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マハルシ あなたの心が落ち着きを失ってさ迷い出すからです。





疲れるのは心であってあなたではないのです。





新しい状態を得ようとする必要などありません。あなたが抱いている想念を今棄て去りなさい。
あなたは想念から自由だからです。


想念から自由になりなさい。何もとらえてはいけません。それらがあなたをとらえているわけではないのです。


質問者 マハルシは「想念を心から剥ぎ取るべきだ」と言われました。


マハルシ それ自体が想念なのです。
あなたに必要なことは、ただあなたの限定を剥ぎ取るだけです。


質問者 しかしそれが最も困難なことなのです。


マハルシ これもまた想念です。そしてそれが障害なのです。

(対話472)


マハルシ あなたは存在します。それは事実です。ディヤーナはあなたによって、あなたに対して、あなたの内で為されます。それはあなたの在る場で続いていかなければならないのです。それはあなたの外側ではできません。それゆえ、あなたがディヤーナの中心なのです。それがハートです。


ハートとは概念でもなければ瞑想のための対象でもありません。それは瞑想の座なのです。

(対話403)


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感謝とは、神の愛をあらゆるものに見るという選択です。この選択をしたら、どうしたってみじめにはなりようがありません。


ふたつの世界があるように見えるでしょうが、実際はひとつだけです。恐怖心は愛の不在にすぎません。欠乏は豊かさの不在にすぎません。不平不満は感謝の不在にすぎません。


神は努力のなかにあり、そして神は努力をしないことのなかにあります。求めることのなかにあり、見つけることのなかにもあります。


人間を連れ戻すために、神はあらゆることを利用します。


悲しみや喜びを超えた何かがあって、それが悲しみや喜びに意味を与えるのだということを発見します。


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質問者 弟子がグルに多くの害を与えることは、私たちが繰り返し体験してきたことです。彼らは師の要望を考えることなく計画を立て、それを実行に移します。最終的に、グルにとっては果てしない心配が残り、彼の弟子には苦渋が残るだけです。


マハラジ そうだ。それは起こる。


質問者 誰がそういった屈辱をグルに感受させるよう強いるのでしょうか?


マハラジ グルは基本的に欲望をもたない。彼は選択をせず、決定もしない。純粋な観照者として起こっていることを見守り、感化されないままなのだ。


質問者 しかし、彼の仕事は損害をこうむるでしょう。


マハラジ 勝利はつねに彼のものだ──最終的には。グルは、もし弟子がグルの言葉から学ばなければ、自分たちの過ちから学ぶだろうということを知っているのだ。内面的には、彼は静かに沈黙している。彼には分離した個人という感覚がない。彼の弟子と彼らの取るに足らない計画も含めた、宇宙全体が彼のものなのだ。何ひとつ特定のものが彼に影響を与えることはない。あるいは同じことで、宇宙全体が同じ度合いで彼に影響を与えるのだ。


質問者 グルの恩寵というものはないのでしょうか?


マハラジ 彼の恩寵は絶えることなく遍在している。それはひとりに与えられ、ほかを拒むようなものではないのだ。


質問者 どのようにそれは、個人的に私に影響を与えるのでしょうか?


マハラジ あなたのマインドが真理の探究に従事しているのも、グルの恩寵によるものなのだ。そして、グルの恩寵によってあなたは真理を見いだすのだ。それはあなたの究極の目標に向かって意図することなく働いている。そして、それはすべての人にとってそうなのだ。


質問者 ある弟子たちは用意ができ、成熟しています。そしてある弟子たちはそうではありません。グルは選択をし、決定をするのではないでしょうか?


マハラジ グルは究極なるものを知っている。そして、それに向けて弟子を容赦なく駆りたてる。弟子は自分自身で超えなければならない障害物でいっぱいなのだ。グルは弟子の表面的な人生にはそれほど関心をもたない。それは重力のようなものだ。果実はもうこれ以上もちこたえられないとき、落ちなければならないのだ。


質問者 もし弟子が目的地を知らなければ、どうやって彼に障害を見極めることができるのでしょうか?


マハラジ 目的地はグルによって示される。障害は弟子によって発見されるのだ。グルに選り好みはない。だが、克服しなければならない障害をもつ者たちは、遅れをとるように見えるのだ。
実際には、弟子はグルと異ならない。彼は行為における愛と知覚の、同じ無限の中心なのだ。彼の想像と想像したものとの自己同一化が、彼を包みこみ個人に変えてしまうだけだ。師は個人には関心がない。彼の注意は内面の見守る者に合わせられている。理解をし、それによって個人を消し去るのは見守る者の仕事なのだ。一方では恩寵があり、もう一方では修練への献身がなければならない。


質問者 しかし、個人は除去されたくないのです。


マハラジ 個人とは単なる誤解の結果だ。実際には、そのようなものはないのだ。果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。実際には、個人というものは存在しない。ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。師は見守る者に言う。「あなたはこれではない。このなかには、見守る者と彼の夢を橋渡しする『私は在る』という小さな点以外、あなたのものは何ひとつないのだ」と。「私はこれだ、私はあれだ」は夢なのだ。一方、純粋な「私は在る」には実在の特質がある。あなたは今まで本当にたくさんのことを味わってきた──だが、すべては無に帰したのだ。ただ、「私は在る」だけが変わることなく存続している。あなたが彼方へと超えていけるようになるまで、変化の絶えないもののなかで、不変なるものとともにとどまりなさい。


質問者 それはいつ起こるのでしょうか?


マハラジ それはあなたが障害を取り去ったとたんに起こるのだ。


質問者 どの障害でしょう?


マハラジ 偽りへの欲望と真実への恐れだ。個人としてのあなたは、グルが個人としてのあなたに興味をもっていると想像している。まったくそうではない。彼にとって、あなたは排除すべき厄介な障害だ。彼は実際に、意識のなかの要因であるあなたを排除することを目指しているのだ。


質問者 もし私が排除されたなら、何が残るのでしょうか?


マハラジ 何も残らない。あるいはすべてが残るのだ。アイデンティティの感覚は残る。だが、特定の身体との同一化はもはやなくなる。存在─気づき─愛が最高度に輝きだすだろう。解放とは、けっして個人が解放を得ることではなく、個人という実体から解放されることなのだ。


質問者 そして、個人の痕跡は何も残らないのでしょうか?


マハラジ 夢や子供時代の記憶のような、漠然とした記憶は残る。結局、覚えておくような何がそこにあるというのだろうか? たいてい偶然の、そして無意味な一連の出来事でしかない。欲望と恐れの連鎖と、愚かな失敗だ。覚えておくような何かがそこにあるだろうか? 個人とは、あなたを監禁する殻でしかないのだ。殻を破りなさい。


質問者 殻を破るよう誰に頼めばいいのでしょうか? 誰が殻を破るのでしょうか?


マハラジ 記憶と自己同一化の拘束を破りなさい。そうすれば、殻はひとりでに破れるだろう。そこには、何であれそれが知覚するものに実在性を分け与える中心がある。あなたが理解すべきことは、あなたは実在の源であり、実在を得るのではなく、あなたが実在を与えるということだけだ。あなたには何の支持も確証も必要ないのだ。ものごとはそのままだ。なぜなら、あなたがそれをそれとして受け入れるからだ。受け入れるのをやめなさい。そうすればそれは消え去る。何であれ、あなたが欲望と恐れとともに考えることは、現実となってあなたの前に現れる。それを欲望と恐れなしに見なさい。そうすればそれは実体を失う。快楽と苦痛はつかの間のものだ。そのために行動を起こすよりも、無視するほうが単純で、たやすいのだ。


質問者 もしすべてのものごとに終わりが来るならば、いったい、どうしてはじめからそれらは現れるのでしょうか?


マハラジ 創造は意識の本性そのものなのだ。意識が現れを起こす原因なのだ。実在は意識を超えた彼方にある。


質問者 私たちが現れを意識している間、どうして私たちは、それらがただの現れにすぎないと意識しないのでしょうか?


マハラジ マインドはそれとは知らないうちに、実在を覆い隠してしまう。マインドの本性を知るには、沈黙と冷静な気づきのなかでマインドを見る能力をもった知性が必要なのだ。


質問者 もし私がすべてに遍在する意識の本質であるなら、どうして私に無知と幻想が起こったのでしょうか?


マハラジ 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。そうすればあなたの質問は答えられるだろう。あなたはあたかも自己を知っているかのように話し、それが無知と幻想に揺り動かされているかのように見ている。だが実際には、あなたは自己を知らず、己の無知にも気づいていないのだ。気づきなさい。これがあなたを自己へと連れていくだろう。そうすればあなたは無知も妄想もなかったことを認識するだろう。それは、「光あるところ、いかにして闇あらん」という格言のようなものだ。どんなに日の光が強くとも、石の下には影ができるように、「私は身体だ」という意識の影のなかには、無知と幻想がかならず現れるのだ。


質問者 しかし、どうして身体意識は存在のなかに現れたのでしょうか?


マハラジ 「なぜ」や「どうして」を尋ねてはならない。それ自身を創造と同一化することは、創造的想像の本性なのだ。あなたは注意をそらすことで、あるいは究明することによって、いつでもそれを止めることができる。


質問者 創造は究明する前に現れるのでしょうか?


マハラジ はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。それから、「私は在る」が個人となる。彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。そしてグルは彼に言うのだ。「あなたは個人ではない。あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。彼はそれを為し、彼方へと超えていくのだ。


質問者 なぜ彼は最初からそうしなかったのでしょうか?


マハラジ それは彼には起こらなかった。彼にはそれを言ってくれる誰かが必要だったのだ。


質問者 それで充分だったのですか?


マハラジ それは充分だった。


質問者 なぜ、それはわたしの場合そう起こらないのでしょう?


マハラジ あなたが私を信頼しないからだ。


質問者 なぜ、私の信頼は弱いのでしょうか?


マハラジ 欲望や恐れがあなたのマインドを鈍くしてしまったのだ。それには洗い落としが必要だ。


質問者 どうすればマインドをきれいにすることができるのでしょう?


マハラジ 容赦なく、それを見守ることによってだ。不注意が鈍くさせ、注意が明晰にするのだ。


質問者 どうして、インドの師たちは無為を唱道するのでしょうか?


マハラジ ほとんどの人びとの行為は、あからさまに破壊的でないにしても、無価値なのだ。欲望と恐れに支配され、彼らは何も適切なことができない。悪を為さないことが善をはじめることに先立つ。それゆえ、すべての活動をひとまず止める必要があるのだ。人の衝動とその動機を調べ、人生のなかでそれらがみな偽りであることを見て、あらゆる悪のマインドを清浄にし、その上でようやく自分の明白な義務から仕事を再開するのだ。もちろん、もしあなたが誰かを助ける機会があるなら、ぜひそうしなさい。それも敏速にしなさい。あなたが完全になるまで彼を待たせる必要はない。だが、善行を職業にしてはいけない。


質問者 弟子たちの間にそれほど多くの善行をする人たちがいるようには見受けられません。私の出会ったほとんどが、自分の取るに足らない葛藤に没頭しています。彼らには他者を想う気持ちがないのです。


マハラジ そのような利己主義は一時的なものだ。そのような人びとに対して忍耐強くありなさい。長年、彼らは彼ら自身以外のすべてに注意を払ってきたのだ。ときには、彼らの注意を彼ら自身に向けさせようではないか。


質問者 自己覚醒の成果とは何でしょうか?


マハラジ あなたはより知的に成長するのだ。気づきのなかであなたは学ぶ。自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶのだ。もちろん、あなたはあなたではないものだけを学ぶことができる。あなたが何であるのかを知るには、マインドを超えた彼方へ行かなければならない。


質問者 気づきはマインドの彼方にあるのではないのでしょうか?


マハラジ 気づきとはマインドがそれ自身の彼方にある実在のなかへ届こうとする点なのだ。気づきのなかで、あなたはあなたを喜ばすものを探すのではなく、真実なるものを探すのだ。


質問者 私は気づきが内面の沈黙の状態、精神的空の状態をもたらすことを見いだしました。


マハラジ それはそれでよいが、充分ではない。あなたはそのなかで宇宙が青空の白雲のように漂う、すべてを包括する虚空を感じただろうか?


質問者 まずは私自身の内なる空間をよく知るようにさせてください。


マハラジ 「私は身体だ」という分離をもたらす壁を壊しなさい。そうすれば、内面と外面はひとつになるだろう。


質問者 私は死ぬのでしょうか?


マハラジ 身体的崩壊は無意味だ。感覚的な生にしがみつくことがあなたを束縛するのだ。もしあなたが内面の虚空を完全に体験するなら、全体性のなかへの爆発は間近なのだ。


質問者 私自身の霊的成長には、それなりの時期があるのです。ときおり私は荘厳に感じ、そしてふたたび落ちこむのです。私はまるでエレベーター・ボーイのようです。上がったり下がったり、上がったり下がったり。


マハラジ 意識における変化はすべて、「私は身体だ」という観念によるものだ。この観念を取り除くことで、マインドは安定する。特定の体験から自由な、純粋な存在がある。だが、それを実現するには、あなたは師の言うことをしなければならない。ただ聞くだけ、あるいは覚えることさえ充分ではないのだ。日常生活のなかで、師の一言ひとことを適用するよう懸命に専念しないかぎり、あなたに進歩がないと不平を言ってはならない。本当の進歩とは、みな後戻りできないものだ。上がったり下がったりは、教えがマインドに届いていず、完全に行動に移されていないことを示しているのだ。


質問者 先日、あなたはカルマなどというものはないと言われました。それにもかかわらず、私たちはあらゆるものごとに原因を見ます。それゆえ、すべての原因の合計がカルマと呼ばれるのかもしれません。


マハラジ あなた自身を身体だと見なすかぎり、あなたはすべてに原因を帰するだろう。私はものごとに原因がないと言ってはいない。それぞれのものごとには無数の原因がある。それはあるがままだ。なぜなら世界はあるがままだからだ。すべての原因とその支流は宇宙を覆っている。
あなたにはあなたが承諾するものになる絶対の自由があり、あなたがあなたであるように見えるのは無知あるいは無関心のためだと自覚したなら、反抗し、変わることはあなたの自由だ。あなたはあなた自身ではないものとして在ることを許している。あなたはあなたではないものの存在の原因を探しているのだ! それは無駄な探求だ。すべての因果関係を超えた、完全なる真の存在に対するあなたの無知以外に原因などない。なぜなら、何が起ころうとも、責任はすべての宇宙にあり、そしてあなたが宇宙の源だからだ。


質問者 私は宇宙の原因であることなど、何も知りません。


マハラジ あなたが「私は身体だ」という病原体に侵されたとき、宇宙全体が存在のなかに現れるのだ。だが、あなたがもうこれ以上はたくさんだというほどそれを味わったとき、解脱(げだつ)についての空想的な考えをマインドに抱いて、まったく無駄な行動を追求しはじめる。あなたは集中し、瞑想し、マインドと身体を苦しめて、あらゆる類の不必要なことをする。だが、個人を消去するという本質的なことは見逃してしまうのだ。


質問者 はじめのうちは、私たちが真我の探求をする用意ができるまで、しばらくの間、祈りと瞑想をするべきなのかもしれません。


マハラジ もしあなたがそう信じるなら、そうすればいい。私にとっては、あらゆる遅れは時間の浪費だ。あなたはすべての準備を飛び越え、内なる究極の探求に直接進むことができるのだ。すべてのヨーガ(修練)のなかで、それがもっとも簡単で、最短なのだ。


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