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あなたは普段意識をとぎすましていないので、ひとつの<わたし>と次の<わたし>とのあいだにある空間を見過ごしています。連続した個としてのアイデンティティが存在しない、大きく拡がる無の空間である隙間の瞬間に気がつきません。ということは、あなたは<過去>の瞬間に創造されたもののイメージの片鱗を現在の瞬間に持ち込んでいるということになりませんか。


過去は罪悪感を含み、未来は不安を呼び、あなたはその両極にはさまれて動けないでいるということを忘れないでください。そこから抜け出す方法は、過去か未来のどちらかに移動することでもなければ、思考が過去か未来のどちらかに習慣的に流れるのに対して抵抗することでもありません。解決法は、手短に言うと、やはり現在の瞬間に意識を置くことです。そうすると、いまこの瞬間に実際に起きていることが姿を現します。その方法を学ぶ必要はありません。意志さえあれば充分です。具体的に言うと、呼吸や聞くことや見ることに意識を向けるのです。


どこかに行く必要もなければ、何かをする必要もありません。ただ、いまこの瞬間起きていることの中で目覚めていればいいのです。


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人間のオーラに関して私が知ったもっとも画期的な研究は、UCLAのバロリー・ハント博士のグループが行った。ロルフィングによる肉体および精神への影響の研究(構造的神経筋的エネルギーフィールドおよび感情的アプローチの研究)で、彼女は一連のロルフィング実験の間に肉体からの低ミリボルテージ信号の周波を記録した。この記録には、皮膚に取り付けた銀/銀塩化物製の基本電極を用いた。この電子信号の記録と並行して、カリフォルニア・グレンデールのヒーリング・ライト・センターのロザリン・ブライヤーがロルフィングを行う者とロルフィングを受ける者の両者のオーラを観察した。ロザリンのコメントは、電子データと同じテープレコーダーに記録された。彼女は、実験に関わるチャクラおよびオーラの色・サイズ・エネルギー運動を逐次レポートした。
その後、科学者が、記録された波動パターンをフーリエ解析法とソノグラム周波分析法で数学的に分析した。どちらの分析法でも驚くべき結果が明らかになった。一貫した波動形と周波がロザリンのレポートした色と一致していたのだ。ロザリンがオーラ内のある特定の場所に青色を観測すると、電子測定は同じ場所に青い波動形と周波を示したのである。ハント博士はさらに七人のオーラ観察者と同じ実験を繰り返した。そして、彼らも同じ周波/波動パターンと相関するオーラの色を観測した。研究を進めた1988年2月の結果は、次のような色、周波相関関係を示している。(Hz=ヘルツまたはサイクル/秒)



250-275Hz  プラス1200Hz

250-475Hz

500-700Hz
オレンジ
950-1050Hz

1000-1200Hz
青紫
1000-2000Hz  プラス300-400Hz
600-800Hz

1100-2000Hz


これらの周波数は、青と青紫の追加周波を除くと虹の色の逆の順序になる。測定された周波は、測定されたエネルギーと同様に機械のサインでもある。
ハント博士は、「超感覚知覚能力者がオーラの放射を見、描写してきた何世紀もの間、彼らの主観的な色放出の観察を証明する、これが最初の客観的な周波・振幅・時間の電子的証拠である」と語っている。
ここで発見された色周波が光または色素周波に相当しないという事実は、実験結果を否定することにはならない。私たちが色として見ているものは、肉体の目がとらえた周波であり、色を識別するために便宜上与えられた言葉だと気づけば、目と脳のプロセスセンターが色を高周波だけで判断すると示すものは何もなくなる。色の体験の最終的な判断基準は視覚的解釈である。だが、より精密な機械や進歩した記録データ処理技術を持っていれば、現在の1500ヘルツまでのこれらのデータがさらに高い周波まで捉えられるかもしれないのだ。
ハント博士は、次のように語っている。「超自然学の文献の中には、色のあるチャクラがたびたび登場する。例をあげるとクンダリニーチャクラは赤、下腹部はオレンジ、脾臓は黄色、心臓は緑、喉は青、第三の目は青紫、頭頂部は白などである。特定のチャクラの活動は、他のチャクラを活発化させるらしい。心臓のチャクラがもっとも活発である。被験者はロルフィングを施されたさまざまな体の部位に関係のある、感情、イメージ、過去の記憶などをいくつも体験した。その実験結果は、過去の記憶は肉体組織に保存されるという考え方に信頼性を与えたのである」
例えば、誰かが足をロルフィングされると、幼児期のおまるを使った体験を鮮明に思い出すことがある。その人は、体験を単に思い出すだけでなく、感情的にその体験に直面する。排泄を司る括約筋を脳がまだコントロールできないでいる時期に、子どものおまるトレーニングをしようとする親が多い。その子どもはまだ生理的に括約筋をコントロールできないために、腿の筋肉を圧縮することで補おうとする。これは肉体に多大なストレスと圧力をかける。多くの場合、この圧力ストレスは生涯を通して、あるいはロルフィングや生物エネルギー学的な深い整体が行われるまで、習慣的に保持される。それが、ロルフィングで筋肉の緊張や圧力が解きほぐされると、記憶も解放されるのである。記憶-緊張を保持している身近な例は、肩こりである。これは、恐怖や心配を抱えていることから肩に起こる。自分は何をやり遂げられないと恐れているのか。また、もしそれが成功しなかったらどうなると考えているのか?と自問自答してみるといいだろう。


結論


私たちがヒューマンエネルギーフィールドを肉体のすべてのフィールドまたは放射物と定義するなら、多くのヒューマンエネルギーフィールドの成分が実験室で測定されたことになる。それは、ヒューマンエネルギーフィールドの静電気、磁気、電磁気、音波、熱性と目に見える成分である。すべての測定は、一般的な肉体の生理学的プロセスと一致している。さらにその先を行く精神身体機能の媒体を供給している。
ハント博士の測定は、オーラの限定された色に対する限定された周波を示している。その周波は、使用された実験装置の限界のために記録されなかっただけで、より高い周波を持っているかもしれない。
上記にあげた測定は、ヒューマンエネルギーフィールドが自然界では粒子であり、気流や水流のような流体運動をしていることを表している。粒子は非常に小さく、何人かの研究者によれば原子よりも小さいという。電荷された微小な粒子が大群で移動すると、物理学者は通常それをプラズマと呼ぶ。プラズマは、物理学者にエネルギーと物体の中間状態であると考えさせるようになった物理的法則に従う。実験室で測定されたヒューマンエネルギーフィールドの特性の多くが、ある科学者たちが「バイオプラズマ」と呼ぶ、物体の第五の状態を示唆している。
これらの研究は、システム(消化器官のような)からなる肉体の通常モデルで説明するのは不充分であることを示している。生命体としてのエネルギーフィールドの概念に基づいた追加モデルが開発される必要がある。複雑な電磁界(EMF)のモデルも完全には目的を果たせない。予知や過去の生命を知る能力のようなヒューマンエネルギーフィールドに関わる多くの心霊現象は、電磁界のモデルでは説明できないのだ。
バロリー・ハント博士によると、肉体は「すべての組織とシステムに行き渡っている、肉体の原子細胞質の特性から生まれるエネルギーの量子概念から観察できる」と言う。彼女は、ヒューマンエネルギーフィールドのホログラフィック的見地がよい方法の一つかもしれないと提案する。「物理学と脳の研究で浮上しつつあるホログラムの概念は、別の段階で得たすべての生物学的発見を解釈し直すための真に統一された現実の宇宙観を供給しているように思える」
また、マリリン・ファーガソンが『ブレイン・マインド・バルタン』の中で、「ホリスティックモデルは、「イマージング・パラダイム」として、科学と精神のすばらしい未知の世界を理解するために不可欠の理論であると考えられてきた。そしてついにオープンシステムで、生物学と物理学を結合させる理論が登場したのである」と語っている。
(「光の手」上 バーバラ・アン・ブレナン 河出書房新社 5章 ヒューマンエネルギーフィールドに関する科学的発見の歴史を探る p77-p81)


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質問者 あなたの話を聞いていて、質問することはまったく役に立たないとわかりました。質問が何であれ、あなたはきまってそれをそれ自体にはね返らせ、私が自らつくり出した幻想のなかに生きているということ、そして実在は言葉では表現不可能だという基本的事実に、私を連れ戻します。言葉は単に混乱を増すだけで、唯一、賢明な道は内なる沈黙の探求だけです。


マハラジ 結局、幻想をつくり出すのはマインドであり、それから自由になるのもマインドなのだ。言葉は幻想を悪質なものにするかもしれないし、それを追い払う助けをするかもしれない。同じ真実の言葉を、それが真実となるまで何度も繰り返すことは何も間違いではない。母の役目は子供の誕生で終わるわけではない。彼女は来る日も来る日も、何年も子供が彼女を必要としなくなるまで養う。人は言葉を聞く必要があるのだ。事実が言葉よりも声高に彼に語りだすまで。


質問者 それでは、私たちは言葉で養われる子供なのですか?


マハラジ 言葉を重視するかぎり、あなたは子供なのだ。


質問者 わかりました。では、私の母親になってください。


マハラジ 生まれる前、子供はどこにいただろうか?母親と一緒ではなかっただろうか?すでに母親と一緒にいたから、生まれることができたのだ。


質問者 もちろん、母親自身が子供であったときは、子供を抱えてはいませんでした。


マハラジ 潜在的に彼女は母親だったのだ。時間の幻想を超えなさい。


質問者 あなたの答えはいつも同じです。ある種の時計のように、同じ時を何度も何度も打ち知らせるのです。


マハラジ それはどうしようもないのだ。何億もの朝露に映しだされる太陽のように、永遠なるものは果てしなく繰り返される。私が「私は在る、私は在る」と繰り返すとき、私はただ常在の事実を主張し、再主張しているだけだ。あなたは私の言葉にうんざりしてしまう。それは、あなたがその背後にある、生きた真実を見ないからだ。それに触れなさい。そうすれば、言葉とその沈黙の完全な意味を見いだすだろう。


質問者 小さな女の子は、すでに未来の子供の母親だとあなたは言いました。潜在的にはそうでしょうが、実際的には違います。


マハラジ 潜在性は考えることによって現実になる。身体とその出来事は、マインドのなかに存在するのだ。


質問者 そしてマインドは動きのなかの意識であり、意識は真我の条件づけられた(サグナ)相です。無条件(ニルグナ)の相がもうひとつの相であり、その彼方には絶対性(パラマールダ)の深淵が広がっているのです。


マハラジ まったくそのとおりだ。あなたは美しくそれを言い表した。


質問者 しかし、私にとってはただの言葉にすぎません。それを聞き、復唱するだけでは、充分ではないのです。それは体験されなければなりません。


マハラジ 何もあなたが体験することを止めてはいない。外側の関心事に夢中になることが、内側に焦点を合わせることを妨げているのだ。それは救いようがない。サーダナ(修練)を避けることはできないからだ。世界に背を向け、内側に向かいなさい。そうすれば、内と外は溶けあい、あなたは内と外という条件づけを超えることができる。


質問者 もちろん、無条件は条件づけされたマインドのなかの単なる概念でしかありません。それ自体では存在しません。


マハラジ それ自体で独立した存在はない。すべてのものはそれ自体の不在性を必要とするのだ。在ることとは、区別することができるように在るということだ。そこではなく、ここに在り、その時ではなく、今に在ること。何かほかのものにではなく、このように在ること。水が容器によって形づくられるように、すべてのものは条件(グナ)によって決定されるのだ。容器に関わらず、水が水として残り、光が色をもたらしてもそれ自体は光として残るように、実在も、それが反映される条件に関わらず実在としてとどまる。なぜ意識の焦点のなかにだけ反映を残そうとするのだろう?なぜ実在そのものではないのだろうか?


質問者 意識自体が反映なのです。どうしてそれが実在をつかむことができるでしょう?


マハラジ 意識とその内容はただの反映であり、変化し、はかないものだと知ることが実在に焦点を当てることになるのだ。ロープのなかに蛇を見ることを拒否することが、ロープを見ることの必要条件なのだ。


質問者 必要条件だけですか、それとも充分条件なのですか?


マハラジ ロープが存在すること、そしてそれが蛇に似ていることも知らなければならない。同じように、真理が存在し、そしてそれが観照意識の本質だと知らなければならない。もちろん真理は観照の彼方にある。だが、真理に入っていくには、まず純粋な観照状態を自覚しなければならない。条件づけに気づくことが、あなたを無条件な状態に連れていくのだ。


質問者 無条件なるものを体験することはできるのでしょうか?


マハラジ 条件づけを条件づけとして知ること、それが無条件なるものについて言えることのすべてだ。肯定的言語は単に示唆するだけであり、かえって迷わせるのだ。


質問者 観照を実在として語ることはできるでしょうか?


マハラジ それはできない。私たちに語ることができるのは、ただ非実在、幻想、一時的なもの、条件づけされたものだけだ。その彼方へと行くには、私たちは独立した存在をもつとされるすべてを完全否定していかなければならない。すべてのものごとは依存しているのだ。


質問者 それは何に依存するのでしょうか?


マハラジ 意識に依存する。そして意識は観照者に依存するのだ。


質問者 そして観照者は実在に依存するのでしょうか?


マハラジ 観照者は実在の純粋な反映だ。それはマインドの状態に依存する。明晰性と無執着が支配すると、観照意識が現れる。それは水が澄んで静かならば、月の影が映るような、あるいはダイヤモンドのなかで太陽の光線がきらめきを放つようなものだ。


質問者 すべての体験が条件づけられているため、無条件なるものが体験できないのだとしたら、なぜそれについて話すのでしょうか?


マハラジ 無条件なるものなしで、どうして条件づけされたものの知識がありうるだろう?そこには、これらすべてが現れだす源、すべてが存在するための土台がなければならない。自己の条件づけの知識、そして条件づけの無限の多様性は、私たちの条件づけされることと多様性を起こさせる無限の能力に依存している。真我の実現とは、根本的にそれに気づくことなのだ。条件づけされたマインドには、無条件なるものは完全性として現れるか、あるいはすべての不在性として現れるのだ。どちらも直接体験はありえない。しかし、それが非存在を意味しているわけではないのだ。


質問者 それは感情ではないでしょうか?


マハラジ 感情もまたマインドの状態だ。健康な身体は注意を呼び起こさない。同様に体験から自由な無条件なるものもまたそうなのだ。死の体験をとってみなさい。普通の人は死を恐れる。なぜなら、彼は変化を恐れるからだ。ジニャーニは恐れない。なぜなら、彼のマインドはすでに死んでいるからだ。彼は「私は生きている」と考えない。彼は「そこに生命が在る」と知っている。そこには何の変化もなく、死もない。死は時間と空間のなかの変化として現れる。時間も空間もないところに、どうして死がありうるだろう?ジニャーニは名前と形に対してすでに死んでいる。時間と空間を失うことがどうして彼に影響を与えるだろうか?列車に乗った人は、ひとつところからつぎへと旅していく。だが、列車を降りた人はどこへも行かない。なぜなら、彼は目的地に縛られないからだ。彼はどこへも行くところはなく、何もすることはなく、何になることもない。計画をもつ人は、それを実行するために生まれてくるだろう。計画をもたない人は生まれてくる必要がない。


質問者 苦痛と快楽の目的は何でしょうか?


マハラジ それらはそれら自体で存在するだろうか?あるいはマインドのなかにだけ存在するのだろうか?


質問者 それでも、それらは存在します。マインドはともかくも。


マハラジ 苦痛と快楽は、誤った知識と誤った感情の結果の単なる兆候にすぎない。結果がそれ自体の目的をもつことはできない。


質問者 神の経済学では、すべてが目的をもっていなければなりません。


マハラジ あなたは思うままに神について語っているが、彼を知っているのかね?あなたにとって神とは何かね?ひとつの音だろうか?紙面上のひとつの文字、あるいはマインドのなかのひとつの概念だろうか?


質問者 彼の力によって私は生まれ、生きつづけているのです。


マハラジ そして苦しみ、死ぬのだ。あなたはそれが嬉しいかね?


質問者 私が苦しみ死ぬのなら、それは私の過ちかも知れません。私は永遠の生として創造されたのです。


マハラジ なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろうか?はじまりあるものは終わらなければならない。はじまりのないものだけが無窮なのだ。


質問者 神は単なる概念なのかもしれません。それでもとても有効な概念です!


マハラジ それならば、内なる矛盾から自由になるべきだ。だが、それは無理だろう。どうしてあなた自身があなたの創造者であり創造物だという理論を調べないのだろうか?少なくともそこには争うべき外側の神はいないだろう。


質問者 世界はこんなにも豊かで複雑です。どうやって私にそれをつくり出せるというのでしょうか?


マハラジ 何ができ、何ができないのかを知るほど、あなたは充分あなた自身を知っているだろうか?あなたは自分の力を知らないのだ。あなたは一度も調べたことがない。自分自身とともに、今はじめなさい。


質問者 誰もが神を信じています。


マハラジ 私にとっては、あなたがあなた自身の神だ。だが、あなたが別の考え方をするならば、最後までそう考えるがいい。もし神がいるならば、すべては神のものであり、すべては最上の目的のためにある。やってくるものは何であれ、喜びと感謝の心をもって歓迎しなさい。そしてすべての創造物を愛しなさい。これもまたあなたを真我へと導くだろう。


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