変えていきますが、快適な生活のなかでは何もしません。


自分が抱えている問題を理解し、それを自分の魂の成長のために使ってください。繁栄を望むなら、つかむ努力をしてください。ただし、あなたの内なる自己が、あなたは貧困のなかでのほうがよく学ぶと思えば、また貧乏になるでしょう。あなたの成長に必要なものが、常にあなたの前に現れます。


貧しさそのものには、何も問題はありません。貧しいと感じることが問題なのです。あなたがこの世にいるのは、自分の怖れを知るためですから、貧困があなたに怖れをもたらすのであれば、それはすばらしいことです。その怖れを見る必要がなくなったときには、何も努力しなくても、富や財政的豊かさを経験するでしょう。ほとんどの人にとって、富はいいものではありません。地球界の生活においては、お金や物質主義というのは、克服するのが大変むずかしい障壁です。お金があると、いろいろなことをしたり、欲しいものをたくさん買ったりできるので、人生がうまくいっているような錯覚をおぼえ、自分がみじめだということを忘れてしまいがちです。貧困に対する怖れについて深い魂のレベルで学び、そのことについての修行を終了すれば、何もしなくても、繁栄がもたらされます。


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人はなぜここに戻ってくるのだろうか?それは戻ってきたいからだ。あなたは自分がここに「戻される」のだと思っているのだろうか?つまり、苦労して産道を通り、まわりの人々の自我に完全に依存するだけのために、自分がいたどこかの天界から追い出されて、化身の中に戻されるのだと思っているのだろうか?


マスターよ、あなたをここに戻らせた宣告など存在しない。なぜなら、あなたの意志に反して、あなたに何かをさせることができる者など誰もいないからだ。あなた自身が、ここに戻ってくることを決意したのだ。あなた自身が、もう一度この天界で表現することを望んだのだ。だから、もしあなたが自分の苦しみを誰かのせいにしたいならば、あなたは自分自身をしっかりと見つめてみる必要がある。あなたの美しさやあなたの在り方、そしてあなたの人生が悲しいものになるか、すばらしいものになるかは、まったくあなた次第なのである。そして、あなた方はそろそろ、このことを知るべきである。


この天界での輪廻転生を強制される存在などひとりもいない。だが、この場所に永遠とも言えるほど長い間生きていると、人間はこの場所しかないと思い始めてしまうのだ。そして、人間が自分の体を失い、自分が感情的に執着していたものや、ここにある諸々のおもちゃから離れてしまうと、人間はすぐに、この場所に急いで戻りたいと思い始める。なぜなら人間は、天国はここしかないと思っているからだ。そして、そう思う存在にとっては、実際にそうなのである。


あなたがここにいるただひとつの理由は、あなたがここにいたいからであり、あなたの存在の内面に、ここで満たすべき何らかの必要性があるからだ。そして、その必要性とは、自分がこの「幻の天界」で体験したい喜びや悲しみ、憐憫や怒りや苦痛といったものを表現することであり、それらを好きなだけ体験することだ。そして、それが嫌になったり、うんざりしたときには、あなたは自分の態度を変えて、何か別の感情を体験することができるのである。それほど単純なものなのだ。


ユートピアが、苦痛や悲しみや、地獄のような状況といっしょに存在することはあり得るのだろうか?もちろん、あり得る。それは、態度ひとつ分の違いでしかない。


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質問者 私はイギリスから来て、マドラスへ向かう途中です。そこで私は父親に会い、一緒に車でロンドンまで陸路を通って帰る予定です。私は心理学を学んでいるのですが、学位を取得してからどうするかは、まだわかりません。産業心理学、または精神療法を試みるかもしれません。私の父は一般開業医です。私も同じ道を行くのかもしれません。
しかし、これで私の興味が尽きるわけではありません。そこには時間を経ても変わることのない、ある質問があるのです。あなたはそのような質問への答えをもっていると理解しています。そのために、私はあなたのもとへ来たのです。


マハラジ  私はあなたの質問に答えるのに正しい人間かどうだろうか。私はものごとや人びとについては何も知らないのだ。私は私が在るということだけを知っている。そして、それくらいはあなたもまた知っている。私たちは同等なのだ。


質問者 もちろん、私は私が在ることを知っています。しかし、それがどういう意味なのか知らないのです。


マハラジ  「私は在る」のなかで、あなたが「私」と見なしているものは、あなたではないのだ。あなたが在ることを知っているのは自然なことであり、あなたが何なのかを知ることは多くの探求の結果なのだ。あなたは意識界全体を探査しなければならない。このためには、正しい師を見いだし、発見に必要な条件をつくり出さなければならないのだ。一般的には二つの道がある。外的なものと内的なものだ。あなたは真理を知る誰かとともに生き、彼の導きにあなた自身を完全に服従させ、彼の影響のもとにマインドを形づくるか、あるいは内なる導きを探しだし、それがどこへあなたを導こうと、内なる光にしたがうことだ。どちらの場合も、あなたの個人的な欲望や恐れを顧みてはならない。あなたは師と近接していること、あるいは探求することのどちらか、受動的、あるいは能動的な道のどちらかで学ぶのだ。生命の川とグルの愛によって、あなた自身が運ばれていくことを許すか、あるいはあなたの内なる星に導きを受け、自らの努力を重ねていくかのどちらかだ。どちらの場合もあなたは進んでいかなければならない。そして真剣でなければならない。愛し、信頼するに足る誰かを見つける幸運な人はまれなのだ。ほとんどの人が厳しい道を行かなければならない。知性と理解、洞察と無執着(ヴィヴェーカーヴァイラーギャ)の道だ。これはすべての人たちに開かれている。


質問者 私はここに来ることができて幸運でした。明日発たなければなりませんが、一度あなたと話をしたことが私の全人生に影響を及ぼすかもしれません。


マハラジ  そうだ。ひとたびあなたが「真実を見いだしたい」と言ったなら、全人生はそれに深く影響を受けることになるのだ。あなたのすべての精神的、身体的習慣、感情と感覚、欲望と恐れ、計画と決定はもっとも革新的な変容を通り抜けることだろう。


質問者 ひとたび私が真実を見いだすことに心を定めたならば、つぎには何をするべきなのでしょうか?


マハラジ  それはあなたの気質によるのだ。もしあなたが真剣ならば、選んだ道がどれであれ、あなたを目的地へと連れていくだろう。真剣さ、それが決定要因なのだ。


質問者 真剣さの源は何でしょうか?


マハラジ  鳥を巣に帰らせ、魚を生まれた川へと帰り着かせる帰巣本能だ。果実が成熟したとき、種子は大地に返る。成熟がすべてなのだ。


質問者 では、何が私を成熟させるのでしょう?体験が必要なのでしょうか?


マハラジ  あなたはすでに必要な体験をすべて得ている。そうでなければここには来なかっただろう。これ以上体験を積む必要はない。むしろ体験を超えていかなければならないのだ。あなたがいかなる努力をし、いかなる修練(サーダナ)にしたがおうとも、それは単により多くの体験を重ねるだけで、それを超えてはいかない。本を読むこともまた、あなたを助けはしないだろう。それらはあなたのマインドを豊かにはするだろう。だが、個人であるあなたは影響を受けないままだ。もし探求から物質的、精神的、霊的な何らかの恩恵を期待するなら、あなたは要点をはずしているのだ。真理はいかなる利点もあなたに与えない。それはあなたにより高い地位も、他者に対するいかなる権力も与えはしない。あなたが得るのは真理、そして偽りからの自由だけなのだ。


質問者 真理は他者を助ける力をあなたに授けるに違いありません。


マハラジ たとえどんなに高尚であろうとも、それは単なる想像にすぎない。真理においては、あなたは他者を助けたりはしない。なぜなら他者というものは存在しないからだ。あなたが人びとを高尚な人と程度の低い人に区別し、高尚な人に程度の低い人を助けるように頼むのだ。あなたが分割し、判断し、評価し、非難するのだ。真理の名のもとに、あなたは真理を破壊してしまう。真理を公式化しようとするあなたの欲望そのものが、真理を否定するのだ。なぜなら、それは言葉のなかに包括できないものだからだ。真理は行為のなかで偽りを否定していくことによってだけ表現できる。このために、あなたは偽りを偽り(ヴィヴェーカ)として見なければならない。そしてそれを拒絶する(ヴァイラーギャ)のだ。偽りを放棄することが、解放と活力を与える。それは完成への道を切り開いていく。


質問者 真理を発見したことを、いつ知るのでしょうか?


マハラジ  「これが真理だ」、「あれが真理だ」といった考えが起こらないときだ。真理が自らそれ自身を主張することはない。それは偽りを偽りとして見ることのなかにあるのだ。マインドが偽りによって盲目になっているとき、真理の探究は無駄になってしまう。真理があなたに現れる前に、偽りは完全に浄化されなければならないのだ。


質問者 しかし、偽りとは何でしょうか?


マハラジ  存在をもたないものは間違いなく偽りだ。


質問者 存在をもたないとはどういう意味でしょう?偽りは厳然として事実です。


マハラジ  それ自身で矛盾するものが、存在をもたないのだ。あるいはつかの間の存在しかもたないもの、どちらも同じことだ。なぜなら、はじまりと終わりをもつものは、その間をもたないからだ。それは空っぽだ。それはマインドから与えられた名前と形はもっていても、実体も本質ももたないのだ。


質問者 もし過ぎ去っていくものすべてが存在をもたないとしたなら、宇宙もまた存在をもたないということです。


マハラジ  誰がそれを否定しただろうか?もちろん、宇宙は存在をもっていない。


質問者 何が存在をもっているのでしょうか?


マハラジ  存在に依存しないそれ、宇宙が現れるとともに現れることなく、宇宙が消え去るとともに消え去ることのないそれ、いかなる証明も必要とせず、しかし、それが触れるすべてのものに実在を分け与えるそれだ。一瞬間だけ、あたかも実在のように現れるのが偽りの本性なのだ。真実は偽りの父だとも言えるだろう。しかし、偽りは時間と空間に限定され、環境によって生まれるものなのだ。


質問者 どのようにして、私は偽りを除き、実在を確実にすればいいのでしょうか?


マハラジ  何の目的のためにかね?


質問者 より良い、統合され、幸福な、より満足できる人生を生きるためです。


マハラジ  何であれ、マインドによって考えられたことは偽りに違いない。なぜなら、それはかならず相対的で限定的になるからだ。実在は人知の及ばないものであり、ある目的のために利用できるものではない。それはそれ自体のために求められなければならないのだ。


質問者 人知の及ばないものを、どうやって私が望むことができるのでしょうか?


マハラジ  ほかに何か望む価値のあるものがあるだろうか?ものを求めるように実在を求められないことは確かだ。しかし、あなたは偽りを偽りとして見て、それを放棄することができる。真実への道を開くのは、偽りを放棄することなのだ。


質問者 理解はします。しかし、日常の実生活のなかで、それはどのように見えるのでしょうか?


マハラジ  利己主義と利己心が偽りの焦点だ。あなたの日々の生活は、欲望と恐れの間を揺れ動いている。それを余念なく見守りなさい。そうすれば、川が岩の合間で泡を立てるように、あなたはマインドがいかにして無数の名前と形を装うのかを理解するだろう。あらゆる行為を、その利己的な動機までたどっていきなさい。そしてその動機を余念なく、それが消え去るまで見つづけなさい。


質問者 生きるために、人は自分自身の面倒を見なければなりません。自分のためにお金を稼がなくてはならないのです。


マハラジ  あなた自身のために収入を得る必要はない。だが、妻や子供のためにそうしなければならないかもしれない。ほかの人のために、あなたは働きつづけなければならないかもしれない。ただ生きつづけることでさえ犠牲となりうるのだ。利己的になる必要などどこにもない。あらゆる自己本位な動機を見るなり、すぐに放棄しなさい。そうすれば、あなたが真理を探究する必要はない。真理があなたを見いだすだろう。


質問者 最低限必要なものがあります。


マハラジ  あなたがそれを思ったことで、それは供給されはしなかっただろうか?利己主義への囚われを捨て去りなさい。そして行為における知性と愛である、ありのままのあなたでありなさい。


質問者 しかし、人は生き残らなければならないのです!


マハラジ  生き残ることはどうすることもできないのだ!真のあなたは時間を超え、誕生と死をも超えている。そして、身体はそれが必要とされるまで生存するだろう。長く生き残ることが重要なのではない。充実した人生の方が、長い人生より良いのだ。


質問者 何が充実した人生かを、誰が言えるのでしょうか?それは私の文化的な背景によるものです。


マハラジ  もしあなたが実在を探求しているのなら、すべての文化的な考えや感じ方のパターンといった背景から、あなた自身を自由にしなければならない。男や女であるといった観念さえ、人間であるという観念でさえ放棄されるべきなのだ。生命の大海は人類だけでなく、すべてを包含している。まず、すべての自己同一化を放棄し、あなた自身をあれやこれとして考えるのをやめなさい。あらゆる利己主義を放棄しなさい。物質的であれ、霊的であれ、あなたの幸福について心配するのをやめなさい。粗雑なものであれ、微妙なものであれ、すべての欲望を放棄しなさい。いかなる類の達成についても考えることをやめなさい。あなたは今ここで、完璧なのだ。あなたは絶対的に何も必要ないのだ。
それは何も、あなたが無能で無謀な、軽率で無関心な人になるべきだということではない。ただ自分自身に関する根本的な不安が去るべきなのだ。あなたにはいくらかの食事と衣服、そして住居が必要だ。しかし、欲望を必要と見なさないかぎり、それが問題をつくり出すことはないだろう。想像ではなく、あるがままのものごとと調和のうちに生きなさい。


質問者 もし、私が人間でなければ、何だというのでしょうか?


マハラジ  あなたに、あなたが人間だと考えさせるものは人間ではない。それは意識内の無次元の点、意識している無なのだ。あなたがあなた自身に関して言えることは、「私は在る」だけだ。あなたは純粋な存在─意識─至福だ。それを実現することが、すべての探求の終焉なのだ。あなたがあなた自身だと思いこんでいることすべてが単なる幻影であり、そして一時的なものを一時的なものとして、想像上のものを想像上のものとして、非現実のものを非現実のものとして、純粋な気づきのなかで超然と離れて見るとき、あなたは探求の終焉に突き当たるのだ。それは難しいことではない。だが、無執着が必要とされる。真理を見ることが困難なのは、偽りにしがみつくからだ。ひとたび偽りには時間が必要で、時間を必要とするものは偽りだと理解すれば、あなたは今このときにあっても時間を超えている。実在の間近にいるのだ。時間のなかでの永遠とは、時計の運動のような単なる反復にすぎない。それは過去から未来へとかぎりなく空虚に永続していくだけだ。実在は現在を、単なる精神的なものにすぎない過去や未来とはまったく異なった、活気あふれるものにする。もしあなたが何かを達成するのに時間が必要ならば、それは偽物に違いない。真実はつねにあなたとともにある。あるがままのあなたになるために待つ必要はないのだ。ただ、マインドが探求のために外へ出ていくのを許してはならない。何かが欲しいときは、自分自身に尋ねなさい。「私はそれが本当に欲しいのだろうか?」と。そして答えがノーならば、ただ捨て去るがいい。


質問者 私は幸福になるべきではないのでしょうか?もしあるものが必要で、しかも、もしそれが私を幸せにするなら、それを手に入れるべきではないでしょうか?


マハラジ  あなたが在るということ以上に、あなたを幸せにすることのできるものはない。幸福へのすべての探求が不幸のもととなり、より多くの不幸を導くのだ。価値のある唯一の幸福とは、意識的存在の自然な幸福だ。


質問者 そのような高いレベルの気づきに達する前に、たくさんの体験が必要なのではないでしょうか?


マハラジ  体験はただ記憶を後に残し、すでに充分重い重荷に加えるだけだ。あなたにこれ以上の体験は必要ない。過去のものだけで充分だ。そして、もしそれ以上が必要だというのなら、周囲の人びとのハートのなかに見入るがいい。何千年かけても不可能な多様な体験の数々をあなたは見いだすだろう。他者の悲しみから学びなさい。そしてあなた自身を救うがいい。あなたに必要なのは体験ではなく、すべての体験から自由になることだ。体験に貪欲になってはいけない。あなたには何も必要ないのだ。


質問者 あなた自身、体験を通り抜けてきたのではないでしょうか?


マハラジ  私のまわりで、ものごとは起こる。しかし、私はそれらに手を貸さないのだ。私が感情的に巻き込まれるときだけ、出来事は体験となるのだ。私は改善を必要としない完全な状態のなかにいる。体験が私にとって何の役に立つというのだろう?


質問者 人は知識と教育を必要とします。


マハラジ  ものごとを扱うには、ものごとの知識が必要だ。人びとに対応するには、洞察と共感が必要だ。自分自身に対するには、あなたには何も必要ない。意識的存在である、あるがままのあなたでありなさい。そして、あなた自身からさ迷い出てはならない。


質問者 大学教育はもっとも有益なものです。


マハラジ  疑いなく、それはあなたに生活の糧を得る助けを与えてくれるだろう。だが、それはあなたにどのように生きるかを教えはしない。あなたは心理学の学生だ。それはある特定の状況のなかでは、あなたを助けるだろう。しかし、あなたは心理学によって生きることができるだろうか?行為のなかで実在が反映されたときだけ、生命は価値あるものとなるのだ。死期が訪れたとき、あなたが「私は良く生きた。ふたたび生きる必要はない」と言えるために、どのように生きればいいのかを教える大学はないだろう。私たちのほとんどは、ふたたび生きたいと願いながら死んでいく。あまりにも多くの過ちを犯し、あまりにも多くのやり残しがあるからだ。ほとんどの人びとが、無為単調な生活をし、本当に生きているとは言えない。彼らは単に体験を集め、彼らの記憶を豊富にするだけなのだ。しかし、感覚的でも、観念的でもなく、身体でも、マインドでもない、しかもそれらを含み、そのどちらをも超えていく実在を体験は否定してしてしまうのだ。


質問者 しかし、体験はもっとも有益なものです。体験を通して、人は炎に触れないことを学ぶのです。


マハラジ  ものごとを扱うには、知識はもっとも有益だとすでに話したはずだ。しかし、それはあなたに人びとや自分自身とどうつき合うか、人生をどう生きるかを教えはしない。私たちは車の運転や金銭を稼ぐ話をしているのではない。そのためには体験が必要だ。しかし、あなた自身の光となるためには、物質的知識は助けにならないだろう。本当の意味でのあなた自身になるためには、間接的知識よりもさらに深く親密な何かが必要となるのだ。あなたの外面的生活は重要でない。あなたは夜警にでもなり、幸福に生きることもできる。内面におけるあなたが何なのか、それが重要なのだ。いかなる大学もあなた自身として在ることを教えはしない。学ぶ方法は実践しかないのだ。たった今、あなた自身として在りはじめなさい。あなたではないものを放棄し、どこまでも深く入っていきなさい。井戸を掘る人が地下水層に達するまで水ではないものを捨て去るように、あなたもまた、自分自身ではないものを、放棄できるものが何ひとつなくなるまで捨て去らなければならないのだ。あなたはマインドがつかむことのできるものが何も残されていないのを見るだろう。あなたは人間でさえないのだ。あなたはただ在る。時間と空間と同一の広がりをもち、しかもその両方を超え、それ自体原因のない、究極の原因である覚醒の一点なのだ。もしあなたが「あなたは誰か?」と尋ねるならば、私はこう答えるだろう。「私は特定な何かではない、しかし、それでも私は在るのだ」と。


質問者 もしあなたが特定の何かではないとすれば、あなたは普遍的な何かであるはずです。


マハラジ  普遍的であることとは何だろうか?理念としてではなく、ひとつの生き方として。何であれあなたがであうものと分離せず、反対せず、理解し、愛することが普遍的に生きることだ。わたしは世界であり、世界は私だ。世界は私のものであり、世界は我が家だと本当に言えること。すべての存在は私の存在であり、すべての意識は私の意識だ。すべての悲しみは私の悲しみであり、すべての喜びは私の喜びだ。これが普遍的な人生なのだ。それにもかかわらず、私の真の存在は、あなたもまたそうであるように宇宙を超え、それゆえ特定や普遍といった範疇をも超えている。それは、それであるものだ。完全に自己充足し、独立しているのだ。


質問者 私には理解しがたいことです。


マハラジ  これらのことを実行するには、しばらく自分自身に時間を与えなければならないだろう。新しい轍(わだち)をつくることなく、あなたの脳から古い轍を消し去らなければならない。あなたはあなた自身が不動なものであること、起こることすべての沈黙の観照者であることを認識しなければならないのだ。


質問者 つまり、私は活動的な人生という考えすべてを捨て去らなければならないということでしょうか?


マハラジ  まったくそうではない。そこには結婚が、子どもが、そして家族を維持するために収入を稼ぐことがあるだろう。すべては出来事の自然な流れに沿って起こるだろう。運命はそれ自身を満たしていかなければならないからだ。あなたはやってくる大小含めた仕事を注意深く周到にこなし、抵抗なく通り抜けていくことだろう。だが全体的な姿勢は愛情深い冷静さ、かぎりない善意、見返りを期待せず、求めることなく、絶え間なく与えつづけていくことだ。結婚においては、あなたは夫ではなく、妻でもない。あなたはその二つの間の愛なのだ。あなたはすべてに秩序と幸福をもたらす明晰性と優しさだ。それはあなたにとって、つかみどころのないものに見えるかもしれない。しかし少し考えてみれば、神秘的なことがもっとも実際的であることを知るだろう。なぜなら、それはあなたの人生を創造的で幸福にするからだ。あなたの意識はより高い次元に上昇し、そこからは、すべてがより明瞭でより強烈に見える。誕生時に個人となり、死において存在を終えるその人はつかの間の偽物だとあなたは悟るのだ。あなたは欲望と恐れに捕らえられた感覚的、感情的、知的個人ではない。あなたの真の存在を見いだしなさい。私とは何なのか?これがすべての探求の根本的な質問だ。そのなかへ深く入っていきなさい。


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