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シヴァが純粋な存在


マハルシ こうして彼はブラフマンあるいはシヴァをとらえ続けます。これが究極的には最後に残る存在であるブラフマンあるいはシヴァに至り、シヴァが純粋な存在、真我であることを悟るのです。


質問者 直接体験によって得られた知識が、後になって失われることはあるのでしょうか?


マハルシ 『カイヴァリヤ・ナヴァニータム』は失われることもあると述べています。すべてのヴァーサナー(心の潜在的傾向)が根絶されないままに得られた体験は確固としたものではありません。ヴァーサナーを消滅させるためには努力をしなければなりません。

(対話171)


マハルシ 助けは常にそこにあります。


質問者 それでは質問をする必要もありません。私には常に存在するという助けを感じることができないのです。


マハルシ 明け渡しなさい。そうすればそれを見いだすでしょう。サッドグルは内側にいます。
もしあなたが助けを受けていないと想像し始めたとすれば、次には契約書が必要となり、さらには告訴されるでしょう。そのような疑いを起こすべきではありません。それはあなたの明け渡したという言葉に背いています。


質問者 教えには師が必要でしょうか?


マハルシ 必要です。もしあなたが何か新しいことを学びたいのであれば。しかしここではあなたは学んだことを棄てるのです。ですから、師の必要はありません。

(対話434)


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あなた方がここで理解するようになるのは、どんな感情もどんな考えもどんな行動も<それ>である、ということです。<それ>というのは神のことです。あなたの一部が新しい体験を求めているあいだ、別の部分はすでにそれを体験しているのです。自分の”存在”のうちで<ただ体験している>部分とつながることができると、あらゆることに喜びを感じるようになります。たとえ死ぬほどの恐怖や煮えたぎる怒りのまっただなかにあっても、それを喜んで体験している部分が自分のなかにあることを感じるようになります。あなたのなかの最も深い部分は、善と悪、快と苦とを区別しません。ただ体験していることを感じているだけです。


マハルシ 「存在」はどの場合においても実在です。万象、多様性、個人は非実在です。それゆえ、実在と非実在の統合、混同、偽りの同一化もまた誤りなのです。それはサッド・アサッドヴィラクシャナ、つまり実在と非実在(サットとアサット)を超越することです。実在は神を含めたすべての概念を超越するものです。「神」という名称が使われているかぎり、それは真実ではありえません。ヘブライ語のエホヴァ=「私は在る」(I AM)という表現は神を的確に表しています。絶対なる存在は描写を超えているのです。

(対話112)


イエシュアは、ただ愛したのだ。それこそが、人類に対する偉大ですばらしい彼の贈り物だった。そして彼は、その愛の源は自分の内面に宿る「父」であり、それはすべての人々の内面に宿る「父」とまったく同じである、ということをはっきりと公言していたのである。すべての人類を抱き容れることができるほどの自由と力をイエシュアに与えたのは、自分と「父」がひとつであり、同じものであることを知っていたという事実である。


欠乏感に満ちた考えは、自分が愛に値しないという思いから出てきます。愛に値しなければ、外部に欠乏を投影します。コップの水は半分入っていても、半分しかない、というふうに見ます。


自分が愛に値すると知っていれば、他人の言葉や行為を愛の観点から解釈しやすくなります。めったに腹が立ちません。


人生をどう見るかは、自分が愛すべき存在かそうでないか、自分に価値があるかないかの感じかたで決まります。どちらの場合も、あなたは自分の意見をさらに強化するような状況を外界に作り出します。


供給に関する先入観はすべて、過去に生きていることからきます。欠乏は古傷の思い出にすぎません。それがいとも簡単に未来に投影されます。この欠乏的思考を終わらせるには、過去を宥さねばなりません。


あなたは、自分が不当に扱われていると感じていますか。もしそうなら、あなたは欠乏を人生に投影します。不当な扱いを受けていると感じる人だけが、不当に扱われるようになります。


欠乏的思考を終わらせるには、自分が不当に扱われていると感じていることに気づくのが第一歩です。それはあなたの奥深いところにある、自分には価値がないという感覚からきています。


思考を無理に変えようとしないでください。条件づけを逆にしようとして、「わたしはいま現在、愛すべき存在だ」というアファーメーションをくりかえしたりしないように。ただ気づくのです。「わたしはいま、愛すべき存在ではないと感じている、無価値だと感じている。不当に扱われていると感じている。過去に起きた悪い出来事が、また起きるのではないかとおびえている」と。


ハートが緊張し、ぎゅっと縮まることに気づいてください。自分が感情的に閉じてしまっているのに気づいてください。


自分のもとにやってきた情報を、ネガティブなものと見るか、ポジティブなものと見るかはあなたの選択でした。あなたはコップを半分「から」だと見るのを選択しました。犠牲者になることを選びました。


別にかまわないのです。恥じることはなにもありません。これ以上縮みあがる必要はありません。自分を叱咤激励する必要もありません。ただ、自分が何を選んだのか、その結果どういう気分になったのかに気づいてください。それを見極めて、手放します。


「わたしは自分のした選択を見た。不幸な気分になったのがわかった。不幸になりたくはないから、別の選択をしよう。コップには水がまだ半分も入っている、と見よう」


もしこのような言葉を、すっきりと整理された感情の状態で言えるのでしたら、あなたは過去を手放し、傷を手放したことになります。やってみてください。大きな効果があります。


あなたは犠牲者になることをずっと練習してきて、その役割には甚だ習熟しています。ですから練習なしで、いきなり勝利者になれるとは思わないほうがいいでしょう。ただ犠牲者になろうとした選択を見てとり、それを進んで手放そうとしてください。それで十分です。


豊かさの思考とは、自分が愛されていて、今のこの瞬間にも価値ある存在だということを意味します。そうだ、そう感じるぞと思っていても、電話が鳴って、莫大なお金を損したとか、奥さんが家出したとかわかったら、自分にどのくらい価値があると思えますか。改めて聞きますが、いまコップは「から」でしょうか。


そうした恐怖心に根ざした思考があるのだと認めるだけで、変容への長い道のりの第一歩が踏み出せます。自分の感情に正直になることが、スピリチュアルな成長には欠かせません。


無理にポジティブな考え方をすることはできませんが、ネガティブな考え方に気づくことはできます。ネガティブな部分に気づくことは、愛に満ちた行為です。それは希望を含んでいます。「いま起きていることを見たが、もっとうまいやりかたがあるのがわかっている、わたしは別の選択もできるのを知っている」


自分に別の選択を与えることは、個人の購いと再生の仕事です。過去を宥し、手放せば、別の選択のできる状態を準備することになります。あなたが同じ過ちを何度おかしたとしても、あなたにはつねに自分自身を宥す新しい機会があります。


宥しなくしては、欠乏的思考から抜け出すことはできません。そして宥すためには、自分が傷ついたあらゆるケースに気づいていることです。


傷ついたと認めることです。そうすれば、それを宥すことができます。傷を秘密にすれば、過去から逃れられません。


欠乏感は、たいせつな教師です。あなたの環境にあらわれた欠乏部分はすべて、内面の無価値感の反映ですから、その無価値感を意識にのぼらせなければなりません。欠乏の経験は、神があなたを罰しているのではありません。あなたが自分自身に対して、修正すべき信念があることを教えているだけです。


自分がいかに自分自身に愛を惜しんでいるかを見てとることで、自分を愛せるようになります。そして自分自身にどのくらい愛を惜しんでいるかは、他人に愛をどのくらい出し惜しみするかを見ればわかります。


豊かさがあなたの人生に入ってくるのは、なにかいわくありげな呪文を覚えることによってではなく、自分の精神の傷ついた部分に愛をもたらすことを学んだときです。愛はあらゆる分離と競合の感じを癒し、罪や罪悪感をもたない、もともとの完全さの自覚をよみがえらせてくれます。


自分自身の恐怖心、無価値感に進んで目を向ければ、神はあなたの中の神聖な火花にも目がいくようにしてくださいます。


あなたが自分自身を愛したいと思うなら、神の愛があなたのところまで流れてこられるような水路を開かねばなりません。あなたの心の中に豊かさへの扉を開き、あなたのまわりすべてに映しだされている愛の贈り物を見てください。そしてどうか、これらの贈り物の価値や、それがあなたの人生にあらわれた形を、判断・批判しないでください。その価値は問題の余地のないものですし、形はじつに誤解されやすいものなのです。


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質問者 私は去年ここにいました。今、ふたたび私はあなたの前にいます。何が私をここに来させるのか本当に知らないのです。ですが、ともかくあなたを忘れることができないのです。


マハラジ ある人は忘れ、ある人は忘れない。彼らの運命にしたがって、あるいは、あなたならそれをチャンスと呼ぶかもしれない。


質問者 チャンスと運命には基本的な違いがあります。


マハラジ あなたのマインドのなかにだけだ。事実、あなたは何が何の原因なのか知らないのだ。運命とはあなたの無知を包みこむ言葉の毛布でしかない。チャンスとはもうひとつの言葉だ。


質問者 原因と結果を知らずに自由がありうるでしょうか?


マハラジ 原因と結果はその数と多様性においてかぎりのないものだ。すべてがすべてに影響を与えるのだ。この宇宙のなかでは、ひとつが変化すればすべてが変化する。それゆえ、自分自身を変えることによって世界を変えるという偉大な力があるのだ。


質問者 あなた自身の言葉によれば、あなたはグルの恩寵によって、四十年ほど前に革新的な変化を遂げたということです。しかしそれでも、世界は以前と変わらないままではありませんか。


マハラジ 私の世界は完全に変わったのだ。あなたの世界は同じままだ。なぜなら、あなたが変わっていないからだ。


質問者 どうしてあなたの変化が私に影響を与えないのでしょうか?


マハラジ なぜなら、私たちの間には共有の交わりがないからだ。あなた自身が私から分離していると想像するのをやめなさい。すると私たちは即座に共通の状態を分かちあうのだ。


質問者 私にはアメリカに資産があり、それを売ってヒマラヤにいくらかの土地を購入しようと考えています。家を建て、庭を設計し、二、三頭の牛を飼って静かに暮らそうと思っています。人びとは私に、資産をもつことと静かに暮らすことは一致せず、即座に事務的な、あるいは近隣の、または泥棒といった問題に巻きこまれるだろうと言うのです。それは避けられないことなのでしょうか?


マハラジ 少なくとも、つぎからつぎへと人びとが訪れ、あなたの住まいを無料の宿屋にしてしまうぐらいは予期できるだろう。人生がそれ自体で形づくっていくのを受け入れた方がいい。家に帰り、愛と思いやりをもって妻の面倒を見なさい。ほかの誰もあなたを必要とはしてはいないのだ。あなたの栄光の夢はもっと多くの問題をあなたに負わせるだろう。


質問者 私が求めているのは栄光ではなく、実在です。


マハラジ そのために、あなたには秩序ある静かな生活、マインドの平和、そして計り知れない誠実さが必要だ。いつであれ、あなたに求めずともやってくるものは神から贈られたものであり、もしそれを精いっぱいに使うなら、かならずやあなたを助けることだろう。あなた自身の想像と欲望から、骨を折って手に入れようとするものだけがあなたに困難を与えるのだ。


質問者 運命と恩寵は同じなのでしょうか?


マハラジ 絶対的にそうだ。人生を起こるがまま受け入れなさい。そうすれば、あなたはそれが祝福に満ちていることを知るだろう。


質問者 私は自分の人生を受け入れることができます。どうして他者が生きているような人生を受け入れることができるでしょうか?


マハラジ どちらにせよ、あなたは受け入れているのだ。他者の悲しみがあなたの快楽を妨げることはない。もしあなたが本当に慈悲深いのなら、とうの昔に利己主義を放棄し、唯一それだけが本当に人を救うことのできる生き方をしていただろう。


質問者 もし私が大きな家と充分な土地をもつならば、個室、共有の瞑想ホール、食堂、図書館などを備えたアーシュラムをつくるかもしれません。


マハラジ アーシュラムはつくり出すものではない。それは起こるのだ。川をはじめたり、止めたりすることができないように、あなたにはそれをはじめたり、起こるのを妨げたりすることはできない。成功するアーシュラムの設立にはあまりにも多くの要因が関わりあい、あなたの内なる誠実さはその一要因にすぎないのだ。もちろん、あなたが自己の真の存在に無知であれば、あなたの為すことは何であれ灰と帰するだろう。グルを模倣して無事にすむことはないのだ。すべての偽善は災難のうちに終わるだろう。


質問者 聖者と成る前に、聖者のようにふるまうことにどのような害があるというのでしょうか?


マハラジ 聖人らしさを下稽古することはサーダナ(修練)だ。それは完全に正しい。もし何の功績も言いふらさなければ。


質問者 試してみるまでは、どうして私にアーシュラムが建てられるかどうかを知ることができるでしょう?


マハラジ あなたがあなた自身をひとりの個人として、身体とマインドをもち、生命の流れから分離し、己の意志をもち、己の目的を追求しているかぎり、あなたはただ表層で生きているだけであり、あなたの為すことは何であれ短命で無価値なものなのだ。それは単に虚栄心の炎にわらを投げ入れるようなものだ。真正な何かを期待する前に、あなた自身が本当の価値をもたなければならない。あなたの価値とは何だろうか?


質問者 どのような基準で計ればいいのでしょうか?


マハラジ あなたのマインドの中身を見てみなさい。あなたとはあなたが考えていることだ。あなたはほとんどの時間、自分の小さな個人と日々それが必要とするもので忙しいのではないだろうか?
規則的な瞑想の価値は、あなたを日々の平凡な日課から引き離し、あなたはあなたが信じこんでいるようなものではないと思い起こさせることにある。だが、思い起こすことさえ充分ではない。行為が確信に沿わねばならないのだ。詳細にわたる遺書を書いておきながら、死ぬことを拒んでいる金持ちのようになってはならない。


質問者 人生の法則は漸進的なものなのではありませんか?


マハラジ いいや、そうではない。準備だけが漸進的であって、変化は突然で完璧なものだ。漸進的変化があなたを意識的存在の新たな段階に連れていくことはない。あなたには手放す勇気が必要なのだ。


質問者 私に欠けているのは勇気だということを認めます。


マハラジ なぜなら、あなたは完全に得心していないからだ。完全な得心が欲望と勇気を生みだす。そして瞑想とは理解を通して信念を得る技なのだ。瞑想のなかで、あなたは受けた教えについてあらゆる角度から繰り返し熟考する。明晰性から確信が生まれ、確信とともに行為が生まれるのだ。確信と行為は不可分なものだ。もし行為が確信に続かなければ、まず、あなたの確信を調べてみなさい。勇気のないことで自分を非難してはならない。自己欺瞞はあなたをどこへも連れていきはしない。明晰性と感情をともなった同意なしに、意志が何の役に立つだろうか?


質問者 感情をともなった同意とはどういう意味でしょうか? 私は欲望に対抗して行為するべきではないのでしょうか?


マハラジ あなたが欲望に対抗して行為することはないだろう。明晰性だけでは充分ではない。愛から現れるエネルギー、あなたの愛の対象がどのような形であれ、行為するためには愛さなければならない。明晰性と慈愛なしには勇気も破壊的なものとなる。戦争において人びとは、しばしば素晴らしい勇気を見せるが、それが何だというのだろうか?


質問者 私が欲しいのは平和に暮らせる庭のある家だけだということがはっきりしているのです。どうして欲望どおりに行動してはならないのでしょうか?


マハラジ もちろん、そうするがいい。ただ不可避なもの、予期せぬものを忘れてはならない。雨なしには、あなたの庭も生い茂ることはないだろう。冒険には勇気が必要なのだ。


質問者 私には勇気を集めるだけの時間が必要です。どうか、急がせないでください。私を行為へと成熟させてください。


マハラジ 取り組み方全体が間違っている。遅れた行為は見捨てられた行為なのだ。ほかの行為にとってのチャンスはあるかもしれない。だが、現在の瞬間は失われた。取り戻すことができないほどに失われたのだ。すべての準備は未来のためにある。あなたは現在のために準備することはできないのだ。


質問者 未来のために準備することのどこが間違っているのでしょう?


マハラジ 現在における行為は、それほどあなたの準備によって助けられているわけではない。明晰性は今にある。行為は今にある。準備について考えることが行為を妨害するのだ。そして、行為は実在の試金石なのだ。


質問者 確信なしに行為するときもそうなのでしょうか?


マハラジ 行為なしに生きることはできない。そしてそれぞれの行為の裏には、ある欲望や恐れが潜んでいるのだ。結局、あなたの為すことはすべて、世界が現実のものであり、あなたから独立しているという確信に基づいているのだ。その反対の視野に得心したなら、あなたのふるまいもまったく違ったものとなるはずだ。


質問者 私の確信に、何も間違ったところはありません。私の行動は環境によって形づくられているのです。


マハラジ 言ってみれば、あなたはあなたの境遇の実在性、あなたの住む世界の実在性に得心させられているということだ。世界をその源までたどり直してみなさい。すると、世界以前にあなたは存在し、世界がもはやなくなっても、あなたは残ることを見いだすだろう。あなたの永遠の存在を見つけだしなさい。そうすればあなたの行為がそれを証明するだろう。あなたはそれを見いだしただろうか?


質問者 いいえ。


マハラジ では、それ以外の何をするべきだというのだろうか? 間違いなく、これがもっとも緊急の仕事なのだ。あなたがすべてを放棄し、何にも支えられず、何も定義されないままとどまるまでは、すべてから独立したあなたを見ることはできない。ひとたびあなた自身を知れば、あなたが何をするかは問題ではなくなるのだ。だが、あなたの独立性を自覚するためには、あなたが依存しているものすべてを手放すことで試さなければならない。真我を実現した人は絶対的なレベルで生きている。彼の智慧、愛、勇気は完全なものであり、相対的なところはどこにもないのだ。それゆえ、彼はより厳しい、より以上を要求される道を行く試練を通して彼自身を証明しなければならないのだ。試みる人、試みられる人、そして試練の設定状況はすべて内面にある。それは誰ひとり参加できない内なるドラマなのだ。


質問者 磔(はりつけ)、死、復活。私たちはなじみ深い土台の上に立っているようです! 私は際限なくそれについて読み、聞き、語ってきました。しかし、自分自身でそれをする能力はないと知ったのです。


マハラジ 静かにしなさい。揺らいではならない。そうすれば智慧と力は自ずとやってくるだろう。それを熱望することはない。マインドとハートの沈黙のなかで待ちなさい。静かにすることはとてもやさしいことだ。ただ、進んでそうしようという意志がまれなのだ。あなたがたは一夜にしてスーパーマンになりたがる。野望なしに在りなさい。わずかな欲望もなしに、露わになり、壊れやすく、無防備で、不確かで、独りで、完全に開いて在り、すべてがあなたの物質的、あるいは霊的快楽と利益を生みだすべきだといった利己的な確信をもつことなく、起こるがまま人生を受け入れなさい。


質問者 私はあなたの言われることに応じます。ただ、私にはどうすればいいのかが見えないのです。


マハラジ もしあなたがどうすればいいかを知っていたら、そうはしなかっただろう。あらゆる試みを放棄しなさい。ただ在りなさい。努力してはならない。闘ってはならない。すべての支えを手放し、存在の感覚に盲目的につかまりなさい。それ以外のすべてを払いのけなさい。それで充分だ。


質問者 この払いのけるとは、どのようになされるのでしょうか? 払いのければ払いのけるほど、それは表面へと現れてくるのです。


マハラジ 注意を退けなさい。ものごとが去来するにまかせなさい。欲望や思考もまた、ものごとなのだ。それらを無視するがいい。遥かなる昔から、あなたのマインドの鏡は出来事のほこりで覆われてきたため、あなたには記憶しか見えなくなっているのだ。ほこりが積もってしまう前に払い落としなさい。あなたのマインドの真の本性が発見されるまで、それが古い層を露わにしていくだろう。それはすべてとても容易なことだ。誠実で忍耐強くありなさい。ただそれだけだ。無執着、冷静さ、欲望と恐れとすべての利己主義からの自由、気づき、記憶と期待からの自由、これこそ発見が起こりうるマインドの状態だ。結局のところ、解放とは発見することの自由なのだ。


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