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人型から箱型へ


人型(ひとがた)という言葉があります。
100メートル離れたところにぼんやりと黒い人影が見えたとして、それを人っぽい、人間っぽい、誰かいると判断するとき、
それが鹿なのか、兎なのか、人間なのかどうやって判断しますか?


人間には人間らしいシルエットがあるわけです。


それを「人型」といいます。


この人型は視覚で判断できる人間っぽい「形状」です。


実はこの人型が、


己の「マインドの中に」あります。
このマインドの中にある人型こそ、人生最大の「精神的苦痛の源」なんです。


マインドの中にある人型、は、己の人生を
生きている主人公、プレイヤーとしての世界観を描き続けています。


昨日も描きましたし、3年前も描きましたし、17年前もそうでした。
では明日もそうですし、今週末もそうですし、2年後のクリスマスもそうです。
主人公(この人型)がどこどこへ行ってなになにをして生きているという世界観。


この習慣が解除されるためには、


マインドの中の「人型」と向き合える唯一の者、
己・自己・自分が、
他人の力を借りずにたった一人で、


自分の人生で常に参照するポイントとして、たった一体の人型を描き続けている事実と向き合わなければなりません。


この人型は一般的に


考える者「つまり思考する主体」と見なされています。
思考・想念の生産者であり、操る人と見なされています。
事実とかけ離れていても、一般的にそう見なされています。


人生のカヌーの「漕ぎ手」です。労働者です。
義務だけ背負った義務人間です。


この彼・彼女(この人型)がいるからこそ、
いまが能力を発揮できないんです。


人型に対して
無限のいまこの瞬間を便宜的に「箱型」と呼ぶとします。


Sに戻る意識的な訓練を経た人は
ある時点で


人型(ひとがた) → 箱型(はこがた)


にマインドが変わります。


人型が精神的苦痛の源であることは、
詳細のメカニズムを書くと、


神から分離した「個人」が私だ。 ← そういう自己観です。
いつ神の元へ戻れるかわからない。
ひょっとしたらもう神の元へ戻れないのではないか? ← これがあらゆる苦痛の根源です。


神を信じていない人も全員こうなっています。
なぜなら私たちは物理的次元で生きる肉体ではなくて、霊的存在が肉体と共存しているだけだからです。
無意識に神(慈愛の母)の影を探している赤ん坊になっています。


私たちが人と喧嘩するとき、その原因は
神の元へ戻れないのではないか? という分離感・不安感にマインドが応急処置をしようとしていることによります。この分離感に蓋をする方法がわからないので喧嘩になるんです。


箱型というのは、概念を伝えるための言葉です。


実際は、人型と「人型がいないことをリアルタイムで監視している」の二種類しかありません。


リアルタイム監視の概念を伝えやすくするために箱型と呼びます。


意識の焦点は必ずどこか一点に集中しています。


まずはその一点をマインドの中の「人型」に集中させること。
そうすると、いまの中にはどこを探してもその人型はいないことがわかります。


想念は数分置きにでも発生するので、数分前にこの「人型」は確かにいた「はず」です。
5秒前にもいたはずです。
でも、いまにはどんなに探してもいないんです。


なぜなら、想念の私・偽の私・プレイヤー、この人型は実在しないからです。
これを心の底から納得したとき、
マインドは箱型へ転換します。n112342
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