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マハルシ あなたは真我です。あなたはすでに「それ」なのです。事実は、あなたは自分の至福に満ちた状態に無知だということです。無知が起こり、純粋な至福の上に覆いを被せてしまったのです。私たちが試みるべきことは、この無知を取り除くことだけです。この無知は誤った知識で成り立っています。誤った知識は真我を身体や心と同一視することで成り立っています。この偽りの自己同一化が取り除かれなければなりません。そのとき、そこに真我が残るのです。


放棄とは真我と非真我との同一化を断ち切ることです。

(対話251)


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まずはこの場所が三次元の知覚の天界であることをあなたに理解してもらいたい。この天界は、物質という三次元の形を通して、思考を目で見ることができる天界である。この天界は物質の密度を持っている。というのも、思考がまず、光というある特定の振動数に拡張され、次にその振動数が減速されてエレクトラムになり、さらにそのエレクトラムが濃密な物質となり、この濃密な物質がこの天界の固体性を形成するに至ったからだ。つまり、この天界の物質というのは、光の振動数を遅くして、それを最も濃密な形態まで落としたものだということである。


ここにあるすべてのものが同じ密度を持つためには、あらゆるものが同じ振動数で振動する必要がある。したがって、あなたの体は、あなたがいま座っている椅子と同じ振動数で振動している。


本質の部分でのあなたは、物質の密度よりも高い振動数を持つ光のエネルギーであるため、もし物質でできた化身を持っていなかったとすれば、あなたはこの天界にある物質を通りぬけてしまうだろう。つまり体が、その密度と感覚器官を通して、あなたがこの天界にある物質を知覚し、体験し、それと関わり合うことを可能にしているのだ。


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質問者 あなたの話を聞いていて、質問することはまったく役に立たないとわかりました。質問が何であれ、あなたはきまってそれをそれ自体にはね返らせ、私が自らつくり出した幻想のなかに生きているということ、そして実在は言葉では表現不可能だという基本的事実に、私を連れ戻します。言葉は単に混乱を増すだけで、唯一、賢明な道は内なる沈黙の探求だけです。


マハラジ 結局、幻想をつくり出すのはマインドであり、それから自由になるのもマインドなのだ。言葉は幻想を悪質なものにするかもしれないし、それを追い払う助けをするかもしれない。同じ真実の言葉を、それが真実となるまで何度も繰り返すことは何も間違いではない。母の役目は子供の誕生で終わるわけではない。彼女は来る日も来る日も、何年も子供が彼女を必要としなくなるまで養う。人は言葉を聞く必要があるのだ。事実が言葉よりも声高に彼に語りだすまで。


質問者 それでは、私たちは言葉で養われる子供なのですか?


マハラジ 言葉を重視するかぎり、あなたは子供なのだ。


質問者 わかりました。では、私の母親になってください。


マハラジ 生まれる前、子供はどこにいただろうか? 母親と一緒ではなかっただろうか? すでに母親と一緒にいたから、生まれることができたのだ。


質問者 もちろん、母親自身が子供であったときは、子供を抱えてはいませんでした。


マハラジ 潜在的に彼女は母親だったのだ。時間の幻想を超えなさい。


質問者 あなたの答えはいつも同じです。ある種の時計のように、同じ時を何度も何度も打ち知らせるのです。


マハラジ それはどうしようもないのだ。何億もの朝露に映しだされる太陽のように、永遠なるものは果てしなく繰り返される。私が「私は在る、私は在る」と繰り返すとき、私はただ常在の事実を主張し、再主張しているだけだ。あなたは私の言葉にうんざりしてしまう。それは、あなたがその背後にある、生きた真実を見ないからだ。それに触れなさい。そうすれば、言葉とその沈黙の完全な意味を見いだすだろう。


質問者 小さな女の子は、すでに未来の子供の母親だとあなたは言いました。潜在的にはそうでしょうが、実際的には違います。


マハラジ 潜在性は考えることによって現実になる。身体とその出来事は、マインドのなかに存在するのだ。


質問者 そしてマインドは動きのなかの意識であり、意識は真我の条件づけられた(サグナ)相です。無条件(ニルグナ)の相がもうひとつの相であり、その彼方には絶対性(パラマールダ)の深淵が広がっているのです。


マハラジ まったくそのとおりだ。あなたは美しくそれを言い表した。


質問者 しかし、私にとってはただの言葉にすぎません。それを聞き、復唱するだけでは、充分ではないのです。それは体験されなければなりません。


マハラジ 何もあなたが体験することを止めてはいない。外側の関心事に夢中になることが、内側に焦点を合わせることを妨げているのだ。それは救いようがない。サーダナ(修練)を避けることはできないからだ。世界に背を向け、内側に向かいなさい。そうすれば、内と外は溶けあい、あなたは内と外という条件づけを超えることができる。


質問者 もちろん、無条件は条件づけされたマインドのなかの単なる概念でしかありません。それ自体では存在しません。


マハラジ それ自体で独立した存在はない。すべてのものはそれ自体の不在性を必要とするのだ。在ることとは、区別することができるように在るということだ。そこではなく、ここに在り、その時ではなく、今に在ること。何かほかのものにではなく、このように在ること。水が容器によって形づくられるように、すべてのものは条件(グナ)によって決定されるのだ。容器に関わらず、水が水として残り、光が色をもたらしてもそれ自体は光として残るように、実在も、それが反映される条件に関わらず実在としてとどまる。なぜ意識の焦点のなかにだけ反映を残そうとするのだろう?なぜ実在そのものではないのだろうか?


質問者 意識自体が反映なのです。どうしてそれが実在をつかむことができるでしょう?


マハラジ 意識とその内容はただの反映であり、変化し、はかないものだと知ることが実在に焦点を当てることになるのだ。ロープのなかに蛇を見ることを拒否することが、ロープを見ることの必要条件なのだ。


質問者 必要条件だけですか、それとも充分条件なのですか?


マハラジ ロープが存在すること、そしてそれが蛇に似ていることも知らなければならない。同じように、真理が存在し、そしてそれが観照意識の本質だと知らなければならない。もちろん真理は観照の彼方にある。だが、真理に入っていくには、まず純粋な観照状態を自覚しなければならない。条件づけに気づくことが、あなたを無条件な状態に連れていくのだ。


質問者 無条件なるものを体験することはできるのでしょうか?


マハラジ 条件づけを条件づけとして知ること、それが無条件なるものについて言えることのすべてだ。肯定的言語は単に示唆するだけであり、かえって迷わせるのだ。


質問者 観照を実在として語ることはできるでしょうか?


マハラジ それはできない。私たちに語ることができるのは、ただ非実在、幻想、一時的なもの、条件づけされたものだけだ。その彼方へと行くには、私たちは独立した存在をもつとされるすべてを完全否定していかなければならない。すべてのものごとは依存しているのだ。


質問者 それは何に依存するのでしょうか?


マハラジ 意識に依存する。そして意識は観照者に依存するのだ。


質問者 そして観照者は実在に依存するのでしょうか?


マハラジ 観照者は実在の純粋な反映だ。それはマインドの状態に依存する。明晰性と無執着が支配すると、観照意識が現れる。それは水が澄んで静かならば、月の影が映るような、あるいはダイヤモンドのなかで太陽の光線がきらめきを放つようなものだ。


質問者 すべての体験が条件づけられているため、無条件なるものが体験できないのだとしたら、なぜそれについて話すのでしょうか?


マハラジ 無条件なるものなしで、どうして条件づけされたものの知識がありうるだろう? そこには、これらすべてが現れだす源、すべてが存在するための土台がなければならない。自己の条件づけの知識、そして条件づけの無限の多様性は、私たちの条件づけされることと多様性を起こさせる無限の能力に依存している。真我の実現とは、根本的にそれに気づくことなのだ。条件づけされたマインドには、無条件なるものは完全性として現れるか、あるいはすべての不在性として現れるのだ。どちらも直接体験はありえない。しかし、それが非存在を意味しているわけではないのだ。


質問者 それは感情ではないでしょうか?


マハラジ 感情もまたマインドの状態だ。健康な身体は注意を呼び起こさない。同様に体験から自由な無条件なるものもまたそうなのだ。死の体験をとってみなさい。普通の人は死を恐れる。なぜなら、彼は変化を恐れるからだ。ジニャーニは恐れない。なぜなら、彼のマインドはすでに死んでいるからだ。彼は「私は生きている」と考えない。彼は「そこに生命が在る」と知っている。そこには何の変化もなく、死もない。死は時間と空間のなかの変化として現れる。時間も空間もないところに、どうして死がありうるだろう? ジニャーニは名前と形に対してすでに死んでいる。時間と空間を失うことがどうして彼に影響を与えるだろうか? 列車に乗った人は、ひとつところからつぎへと旅していく。だが、列車を降りた人はどこへも行かない。なぜなら、彼は目的地に縛られないからだ。彼はどこへも行くところはなく、何もすることはなく、何になることもない。計画をもつ人は、それを実行するために生まれてくるだろう。計画をもたない人は生まれてくる必要がない。


質問者 苦痛と快楽の目的は何でしょうか?


マハラジ それらはそれら自体で存在するだろうか? あるいはマインドのなかにだけ存在するのだろうか?


質問者 それでも、それらは存在します。マインドはともかくも。


マハラジ 苦痛と快楽は、誤った知識と誤った感情の結果の単なる兆候にすぎない。結果がそれ自体の目的をもつことはできない。


質問者 神の経済学では、すべてが目的をもっていなければなりません。


マハラジ あなたは思うままに神について語っているが、彼を知っているのかね? あなたにとって神とは何かね? ひとつの音だろうか? 紙面上のひとつの文字、あるいはマインドのなかのひとつの概念だろうか?


質問者 彼の力によって私は生まれ、生きつづけているのです。


マハラジ そして苦しみ、死ぬのだ。あなたはそれが嬉しいかね?


質問者 私が苦しみ死ぬのなら、それは私の過ちかも知れません。私は永遠の生として創造されたのです。


マハラジ なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろうか? はじまりあるものは終わらなければならない。はじまりのないものだけが無窮なのだ。


質問者 神は単なる概念なのかもしれません。それでもとても有効な概念です!


マハラジ それならば、内なる矛盾から自由になるべきだ。だが、それは無理だろう。どうしてあなた自身があなたの創造者であり創造物だという理論を調べないのだろうか? 少なくともそこには争うべき外側の神はいないだろう。


質問者 世界はこんなにも豊かで複雑です。どうやって私にそれをつくり出せるというのでしょうか?


マハラジ 何ができ、何ができないのかを知るほど、あなたは充分あなた自身を知っているだろうか? あなたは自分の力を知らないのだ。あなたは一度も調べたことがない。自分自身とともに、今はじめなさい。


質問者 誰もが神を信じています。


マハラジ 私にとっては、あなたがあなた自身の神だ。だが、あなたが別の考え方をするならば、最後までそう考えるがいい。もし神がいるならば、すべては神のものであり、すべては最上の目的のためにある。やってくるものは何であれ、喜びと感謝の心をもって歓迎しなさい。そしてすべての創造物を愛しなさい。これもまたあなたを真我へと導くだろう。


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