(悪魔の)王があの男に憑依しました。Fiora20200224


たて糸とよこ糸があって、交互に織り込まれていきます。
よこ糸は人間のもつ自我の意図です。
誰でも知っているし、みんなそれぞれ願望があって、よこ糸の世界は広大です。
でもたて糸に気づいている人はあんまりいないように思います。
たて糸は神の意図と合致する糸です。
ですのでそもそも「神の意図」とは何のこと? とよくよく自分で考えなければなりません。
文献に載っている説では考えたことになりません。
勝手な推測で「たて糸の意図はこんな感じだろう」とやると大間違いになります。
それは単なるよこ糸の延長だからです。
よこ糸を一度脇に置いて、たて糸の音に耳をすませます。
たて糸にも「色」があり、よこ糸があまりに粗いと綺麗なたて糸の色は織り込まれません。
たて糸の「色」とよこ糸の「色」を丁寧に丁寧に調和させていくと、後で悔いることの少ない自慢の部分が織り上がっていきます。
たてとよこの連携は縁(円)です。
私の手は猫の手のように小さいかもしれないけど、そんな小さな私の手でも何かの役には立てるかもしれないと想い、目につく誰かや何かの補佐や支えに回るとき、円が回り始めます。
あってはならない部分はありません。
そしてこの縁(円)の中心は信じるに足るかどうかを、自分で考えなければなりません。
こんな縁なんて滅茶苦茶だよ、円じゃなくて部分部分欠損してるよ!
という感情を抱いている人もたくさんいます。
どの意見が正しいかもわかりません。
それでもひとつ確実なのは、嫌がっても、拒絶しても、たて糸とよこ糸は今日も織られるということです。
フィオラは(ブーメランの)受け手としての自分、投げ手としての自分の「質の循環」に目を向けないまま、何かを望むのは態度として矛盾していると言っていました。
n240038
03 2024/04 05
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Fiora & nobody