第三のヒロシマ前夜40


下に引用させていただいた公園さんの記事は、あまりにもフィオラが肯定するため。これを書いたタイミングもばっちりだそうで、つまり大きな「戦争は不可避」という主張のようだ。しかも現時点で予想されているよりも被害者数がはるかに多くなってしまうという警告を受けている。
先月2017年12月19日に最大の警告を受けていたが、今月2018年1月19日も同様の最大警告を受けたため、このタイミングは人為的なものではないのかもしれないと思った。
(ただし年明け早々に米軍の空爆があるというフィオラの予測は既にはずれている)


つまり
上の世界が計画しているような大規模な戦争があるのかもしれない。


それは
地上に残る独裁などを殲滅するためなのか、それとも、埃が溜まり一気に燃え上がるような自然の自浄作用なのか。毒だし、膿だしというけれど、これは個人にも、集団にも適用されるようだ。個人的な膿も出さなければならないし、日本という国家も出さなければならない。
そのため一時的に状況は「悪化」する。この悪化が一時的で済むかどうかは、膿出しの状況を「上」がどう判定するかによる。


フィオラから言われているのは、これから起こる戦争は、
上の展望を地上で展開するためであり、混乱は極まるが、その時に決して誰も「殺すな」(当然自殺も禁止)「奪うな」そして己の核心を「穢すな」と言われている。混沌の中で侵略戦争に対する国土(国民の生命)防衛は割り切るべきだが、己の玉を穢してはならないと。北朝鮮や中国への防衛は仕方ない。核による恫喝というタブーまで仕掛けているのは向こうなのだから。


あと10日したら1月は終わり(その時第三のヒロシマ前夜は外す)、私は米国は北朝鮮の核保有に対して妥協すると見なすだろう。日本の米国に頼る防衛方針は誤っていたと結論づけなければならない。米朝衝突の可能性は一気に低くなると理性では思う。衝突するなら1月中だと本気で感じていた。理性では。
でもこうして妙な警告を受け続けていると、結局結果として多国間の大戦争に行き着いてしまいそうで、高所にいるようなそわそわした感じがする。n


マハルシ あなたは純粋意識なのです。グリハスタ・ダルマも世界も純粋意識の上に現れた単なる現象にすぎず、それは影響を受けることなくとどまります。


疑いが誰にとって起こるのかを見なさい。疑う者とは誰でしょうか? 考える者とは誰でしょうか? それは自我です。それをとらえなさい。
自我がどこから立ち現れるのかを見いだしなさい。それが純粋意識なのです。


「私は実現できるだろうか?」という疑いや、「私はまだ実現していない」という感覚自体が障害なのです。

(対話251)


マハルシ ヨーギーは脳の中枢、あるいは千の花弁の蓮と呼ばれるサハスラーラに達することを最重要視しています。
事実は、身体は心の中に存在し、心は脳をその座としています。
その源に直接向かいなさい。借り物の源泉に依存してはならないのです。


集中とは一つのことを考えることではありません。その反対に、それは私たちの真の本性のヴィジョンを妨げるすべての想念を取り除くことなのです。

(対話398)


質問者 どうすればアートマンを見いだせるでしょうか?


マハルシ アートマンの探究ということはありえません。真我ではないものだけが探究の対象となり、それを排除することだけが可能なのです。

(対話78)


あなたはそれがどんなものであっても、自分が選んだものに意識を集中する能力を持っています。どんなものにでも──無にでさえもです。とにかく、あなたはあらゆる瞬間に、何らかのものに意識を集中することを選んでいるわけです。光を望むのでしたら、自分の純粋な目覚めた意識を内側の光のあるところに向けてください。たえず変化しつづける外側にあるものに意識を集中しようとするのではなく、内側にある絶対的に安全なところ、現象界のエゴの波の満ち引きに引っ張られたりすることのない場所を見つけてください。



祓いの犬に隠された靴は、弥勒の「勒」の改革の力か?。戦いの迫りの靴音か?。


子犬の行動を見ていますと、脱いでおいた履き物を咥えてどこかに持って行くがあります。愛犬の【靴泥棒】と呼ばれる行為です。子犬にとってはそれは一種の遊びと言えます。


私はここ一~二年間ほどの間に、実に奇妙な夢を七~八度見ていました。それは夢の中で私が世の立替の講演をしている会場で、講演を終えて会場から帰ろうとすると私の「靴」だけが何故か無くなっている夢です。会場の他の人にはそうした被害が起きておらず、私一人だけが被害者なのです。


どこを探しても私の靴が見つからないのです。時には裸足で靴屋に駆け込んでも、何故か私が履くサイズの靴だけは無く、大弱りしている夢もありました。そんな夢が七~八度も出て来ますと、さすがに【靴】の言葉の意味が気になります。だが、意味がまったく解らないのです。


そして、犬の年を迎える昨年の師走に、またもや靴が消えている夢です。だが、今度は会場の靴箱を探したところ、これまで消えて行った過去の全ての「靴」が並んでいたのです。これまで失せた靴が全て戻って来ている?。です。


いったい誰が私の靴をこれまで隠して来たのだ!。その時、これまで私の「靴」を隠したのは「犬」の所行だと出たのです。犬?。犬が私の靴を隠していた?。


酉年の師走の後に来るのは「犬」の年です。犬に祓いの意味があるのは分かります、その「祓い」がどうして【靴】とつながるのかの意味が解らないなのです。だが、靴が戻って来た夢は、【靴】が揃う仕組みと考えられるわけです。


弥勒の「勒」を分解すれば改革の【革の力】で


弥勒とは「いよいよ始まる改革の力」と読めます


私は【弥勒世】の到来を告げる宣伝マンをして来ました。だが、それは何時かとなった時、言葉だけでは読み切れません。


革の字は、毛物の毛を治去して、これを【革変】するなりで【革命】をも意味します。政治の世界では保守の旧を改めるのが革新とします。しかし、政治の世界の革新はその多くが唯物主義者の集まりで、唯心主義者とは一線を画します。


明治維新は間違いなく【改革】でしたが、日本の民主党の革新政権は、実務が解らないお粗末な政権でした。危機管理が出来ない革新政権ならば必要は無いとなります。


今年の年明けに中国の軍艦が尖閣列島の接続水域に入り、何時、中国が尖閣列島に上陸作戦を敢行しても不思議ではなくなって来ています。中国の習主席は新年の軍事パレードで、軍に【戦争準備】を訓示しました。どの国に対しての訓示かは解りませんが、国家の指導者であれば、あらゆる不足の事態に備えるのは当たり前のことであり、日本の様な平和ボケでは国は守れないのです。


無論、戦争は厭だからその時は日本は中国の属国に成る。そうしたことを平気で言う人達は必ず出て来ます。そんな日本人が増えれば増えるほど、この日本は天から見放されるでしょう。


世界の人類が戦いの無い平和の世界に住むには、日本の戦国時代の世を織田信長が天下統一に導いたように、一つの神による神界統一が必要です。唯一の神だけを神と崇めるです。


今の神霊世界を見るならば、まるで群雄割拠の戦国時代のようなものなのです。為に、宗教が戦争を起こす元凶となっていると言っても過言ではありません。


同じ旧約聖書を聖典ともしながら争っているユダヤ教、キリスト教、イスラム教を見れば解るように、未だ本当の創造神は出ていないとも言えるのです。もしもそうした創造神が世の世の表に出ていれば、宗教間での戦争は起きないからです。


唯一神が告げる【革新】は、毛物(獣)の魂からの脱却です


今の世は、人の顔をしていてもその魂は【毛物(獣)】なりの状況で、新しき永遠の世に入る為には、魂の毛物の除去がなされなければなりません。だからこそ、【弥勒】の世は黙っていても来るのではなくて、大規模な【変革】を伴うなのです。


そうしたことから、世の立替は一種の神界革命(クーデタ)とも説かれるのです。


だが、ここまで私の夢に「靴」が出て来るとは別の意義があるかと、再度調べましたところ 革は獣の皮ですが、改に通じて「あらたまる(新たまる)」です。ですから【改革】でよかったのです。さらに、さし迫るとか病気が重くなる。危篤になるなどの意味もあるのです。そこに、改革がさし迫って来たと読めます。


そして「靴」の「化」は、【人が死す】形なのです。単に化けるではなくて、複数形の人達が死ぬ形です。化けるの意味合いは、人の肉体は死ねば消えても骨は残る。その骨と化した意味が「化け」るだったのです。違う形になることです。


人は死しても【魂】は残る。それが【化け】です


靴は、改革で人は死しても「魂」は残る


そうしたことから、私達はこの世を去ってもこの世に残っている霊を【お化け】と言います。霊がいろんな姿(神霊をも装う)に化けるのもその意味合いです。


私は今回【犬】の字に関して調べていて、かなり見落としがあったことを知りました。犬の字が使われる常用漢字には、


伏、臭(臭)、突(突)、戻(戾)、状、就、献(獻)、黙、器(器)、類(類)、抜(拔)、髪(髮)等があります。


これらの犬の字は動物の犬その物の意ではなくて、祓いの【犮】から来ている犬性なのです。私達が気がつかなかったのは【器(四口と犬】が、神事や祭事に用いる道具のことなのです。


私達の肉体は【神の容器】ともなります。しかしそれは「一霊四魂」の四魂ではなく、直霊とされる部分が【神】と言えます。


私は世の大立替で審判されるのは各自の【良心神(直霊)】だと述べて来ました。それは魂に点数が出ることを見たからです。


私達の【心臓】は「田の字型」の四室となっています。


人の心臓は【田】の字型、心を持って【思う】の働き


何故、稲荷でなく【米】教の仕組みであったのか


心臓は【魂の型】であり、血は「霊」でもあります。聖書に「汝、他人の血を食べてはいけない」とありますが、他人の血の輸血を拒否することではないのです。これは【汝、他人の霊(チ)を食べてはいけない】なのです。


今の世の霊的世界においては、自分の魂の汚れを霊媒質者に勝手に送りつけるが行われています。すなわち他人の汚れていない霊(チ)を食べるです。これらは霊的に行われているので、大多数の人はその現実を知るではありません。


自分の霊(チ)の汚れを自分の肉体が祓わないで他人の霊(チ)を利用するです。何も知らず解らずに、他人の霊(チ)の汚れを受けて病を起こす。そうしたことが起きているのです。


自分には名だたる神々が出て来られるで、自分はとんでもない高い者だと思っている霊感者の方を見た他の霊感者が、あの方は美しい魂の持ち主だと言っておられましたが、実際はその方の魂の汚れは霊媒体質者に無断で転送されていたがありました。そのことを霊感を持つ肉体は気づいていなくても、その肉体の魂がしていたなのです。


それは、本当に磨かれた魂ではなく、他の霊媒質者に自己の魂の汚れを転送して見せかけの美しさを誇っていたのであれば、いずれ破綻する日が来ます。それを美しい魂だと賞賛していた人達の魂も、実に低い魂の持ち主達だったと言えます。


自己の魂が汚れていれば、自分と同格の汚れた存在の魂を見ても、その魂が汚れているとは見えないのです。汚き水の池の中に居て、自分の居る池の水は綺麗だと思っているなのです。高き山に登って見る光景と、低き山に登って見る光景は違うのです。


人の魂は脳に宿るのではなく、心臓に宿る


その心臓の四室は、私達の血の汚れを集めて浄化(祓い)しています。そして、新鮮な血を送り出しているのですが、心臓が弱ると死につながって行きます。


ほとんどの方は神霊が神罰として人の命を取ることを知らないと思いますが、神霊が人の命を取る時には【心臓発作】などであの世に持って行きます。但し、むやみになされているのではありません。時には起きるなのです。


人の病の多くは【血の汚れ】から発祥しますが、これは【霊(チ)の汚れ】からも起きて来るなのです。悪しき想念が魂の霊(チ)を汚しますので、スピリチュアルでも【悪しき想念】を持つなと言う教えそのものは正しいのです。


人を嫉んだり恨んだり憎しんだりしている人が、【自分の魂は美しい】など、絶対に出せない言葉なのです。本人は霊(チ)の汚れを発しているからです。 一霊四魂の四魂を祓うと、直霊は汚れを持たない


また、弥勒の勒には


勒=くつわ(勒)を並べる。戦闘前に軍馬を一斉に並べるがあります。


戦争の靴音が聞こえて来る等と言いますが、戦火の前に「靴」です。


私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声は、【この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国で有り、この神の仕組みはそなた一人だけには解るようにする】でした。ただ、それは豊受姫から【貴方は言葉で教える者】と告げられたことから、言葉の仕組みだと解っただけです。


また、その旧約聖書の神と称する声は、【この神が演出監督する神の舞台の筋書きは、世に出ておられる神達は誰も筋書きをご存じない】と告げられましたが、大本教神諭も同様に、【世の立替があると云うことは、どの神柱にも判りていれど、モウ一厘の肝心の事は判りておらん知らない】とありますように、実は神々にも創造神の立替の筋書きは解らないがあるのです。


それは、神霊と呼ばれる方達が私の前に現れて、私に創造神の仕組みを教えるとか説くではなくて、私の魂が鍾馗神の案内で中国で天子とされる数万体数十万体の配下霊を従えた「盤古大神」に拝謁し、大本教の出口王仁三郎聖師の姿をした霊が私の前に【漢字】と描かれた浴衣で出て来られたことから、大本教霊界物語の盤古大神から国祖国常立尊様に神界の【大政奉還】の内容に触れて、神界の大政奉還ではなくて、日本語は【感じ】を学ぶのに【漢字を変換】する必要に気づいたわけです。


しかしながら、いくら辞書を見ていてもその言葉がどのように仕組まれているかは解りません。私の場合は見せられた霊的映像から言葉を読んでいるのです。


私は大本教霊界物語の記述の弥勒の神の紋章は【○に十字の定めなり】を、実は戦いの前に軍馬を一斉に並べる「勒(くつわ)」の意味があることに気づいていました。それは、大本教と同じウシトラ金神でも、【宇志採羅根真】の綾部藩主九鬼神道家に関わる古文書の絵に描かれた○十からです。その○十は勒(くつわ)?。


神界には創造神が存在すると思われますが、現実にはよく解っていません。特に私達が居る地の神界は大本教で説かれた【地の神界の主宰神・国常立尊】の追放劇が【地の神界の神々の多数の力】により生じたからと言えます。


そこに【勝てば官軍、負ければ賊軍】や【下克上】が起きたのです。私がそれを知るのは大本教霊界物語の記述からではなく、私の魂はその当時に存在していて国常立尊様に仕えていたからです。微かながらもその当時の記憶を私自身が持つからです。


弥勒世の前には、四魂(四器)の汚れの祓いが必要で


天帝に従えぬ神霊達は、天帝の軍馬に蹂躙される


私は現在地に豊受姫の命令で、この神業は【世に出ている神々には出来ぬ。このご用が勤まるのはそなた一人】と言われて現在地に住みましたが、その土地は大本教出口王仁三郎聖師が大正九年以前に大本教信徒の一部に、「教団に内密でその土地を死守せよ」と告げられた土地の一角であることが解りました。


また、出口王仁三郎聖師がその直弟子の一部に、【みろく神業に使われるお宝が埋められている】と告げられた土地の側でもあるのです。


私が所有する土地そのものではありませんが、やはり出口王仁三郎聖師に命じられた方の土地に関して「豊受姫」は、私に【米】型の屋根の霊的建物を見せてくださり、【米】型が単に大本教神諭予告【九つ花】を紐解くだけではなくて、もっと重要な意味があることを教えて頂いたしだいなのです。


世に自分には【豊受姫】が出て来ると言われる方は多々あるでしょうが、大本教では綾部の聖地である本宮山(鶴山)に豊受姫が降臨されたと述べていますが、私も豊受姫からそのように伺っています。その豊受姫が【米】型の意味を知らないとなれば、それは本物の豊受姫様かとなります。だからこその【稲荷大神】でもあるからです。


伏見稲荷大社は全国の稲荷の総本社ですが、私は【伏】の字に首を捻っていました。犬が伏して人に従うは俗説で、人に従い。犬に従うなのです。この伏は【厄災を防ぐ】の意味合いと言えます。祓いにつながっているのです。


明治維新は薩長連合軍が【鳥羽伏見】の戦いで雌雄を決めました。大本教神諭予告【九つ花】は十里(鳥)の八根(羽)型であり、そこに【犬性(祓い)】によって魂から獣を除去するとも言えます。


大本教霊界物語に、白狐は下郎の役として参加するとありますが、


鳥羽(十里・八根)伏見で戦う皇の官軍に、白狐は下郎の役として参加する


私が伏見稲荷大社講社に所属している時、支部を併発していた稲荷神社の御祭神である豊受姫が支部の月次祭(つきなみさい)の時、【神鏡】を持ち出されていました。その神鏡とは考古学で言う神鏡とはまったく別の物で、鏡から白光を放ち講員さんに獣霊が取り憑いていないかを見る【獣鏡】と言えました。その人の【心境】を見る鏡です。


私が言葉遊びをしていると思っているような人は、神は【言葉で示し申す】が、まったく理解出来ない存在となります。私は霊界の様を見て、言葉の意味を理解して解説しているのです。


霊的世界には存在していても、現実界では造ることが出来ないのが【神鏡】なのです。ただ、私も神霊からそうした物を見せられなかったならば、私も【言葉】が持つ意味を紐解けなかったとは言えるのです。2018.01.19 Friday - 00:01 - by 神之公園



質問者 眠りの間、あなたはどうしていますか?


マハラジ 眠っている状態に気づいている。


質問者 眠りは無意識の状態ではないでしょうか?


マハラジ そうだ。私は無意識の状態に気づいている。


質問者 それでは目覚めのとき、あるいは夢見のときは?


マハラジ 私は目覚めあるいは夢見の状態に気づいている。


質問者 理解できません。正確にはどういう意味でしょうか? 質問を明確にさせてください。眠りの状態とは無意識を意味しています。目覚めの状態とは意識を、夢見とは周囲の状況ではなくマインドを意識している、ということを意味しています。


マハラジ 私にとっても同じことだ。しかし、そこには違いがあるように見える。各々の状態のなかで、あなたはほかの二つの状態を忘れているが、私にとっては目覚め、夢見、眠りの三つの精神状態を含み、しかも超越したひとつの存在状態があるだけだ。


質問者 この世界には、ある方向性や目的があるとあなたは見ていますか?


マハラジ 世界とは私の想像の反映にすぎない。何であれ見たいと思うものを、私は見ることができる。だが、なぜ創造、進化、破壊というパターンを編みだす必要があるだろうか? 私にはそれらは必要ない。世界は私のなかにあり、世界は私自身なのだ。私はそれを恐れることもなければ、それをひとつの固定させた心理的画像に閉じこめたいなどという望みもない。


質問者 眠りに戻りますが、あなたは夢を見ますか?


マハラジ もちろん。


質問者 あなたの夢とは何でしょうか?


マハラジ 目覚めの状態の反映だ。


質問者 では、あなたの深い眠りは?


マハラジ 脳意識が一時停止した状態だ。


質問者 それでは、あなたは無意識なのでしょうか?


マハラジ 私を取り巻く環境への無意識ということでは、そうだ。


質問者 まったくの無意識ではないということでしょうか?


マハラジ 私は無意識だということに気づいている。


質問者 あなたは「気づく」という言葉と「意識する」という言葉を使っていますが、それらは同じものではないのですか?


マハラジ 気づきは根本的なものだ。それは根元的状態であり、はじまりがなく、終わりもない。原因がなく、支えがなく、部分も、変化もない。意識は表層の反映と関連しており、二元的な状態だ。気づきなしに意識は在りえない。しかし深い眠りのように、意識がなくても気づきは存在しうる。気づきは絶対的だ。意識はつねに何かに属し、その内容との相関関係にある。意識は部分的であり、変化するもの。気づきは完全で、不変であり、静かで沈黙の内にある。そして、それはあらゆる経験の共通の母体なのだ。


質問者 人はどのように意識を超え、気づきのなかに入っていくのでしょうか?


マハラジ そもそも意識を起こさせるのは気づきであるため、あらゆる意識の状態には気づきがある。それゆえ意識が意識しているという意識そのものが、すでに気づきにおける動きなのだ。自分の意識の流れに興味を抱くこと自体が、あなたを気づきへと導く。それは何も新しい状態ではない。それが根元的な、生命そのものである基本的存在、そしてまた愛と喜びであることは直ちに認識されるだろう。


質問者 実在がつねに私たちとともに在るのなら、真我の実現は何によって成立するのでしょうか?


マハラジ 真我の実現は無知の反対にほかならない。この世界を実在と見なし、真我を非実在と見なすことが無知であり、悲しみの原因だ。真我が唯一の実在であり、そのほかすべては一時的な、はかないものと知ることが自由であり、平和と喜びなのだ。それはとてもシンプルだ。ものごとを、想像を通して見るのではなく、ただあるがままに見ることを学びなさい。すべてをあるがままに見るとき、あなたはあるがままの自分を見るだろう。それは鏡を磨くようなものだ。あなたにあるがままの世界を見せるその同じ鏡が、あなた自身の顔をも見せるだろう。「私は在る」という想いが、鏡を磨く布なのだ。それを使いなさい。


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