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それを探し求め、それとして在りなさい


マハルシ 「存在」はどの場合においても実在です。万象、多様性、個人は非実在です。それゆえ、実在と非実在の統合、混同、偽りの同一化もまた誤りなのです。それはサッド・アサッドヴィラクシャナ、つまり実在と非実在(サットとアサット)を超越することです。実在は神を含めたすべての概念を超越するものです。「神」という名称が使われているかぎり、それは真実ではありえません。ヘブライ語のエホヴァ=「私は在る」(I AM)という表現は神を的確に表しています。絶対なる存在は描写を超えているのです。

(対話112)


マハルシ あなたは探求者であり、何かと合一されることを探し求めています。もしそう仮定するなら、あなたから離れた何かがそこになければなりません。しかし真我はあなたに最も近いものです。そしてあなたは常にそれに気づいています。それを探し求め、それとして在りなさい。そうすれば、それは果てしなく永遠に広がっていくでしょう。そしてヨーガ(合一)という問題もなくなるのです。いったい誰にとっての分離(ヴィヨーガ)なのでしょうか?

(対話211)


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叡智とは何か? それは最もすばらしい宝物で、人間の内なる神に完全に属するものだ。つまり、人間の魂の中に集められる宝物のことである。叡智とは、神と呼ばれる思考のさまざまな領域への冒険すべてから、あなたが得た感情の蓄積であり、この場所を去るときにあなたが持っていくただひとつのものである。あなたのすばらしい衣服や大邸宅、すごいスピードで走る車などを持っていくとでも思っているのだろうか? 何を持っていくと思っているのだろうか? あなたは自分であるもの、つまり「人生」と呼ばれる原理の中への旅で得られたすべての感情を持っていくのだ。感情を得ることこそが、人生の最大の目的なのである。


宗教的、政治的な支配による暴政や制限を通して、つまり人種間の分断と差別、男女の分断、兄弟同士の分断を通して、人類が学んできたあらゆることは、神の地位をおそらくこれまでで最も低いところにまでおとしめることによって理解されたものである。しかしそれでも、戦いで他者を打ち負かしたり、ほかの人間の自由を認めなかったり、女をおとしめて男よりも劣る存在にすることは、どれも実際に体験してみなければ、どんな感じがするのかけっしてわからなかっただろう。自分でそういったものを夢見ることによって現実化し、その夢を意図的に生きる創造者にならなければ、あなたがそれらを感情的に知ることはけっしてなかっただろう。だが、数多くの人生、数多くの瞬間にそれを生きることによって、それはあまりにも確固とした現実になってしまい、ほとんどの人間はひどく神経質で不安になり、この夢の中にすっかり埋没してしまった。「人類が自分たちの仲間にこれほどひどい行いをするのを許すこの神なる存在はどこにいるのか?」とあなたはたうねる。これらの残虐行為が起こることを神が許してきたのだとしたら、神の愛はいったいどこにあるのだろうか? そう、神はいつもそこにいたのだ。というのも、神はあなた方のあらゆる幻やゲームとなってきたからだ。そして、神は間違いなくあなた方のことをつねに愛してきた。なぜなら、あなた方が自分の夢を、自分が思い描いたとおりに体験することを神は許してきたからだ。あなたは単に、そもそも自分でこの夢を創造したことを忘れてしまったにすぎない。そして、いつでも好きな瞬間にそれを変えられる選択肢を持っていることも忘れてしまったのだ。


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マハラジ あなたはどこから、何のために来たのかね?


質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへと旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。


マハラジ あなたは何を見てきたのだろうか?


質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見をうかがえるでしょうか?


マハラジ 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね? あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。


質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?


マハラジ おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。


質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?


マハラジ もちろんだ。人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。あなたはあなた自身であると考えているものだ。だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えることはできないのだ。


質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるためには何を学ばなければならないのでしょうか?


マハラジ あなたはすべてを忘れなければならない。神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。


質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神になると言われるのでしょうか?


マハラジ すべての欲望が放棄されなければならない。なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。


質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?


マハラジ 完成を知ることはできない。あなたは未完成だけを知ることができるのだ。知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。あなたはあなたではないものを知ることができる。だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。それは偽りを偽りとして見るというものだ。しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。


質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられます。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非顕現の知識は信頼できるはずです。


マハラジ 非顕現の知識といったものはない。それは不可知だ。知ることができるのは現実のものだけなのだ。


質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?


マハラジ 知る者は知られるものを知っている。あなたは知る者を知っているだろうか? 誰が知る者を知る者なのだろうか? あなたは非顕現を知りたいと言う。あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?


質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それらの総計が私のすべての経験なのです。


マハラジ すべて?


質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知ることができないのは認めます。


マハラジ もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほどをあなたが知っていると言うのだろう?


質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。


マハラジ それでさえもない。あなたはあなたが反応することだけを知っている。誰が何に反応するかを知ってはいない。あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。


質問者 私は顕現を知っています。なぜなら、私はそれに参加しているからです。そのなかでの私の部分はたいへん小さいものであり、それは認めます。それでも、それはその全体性と同じほど現実なのです。そして、もっと重要なことは、私がそれに意味を与えるということです。私なしには、世界は暗く沈黙しているのです。


マハラジ ホタルが世界を照らすというのかね! あなたが世界に意味を与えるのではない。あなたはそれを見いだすのだ。あなた自身のなかに深く潜っていきなさい。そしてすべての意味があふれだす源を見いだしなさい。間違いなく、意味を与えることができるのは表面的なマインドではないのだ。


質問者 何が私を限定し、表面的にしてしまうのでしょうか?


マハラジ 全体は開いていて、手に入るものだ。だが、あなたはそれを手にしない。あなたは自分自身だと考えている小さな個人に執着している。あなたの欲望はかぎられていて、野望は取るに足らないものだ。結局、知覚の中心がなければ、どこに顕現があるというのだろう? 知覚されなければ、顕現は非顕現と同じだ。あなたは知覚する点、すべての次元に対する無次元の源なのだ。全体としてのあなた自身を知りなさい。


質問者 ひとつの点が、どのように宇宙を包含できるというのでしょうか?


マハラジ ひとつの点のなかには、無限の宇宙を包むに充分な空間がある。許容量に欠けることはない。自己限定だけが唯一の問題なのだ。しかし、あなた自身から逃げだすことはできない。どれほど遠くへ行こうとも、あなたは自分自身に、そして無であり、しかもすべての源であるこの点を理解する必要性に戻ってくるのだ。


質問者 私はインドにヨーガの教師を探しに来たのです。いまだに私は探しています。


マハラジ どの類のヨーガをあなたは学びたいのだろうか? 獲得のヨーガだろうか、放棄のヨーガだろうか?


質問者 それらは最終的には同じ結果になるのではないでしょうか?


マハラジ どうして同じでありうるだろう? 一方は隷属させ、他方は解放する。動機がもっとも重要なのだ。自由は放棄を通してもたらされる。すべての所有は束縛なのだ。


質問者 私が力強さと勇気をもってつかむものを、なぜ放棄しなければならないのでしょうか? そして、もし私が強さをもっていなければ、どうして放棄できるでしょう? 私にはこの放棄の必要性が理解できません。私が何かを欲しいとき、どうしてそれを追求すべきではないのでしょうか? 放棄は弱者のためのものです。


マハラジ もしあなたが放棄する智慧と力をもっていないのなら、ただあなたの所有物を見てみなさい。ただ見るという行為がそれらを焼き尽くすだろう。もしあなたがマインドの外側に立つことができるなら、じきに所有物と欲望を放棄することがもっとも明白な分別ある行為だと知ることだろう。
あなたが世界をつくり出しておいて、それからそれについて心配するのだ。利己的になることはあなたを弱くする。あなたに欲望をもつだけの勇気と力があると考えるなら、それはあなたが若く、経験不足だからだ。例外なく、欲望の対象物はそれを獲得する手段を破壊する。そうして、それ自体も衰え果ててしまうのだ。結局、すべては最善の結果をもたらす。なぜなら、それはあなたに毒を避けるかのように欲望を避けさせるからだ。


質問者 どのようにして無欲を訓練すればいいのでしょう?


マハラジ 訓練の必要はない。放棄という行為さえ必要ない。ただ、あなたのマインドをそらしなさい。それだけだ。欲望とは単にある想念にマインドを固定させることだ。それに注意を払わないことで、その常道にはまる習慣を捨て去りなさい。


質問者 それだけですか?


マハラジ そうだ。それだけだ。欲望や恐れが何であれ、それにとどまっていてはならない。自分で試みてみなさい。ときおり、あなたは忘れてしまうかもしれない。だが、それは問題ではない。すべての欲望と恐れを追い払うまで、すべての反応が自動的になるまで試みることだ。


質問者 人はどのようにして感情なしに生きていくことができるのでしょうか?


マハラジ あなたは欲しいだけすべての感情をもつことができる。だが、引き起こされた感情の反応に注意しなさい。完全に自己決定し、外面からではなく、内面から導かれなさい。
より良いものを確保するために、ひとつのものをあきらめるのは本当の放棄ではない。あきらめなさい。なぜなら、あなたはそれが無価値であることを理解するからだ。放棄していくにしたがって、あなたは自然に知性と、力と、無尽蔵の愛と、喜びのなかに成長していく自分を見いだすだろう。


質問者 なぜ、それほどまでにすべての欲望と恐れを放棄することが強調されるのでしょうか? それらは自然なものではないのでしょうか?


マハラジ それらは自然なものではない。完全にマインドによって作られたものだ。あなたに必要なものは何もないということを知るために、すべてを放棄しなければならないのだ。あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ。あなたは所有物があなたを守ると想像している。実際は、それらがあなたを傷つきやすくするのだ。あなた自身が「あれ」や「これ」として指し示すことができるすべてから離れたものであることを自覚しなさい。あなたは感覚的体験や言語的解釈によって到達することのできないものだ。それから立ち去りなさい。人格化を拒否しなさい。


質問者 あなたの話を聞いた後、私は何をすればよいのでしょうか?


マハラジ 聞くことだけでは本当の助けにならないだろう。それを心にとどめ、熟考し、私が語っていることを私に語らせようとするマインドの状態を理解しようとしてみなさい。私は真理から話している。両手を開き、受け取りなさい。あなたはあなたが考えているものではないのだ。私が保証しよう。あなたがもっているあなた自身のイメージは記憶によってつくられたまったく偶然の産物なのだ。


質問者 私は私のカルマの結果です。


マハラジ 一見、あなたであるように見えるもの、それはあなたではない。カルマは、あなたが繰り返し学んできたひとつの言葉にすぎない。あなたはけっして今まで、そしてこれからもひとりの個人ではないのだ。あなた自身を個人だと考えることを拒絶しなさい。自分が誰それだということを疑わないかぎり、希望はもてない。あなたが目を開くことを拒むとき、何を見せられるというのだろう?


質問者 カルマとは、私を完成へと衝き動かす神秘の力だと私は思っています。


マハラジ それは人びとがあなたに言ったことだ。あなたはすでに今ここで完成している。完成することができるようなものはあなたではない。あなたはあなた自身ではないものをあなただと想像しているのだ。やめなさい。重要なのは停止そのものであって、あなたが何をやめようとするかではないのだ。


質問者 カルマが私に、私であるものに成るよう駆りたてたのではありませんか?


マハラジ 何も駆りたててはいない。あなたはあなただと信じるものだ。信じるのを止めなさい。


質問者 ここで、あなたは座り、私に話しています。あなたにそれを強いるのはカルマです。


マハラジ 何ひとつ、私に強いるものはない。私はする必要のあることをするだけだ。だが、あなたはたくさんの不必要なことをする。調べることを拒むことがカルマをつくり出すのだ。あなた自身の苦しみに無関心であることが、それを永続させるのだ。


質問者 それは本当です。この無関心に終止符を打つことができるのは何でしょうか?


マハラジ 無執着、あるいは慈悲の波が内面から衝動として起こらなければならない。


質問者 この衝動に私の方から出会いに行くことができるでしょうか?


マハラジ もちろんだ。あなた自身の状態を見てみなさい。世界の状態を見てみるがいい。


質問者 私たちはカルマ、輪廻、進化、ヨーガ、師と弟子についての話を聞いてきました。これらすべての知識をどうすればいいのでしょう?


マハラジ すべてを捨て去っていくがいい。忘れるのだ。概念や信念の重荷を捨て去って、先へと進んでいきなさい。すべての言語的構造、すべての相対的真実、すべての実体的な対象物を放棄しなさい。絶対なるものは、絶対的な献身によってだけ到達できるのだ。半端な気持ちではいけない。


質問者 私は何か絶対的な真実からはじめなければなりません。そのような何かがあるでしょうか?


マハラジ ある。それが「私は在る」という感覚だ。それからはじめなさい。


質問者 それ以外の何も真実ではないのでしょうか?


マハラジ ほかのすべては真実でもなければ、偽りでもない。それが現れると真実のように見え、否定されるとそれは消え去るのだ。一時的なものは神秘的だ。


質問者 私は実在は神秘的なのだと思っていました。


マハラジ どうしてそうありうるだろう。実在はシンプルで、オープンで、明らかで、優しく、美しく、そして喜ばしいものだ。それは矛盾からの完全な自由なのだ。それはつねに新しく、つねに新鮮で、かぎりなく創造的だ。存在と非存在、生と死、すべての区別がそのなかで溶けあっている。


質問者 すべてが偽りだということは認めます。しかし、それが私のマインドを消し去ることができるでしょうか?


マハラジ マインドとはそれが考えていることなのだ。マインドを真実にするために、真実を考えなさい。


質問者 もしものごとの形が単なる現れでしかないなら、実際には、それらは何なのでしょうか?


マハラジ 実際には、知覚だけがある。知覚する者と知覚されるものは観念であり、知覚しているという事実は現実のものだ。


質問者 絶対なるものはどこから来るのでしょうか?


マハラジ 絶対なるものは知覚の誕生する場所だ。それが知覚を可能にするのだ。
しかし、分析のしすぎはあなたをどこへ導きもしない。あなたのなかには分析もマインドも超えた存在の核心がある。あなたはそれを行為のなかでだけ知ることができる。日常生活のなかで、それを表現しなさい。そうすれば、その光はつねに明るく光り輝くだろう。
マインドの真正な機能とは、あなたに何が存在しないのかを伝えることだ。だが、もしあなたが明確な知識を望むなら、マインドを超えた彼方へ行かなければならない。


質問者 すべての宇宙のなかには、ただひとつでも価値あるものがあるのでしょうか?


マハラジ ある。愛の力だ。


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