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いまを否定するというよりも
いまを否定できる抵抗勢力がある、または選択権があると思い込んでいて、
しかもその抵抗選択権がたった一人(想念の私)に集中していることにマインド内部で気づけます。


「この仕事頼むよ」


とうんざりするものを目の前に出されたとき、


(嫌だ!)


と誰かが叫びます。


そのとき、私は誰? なんでしょうか。


マインドの中で(嫌だ!)と叫んだ何者か だと考える(自分は抵抗勢力であり、ついさきほど嫌だ! と叫んだ思考発生の主体と見なしている)ことが問題を再生産させます。


抵抗し、違うものを選び取ることができる主体
だと思い込んでしまっていると、


元からあった沈黙に気づけません。
沈黙の背景が「一時的に覆い隠され」


この仕事 ← 善悪の判断なし

嫌だ! という叫び ← 善悪の判断なし


この2つの要素をそのまま受け容れている空間
箱型の重心 からズレて、
これはいい・あれはわるいと叫び続ける
人型の重心 を演じることになります。


仕事や誰かを「わるい」と決めているのではありません。
「わるい」と流れてきた思考を「そのまま信じている」メカニズムをよく観察すべきなんです。


なぜそのまま信じたのか?
それは
嫌だ! わるい! と叫んだのが「自分だ(想念の私・思考の主体=自分)」と信じているからです。
自分が発した言葉だと信じたから、内容をそのまま信じたんです。


つまり思考内容を信じたのではなくて、
思考の主体が自分であると信じているからスルーしたんです。


人型の重心が問題の本質であることは他人が理解しても意味がありません。
その人の人型の重心を変えられるのは本人だけだからです。


私は、プレイヤーなのか? ちがうのか?
私は、思考の主体なのか? ちがうのか?


箱型の重心 は失われたのか? それともただプレイヤー想定によって見えなくなっているのか?


抵抗勢力である
抵抗を選択できる主体である
カヌーの漕ぎ手である


これら「人型」がどこにいて、なにをして、どう作用しているかを「ただ観る」ということは、
思考や、強い感情が発生する度に
それらが「プレイヤー(思考の主体は自分という想定)」によるものかどうか一回一回観るということであり、


いまこの瞬間に本当に起こっていることを見直す・そのニュートラル地点に立ち帰るということです。n180544
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