「観察者なしに見ること」=わたしたちです。
これを(観察者あり)だと思い込んでいることに気づく、思い込みを見過ごさないことが解放への道です。
解放とは、「私」に束縛される必要性がないことを自覚してあるがまま自然を生きるということです。
あの世は霊格による階級社会だそうです。
それは単純な話、「筒抜け」だからです。
何かを想ったら、それが筒抜けです。ですから悪意を持つ人?と一緒にいることはできません。
似た者同士が引き合うようになります。
どのくらい筒抜けなのかを思い出したら笑います。
言葉によるコミュニケーションの常識が吹っ飛んでしまいます。
この世ではそれを完璧に忘れていますから、いい大人は、もう一つ別の世界があること、あの世が現実であるという壮大な詐欺に最初から引っかかっていることに気づきません。
霊格というのはこの世では「本音が明るいか、暗いか」という話です。
表面は取り繕えます。
でも他人との間にできる表面などではなく、自分の本音にこそ向き合う意味があります。
死後、その本音が本体であることを思い知らされるからです。
キライなアイツの口に手を突っ込んで、奥歯がたがた…。
という「本音」に向き合うことこそ、この世で成し遂げなければならないことです。
人が人を傷つけるのは、無知と怖れがあるからです。
いま(自分の)無知を見ようとしている?
いま(自分の)怖れを見ようとしている?
これらがこの世でできる特権と言えます。
人は優しいです。
そう見えないのは、怖れを兄弟姉妹に向かって投影しているからです。
内側の怖れを自分のこととして見ようとせずに、
外側の赤の他人に投げつけることで、
この世は怖く、生きにくいところになります。
今日をありがとうございました。
HN:
Fiora & nobody