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篠田桃紅 人よ 2005年
日の丸を思い出す色や形を見ると、「日本人として生まれたからには日が昇るまでに何とかしなさい」と言われている気になる。何を何とかするのか。日が昇るとは何なのか。それが「神との関係」を納得できるまで強化することであり、日が昇るとはこの夢の世界が終わり神という「現実」がやって来ると無意識で感じているのかもしれない。


真善美の真、正直、ということがまず第一だと思う。まっすぐというのか、捻じらないということ。なぜならばそれがどんな事象でも「発生」が無意味だったことなどないからだ。そしてその発生を隠す場合は「自己利益」のために隠すことがほとんどだと思う。たとえばゴミ処理施設で現金の束を「発見」した。それを発見したことはもう事実であり、それを隠すのは何らかの動機がある。その動機が社会のためとか、家族のためとか高尚なことを言う人は怪しい。隠す場合のほとんどはあなたが個人的にネコババしようとしているからだろう? と小学生でもわかる。間違えるにしても正すにしても正直じゃないと、視線が捻じれている隠し事には対処しにくくなる。できるけどやりにくい。ただ正直なのと、発生した感情をただ人のせいにするのとはまったく違う。それは何か高速シフトチェンジのように「この感情=あなたのせい」と何か想念に支配させた、視線を投影したことを意味すると思う。


あなたは神秘に開いているのか? と今日問われている気がする。昨日までの財産で安心して勝ちたい、確実に勝ちたいと言っている誰かに手綱を握らせれば、神秘の声が聴こえない。


たとえば落語の門下生が昨日までにウケた話し方のコツや秘訣を後生大事に今日に臨むとする。本人にとっては磨いた武器だからそれでいいような気もするが、この世界の構造が人格とは別に奥底の神秘を抱えているとすると違うのだ。今日、神が、この落語家に何を望まれているかが第一になる。第二ではない。落語家の気持ちは関係ない。目の前のお客様の中に大きな悩みを抱えている人がいるかもしれない。なんとか励ましたいと神が願っていても道具がない。その道具たりうるかの勝負が職人の勝負だと思う。その道具として今日を磨いているのに、本人の願望など関係ない。本人は奥底を忘れているので、全体の決定権などないのだ。力もなければ権利もない。慈悲もなければ熟考もない。権利をもつのは、それだけ愛し、それだけ考えてくれている者だけなのだ。






未華子っていい名前だなあと何度も思う。漢字を分析していい意味じゃないと言っている人たちと直覚的なその価値は全然違う。これをつけた親はすごいなと思ってたけど名づけたの神社なんだね。


棋士の羽生さんが言ってたけど、ここぞという勝負の途中で「安心して勝ちたい」と定石に頼ったりし始めた途端にそれが負けにつながっていくことがある。安心して勝ちたい、確実に勝ちたいと言っている「誰か」は弱いということなんだ。その「誰か」に主導権を握らせたら小池都知事みたいなことになる。10回戦って9回勝っていても、最後の1回で大負けする。つまり自分が「誰」なのかはほんとうに重要ということ。


ワンマン経営者とか、画一的な指揮をする指揮者は二流だと思う。いい指揮というのは必ず最終的には個性の爆発に任せることまでを視野に入れている。つまり指揮者が演奏者を「上書き」することはあってはならない。演奏の爆発を指揮の爆発が誘発する、誘爆状態だと思う。


武田信玄が「連戦」をする自軍について勝利はギリギリで勝つほうが次の戦いのためにはいいと考えていた、戒めていたことを時々思い出す。つまり理想は51対49での勝ちであり、これに近ければ近いほどいい。もし70対30で余裕をもって勝つと兵が慢心する。90対10なら次の戦は使い物にならない。兵団の運用にこれを考えていた日本人がいたことを知ったとき戦慄した。そんなやつは絶対に敵に回したくないと思った。風景画家のミメーシスのように人間心理を描写している気がした。生死をかけた戦の指揮において直観的なバランス感覚から掴んだことが彼らにはあったのだと思う。

誰の視点で他人を視ているのか?
他人を視て、この人はこういう人、弱みは、限界は、と視ているときに自分に問いかけることは、これは誰の視点なのか? 楽をしたい、ときもそう。いったい誰が楽をしたい、と視ているのか。



なんで仏頂面をしているのか?
平たく分析すると、いまその人は神を感じていないということに尽きる。顔は仏頂面をしていても神を感じている人は気が華やいでいる。顔も心も仏頂面なのは、感じていない、見失っているのだ。では感じていないときどうすればいいのか? まず不自然な上書きをやめることだ。私は人間だ、私は肉体だ、私は神と一緒にいない、私は神に見捨てられた、私は神に唯一例外的に冷遇されている、私は一人で対処しなければならない、などなどをやめる。今この瞬間、私が一人だと決めているのは私本人一人だけなのだ。



誰が怒ったのか?
自分の「存在」の中で誰が、どの部分が怒ったのか検討してみると、深層が怒ったということはまず滅多にない。子供っぽい怒りであればあるほど表層が怒っている。そしてそれは「誰」だ? 誰として、誰のつもりで人生を送っている? という話になる。この誰のつもりで、の部分を突き詰めると「被害者になりうる主体、または不運にも損をしてしまった主体」という概念で瞬間的に物事を見ているということがわかる。怒りというのは、この視線(概念の投影)が先にある。そしてそれは根本の問題につながる。つまり私は、私を誰だと思っていて、その私というのは「神との関係」に直訳するとどういう距離感、どういう「私 - 神」構造を推測しているのか、ということだ。ほんの一瞬とはいえ、「神がいない」と感じたことに恐怖したのだ。

頭でわかった、一通り理解したという人の事故率は15%ぐらいだと体感的に思っている。これが骨身に染みるという何らかの壮絶な失敗体験をした人は0~1%に下がる。1%に上昇する過程も日々の戒めにより勝手に0%に下がり続ける。この事故率0~1%の部分だけが何かをやるという場合に頼りにできる実力だと思う。

交渉
日本以外の国が北朝鮮と、またその周辺で交渉を本格化させています。ですが金正恩をどんな小さな点でも信じてはなりません。交渉は早晩決裂します。Fiora
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