忍者ブログ











負の言葉はすべて
現状をとらえる力を
鈍らせてしまいます。


情報が多ければ判断が楽というものではない。


この世には、勝利よりも勝ち誇るに値する敗北がある。


過去をより遠くまで振り返ることが出来れば、未来をより遠くまで見渡せるだろう。


夢は逃げない、逃げるのはいつも自分だ。


ふしぎだと思うこと、これが科学の芽です。
よく観察してたしかめ、そして考えること、これが科学の茎です。
そうして最後になぞがとける、これが科学の花です。


幸福は毎月やって来る。だがこれを迎える準備ができていなければ、
ほとんど見過ごしてしまう。今月こそ幸福を見逃すな。


生における悲劇は、
目標を達成しなかったことにあるのではない。
それは人生に目標を持たなかったことにある。


努力して結果が出ると、自信になる。
努力せず結果が出ると、傲りになる。
努力せず結果も出ないと、後悔が残る。
努力して結果が出ないとしても、経験が残る。


中途半端にやると他人のマネになる。
とことんやると他人がマネできないものになる。


型をしっかり覚えた後に、型破りになれる。


不可能とは、
自らの力で世界を切り拓くことを放棄した臆病者の言葉だ。
不可能とは、
現状に甘んじるための言い訳に過ぎない。
不可能とは、
事実ですらなく、単なる先入観だ。
不可能とは、
誰かに決めつけられることではない。
不可能とは、
通過点だ。
不可能とは、
可能性だ。
不可能なんてありえない。


やってみて「ダメだ」とわかったことと、
はじめから「ダメだ」と言われたことは、違います。


100回叩くと壊れる壁があったとする。
でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、99回まで来ていても途中であきらめてしまう。


1番いい練習メニューなんて結局死ぬまでわかんねえ。
研究者だってそのうち意見が変わるしな。
でも良くない練習は分かるだろ。
手抜いたら100%分かる。
自分で抜いてんだから。
それじゃやることは1つだ。
絶対に手を抜かねえでやり切る。
そうすりゃいい練習なんて勝手に見えてくる。


行動の最中には静寂を、そして休息においては活気を学ばなくてはならない。


人間性にたいする信頼を失ってはならない。人間性とは大海である。仮に大海の一滴が汚れていたとしても、大海そのものが汚くなるわけではない。


間違いを犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つに値しない。


悪い人々にたいする非難や拒絶によって自分を浪費することがないように。むしろ善き人々の美徳を称えよう。


これがあなたの人生だ。リハーサルではない。


年をとると、人は自分に二つの手があることに気づきます。
一つは自分を助ける手。
そして、もう一つは他人を助ける手です。


自他共栄…相手に対し、敬い、感謝をすることで信頼し合い、助け合う心を育み、己だけでなく他人と共に栄えある世の中にしようとすること。


絶対助けたいと思う時に助けられる技術、経験、知識、これがまだまだ足りない。


教訓をすぐ忘れるのも、人間の特徴の一つだ。


我が我がの「我」を捨てて、おかげおかげの「下」で生きよ。


平和を欲するなら、戦争を理解せよ。


運命は、志あるものを導き、志なきものをひきずってゆく。


人々が自分に調和してくれるように望むのは非常に愚かだ。


私は引用が嫌いだ。君の知っていることを話してくれ。


幸運の女神は準備されたところにやってくる。


道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である。


決然たる意志の持ち主は、世界を自分に合わせて形作る。


二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。
一人は泥を見た。一人は星を見た。


自分に打ち勝つことは勝利のうちで最大のものである。


質問は、質問する人を表現するんだ。
それに対する返答なんかとは無関係にね。


世の中正しいことばかりではありません。
お気をつけて。


愚者は己れが賢いと考えるが、賢者は己れが愚かなことを知る。


知は力なり。


芸術家は人がその作品を見て、その作家を忘れる時にのみ真に賞賛される。


亡くなった人を悼しむのは愚かだしまちがったことである。
それよりもそのような人が生きていたことを神に感謝すべきだ。


人生の大きな目的は知識ではなく行動にある。


私は常に学んでいる。墓石が私の卒業証書だ。


勉強する事は自分の無知を徐々に発見していく事である。


平凡な教師は言って聞かせる。
よい教師は説明する。
優秀な教師はやってみせる。
しかし最高の教師は子どもの心に火をつける。


人生にあり得る最大の誤りは、誤りを犯すことを恐れてばかりいることだ。


かんじんなことは、目に見えないんだよ


人間を四六時中、脅威にさらす危険には人間はさして注意せず。


病気や、怪我や、匪賊や、なんと多くの脅威が近づきつつあることか!
人間は姿の見えない射手の、地上における的なのだ。


人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ。


もう決してさびしくはない。なんべんさびしくないと言ったとこで、またさびしくなるのは決まっている。けれどもここはこれでいいのだ。
すべてさびしさと悲傷とを焚いて、人は透明な軌道をすすむ。


見えないものは、その不在の衣を着て、見えるものを支配している。


最も快い会合は、仲間がほがらかに敬意を表し合うような会合である。


もし人がこの世界から、人間を結合している親切のきずなをたち切ってしまうならば、どんな家も、どんな都市も存続することはできない。


判断に迷ったら、より多くの人間に貢献できる方を選べばいい。自分よりも仲間たち、仲間たちよりも社会全体。この判断基準で大きく間違うことは、まずないだろう。


井戸に唾を吐く者は、いつかその水を飲まなければならない。


名言集が完成されることはない。


ゴルファーの最も崇高な目的は人を驚かすようなすばらしいショットではなく、ミスをひとつひとつ着実に減らしていくことである。


過ちて改めざる、これを過ちという


初心わするるべからず


政治の腐敗とは、政治家が賄賂を取ることじゃない。それは個人の腐敗であるにすぎない。
政治家が賄賂を取ってもそれを批判することができない状態を、政治の腐敗というんだ。


昨日から学び、今日を生き、明日へ期待しよう


暗示を軽く見てはなりません。
私たちの心は暗示を大変受けやすいものなのです。
ですから、よい暗示をつねに与えるようにしなければなりません。


この世を動かす力は希望である。
やがて成長して果実が得られるという希望がなければ、農夫は畑に種をまかない。


希望は人を成功に導く信仰である。
希望がなければ何事も成就するものではない。


希望とは世界の状態ではなく心の状態である。
希望、この深く力強い感覚は、
物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲などとはまったく異なるものだ。
むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。


世の中で重要なことの多くは、
まったく希望がないように思えたときでも試行錯誤を続けた人々によって成し遂げられてきた。


希望は強い勇気であり、あらたな意志である。


不幸を治す薬は、ただもう希望よりほかにない。


希望と恐れは切り離せない。
希望のない恐れもなければ、恐れのない希望もない。


危険が迫った時は、絶対に後ろを向いて逃げるべきではない。
そんなことをしたら危険は二倍に増える。
逆に、即座に立ち向かえば、危険は半分になるものだ。


あなたの心の傷を星に変えなさい。


夜のあの星は、あなたが思うよりも近くにある。


人はみんな、その人なりの星を持ってる。


理想においては、寛大であると同時に現実的であれ。
星から目を離さずに、そして足は地に着けたままでいるべし。


私たちは肩を寄せ合って生きています。
だから、この世における私たちの第一の目的は、他人の役に立つことです。
たとえ他人の役に立てない者でも他人を傷つけてはいけません。


心血注いでも駄作は駄作、鼻歌混じりで描いても傑作は傑作


すべての知識の源は、疑いではなく、驚きである。


苦しみ自体に教訓があるとは思わない。
苦しむだけで何かが学べるのなら、世界は賢くなっているはずだ。
苦しみは誰でも味わうのだから。
苦しみには、驚きと理解、忍耐と愛、開かれた心と、己の脆さとつきあう勇気が加味されねばならない。


どんなものにも驚きがある。
暗闇や静寂にさえも。
そして、わたしは自分がどんな状況にいようとも、その中で満足できるということを学ぶ。


企業が起こす革命には二つの種類がある。
それは動と静だ。
動とは驚き。
世界が驚嘆する画期的な商品を発売すること。
静とは静寂。
これは世の中を騒がせることはない。
静かに日常に溶け込み、世界を変えていく。


人生という字をどう読むか?
人として生まれる、人として生きる、人を生かす、人を生む…、それが人生なんです。


事実に目をつぶったからといって、事実が無くなるわけじゃない。


子供は食う権利がある。子供は遊ぶ権利がある。
子供は寝る権利がある。子供は叱られる権利がある。…… ところが本当に子供を叱る人が少なくて、怒る人が多いのである。


昨日の思想によって子供を縛るのは教育ではなく訓練である。
明日の思想によって子供を縛るのもまた教育ではなくて訓練である。
教育は訓練ではない。創造である。


教育は科学であってはなりません。それは芸術でなければならないのです。


一番幸せなのは、幸福なんて特別必要でないと悟ることです。


君が考えること、語ること、すること、
その3つが調和しているとき、
そのときこそ幸福はきみのものだ。


人間にとって、最大の幸福とは何か。
それは、新しい発展に参加することだ。


幸福に恵まれるために知恵はいらない。しかし、この幸福を活かすためには知恵がいる。


怒りは突然の、あるいは、一時的な狂気である。


狂気は相対的である。それは、誰が誰をどの監獄に閉じ込めたかによる。


自己への愛着こそが狂気の最初の徴表であって、人間が自己に愛着していればこそ、人間は過ちを真実として、嘘を現実として、暴力および醜さを正義および美として容認するのである。


狂気に陥った人や眠っている人は、外界を客観的に見ることがまったくできない。しかし、私たちはみんな、多かれ少なかれ狂っており、程度の差はあれ眠っているのであるから、世界を客観的に見ることができない。
いいかえれば、ナルシシズムによって歪められた世界を見ている。


(だが)狂気なしに生きる者は、自分で思うほど賢者ではない。


始めから自分を信じないで何かをやろうとするのは、狂気の沙汰である。自分の意志を確信しないで欲すること、自分自身に大いなる誓いをささげることなく欲すること。
それはもう欲することだとはいえない。あらかじめ自分は弱い、と思っている者は、実際すでに、弱い人である。


(つまり)一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ。


偉大な計画は、はじめは狂気じみてみえるものだ。


己れを知らざることや、知らぬことを知っているように空想して知っていると思いこむことは、狂気にもっとも近い。


客観性。どんな種類の精神病者も客観的にものを見る能力が極端に欠如している。狂気に陥った人や眠っている人は、外界を客観的に見ることがまったくできない。


幸せとは欲しいものを得たり、なりたいものになったり、したいことをしたりするところから来るものではなく、
今得ているもの、今していることを、あなたが好きになるところから生まれる。


なぜいつも遠くへばかりいこうとするのか?
見よ、よきものは身近にあるのを。ただ幸福のつかみかたを学べばよいのだ。
幸福はいつも目の前にあるのだ。


人生は生きるに値するということが、あらゆる芸術の究極の内容であり、慰めである。


芸術は使命は、自然を模倣することではなくて、自然を表現することである。


芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ。


術は技芸ではなく、芸術家が体験した感情の伝達である。


親切にしなさい。
あなたが会う人はみんな、厳しい闘いをしているのだから。


親切は社会を結びつけている黄金の鎖である。


ある真実を教えることよりも、いつも真実を見出すにはどうしなければならないかを教えることが問題なのだ。


芸術とは、最も美しい嘘のことである。


ほかの誰かの元気な笑顔のために自分が生きていることを、私たちは知っている。
それは自分の幸福を支えてくれているんだ。


君が笑えば、世界は君とともに笑う。君が泣けば、君は一人きりで泣くのだ。


真実には特定の時などない。真実はどんな時代にも真実である。


神は細部に宿る (美は細部に宿る)


神の名は無意味。世界にとって本当の神は愛なのだ。


人生とは面白いものです。
何かひとつを手放したら、それよりずっといいものがやってくるものです。


誰かを愛して誰かを失った人は、何も失っていない人よりも美しい。


人生において情熱ほど大切なものはない。


たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える。


人間の偉大さは恐怖に耐える誇り高き姿にある。


祈りを唱える人でなく、祈りの人になりなさい。


愛と優しさに満ちた祈りは人を美しくさせます。
そしていつの間にか、祈りはその人の人生を美しく照らします。


祈りはまさに宗教の魂であり、精髄である。
だから祈りは人生の核心である。
宗教心を持たずしては、何人(なんぴと)も生きられないからだ。


片手だけでは拍手できない。片足だけでは歩けない。右手と左手が感応して拍手になり、右足と左足が感応して歩く。だから相手が感応するまで祈り続けなさい。


祈りとは、あなたの中にある無限の知性との意識的な交信です。


祈りは、何も包み隠す必要がないゆえに、真の会話です。
何でも言いたいことを思いどおりの表現で、言いたいときに言えるからです。
それについて批判されることはありません。
愛を失う危険もありません。


祈りは人間が生み出しうる最も強力なエネルギーである。
それは地球の引力と同じ現実的な力である。


祈りの果実は信仰である。


祈りは信仰を生み、信仰は愛を生み、愛は貧しい人々のためへの奉仕を生みます。


祈りとは、真理の探究。
目に見えない神の中に魂を委ねることではないだろうか?
心から祈るときには、どんな人でも何事かを学ぶものである。


心をこめないで言葉をさがすより、言葉をさがさないで祈りの中に心をこめる方がよい。


野心とは、己一代で何かを成し遂げようとする願望。
志とは、己一代では成し遂げ得ぬほどの素晴らしき何かを、次の世代に託す祈り。


医師としての私は、多数の人々があらゆる他の療法で失敗した後に、祈りという厳粛な努力によって疫病や憂鬱から救われた例を目撃している。


今日はすべきことがあまりにも多いから、
一時間ほど余分に祈りの時間を取らなければならない。


神よ、変えられることを変えるための勇気をお与えください。
変えられないことを受け入れるための冷静さをお与えください。
変えられることと、変えられないものを見分けるための知恵をお与えください。


若者よ、祈りを忘れるな。
あなたの祈りの度に、その祈りが真心から出たものなら、新しい感情がひらめくだろう。


仕事が捗(はかど)らないときはこう祈りなさい。
「この停滞は仕事の成就に必要なものです」


イヤイヤやることもできれば、感謝しながらすることもできるのが、単純作業です。仕事の種類、内容にかかわらず、祈りながら仕事ができる人は幸せです。


お祈りすることは思い出すこと


ある種の思考は祈りである。
身体のほうがどんな態度を示そうと、魂のほうはひざまづいている場合がある。


もっと軽い荷物にして欲しいと祈ってはならない。
もっと強い背中にして欲しいと祈りなさい。


一日一生。
最善を尽くして神に祈り、神に祈りて最善を尽くす。
悔いを残さないよう努力すれば、自ずから道は拓ける。


普通の人々はお祈りしない。ただ、お願いするだけだ。


祈ることを愛しなさい。
日中たびたび祈りの必要を感じるようにしなさい。


願いと定めとを内面的につなぐものは祈りだよ。
祈りは運命を呼び覚ますのだ。


憎むは人の業(ぎょう)にあらず、裁きは神の領域。


人間はその本質によってではなく、本質と思われるものによって評価される。


勤勉だけが取り柄なら蟻と変わるところがない。
なんのためにせっせと働くかが問題だ。


「負けたことがある」というのがいつか大きな財産になる。


人生を賭けるに値するのは、夢だけだと思いませんか?


天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者のことだ。


さあ、元気を出して。
最悪の事態はまだこれからやってくるんだから。


偶然にしか接触せぬ人々に気に入られるよりも、自分自身に気に入られることが必要である。


霧の中をさすらうことの不思議さよ!
生きるということは孤独であるということだ。


どんな人も他人を知らず、だれもかれも皆ひとりだ。


結果だけが強調されていて、練習でどのくらい成長したかなんて気にもとめられない。
どれだけ進歩しているのか、その過程は自分で楽しめ。
勝敗についてあれこれ思うのはやめるんだ。


法は警戒を怠らない者を助け、眠っている者を助けない。


平和にも勝利がある。戦いの勝利に劣らぬ名だたる勝利が。


人の心を暴き出すような格言に対して非難が集中するのは、自分の姿がそこに暴き出されるのが怖ろしいからなのだ。


お客様のわがままからヒットの花が咲く。


誰かが花を持ってくるのを待ってはならない。
あなたの庭に花を植え、あなたの魂を飾りなさい。


あらゆる未来の花は今日の種の中にある。


花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ。


全ての花は泥を通って成長しなければならない。


みんな、咲いた花を見るのは好きだけど、咲くまでの過程に興味がない。
花が咲くには強い根があってこそ。


どうか思い出して。
厳しい冬に雪の下で耐える種こそが、太陽の恵みを受け、春になれば薔薇になる。


愚痴はどんなに高尚な内容でも、また、いかなる理由であっても決して役には立たない。


逆向きに生きようとする人が多い。
ものや金をいくらでも欲しがり、それで自分のしたいことをして幸福になろうとする。それは順序があべこべなのだ。
まず真の自分になり、それから、するべきことをして、自分の望みのものを手に入れるのである。


塩の辛さ、砂糖の甘さは学問では理解できない。
だが、なめてみればすぐ分かる。


現状維持では、後退するばかりである。


仁義礼智忠信孝梯 胆勇
仁 (誰それと隔たりなくいつくしむ心)
義 (義理人情を尽くす心)
礼 (礼儀を重んじ感謝する心)
智 (善悪を見分ける心)
忠 (まごころで仕える心)
信 (信じる心)
孝 (先祖を大切にする心)
梯 (仲良くする心)
胆 (動じない心)
勇 (やり遂げんとする心)


人が虎を殺そうとする場合には、人はそれをスポーツだといい、
虎が人を殺そうとする場合には、人はそれを獰猛だという。
罪悪と正義の区別も、まあそんなものだ。


事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。


世論は、愚行・弱点・偏見・悪感情・正義感・頑固・新聞の宣伝から成り立っている。


夢は続いている限り現実である。そして、我々は夢の中で生きているのではないか。


私は私の意見を述べる。それがよい意見だからではなく、私自身の意見だからだ。


どんな関係においても大切なことは、何を受け取ったかではなく、
何を与えたかです。


未来は美しい夢を信じる人のためにあります。


自分自身を扱う際には、頭を用いなさい。
ただし、他人を扱う際には、心を用いなさい。


偉大な人たちはアイディアについて話し、
凡庸な人たちは出来事について話し、
狭量な人たちは人々について話します。


及ばざるは過ぎたるより勝れり。


おのれを責めて人をせむるな。


勝つことばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。


正義の尺度は声の多数ではない。


弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ。


間違いを犯しても、深刻なものであっても、やり直す機会は必ずある。
失敗とは転ぶことではなく、そのまま起きあがらないことなのです。


私が後悔することは、しなかったことであり、できなかったことではない。


人に勝つより、自分に勝て。


青春とは人生のある期間ではなく心の持ち方を言う。


勝つことは、人を止める。負けることは、人を進める。


学生時代に大事なのは、何を学んだかではなくて、どうやって学んだかということ。


パッとしない人間に二種類ある。
言われたことができないタイプと、言われたことしかできないタイプだ。


議論は知識のやりとり、口論は無知のやりとり


楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る。


あなたの内であれ外であれ、
あなたが見るものを変えることなど全く不要。
あなたが見るものを見る目だけを変えなさい。


変化とは?
もう一度訊きます。
変化とは?


観察者効果
科学における観察者効果とは、観察するという行為が観察される現象に与える変化を指す。


人は考えているものになり、感じているものを引き寄せ、想像するものを創造します。


偉大なことは、
偉大な人間がいなければ決して達成されない。
そして、
人間は偉大になろうと決意して初めて偉大になれるのだ。


幸福であろうと思えば、
「こうでさえあったらなあ」という言葉をやめて、
その代わり、
「今度こそは」という言葉に変えなさい。


心が変われば態度が変わる。
態度が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。


保守主義者とは、何事も最初になされる時は初めてなのだという事実に、
思い至らぬ人である。


人生はトランプゲームに似ている。
配られた手は決定論を意味し、どう切るかはあなたの自由意志である。


人生は列車のようなもの。時に遅く走ることは予測のうちだが、脱線だけは困る。


もし今日の自分が
明日の自分と同じであるならば、
今日の自分は昨日の自分の奴隷にすぎない。
人間の特質はそうではなくて、
日々新しく創造的にきのうの自分を乗り越える、
そこに人間の本質がある。


賢くなろうとして本や黒板に教えを乞うてはならない。
天と地と林と木の葉とは、本当に子供らを賢くするであろう。


陰口をきくのはたのしいものだ。
人の噂が出ると、話ははずむものである。
みんな知らず知らずに鬼になる。
よほど、批評はしたいものらしい。


金がないから何もできないという人間は、
金があってもなにも出来ない人間である。


人問は毅然として現実の運命に耐えていくべきだ。
そこに一切の真理がひそんでいる。


時間がないというのは嘘である。
時間は十分過ぎるほどある。


たくさん見せたくなるのは、
自分に自信がないときです。


この世の人たちは皆、あなたの先生です。
行なっていること全てが、あなたに何かを教えているのです。


自分自身でしか自分は救うことができません。
自分で道を歩くしかないのです。


自分が心から納得するものでない限り、人が言うことや読んだことを信じるものではありません。


他人の芸を見て、
あいつは下手だなと思ったら、
そいつは自分と同じくらい。
同じくらいだなと思ったら、
かなり上。
うまいなあと感じたら、
とてつもなく先へ行っている。


人生は卒業後に自分からどれだけ能動的に働きかけたかで決まる。


柔道の基本は受身
受身とはころぶ練習
まける練習
人の前でぶざまに恥をさらす稽古
受身が身につけば達人
まけることの尊さがわかるから


われらの最大の栄光は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きることにある。


愛する者と一緒に暮らすには一つの秘訣がいる。すなわち、相手を変えようとしないことだ。


相手の話に耳を傾ける。これが愛の第一の義務だ。


目がさめて愛する人がいるって幸福ね


他人の過ちを指摘する前に自分の欠点に気づくことです。


自分を愛せる人間が他人をも愛せる。


恋する者には、恋の相手がいつもひとりぽっちのように見える。


愛する相手に借りがある。いつもそう感じている人こそ、本当に愛しているのです。


多くは覚悟でなく、
愚鈍と慣れでこれに耐える。


孤独に歩め。
悪をなさず、求めるところは少なく、林の中の象のように。


理解なんてものは概ね願望に基づくものだ。


他人の自由を否定するものは、自ら自由を受けるに値しない。


人々が自由を叫ぶとき、彼等は放縦を意味するのだ。


全くの自由は必然的に頽廃を意味する。


自由を放棄することは、人間としての資格を放棄することである。
人間としての権利を放棄することである。
すべてを放棄する人にとっては、いかなる補償もありえない。


アダムは自由が欲しかったから食べたのではなかった。
禁じられていたからこそ食べたのだ。


個人の自由もつぎの点では制限されねばならない。
つまりかれは外の人達にたいして厄介なものになってはいけない。


山は動かざれども、海は常に動けり。
動かざるのは眠の如く、死の如し。しかも海は動けり。
常に動けり。これ不断の覚醒なり。不朽の自由なり。


立法者にしろ革命家にしろ、平等と自由とを同時に約束する者は、
空想家か、さもなくば山師だ。


自由な人は、すべての強制をにくむ。


真なるものは全体である。


もっとも深い真理は、ただもっとも深い愛のみにひらく。


自己を燈火とし、自己をよりどころとするがよい。
他のものをよりどころとしては成らない。
真理を燈火とし、真理をよりどころとするがよい。
他のものをよりどころとしてはならない。


一切の書かれたもののうち、
私はただその人がその血をもって書いたものだけを愛する。


純朴と純真な真実とは、いかなる時代においても時と場を得る。


真実のない生というのはあり得ない。
真実とはたぶん、生そのもののことだろう。


人生の意義は偽をにくみ、真を愛することを学ぶにある。


本当の真実というものはいつでも真実らしくないものだ。
真実をより真実らしく見せるためには、どうしてもそれに嘘を混ぜる必要がある。
だから人間はつねにそうしてきたものだ。


才能が一つ多い方が、才能が一つ少ないよりも危険である。


真理はたいまつである。しかも巨大なたいまつである。
だから私たちはみんな目を細めてそのそばを通りすぎようとするのだ。
やけどする事を恐れて。


真理に年齢はない。


互いに自由を妨げない範囲において、
我が自由を拡張すること、これが自由の法則である。


人間には、人生を失敗する権利がある。


月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。


ある人に合う靴も、別の人には窮屈である。
あらゆるケースに適用する人生の秘訣などない。


人が空想できる全ての出来事は起こりうる現実である。


敬遠は一度覚えるとクセになりそうで。


今日卵を一つ持つより、明日めんどりを一羽持つほうがよい。


単独者として生まれ、群棲者として生活すること。
その矛盾の幅が私達の生の最初の幅である。


正しかろうが間違っていようが、
自分らしく生きよ。
安易に服従してしまう臆病者よりずっと立派だ。


一足跳びに山の頂上にあがるのも、
一歩一歩としっかりと登ってゆくのも、結局は同じこと。
むしろ一歩ずつ登るほうが途中の草木や風物を見ることができるし、
一歩一歩を慥(たし)かめてきたという自信をつかむことができる。


ヤギだの羊だのを各自がどれくらい持っているかは言えても、
友だちをどれくらい持っているかは言えない。


幸せは去ったあとに光を放つ。


真理は瀕死の人の唇からもれる。


目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。


人生は人間が共同で利用するブドウ畑です。
一緒に栽培して、共に収穫するのです。


人の一生は曲がり角だらけだ。


自分の生活に何かを加えて、あるいは何かを減らして、
自分の生活を変えてくれる相手でない限り、その人を愛することはできない。


人生は、ケチな心配事ばかりしているのには短すぎる。


彼女たちが私たちを愛しているとき、
彼女たちが愛しているのは本当は私たちではない。
しかし、ある朝、彼女たちがもはや愛さなくなるのは、
確かに私たちである。


幸福であるという義務ほど、私達が低く評価している義務はない。


誠実に君の時間を利用せよ!
何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな。


千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。


財布が軽ければ心は重い。


一般に青年が主張する内容は正しくない。
しかし、青年がそれを主張するそのこと自体は正しい。


思いあがりは若者の特権だ。


愛は死よりも強く、死の恐怖より強い。


怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。
長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこんでいるものだ。


重く散って軽く掃かるる一葉かな


我々は、自ら幸、不幸をつくって、
これに運命なる名称をつける。


レモンを手に入れたらレモネードを作れ。
すっぱいからといって捨ててしまうな。


金がないから何もできないという人間は、
金があってもなにも出来ない人間である。


不幸な人間にとって、死とは無期懲役の減刑である。


自分こそ正しい、という考えが、
あらゆる進歩の過程で最も頑強な障害となる。
これほどばかげていて根拠のない考えはない。


過去は常に、今から見れば実際の過去より美しく思える。
過去が楽しいのは、過去が今ここにないからに過ぎない。


青春は、誉められ過ぎる季節である春に似ている。


我々の人生は我々の後にも前にも、側にもなく、我々の中にある。


自分自身の道を迷って歩いている子供や青年の方が、
他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う。


ここには夜と昼とがある。
太陽と月と星がある。
荒地を渡る風ごときものがある。
人生は大変甘美なものだよ。
兄弟達よ。死のうなどとは愚かなことだよ。


正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。


未来はすでに始まっている。


人は習慣を好む、
なぜならばそれを作ったのは自分だから。


お金は必要だが、重要ではない。


喜んで行ない、そして行ったことを喜べる人は幸福である。


彼は人なり、我らも人なり、我何ぞ彼を畏れんや。


何故死を恐れるのか? ── 人生で最も美しい冒険だから。


剣は折れた。だが私は折れた剣の端を握ってあくまで戦うつもりだ。


ゆうゆうと焦らずに歩むものにとって長すぎる道はない。
辛抱強く準備するものにとって遠すぎる利益はない。


「今が最悪の状態」と言える間は、
まだ最悪の状態ではない。


最初に自殺しようと考えた人間は、人生を永遠に侮辱してしまったのである。
人生は大いに気を悪くしている。


世界中の誰もが自分を称賛しても、
私は一人静かに満足して座っている。
世界中の誰もが私を見捨てても、
私は一人静かに座っている。


A弦が切れたら残りの三本の弦で演奏する。これが人生である。


いらぬ物を買えば、いるものを売るに至る。


人と人との友情は、
賢者でも結ぶのが難しいのに、
愚者はあっさりほどいてしまう。


幸福の最も大きな障害は、過大な幸福を期待する事である。


「時」をまねるがよい。「時」は一切のものをゆっくりと破壊する。
「時」はおもむろに浸蝕し、消耗させ、根こそぎにし、引き離す。
だが、ひったくることはない。


貧しくとも、君の生活を愛したまえ。


借金して明日起きるより、今夜食わずに寝よ。


人の運命を決定するのは、
その人が自分自身をいかに理解しているかということである。


それをやりにおれが生まれてきた。そのことだけを考えればよい。


金は人間にとって血であり、命である。


幸福になる秘訣は快楽を得ようとひたすらに努力することではなく、
努力そのもののうちに快楽を見出すことである。


王様であろうと百姓であろうと、
自分の家庭で平和を見出す者が一番幸福な人間である。


もし本当に死の精髄を見たければ、
生の実体に向けて心をいっぱいに開きなさい。
なぜなら、川と海が一体であるように、生と死は一体だからである。


誰かが覆さない限り、世の中のものは覆らない。


財産は来るもので、作るものではない。


幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、
自分がやるべきことを好きになることだ。


誰でも死ななくちゃいけない。
でも私はいつも自分は例外だと信じていた。
なのに、なんてこった。


あまり人生を重く見ず、捨て身になって何事も一心になすべし。


夢は、できる限り最大に実現するために、
その陰で努力を続けている限り誰も傷つけることはない。


近頃の若い者云々という中年以上の発言は、
おおむね青春に対する嫉妬の裏返しの表現である。


人生より難しき芸術はなし。
他の芸術学問には至るところに師あり。


財産も地位も、愛にくらべたら塵芥のようなものだ。


運命は我々の行為の半分を支配し、
他の半分を我々自身にゆだねる。


幸福な家庭の顔はお互い似かよっているが、
不幸な家庭の顔はどれもこれも違っている。


傷ついたのは、生きたからである。


この世は一冊の美しい書物である。
しかしそれを読めない人間にとっては何の役にも立たない。


真の友情は、前と後ろ、どちらから見ても同じもの。
前から見ればバラ、後ろから見ればトゲなどというものではない。


はたして人は、不徳なくして徳を、
憎しみなくして愛を、醜なくして美を考えることができるだろうか?
実に悪と悩みのおかげで地球は住むにたえ、人生は生きるに値するのである。


どこで死が我々を待っているか分からないのだから、
いたるところで待とうではないか。
死を予測するのは自由を予測することである。


幸福、それは君の行くてに立ちふさがる獅子である。
たいていの人はそれを見て引き返してしまう。


10歳にして菓子に動かされ、20歳にしては恋人に、30歳にして快楽に、
40歳にしては野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。
いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか。


この地上における二人の暴君、それは偶然と時間だ。


僕もこうして人間に生まれてきたんだから、
やはり何か生きがいが感じられるまで生きている義務がある。


人生は短い。
たとえ、それを長いと思って過ごしている人たちにとっても。


将来を思い煩うな。
現在為すべきことを為せ。


人生は将棋のようなものだ。
自分の手中にあるものはチャンスではなく、駒の進め方だ。


生まれた以上死なねばならぬ、
ということ以外確実なことはなし。


他人の後ろから行くものは、けっして前進しているのではない。


僕はどうやらこの世における一個の旅人に過ぎないようだ。
君たちとてそれ以上のものだろうか?


終わり良ければすべて良し。


金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。
しかし、勇気を失うことは全てを失う。


地上において、あなたの使命が終わったかどうかを知るテストをしてみよう。
もしもあなたがまだ生きているのであれば、それは終わっていない。


汝が生まれたとき汝は泣き、汝の周囲の人々は喜び、
汝がこの世を去るときには汝の周囲の人々が泣き、汝のみ微笑むようにすべし。


人生は物語のようなものだ。
重要なのはどんなに長いかということではなく、どんなに良いかということだ。


「時」の歩みは三重である。
未来はためらいつつ近づき、
現在は矢のように速く飛び去り、
過去は永久に静かに立っている。


今今と今という間に今ぞ無く 今という間に今ぞ過ぎ行く


人間は、
自分が他人より劣っているのは能力のためでなく、
運のせいだと思いたがるものだ。


諦めるな。一度諦めたらそれが習慣となる。


ぼくらは謙虚でなくちゃいけない。静かな生活の美しさを知るべきだよ。
「運命」の目にさえも気づかれないで、そっと人知れぬ一生を終えるべきなんだ。


なんだ、あれが僕たちの探している青い鳥なんだ。
僕達はずいぶん遠くまで探しに行ったけど、本当はいつもここにいたんだ。


時間は友情を強めるが、恋愛を弱める。


人はだれしも、
自分自身の生涯を一人で生き、
自分自身の死を一人で死ぬものです。


現実よりも記憶の中の女のほうが美しい。


金のある者は、金があるために不正をし、
金のない者は、金がないために不正なことをする。


われわれは現在だけを耐え忍べばよい。
過去にも未来にも苦しむ必要はない。
過去はもう存在しないし、
未来はまだ存在していないのだから。


なるほど、あの娘は美しい。しかし、美しいと思うのはお前の目なのだよ。


金持ちがどんなにその富を自慢しているとしても、
彼がその富をどんなふうに使うかが判るまで、彼をほめてはいけない。


ある人に魚を一匹与えれば、その人は一日食える。
魚の取り方を教えれば、その人は一生を通して食える。


私たち一人一人が航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、
理性は羅針盤、情熱は疾風。


私の人生は、一度もリハーサルのチャンスをもらえなかった公演のようなものです。


何もかも失われた時にも、未来だけはまだ残っている。


他人の厚顔無恥に腹が立つとき、ただちに自らに問うてみよ。
「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありえようか」
「ありえない」と答えるだろう。それならば、ありえぬことを求めるな。


人生とは孤独であることだ。


幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。


人生を越えた何かがあるとき、人生は美しくなる。


結婚生活で一番大切なものは忍耐である。


時を短くするものはなにか──活動。
時を絶えがたくするものはなにか──怠惰。


花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ。


時間が過ぎ去って行くのではない。
われわれが過ぎ去っていくのだ。


自分にとって大切なことは、
他人が自分のことをどう考えているかということではなく、
自分が彼らのことをどう考えているかということだ。


人間は心の底ではまったく死を嫌悪していない。
死ぬのを楽しみにさえしている。消えてゆくランプに苦しみはないのである。


友人の失敗には目をつぶれ、だが悪口には目をつぶるな。


恋は小鳥のように小枝に止まり、歌を聞かせて人をうっとりさせる。
そして、恋が、飛び立つ翼を持っていることを忘れさせる。


楽しく生きていきたいなら、
与えるための袋と、受け取るために袋を持って行け。


世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。


自分の考えたとおりに生きなければならない。
そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう。


意志もまた、一つの孤独である。


大多数の若者は、そのぶしつけと無作法を、
天真爛漫のつもりでいる。


人生における大きな喜びは、
君にはできないと世間がいうことをやることである。


人間は九ヶ月かけて生きる準備を整えるが、
人間を死に導くには一瞬の間しか必要としない。


涙とともにパンを食べたものでなければ人生の味はわからない。


理解し合うためにはお互い似ていなくてはならない。
しかし愛し合うためには少しばかり違っていなくてはならない。


絶望は死にいたる病。


結婚したまえ、君は後悔するだろう。
結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。


人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える。
そして人生の問題を殆ど発見する。
その後は、それに慣れて、だんだんにそれを忘れていく。


生は全ての人間を水平化するが、
死は傑出した人をあらわにする。


我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。
他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、
偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。


希望はいいものだよ。多分最高のものだ。いいものは決して滅びない。


強い人間は自分の運命を嘆かない。


借金は愚行と犯罪の多産な母親であり、知恵の不足はその父親である。


もし、人生に再版があるならば、私は改訂したい。


この世に存在する数々の問題は、
その問題が発生したときと同じ考え方では解決できない。


幸福は我が家の炉辺で成長する。
そして他人の庭先で摘み取るべきものではない。


古き良き時代。全ての時代は古くなると良くなるもの。


今日の一つは明日の二つに勝る。


死は人生の終末ではない。
生涯の完成である。


ある年齢以後になると友人を選ぶよりは、
友人に選ばれる場合の方が多い。


金は底のない海である。このなかに名誉も良心も心理もみんな投げ込まれる。


往く者は追わず、来る者は拒まず。


己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。
天下に一人もそれを理解してくれる人がなくたって、
己はそれに安んじなければならない。
それに安じて恬然としていなくてはならない。


人生は、私たちが人生とは何かを知る前にもう半分過ぎている。


大文字ばかりで印刷された書物は読みにくい。
日曜日ばかりの人生もそれと同じだ。


「貧困は恥ではない」というのは、すべての人間が口にしながら、
誰一人、心では納得していない諺である。


人間は毅然として現実の運命に耐えていくべきだ。
そこには一切の真理が潜んでいる。


自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した。
──こんな軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世の中で最も幸福な人である。


しばらく二人で黙っているといい。
その沈黙に耐えられる関係かどうか。


一年の希望は春が決める。
一日の希望は晩が、家族の希望は和合が、人生の希望は勤勉が決める。


最高のものを求める人は、つねにわが道を行く。
人間は最高のものを決して共存しない。
幸福になろうとする人はまず孤独であれ。


孤独は厚い外套である。
しかし、心はその下で凍えている。


時の言うことをよく聴け。時はもっとも賢明なる法律顧問なり。


初恋の魅力は、この恋がいつかは終わるということを知らないことだ。


人間の自由を奪うものは、悪法よりも暴君よりも、実に社会の習慣である。


何かいい物語があって、それを語る相手がいる。
それだけで人生は捨てたもんじゃない。


私達の一切の悩みは、
私達が孤独で存在し得ないということから生まれてくる。


死と同じように避けられないものがある。それは生きることだ。


18歳では即座に崇拝し、20歳では愛し、30歳では欲情し、40歳では反省する。


私たちの人生は、私たちが費やした努力だけの価値がある。


私は賢明に思慮をめぐらし、愚かに行動し、一生の日々を送った。


目を閉じよ。そしたらお前は見えるだろう。


夜の静けさのなかで、わたしは千の人々の喝采より、
愛する人からの一言、二言が欲しくなるわ。


与えられたるものを受けよ。
与えられたるものを活かせ。
PR
03 2026/04 05
S M T W T F S
8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
HN:
Fiora & nobody
忍者ブログ [PR]