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マハルシ 世界はローカにすぎません。ローカとはローキャテー・イティ・ローカハ(知覚されたものが世界である)です。見られるものがローカ、つまり世界なのです。それを見ている目とは何でしょうか? それは(目覚めと眠りのたびに)周期的に立ち現れては消えてゆく自我です。しかしあなたは常に存在しています。それゆえ、自我の彼方に在る「それ」とは意識、つまり真我なのです。


深い眠りの中では、心は沈み込んでいても破壊されてはいません。沈み込んだものは再び現れてきます。しかしひとたび破壊された心が再び現れることはありません。ヨーギーの目標は心を破壊することであって、ラヤ(心が一時的に停止した状態)の中に沈ませることではないのです。ディヤーナの静寂の中でラヤは継続しますが、それは十分ではありません。心を破壊するためには別の修練の補助を得なければならないのです。


認識しなさい。日々の活動の中でこそ、それを認識するときです。活動は自動的に続いて行きます。心が活動を促していると考えるのは真理ではありません。心は真我から現れた幻影でしかないということを知りなさい。こうして心は破壊されるのです。

(対話76)


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真実はあらゆるものの中にある。だが同時に、あらゆるものには成長がある。というのも、それぞれの瞬間ごとに、真実もつくり直されるからだ。神は完璧な状態にあるのではなく、何かになりつつある状態にあるのはこのためだ。それぞれの存在は、自らの理解において絶え間なく進歩を続け、さらに限りない真実を包み込むようになる。そして、その存在の理解がどんなものであろうと、その理解は一瞬一瞬、その存在が見るとおりの真実、知るとおりの真実へとなっていくのだ。


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質問者 私は欲望がいっぱいで、それらすべてを満たしたいのです。どうすればいいでしょうか?


マハラジ あなたは欲するものを受けるに値するだろうか? 何とかして欲望を満たせるよう努めるしかない。エネルギーを注いで、結果を待ちなさい。


質問者 どこからエネルギーを手に入れるのでしょう?


マハラジ 欲望そのものがエネルギーだ。


質問者 それなら、どうしてすべての欲望は満たされないのでしょうか?


マハラジ たぶんそれは充分強くはなく、長続きもしなかったのだろう。


質問者 そうです。それが私の問題なのです。物が欲しいのですが、いざ、行動を起こす段になると怠惰になってしまうのです。


マハラジ あなたの欲望が明確でなく、強くもなければ、それは形をなさない。さらに、もしあなたの欲望が個人的なもので、あなた自身の享楽のためならば、エネルギーは必然的にかぎりあるものとなる。それはあなたがもっている以上にはならないだろう。


質問者 しかし、しばしば普通の人びとも欲望を達成しています。


マハラジ それを本当に強く、しかも長期にわたって望んだときだけだ。たとえそうだとしても彼らの達成はかぎられたものだ。


質問者 それでは、利己的でない欲望はどうなのでしょうか?


マハラジ あなたが社会のためを思って望むならば、世界全体があなたとともに望むだろう。人類の望みをあなた自身のものとして努めなさい。そうすれば、けっして失敗はありえない。


質問者 人類は神が関わる仕事であり、私の仕事ではありません。私は私自身に関わっているのです。私の正当な欲望が満たされるのを見る権利はないのでしょうか? それは誰も傷つけません。私の欲望は正当なもので、正しい欲望です。なぜ満たされないのでしょうか?


マハラジ 欲望は環境や状況にしたがって、正しくもなり、間違いにもなる。あなたがそれをどう見るかによるのだ。正、不正の区別は個人にとってのみ有効なのだ。


質問者 その区別のガイドラインとなるものは何でしょうか? どうすればどの欲望が正しく、どれが間違っているのか知ることができるのでしょうか?


マハラジ あなたの場合、悲しみをもたらす欲望が間違ったもので、幸せをもたらすものが正しい。だが、ほかの人たちのことを忘れてはいけない。彼らの悲しみや、幸せもまた考慮に入れるのだ。


質問者 結果は未来のなかにあります。どうすればそれを知ることができるのでしょう?


マハラジ 考えなさい。記憶し、観察しなさい。あなたはほかの人と変わりはしない。彼らの経験のほとんどは、あなたにとっても有効なものだ。欲望とその枝葉の構造全体に入り、深く明晰に考えなさい。それらはあなたの精神的、感情的構造のもっとも重要な部分であり、あなたの行動に強力な影響を与える。覚えておきなさい。あなたの知らないことを放棄することはできない。あなた自身を超えていくには、あなた自身を知らなければならないのだ。


質問者 私自身を知るとはどういう意味でしょうか? 私自身を知ることで正確には何を知ることになるのでしょうか?


マハラジ あなたではないすべてを知るのだ。


質問者 何が私か、ではないのですか?


マハラジ あなたはすでに、あるがままのあなたなのだ。何があなたではないかを知ることでそれから自由になり、あなたはあなた自身の自然な状態にとどまる。すべては自発的に、努力なしに起こるのだ。


質問者 そして私は何を発見するのでしょうか?


マハラジ そこに何も発見するものはないということを発見する。あなたはただ、あなたなのだ。ただそれだけだ。


質問者 しかし究極的に、私とは何なのでしょうか?


マハラジ あなたではないものすべてを究極的に否定したものだ。


質問者 私には理解できません!


マハラジ あなたが何者かでなければならないという固定観念、それがあなたを盲目にするのだ。


質問者 どうすればこの考えからまぬがれることができるのでしょうか?


マハラジ もし私を信頼するなら、あなたは意識とその無限の内容物を照らす純粋な気づきだ、と私が言うのを信じなさい。それを自覚し、それにしたがって生きなさい。もし私を信じることができないならば、そのときは内側に入り、「私は誰か?」と尋ねるがいい。あるいは純粋で純然な存在である、「私は在る」という感覚にあなたの気づきの焦点を合わせなさい。


質問者 あなたに対する私の信頼は、何に依存するのでしょう?


マハラジ ほかの人のハートを見通すあなたの洞察に依る。もし私のハートを見抜くことができないなら、自分のハートに見入るがいい。


質問者 どちらも私にはできません。


マハラジ 秩序ある有益な人生を生きることで、あなた自身を浄化しなさい。あなたの思考、感情、言葉、行動を見守りなさい。それがあなたの洞察力を明晰にするだろう。


質問者 すべてを放棄し、住居なき放浪の人生を送るべきではないのでしょうか?


マハラジ あなたには放棄できない。あなたは家を放棄し、家族に問題を与えるかもしれない。だが執着はマインドのなかにあり、あなたがマインドの内も外も熟知するまで、それがあなたを離れることはないだろう。まず、あなた自身を知りなさい。そうすれば、ほかのすべてはやってくるだろう。


質問者 しかしあなたはすでに、私が至高の実在だと言われました。それは自己知識ではないのでしょうか?


マハラジ もちろん、あなたは至高の実在だ。だが、それがどうだというのかね? 砂のひと粒ひと粒がすべて神性であり、それを知ることは重要だ。だが、ただのはじまりにすぎない。


質問者 あなたは私が至高の実在だと言いました。あなたを信じます。では、つぎに私にできることは何でしょうか?


マハラジ もうすでに言ったはずだ。あなたではない、すべてを発見しなさい。身体、感情、思考、概念、時間、空間、存在と非存在、あれやこれ──具象であれ、抽象であれ、あなたが指し示すことのできるものはすべてあなたではない。あなたはあるマントラを、何の結果も得られないまま際限なく繰り返すかもしれない。単に言葉による表明だけではだめなのだ。あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。


質問者 観照──それが私の本性ではないのでしょうか?


マハラジ 観照のためには、そこに観照されるべき何かほかのものがなければならない。それではまだ、私たちは二元性のなかにいるのだ!


質問者 観照者を観照することはどうでしょうか? 気づきに気づくことは?


マハラジ 言葉を並べたてることではどこにも到達しない。内面に入り、あなたではないものを見いだしなさい。それ以外、残された道はない。


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