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3月5日は何も起こりませんでした。何だったのかわからないです。
今日6日期限のアラモの戦いも何を言わんとしていたのか、今日期限だったら新型コロナとの戦いは感染を封じ込めるという意味では敗色濃厚です。
日本国内で広がりそうな現状が、先を考えると怖いです。ほんとうに一寸先は闇ですね。n060043


(未完成だから足掻くについて)
人の日常はみんな未完成だから足掻くプロセスだと思います。ただ、未完成なのは表面だけで、幼木が巨大な樹になる可能性を内在させているように、完成された潜在的可能性のすべてが表面的な未完成の内側にいつも潜んでいます。
未完成/潜在的可能性(完成)
フィオラが重視するのはこの「分母(完成)」を一つ一つの動作によく麺に絡むスープのように絡ませてから体現することです。視線は未完成を見ずにつねに完成で「在る」ように。実際に対象として見ることができるのは未完成だけなんですが、「在る」なら、人は完成の体現になりうると信じているのかもしれないです。n


(ニヒリズムについて)
神の死、という前提に立った人が、そんな中でどう生きるかを示すのは決して退屈ではないと私は思います。
神への信仰を「弱者のルサンチマン」として見る人もいるということなんです。彼らは何も間違っていません。そういう誤解が発生しうることは承知でここに生まれたのがわたしたちです。
問題は彼らが自分で下したその結論の中でいかに美しく力強く生きることができているかということです。醜く人のせいにしながら不平を言うだけの生き方では勝手に死んだことにされた神に失礼ですから。n



ニーチェは、神への信仰を「弱者のルサンチマン」として切り捨てた。さらに「神は死んだ」という言葉で、キリスト教的な価値観が崩壊していることを人々に知らせようとした。「神の死」の先にあるもの、それは軸を失い、自暴自棄になった無気力状態であるニヒリズムだ。そこで、ニーチェがニヒリズムを乗り越える方法として説いたのが、「超人」だ。ルサンチマンやニヒリズムを克服し、常に創造的に生きる「超人」とは何か。


十九世紀ドイツの哲学者ニーチェの主著『ツァラトゥストラ』は、正確に訳せば『ツァラトゥストラはこう言った』という四部構成の書物です。書かれたのは一八八三年から八五年、ニーチェが四十歳前後のころです。


人が悩みや苦しみを抱えたときにどう生きるか——いわば泥臭い、でもとても大事な問題——を正面から扱っているものはそれほど多くはありません。『ツァラトゥストラ』は、生きる姿を真摯に問うている珍しい本で、読むと胸を打つものがあります。
この点に関わるニーチェの有名な言葉に、「ルサンチマン」というものがあります。これはフランス語ですが、「ねたみ」や「うらみ」の意味です。たとえば「なんで自分はもっと容姿に恵まれなかったのか」「なんで、自分たちばかりがこんな不況のなかで就職活動をしなくちゃいけないのか」といったようなことです。「もし違った環境ならば、自分ももっと幸せだったはずなのに」という「たら・れば」の気持ちを抱えることは、人間だれしも経験があることでしょう。しかし、ニーチェにいわせれば、この思いをずっと抱えていると、なにより自分自身を腐らせてしまいます。「では、この状況のなかで私はどう生きるか」という前向きの気持ちをもてず、受け身の姿勢になってしまいかねない。


「ニヒル」とは「無」の意味で、ニヒリズムとは「これが大事だ」という信じられる価値を見失ってしまうことをいいます。ニーチェはある遺稿のなかで、「私はこれからの二世紀の歴史を描く。ニヒリズムの到来は避けられない。この未来はすでに百の徴候のうちにあらわれている」といっています(『力への意志(*)』序文§ 2)。この言葉は十九世紀末に書かれたものですが、ニーチェはまさに私たちの生きている現代を正確に予言していました。何を信じてよいかわからないこの世の中で、人間はどうやって生きていったらよいかということ、これが『ツァラトゥストラ』のもっとも大きな主題といってよいのです。


ニーチェの答えについてはこれからお話ししていきますが、あえて一言でいうならば、「固定的な真理や価値はいらない。君自身が価値を創造していかなくちゃいけない」というものです。


*「力への意志」は晩年のニーチェ思想の鍵概念で、どんな生命体にも共通する根源衝動のこと。それは単に自己保存を目的とするだけでなく、よりパワーアップしようとする本性をもつ、とニーチェは考えた。


ニーチェが「超人」になるために、「永遠回帰」の思想を受け入れなければならないと説く。「おまえの過去は何回も巡ってくる。何度巡ってきてもよいと思える生き方をしろ」と鼓舞し、『ツァラトゥストラ』はクライマックスを迎える。「永遠回帰」はニーチェが大失恋をした直後にひらめいた発想ともいわれ、ニーチェ哲学の真髄である。しかし非常に 難解なため、誤解も多い。


一度も舞踏しなかった日は、失われた日と思うがよい。
そして、一つの哄笑(こうしょう)をも引き起こさなかったような真理は
すべてにせものと呼ばれるがよい。
(第三部「古い石の板と新しい石の板」より)



ルサンチマンやニヒリズムを乗り越え、「永遠回帰」の思想で生を肯定できる人、それがニーチェのいう「超人」だ。


「ツァラトゥストラ」でおもしろかったのは、ニーチェが提示する「超人へのプロセス」3段階です。
重い荷物を背負い鍛錬する「ラクダ」、
自分自身の意志をもって既存の価値と闘う「獅子」、
そして最後に、無垢な心で自分の内から溢れ出して来る創造性に身を委ねる「幼子」。
目指すべき「超人」の姿を人間の生まれたままの姿である「幼子」に喩えているところがとても興味深かったです。
何をも否定することなく、ただ無心の状態で己と向き合いクリエイティビティを発揮できるような人…
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