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今この瞬間にあるものが何であれ、
「それを無条件に体験することができるようになるまで」
”神意識”を実感することはできません。


自分の心の傷を取り除こうとして、幾世にもわたってまわりの人間にそれを投影したり、それを感じることを拒否したりしてきた部分が、誰のなかにもあります。さらに、本当はひどくみじめに感じているくせに、<万事好調>だと思い込もうとして、危なっかしく生きている人もいます。彼らは、「あらゆることが”大いなる光と愛”であるのならば、なぜ自分はまだ苦しんでいるのだろうか」という、この一見矛盾した現象の存在を認めることを拒否しているわけです。


このように感じる人は、神の存在と苦痛の存在をどう両立させればいいのか、という難問に直面しています。神がいるということは、人生の苦痛や悩みがないことだ、と今まで教えられてきました。そこで、苦痛があるということは神が存在しないことだ、ということになります。
ところが、真実はまったくそうではないのです。この矛盾を解くには、苦しみや悲しみの気持ちを充分味わいつくして、そのあとで、「これを感じているのは誰なのか」と自問することです。最初はエゴが顔を出して、頭で考えた答えを出すようにし向けるでしょう。意識のあらゆる力を使って、「誰なのか」という問いに戻る努力をしてください。それが真の理解へ通じる道です。



神のすべてのレベルを体験し、それらについてじっくり考えてみることによって、すべての生命についての叡智と理解を得ることができるのだが、「神なる人間」にまだなったことのない者たちは、神のすべてのレベルをまだ体験していない。この天界の壮麗さの一部となるために、この天界に旅した者たち、つまりこの天界を進化させ、山々を動かし、色を創造し、荘厳なるモニュメントを創造した者たちだけが、愛や喜びや創造の複雑さを理解できるのだ。これらの旅人たちだけが(あなたもこの旅人であるわけだが)、永遠というものの理解、そして永遠を追い求める願望を手に入れたのである。なぜなら、すべての生命のために永遠というものを創造したのは、彼らだからだ。というのも、物質の天界がある限り、生命が無限の創造性へと絶え間なく続いていくことができるからだ。したがって、男であること、女であること、人間であることは、まさにひとつの特権である。それは名誉なことなのだ。それはまさに神聖なる生なのである。


あなた方が「天使」と呼んできた言葉がある。あなた方の中にも、このような神聖な存在になることを望む者がたくさんいる。だが、天使でいることには大きな制限がともなう。なぜなら、彼らはまだ人間として生きていないため、バランスのとれた判断力を持っていないからだ。彼らは単なるエネルギーであり、最終的には「神なる人間」になっていく神々である。また、彼らには人間に対する同情心、あるいは思いやりといったものがない。実際にあなたになる前に、見えない世界にいる者にどうやってあなたのことが完全に理解できるのであろうか?人間は天使よりもずっと進化しているのである。なぜなら、天使たちには、人間と呼ばれる制限された形態の中に生きる神についての理解がないからだ。それゆえに、人間と、人間の喜びや悲しみについての彼らの理解は、限られているのである。


私はあなた方に言うが、人間の一員となることは聖なる体験である。というのも、人間になるとき、あなたは神のすべてを体験しているからだ。人間になってはじめて、あなたは天の王国の全領域を旅したことになるのである。


それゆえ、人間になることによって、あなたは自分を堕落させたわけではない。あなたはこのことを理解しなければならない。というのも、人間になったことがなければ、あなたはけっして、天の王国に完全に入るということができないからだ。人生というものに降下したことがないのに、いったいどうやって天国にアセンドすることができるというのか?


人間になることは価値のあることなのだ。それはなるに値するものである。全能の神と呼ばれる、自分の内に宿るこの炎を理解するために、人間になるのは賢明なことである。すべての生命はこの炎でできている。そして、物質でできた至高の知性、すなわち人間と呼ばれるものを通してこの炎を体験すれば、神とは何なのかについて、完全な視野を与えてくれるのだ。そして、あなたが神であるものをすべて完全に理解したとき、あなたは「父」そのものになるのである。


さて、あなた方がこの天界にいるのは、いま宿っている化身の密度を通して神の探求を続けるためだ。あなた方のこの創造的進化を支えているのは、生命と呼ばれるものであり、それはひとつの原子をそのあるべき形に保ち、地球を宇宙空間の中に保持しているのと同じ生命力である。この生命力には、ひとつの普遍的な法則がある。それは、つねに進化し続け、つねに拡大し続け、つねに何かになり続けるということだ。それゆえ、あなたが生きる目的はつねに、生きることを体験してそこから学び、学んだものを統合しながら発展させ、それを生命と呼ばれる根本原理の中に還元していくことなのである。



質問者 もう何年も何年もあなたの教えは同じままです。あなたの語ることに進展は見られないようです。


マハラジ  病院では患者が治療され、回復していく。治療とは変化のほとんどない決まりきった仕事だ。だが、健康については何も単調ということはない。私の教えは決まりきったものかもしれない。しかし、その結果は人によって新たなものだ。


質問者 真我の実現とは何でしょうか?誰が実現した人なのでしょうか?ジニャーニ(賢者)は何によって認識できるのでしょうか?


マハラジ  ジニャーナ(真理の知識)特有の証拠というものはない。無知だけが認識できる。ジニャーナは認識できない。ジニャーニは自分が何か特別な存在だとは主張しない。自分自身の偉大さ、特別さを宣言する者はジニャーニではない。彼らは実現に向けての何か特別な発達を実現と考え違いをしたのだ。ジニャーニには、自分がジニャーニだと宣言しようとする意図はない。彼は彼自身を完全に普通と考え、彼の真の本性に忠実なのだ。自分自身を万能の、全知全能の神として宣言することは、明白なる無知のしるしだ。


質問者 ジニャーニは彼の体験を無知な人に伝えることができますか?ジニャーナはひとりの人から別の人に伝達できるのでしょうか?


マハラジ  それはできる。ジニャーニの言葉は、マインドのなかの無知と暗闇を追い払う力を持っている。言葉ではなく、その背後にある力が重要なのだ。


質問者 その力とは何でしょうか?


マハラジ  真我実現の直接的体験をもとにした確信の力だ。


質問者 ある真我を実現した人が、知識は勝ち取るものであり、受け取るものではないと言いました。ほかの人が教えることはできるが、学ぶことは自分自身によるものだと言っています。


マハラジ  それは同じことだ。


質問者 ヨーガを何年も何年も修練し、何の結果も得られない人たちは大勢います。何が彼らの失敗だったのでしょうか?


マハラジ  何人かは意識を停止させた恍惚状態に耽溺したためだ。完全な意識なしにどんな進展がありうるだろうか?


質問者 多くの人がサマーディ(三昧(ざんまい)状態)の修練を積んでいます。サマーディでは、意識は強烈なはずです。しかしながら彼らは何の結果も得ていません。


マハラジ  何の結果を期待するというのだろう?そしてなぜジニャーナが何かの結果であるべきなのだろうか?ひとつのことが別のことへと導いていく。しかしジニャーナは原因と結果に縛られるようなものではない。それは因果律を完全に超えたものなのだ。それは真我のなかにとどまることだ。ヨーギは多くの不思議にであうだろう。だが真我に関して彼は無知なままだ。ジニャーニが見、感じることは普通のことかもしれない。だが、彼は真我を知っているのだ。


質問者 数多くの人びとが真我の実現のために真剣に努力をしています。しかし結果は乏しいものです。何がその原因なのでしょうか?


マハラジ  彼らは知識の源を充分調べなかったのだ。感覚、感情、思考を彼らは充分知らないのだ。これが遅れのひとつの原因かもしれない。ほかには、ある欲望がいまだに生き残っているかもしれないことだ。


質問者 サーダナにおける浮き沈みは避けられないものです。誠実な探求者は、それでもこつこつと取り組みます。ジニャーニはこのような探求者のために何ができるでしょうか?


マハラジ  もし探求者が誠実ならば、光は与えられるだろう。光はすべてにとって、つねにそこにある。だが、探求者がまれなのだ。探求者のなかでも用意のできた者はたいへんまれだ。成熟したハートとマインドが不可欠なのだ。


質問者 あなた自身の真我実現は、努力を通して得たのでしょうか?それとも、グルの恩寵によってでしょうか?


マハラジ  教えが彼の恩寵で、信頼が私の努力だった。彼への信頼が、私に彼の言葉を真実として受け入れさせ、その中に深く入っていき、それを生きるようにさせたのだ。そしてこれが、私が私で在るということを実現させたのだ。グルの人格と言葉が、私に彼を信頼させ、そして私の信頼が実を結ばせたのだ。


質問者 しかし、グルは言葉なしで、信頼もなく、ただこのように何の準備もなく真我の実現を与えることができるのでしょうか?


マハラジ  できる。だが、どこに受け取る人がいるだろうか?私は本当にグルと心をひとつにしていた。まったく完全に彼を信頼し、彼への抵抗は無に等しかったため、すべてはやさしくすばやく起こったのだ。しかし、誰もがそのように幸運なわけではない。怠惰と落ち着きのなさはしばしば道を阻み、それらが取り除かれるまで進展は遅くなる。ただグルが触れ、見、思うだけで、その場で真我を実現した人たちは、すでに成熟していたのだ。しかし、そのような人は本当にまれだ。大多数は成熟するまでに、いくらかの時が必要だ。サーダナは成熟を加速するものだ。


質問者 何が人を成熟させるのでしょうか?何が成熟の要因でしょうか?


マハラジ  もちろん、真剣さだ。人は本当に熱望しなければならない。つまるところ、真我を実現した人はもっとも真剣な人だ。何であれ彼がすることは、限界も制限もなく完全だ。真剣さがあなたを実在へと連れていくのだ。


質問者 あなたは世界を愛していますか?


マハラジ  傷つけられたとき、あなたは泣く。どうしてだろう?なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。あなたの愛を身体に閉じこめてはならない。開いておきなさい。そうすれば、それはすべてへの愛となる。すべての偽りの自己同一化が捨て去られたとき、すべてを包容する愛が残る。あなたに関する考えをすべてぬぐい去りなさい。あなたが神だという考えさえも捨て去りなさい。いかなる自己定義も正当ではない。


質問者 私は約束に疲れました。私はサーダナに疲れてしまいました。それは私の時間とエネルギーを使い果たし、何の見返りもありません。私は実在が今ここで欲しいのです。それはできますか?


マハラジ  もちろん、できる。あなたが本当に、あなたのサーダナも含めたすべてに愛想をつかしたと言うのならば。あなたが世界から何も要求せず、神からも何も求めず、何も探さず、何も期待しないとき、至高の状態は招かずして、不意にあなたのもとへやってくるだろう。


質問者 もし家族生活と世間の関心事に没頭している人が、聖典に記述されたとおりに厳しくサーダナをしたならば、彼は結果を得るでしょうか?


マハラジ  結果は得るだろうが、彼はそれらのなかに、さなぎのように包みこまれてしまうだろう。


質問者 数え切れないほどの聖者たちが、あなたは成熟し用意ができたときに真我を実現するだろうと言ってきました。彼らの言葉は真実かもしれません。しかし、それらは役に立ちません。時間を必要とする成熟に依存せず、努力が必要なサーダナにも依存しない道がかならずあるはずです。


マハラジ  それを道と呼んではならない。それはある種の技なのだ。それでさえもない。開いていて、静かで在りなさい。あなたの探しているものは本当にあなたの近くにある。だから、道と呼ぶにはふさわしくないのだ。


質問者 世界には数え切れないほど無知な人々がいるのに、ジニャーニはほんのひとにぎりです。何が原因なのでしょうか?


マハラジ  他者にかまうよりも、自分自身の面倒を見なさい。あなたはあなたが存在することを知っている。あなた自身の上に名前という重荷を負わせてはならない。ただ在りなさい。いかなるものでも名前や形を自分自身に与えることで、あなたの真の本性は隠されてしまうのだ。


質問者 なぜ真我の実現の前に探求は終わらなければならないのでしょうか?


マハラジ  真実への欲望は最高の欲望だ。だが、それはいまだに欲望であることに変わりはない。真実が在るためには、すべての欲望が放棄されなければならないのだ。あなたは在る、ということを覚えていなさい。これがあなたの仕事の資本だ。その資本を回転させなさい。そうすれば多大な利益を生むだろう。


質問者 そもそも、なぜ探求があるのでしょうか?


マハラジ  人生とは探求なのだ。探求するほかないのだ。すべての探求が終焉したとき、それが至高の状態だ。


質問者 至高の状態はなぜ来ては去っていくのでしょうか?


マハラジ  それは去来するものではない。それは在る。


質問者 あなたは自分の体験から話しているのでしょうか?


マハラジ  もちろんだ。それは時間を超えた常在の状態なのだ。


質問者 私にとってそれは去来し、あなたにとってはそうではありません。この違いはなぜでしょうか?


マハラジ  おそらく、私に欲望がないからだろう。あるいは、あなたが至高なる者を充分強く求めてはいないからだ。あなたのマインドが実在に気づかないとき、あなたは死にもの狂いでなければならないのだ。


質問者 全人生において、私は努力してきました。そして何も達成しなかったのです。私は読み、話を聞いてきましたが、すべては無駄でした。


マハラジ  読むことと聞くことがあなたにとって習慣になってしまったのだ。


質問者 それらもまた放棄しました。近頃は読むことさえもしません。


マハラジ  放棄したものはもはや重要ではない。あなたが放棄していないものは何だろうか?それを見つけ、放棄しなさい。サーダナとは放棄するものを探すことだ。あなた自身を完全に空っぽにしなさい。


質問者 どうして愚か者に智慧を望むことができるでしょうか?人が強く望むためには、欲望の対象を知る必要があります。至高なるものが知られていないのに、どうやって求めることができるでしょうか?


マハラジ  人は自然に成熟していくものだ。そして真我の実現にふさわしくなるのだ。


質問者 しかし、成熟の要因は何でしょうか?


マハラジ  自己想起、「私は在る」という気づきがあなたを強力に迅速に成熟させる。あなた自身に関するすべての観念を捨て去りなさい。そして、ただ在るのだ。


質問者 私はすべての道や方法や技や計略に疲れました。それらはすべて精神的なアクロバットです。実在を直接、即時に知覚する術はないのでしょうか?


マハラジ  あなたのマインドを使うことをやめ、何が起こるか見てみなさい。これだけを徹底してやりなさい。それだけだ。


質問者 私が若かったとき、短いけれども忘れがたい奇妙な体験をしました。それは無としての存在、ただの無でありながら、しかも完全に意識して在るというものです。しかし危険なのは、すでに過ぎ去った瞬間の記憶からそれを再生しようとする欲望をもつことです。


マハラジ  それはすべて想像だ。意識の光のなかで、ありとあらゆることが起こる。人はそのどれにも特別な重要性を与える必要はない。花の眺めは神のヴィジョンを見ることと同じように奇跡的なものだ。それはそれとして放っておきなさい。なぜ思い出し、その記憶を問題にしなければならないのか?それを片寄りなく見ることだ。高い低い、内側と外側、永遠と一過性を区別してはならない。彼方へと超えていきなさい。源に戻りなさい。何が起ころうと変わらない自己へと向かいなさい。あなたの弱点は、あなたが世界のなかに生まれたと確信していることだ。実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、つねに再創造されているのだ。すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとして見なさい。その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。


質問者 もし私がその光ならば、なぜ私はそれを知らないのでしょうか?


マハラジ  知るためには知る能力のあるマインド、知るマインドが必要だ。しかしあなたのマインドはつねに走りまわり、けっして静止せず、完全に反映しない。目の病で視界が曇っているとき、どうして月の壮麗な姿を見ることができるだろう?


質問者 太陽が影をつくり出す原因であるかぎり、影のなかに太陽を見ることはできない、と言えるでしょうか?私は振り返らなければならないのです。


マハラジ  またしても、あなたは太陽、身体、影という三位の概念をもち出した。実在のなかにそのような区別はないのだ。私の話していることは、二元性や三位とは何の関わりもないことだ。知的な理解や言語表現をしてはならない。ただ見なさい。そして在りなさい。


質問者 在るために、見なければならないのでしょうか?


マハラジ  あるがままのあなたを見なさい。他者に聞いてはならない。あなた自身に関して他者に言わせてはならない。内面を見なさい。すべての師たちが言えることはこれだけだ。ひとりの師からほかへと渡り歩く必要はない。すべての井戸のなかに同じ水があるのだ。一番近い井戸から水を引くがいい。私の場合、水は私のなかにあり、私が水なのだ。


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