
二線に分かれる世界
ドコモ、au、ソフトバンクの5Gが今日から出揃います。
5Gが健康に問題ないかどうかは慎重に見極めなければなりません。
また新型コロナも爆発的感染に至るかどうかの重大局面と言われるようになりました。
両方を同時に防御する方法があればとは思っています。
この混乱の中で、人の行動も大きく分かれていきそうです。n270020

青空さん、こんばんは。
この ↓ マイケルジャクソンのカバー動画ですね、かわいいですし元気出ますね。
どれがサインでどれが偶然かは判断がむずかしいですよね。
どれがサインかよりも、どれが自分にとってより大きな意味をもつ解釈となるかのような受け取り方でも間違ってない気がします。
精神的に成長していく指針なら向こう側も喜んでくれるはずです。n

平凡な森の暮らしを送るイノシシ。近頃イノシシは、昔のことを夢にみます。大好物のリンゴをおなかいっぱい食べでは、友達になった牛とダンスをしたりしたことを。 イノシシが、乳搾りをしようとバケツを持ち上げると、バケツの底に穴があいていて、その先には、まばゆい世界が広がります。おおきな牛、ミルクたっぷりのバケツを運ぶ楽しげなブタたち、たわわに実る金のリンゴ…まさにそこは、「金のまきば」でした! (イノシシは、この世界を知っています)。 気がつくと、穴のあいていたはずのバケツにミルクが満たされていました。うれしくなったイノシシは飲み干そうとしましたが、バケツには穴があいていて、イノシシはまた、見慣れた森に戻っていました。そして、牛は、いつものように草を食んでいました。 イノシシがのぞいた「金のまきば」は、自分の心の中だったのです。そして、平凡な暮らしが、実は、満ち足りた日々だったということや、牛の存在の大きさに気づいたのです。 この絵本は、「NHKみんなのうた」で放送されたアニメーションから、大貫妙子と坂井治が全ての文と絵を書き下ろしています。そして、アニメーションをDVDに収録しました。光り輝く金のまきばやイノシシの心が動きが、五感でたっぷりと味わえる最高傑作です。楽しいこと嬉しいことはもちろん、ちょっとつらいことも受け入れたとき、「金のまきば」が私たちの目の前にあらわれるのかもしれません。
一時期教育テレビのみんなの歌で放送されていたのを偶然聞いて「不思議な歌だな」という印象を持った。 それから5、6年以上は経っていると思うのだが、なんとなく思い出されたもののインターネットに視聴できるページはなく、 もう一度聞くことを諦めきれずに購入してしまった。 心に残る不思議な歌であり、なんど聞いても飽きない。 絵本と合わせると、歌とアニメーションだけでは伝えていなかったイノシシの言葉などがわかる。 つまらない日常を過ごしていたイノシシは、金のまきばと出会ってから昔のまきばの夢をなぜ見なくなったのか? なぜバケツに穴が開いていたのか? とても短い文章だが、考えずにはいられなくなる。
NHK「みんなのうた」で紹介されたアニメーションと歌がDVD付の絵本になりました。明るい光と色彩に彩られた金のまきばが読む人の心を明るく包みます。 歌詞の字幕付きなのですが、絵をじっくり楽しみたい私にはこれは要らなかったです。大貫妙子さんの歌が素敵なのですが、自分の解釈でゆっくり見たいので音を消して聞いたり、自分の好きなインストルメンタルの曲と合わせても見ています。 本もDVDも繰り返し、見ています。自分の本棚にずっとあるであろう絵本です。おすすめします。
洋書のような絵のタッチに惹かれて、買いました。DVDは思わず口ずさんじゃう映像と歌の世界。絵本はもう少し深くて、強いメッセージ。パラレルワールドという哲学的なテーマを、シンプルに強く描いてあります。こんなに強くて美しい絵本を久しぶりに発見しました。読みながら、不思議と緊張感を覚えます。
カフカ「変身」 5月シリーズは、カフカの「変身」を取りあげます。年老いた両親と妹を養っているセールスマンの主人公・グレーゴル=ザムザが、ある朝、虫に変身してしまうという風変わりな物語です。グレーゴルは仕事に遅れまいと必死に自分の部屋から出ようとしますが、虫になったのは初体験なので、体をうまく動かすことが出来ません。やっとのことで部屋から出ることに成功、その姿を見た人たちの反応は・・。 小説では、虫は次第に家族の厄介者になり、最後にはひからびて死んでしまいます。長い小説ではないので、すぐに読めてしまいますが、心にひっかかるものがあります。いったいこれは何の寓話なのだろうかと・・。 現実に人間が虫に変身することはありません。しかしある日突然、虫のように扱われることはあります。差別を受ける時、あるいは病気になった時などです。実は「変身」は、疎外された人間の孤独と、疎外する側の冷酷さを、恐ろしいほど的確に描いた物語なのです。 これまで「100分 de 名著」では、ブッダの「心理のことば」やアランの「幸福論」など、人間の生き方について様々な角度から取りあげてきました。しかし私自身、番組を作りながら、どこかひっかかるところがありました。それはブッダもアランも「強い人」であることです。名著を通して心の整理をして、精神的に強くなる人もいるでしょう。しかし全ての人間が、ブッダやアランのように強くなれるわけではありません。 「変身」の作者であるカフカは、これまで紹介してきた名著の作者たちとはかなり違います。カフカは繊細すぎるほど繊細で、責任感が高い人でした。そして常に悩み、決断がなかなか出来ませんでした。そこで今回は、カフカの人生をひもときながら、「変身」を読み解きます。そして「変身」を「私たちの弱い心を映し出す鏡」としてとらえ、主人公の苦悩を描きます。 不安と孤独を抱える人が多い今、疎外とは何かを教えてくれるカフカ。番組では、人の弱さを知るとともに、人と人とのつながりの大切さを改めて考えます。
「変身」はカフカの人生を投影した作品であると同時に、普遍的な人間の真実をついた作品である。 生前、カフカは保険協会のサラリーマンとして働いていたが、本当は小説を書くことに集中したいと思っていた。そのため、外に出かけて働くのはたいへんな苦痛だった。実は「変身」の主人公・グレーゴルが虫になり、部屋に閉じこもるのも、カフカの出社拒否願望の現れと解釈できる。第1回では、世間や家族のしがらみから逃れて自由になりたいと願う、カフカの心を解き明かす。
「変身」では、働けなくなったグレーゴルが怠け者になる。毎日寝てすごし、天井に登って遊ぶのが日課になる。家族を養う重圧から解放され、ほっとしているかのようなグレーゴル。それはある種の逃避願望とも受け取れる。カフカは繊細すぎる男だった。そして人生の大事な局面で思い切った決断がなかなか出来なかった。決断する勇気を持てない—しかしそれは、誰にもある気持ちではないだろうか。第2回では、勇気を持てないもどかしさを描く。
「変身」では、話が進むにつれ、虫になったグレーゴルが人間扱いされなくなる。最後には妹までもが、「あれはもうお兄さんではない」と叫ぶ。もはやグレーゴルは、厄介者以外の何者でもなかったのだ。そこには、現代の社会や家族にも通じる現実が、鮮やかに描かれている。例えば親の介護に疲れたとき、グレーゴルの家族と同じような気持ちになることはないだろうか。第3回では、たやすく失われてしまう、人間の尊厳について考える。
グレーゴルは、父から投げつけられたリンゴによる大けがが原因で死ぬ。グレーゴルの死後、家族はピクニックに出かける。困った虫がいなくなった開放感に満たされ、休日を楽しむ家族。そこには人間の残酷さが鮮やかに描かれている。「絶望名人 カフカの人生論」を記した頭木弘樹さんは、カフカは弱い人だったからこそ、誰も気がつかない人間のエゴに注目し、真実を描くことが出来たのだと考えている。最終回では、自らの弱さをバネにしたカフカのしたたかさについて語り合う。
頭を少し持ち上げると、丸っこい茶色の腹が、弓なりの段々に別れているのが見えた。盛りあがった腹からは毛布がずり落ちかけていて、今にも完全に滑り落ちてしまいそうだった。
(「変身」第1章)
彼は多大な労力を払って椅子を窓際に押していき、窓枠に這いのぼり、椅子で身体を支えながら窓辺に寄りかかるのだった。それはただ、かつて窓の外を眺めるときに味わっていた開放感を思い出すためだけにやっているようなものだった。
(「変身」第2章)
今では妹は、何がとくにグレーゴルの好物かは深く考えず、朝と昼に店に走っていく前に大急ぎで、何か適当な食べ物をグレーゴルの部屋に足で押し込んでいくのだった。そして晩には、食べ物を味見くらいはしているか、それとも—大抵こちらなのだが—まったく口もつけていないかには無関係に、ホウキのひと掃きで回収していくのだった。
(「変身」第3章)
ぼくは人生に必要なものを何ひとつ携えてこなかった。あるのはただ、一般的な人間的弱さだけ。弱さ—それは見方によっては巨大な力なのだが、弱さに関してだけは、ぼくはぼくの時代のネガティブな側面をたっぷり受け継いだのだ。ぼくの時代は、ぼくに非常に近い。ぼくには時代に闘いを挑む権利はなく、ある程度は時代を代表する権利がある。
(カフカの「八折り判ノート」)
ぼくは、キルケゴールがやったように、もう凋落しつつあるキリスト教の手に導かれて生命にたどり着いたわけではないし、シオニストたちのように、吹き飛ばされていくユダヤ教の祈祷用マントの裾にすがりついたのでもない。ぼくは終わりか、始まりだ。
(カフカの「八折り判ノート」)
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