
第三のヒロシマ前夜19
久しぶりに読んでくださっている人がいると知ったときに改めて書きたいと思ったことがある。
それはこのブログを書いている私がいま、何を一番大切だと思っているか。
一番大切なことは
「自分の意識のすばらしさに自分で気づくこと(外側の出来事や物事 → 内側の自分自身の意識に視線を転換すること)」
この転換がむずかしいのだ。むずかしいと考えることが転換を妨げるから。
これを二字で書くと「神界」になる。
一字で書くと「神」になるが、そういう書き方をすれば誤解だけされて内容が伝わらなくなる。
二字の神界ですら、そんなものが実在すると死ぬまで信じない人のほうがきっと多いと思う。これは当然で、人間はこの世に誕生したらそれまでのことを忘れるし、人生の土台そのものである自分の意識に対して無意識になるからだ。
ディズニーのシンデレラでは、母親がシンデレラに「勇気」と「優しさ」を大事にし続けるように伝えた。
ところが霊が伝える人生訓は異なる。
クリシュナムルティが言うように、「非暴力」を信奉するのは、ほんとうは「暴力的」だからに他ならない。
外側にある物質や理念を大切にしようとするのではなく、そもそも今本当にここにあるもの、にちゃんと気づいているのだろうか? という問題提議は大切な視点だと思う。
人生で様々な体験をしても、
「土台」である意識には気づかないことが多い。
勇気と優しさを大事にしようとすることにはもちろん意味があるし、価値がある。でもその分、土台の重要性には気づいていないのではないだろうか。
そういう土台に気づき、外在ではない、内在の神界とその願いに気づくこと、それがこのブログを5年書いている私が一番大事だと日常感じ、常に「失敗」していることだ。
このブログの最初のページに書いたとおり、覚醒の定義というのは
1、一瞬たりとも絶対的幸福感以外感じない
2、一瞬たりとも怖れや怒りを感じない
3、意識的な選択が一切ない
この3点を満たしていない場合は、覚醒はしていない。というより、覚醒として覚醒(虚空=純粋な覚醒)していない。ただの一人の人間として日常で選択を繰り返しながら生きていることになる。
これを満たしていないのに「何かを知った」と思うことの危険性は、常に自覚していたい。
そして、そういう人間特有の態度というか、
一人悩み、一人行動し、一人恥じ、一人悔い、一人心の底から魂の家を探し続ける、そういう人間の本質と表層の現象のすべてを、神界は慈愛の光で照らしていることを自覚していたい。
人はダメなのだ。神に再会するまで、神界に再会するまで、自分が何のために生きているかは忘れたまま生きることを強制されている。そのほうが霊性の成長に集中できるという理由かららしい。だからこそ、人同士は、己の弱さや小ささをそのまま正直に共有したほうがよい。神界は人を見捨てることはない。人が神界を見捨て(忘れ)、勝手に苦悩することしかない。
神界の実在と、その恩寵に報いるために、一人の弱い人間として覚醒(真我)に向き合いたい。今はそんなことを思っている。
北朝鮮の核問題の行方はほぼ2つに絞られた。米国が軍事攻撃して核を除去するか、金正恩(キム・ジョンウン)体制が崩壊するか――である。いずれにせよ2018年中に決着する可能性が高い。
中ソと異なり共存できない
トランプ(Donald Trump)大統領の国連演説(9月19日)を通じ、米国は「北朝鮮の核武装はいかなる形であっても認めない」姿勢を明確に打ち出した(「北朝鮮に『最後通牒』を発したトランプ」参照)。
もし北朝鮮がテロリストに核を売らないと約束すれば、あるいは、米国まで届くICBM(大陸間弾道弾)を開発しなければ、核武装を黙認する、との構想がワシントンで語られたこともあった。しかしトランプ大統領はそうした妥協策をはっきりと否定したのだ。
妥協案の背景には「核保有国のソ連や中国とも米国は共存した。核を持つ北朝鮮ともできないはずがない」との理屈がある。だがトランプ政権は北朝鮮を、金正恩という異常な指導者に率いられる共存できない存在と見なした。
韓国での国会演説(11月8日)でトランプ大統領は、数々の例をあげて北朝鮮の人権蹂躙を非難し「狂信的カルト集団」と規定した(「トランプ大統領の韓国国会演説のポイント(1)」参照)。
■トランプ大統領の韓国国会演説(2017年11月8日)のポイント(1)
北朝鮮の人権侵害を具体的に訴え
10万人の北朝鮮人が強制収容所で強制労働させられており、そこでは拷問、飢餓、強姦、殺人が日常だ
反逆罪とされた人の孫は9歳の時から10年間、刑務所に入れられている
金正恩の過去の事績のたった1つを思い出せなかった学生は学校で殴られた
外国人を誘拐し、北朝鮮のスパイに外国語を教えさせた
神に祈ったり、宗教書を持つクリスチャンら宗教者は拘束、拷問され、しばしば処刑されている 外国人との間の子供を妊娠した北朝鮮女性は堕胎を強要されるか、あるいは生んだ赤ん坊は殺されている。中国人男性が父親の赤ん坊を取り上げられたある女性は「民族的に不純だから生かす価値がない」と言われた
北朝鮮の国際的な無法ぶりを例示
米艦「プエブロ」の乗員を拿捕し、拷問(1968年1月)
米軍のヘリコプターを繰り返し撃墜(場所は軍事境界線付近)
米偵察機(EC121)を撃墜、31人の軍人を殺害(1969年4月)
韓国を何度も襲撃し指導者の暗殺を図った(朴正煕大統領の暗殺を狙った青瓦台襲撃未遂事件は1968年1月)
韓国の艦船を攻撃した(哨戒艦「天安」撃沈事件は2010年3月)
米国人青年、ワームビア氏を拷問(同氏は2016年1月2日、北朝鮮出国の際に逮捕。2017年6月に昏睡状態で解放されたが、オハイオに帰郷して6日後に死亡)
「金正恩カルト体制」への批判
北朝鮮は狂信的なカルト集団に支配された国である。この軍事的なカルト集団の中核には、朝鮮半島を支配し韓国人を奴隷として扱う家父長的な保護者として指導者が統治することが宿命、との狂った信念がある
核兵器を持つ国同士が厳しく対立したからといって、必ずしも核戦争は起きない。相手を先制攻撃しても核で反撃されたら我が身も滅びる――と指導者が考えるからだ。核による均衡、専門用語で言えば「相互確証破壊」(MAD=Mutual Assured Destruction)である。
だがMADは「相手も自国民の被害に思い至り、合理的に考えて先制核攻撃はしてこないだろう」と双方が確信した時に成立する。
暗殺、クーデターで体制崩壊
北朝鮮は自国民の人権をためらいもなく侵害してきた。「米国や日本、韓国を先制核攻撃する」とも言い放ってきた(「米中は金正恩を『アジアのムガベ』にできるか」参照)。そんな異常な国とMADは成立しないのだ。
12月12日、ティラーソン(Rex Tillerson)国務長官が再び、MADが成り立たない北朝鮮には核を一切持たせないと言明した。アトランティック・カウンシル(Atlantic Council)での演説だ。
同長官は「北朝鮮はソ連や中国、ほかの核保有国にも相当しない。何らかの国際的規範に裏打ちされた行動をしてこなかった。それどころか正反対だ。だから大統領も私も核武装した北朝鮮を認めない」と述べた。原文は以下だ。
That certainly was not the case with the Soviet Union. It’s certainly not the case with China. It’s certainly not the case with other nuclear countries that possess nuclear weapons.
These are countries that have a history of abiding by certain international norms. North Korea has no such record. In fact, their record is quite contrary to that.
And that’s the reason the President and I agree with his assessment that we simply cannot accept a nuclear-armed North Korea, and I think that’s why it is the policy of the neighborhood as well.
米国がここまではっきりと「北の核は認めない」と宣言した以上、ICBMを持たなければ暗黙裡に核保有を認める、といった妥協はできない。
結局、北朝鮮が核を捨てない限り、米国にとって選択肢は2つしかない。軍事行動で核を取り上げるか、あるいは北朝鮮の指導層に、暗殺やクーデターで金正恩体制を倒させるか、である。
前者の場合も体制が崩壊する可能性が高い。全面的な軍事攻撃を実施する際、米国は当然、空爆による金正恩暗殺を狙う。それに失敗しても、核武装以外に実績のない若い「敗軍の将」が政権を維持するのは容易ではない。
発射台だけ先制攻撃
英紙テレグラフ(電子版)は12月20日「北朝鮮が新型ミサイルを試射する前に、そのミサイル発射台を破壊する作戦『Bloody nose』を検討中」と報じた。「Exclusive: US making plans for 'bloody nose’ military attack on North Korea」である。
テレグラフは「米国はICBM破壊により本気であると金正恩に見せつけ、核開発の中断と米国との交渉につなげたい考えである」とも報じた。
核施設を航空機やミサイルで破壊するなら、レーダーなど防空網や日米を攻撃するミサイル基地など、軍事関連施設のすべてを叩く大規模な戦争になる可能性が高い。
それを避けるためICBMの発射台に限って攻撃を実施するアイデアが浮かんだのだろう。だが、この「限定的な攻撃」を受けた北朝鮮が、反撃して全面戦争に発展しないとの保証はない。
いずれにせよこうした構想を練るに至るほど、米国は外交による解決に希望を持たなくなっているのだ。 鈴置高史20171226
マハルシ 瞑想とは一つの想念だけを想い続けることです。その一つの想念が他のすべての想念を遠ざけます。心の散漫は精神力の弱さの兆候です。たゆみなく瞑想を続けることによって心は力を得ていきます。つまり移り変わりやすい心の弱さが、その背後にある恒久的な無心状態に場を明け渡すのです。この無心の広がりが真我です。純粋な心が真我なのです。
(対話293)

神のただひとつの計画とは、在ることなのだ。それは、あらゆるものがひとつのものとして振動している状態で、それぞれがまずは思考から始まり、それから思考が物質へと固まりながら振動しているのである。それは、あらゆるものが意識に何かを加えたり、そこから何かを取り出したりして、生命の次の瞬間を表現しながら、その瞬間を延長している状態なのである。存在するあらゆるものは、ほかのすべてと同時に表現され、永遠の中の次の瞬間へと入っていく。もし神が何かを計画することができたとしたら、それによって、これからやって来るすべてのものは制限されてしまうことだろう。
神は善でもなければ、悪でもない。「父」はただ在るだけであり、すべての生命の「在ること」なのだ。そして、単に自分自身を知るために喜びを得るということ自体の喜びのために生きる「今」という瞬間の表現なのだ。そして、この生命の本質には、その一部を「よい─悪い」、「邪悪─神聖」、「完全─不完全」というふうに価値判断を下すことによって、「在るという状態」から別のものに変質する能力はないのである。
神は完全に無限であり、「在ること」というひとつの分割できない全体性なのだ。それゆえ神は、制限された狭い見方で自分自身を見つめることはできないのである。
あなたは永遠の存在であるということ、またこれまでもけっして失敗したことはないということを知りなさい。そして、あなたがこれまでに犯したただひとつの間違いは、間違ったことをしたと信じたことだということを知りなさい。

質問者 もう何年も何年もあなたの教えは同じままです。あなたの語ることに進展は見られないようです。
マハラジ 病院では患者が治療され、回復していく。治療とは変化のほとんどない決まりきった仕事だ。だが、健康については何も単調ということはない。私の教えは決まりきったものかもしれない。しかし、その結果は人によって新たなものだ。
質問者 真我の実現とは何でしょうか? 誰が実現した人なのでしょうか? ジニャーニ(賢者)は何によって認識できるのでしょうか?
マハラジ ジニャーナ(真理の知識)特有の証拠というものはない。無知だけが認識できる。ジニャーナは認識できない。ジニャーニは自分が何か特別な存在だとは主張しない。自分自身の偉大さ、特別さを宣言する者はジニャーニではない。彼らは実現に向けての何か特別な発達を実現と考え違いをしたのだ。ジニャーニには、自分がジニャーニだと宣言しようとする意図はない。彼は彼自身を完全に普通と考え、彼の真の本性に忠実なのだ。自分自身を万能の、全知全能の神として宣言することは、明白なる無知のしるしだ。
質問者 ジニャーニは彼の体験を無知な人に伝えることができますか? ジニャーナはひとりの人から別の人に伝達できるのでしょうか?
マハラジ それはできる。ジニャーニの言葉は、マインドのなかの無知と暗闇を追い払う力を持っている。言葉ではなく、その背後にある力が重要なのだ。
質問者 その力とは何でしょうか?
マハラジ 真我実現の直接的体験をもとにした確信の力だ。
質問者 ある真我を実現した人が、知識は勝ち取るものであり、受け取るものではないと言いました。ほかの人が教えることはできるが、学ぶことは自分自身によるものだと言っています。
マハラジ それは同じことだ。
質問者 ヨーガを何年も何年も修練し、何の結果も得られない人たちは大勢います。何が彼らの失敗だったのでしょうか?
マハラジ 何人かは意識を停止させた恍惚状態に耽溺したためだ。完全な意識なしにどんな進展がありうるだろうか?
質問者 多くの人がサマーディ(三昧(ざんまい)状態)の修練を積んでいます。サマーディでは、意識は強烈なはずです。しかしながら彼らは何の結果も得ていません。
マハラジ 何の結果を期待するというのだろう? そしてなぜジニャーナが何かの結果であるべきなのだろうか? ひとつのことが別のことへと導いていく。しかしジニャーナは原因と結果に縛られるようなものではない。それは因果律を完全に超えたものなのだ。それは真我のなかにとどまることだ。ヨーギは多くの不思議にであうだろう。だが真我に関して彼は無知なままだ。ジニャーニが見、感じることは普通のことかもしれない。だが、彼は真我を知っているのだ。
質問者 数多くの人びとが真我の実現のために真剣に努力をしています。しかし結果は乏しいものです。何がその原因なのでしょうか?
マハラジ 彼らは知識の源を充分調べなかったのだ。感覚、感情、思考を彼らは充分知らないのだ。これが遅れのひとつの原因かもしれない。ほかには、ある欲望がいまだに生き残っているかもしれないことだ。
質問者 サーダナにおける浮き沈みは避けられないものです。誠実な探求者は、それでもこつこつと取り組みます。ジニャーニはこのような探求者のために何ができるでしょうか?
マハラジ もし探求者が誠実ならば、光は与えられるだろう。光はすべてにとって、つねにそこにある。だが、探求者がまれなのだ。探求者のなかでも用意のできた者はたいへんまれだ。成熟したハートとマインドが不可欠なのだ。
質問者 あなた自身の真我実現は、努力を通して得たのでしょうか? それとも、グルの恩寵によってでしょうか?
マハラジ 教えが彼の恩寵で、信頼が私の努力だった。彼への信頼が、私に彼の言葉を真実として受け入れさせ、その中に深く入っていき、それを生きるようにさせたのだ。そしてこれが、私が私で在るということを実現させたのだ。グルの人格と言葉が、私に彼を信頼させ、そして私の信頼が実を結ばせたのだ。
質問者 しかし、グルは言葉なしで、信頼もなく、ただこのように何の準備もなく真我の実現を与えることができるのでしょうか?
マハラジ できる。だが、どこに受け取る人がいるだろうか? 私は本当にグルと心をひとつにしていた。まったく完全に彼を信頼し、彼への抵抗は無に等しかったため、すべてはやさしくすばやく起こったのだ。しかし、誰もがそのように幸運なわけではない。怠惰と落ち着きのなさはしばしば道を阻み、それらが取り除かれるまで進展は遅くなる。ただグルが触れ、見、思うだけで、その場で真我を実現した人たちは、すでに成熟していたのだ。しかし、そのような人は本当にまれだ。大多数は成熟するまでに、いくらかの時が必要だ。サーダナは成熟を加速するものだ。
質問者 何が人を成熟させるのでしょうか? 何が成熟の要因でしょうか?
マハラジ もちろん、真剣さだ。人は本当に熱望しなければならない。つまるところ、真我を実現した人はもっとも真剣な人だ。何であれ彼がすることは、限界も制限もなく完全だ。真剣さがあなたを実在へと連れていくのだ。
質問者 あなたは世界を愛していますか?
マハラジ 傷つけられたとき、あなたは泣く。どうしてだろう? なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。あなたの愛を身体に閉じこめてはならない。開いておきなさい。そうすれば、それはすべてへの愛となる。すべての偽りの自己同一化が捨て去られたとき、すべてを包容する愛が残る。あなたに関する考えをすべてぬぐい去りなさい。あなたが神だという考えさえも捨て去りなさい。いかなる自己定義も正当ではない。
質問者 私は約束に疲れました。私はサーダナに疲れてしまいました。それは私の時間とエネルギーを使い果たし、何の見返りもありません。私は実在が今ここで欲しいのです。それはできますか?
マハラジ もちろん、できる。あなたが本当に、あなたのサーダナも含めたすべてに愛想をつかしたと言うのならば。あなたが世界から何も要求せず、神からも何も求めず、何も探さず、何も期待しないとき、至高の状態は招かずして、不意にあなたのもとへやってくるだろう。
質問者 もし家族生活と世間の関心事に没頭している人が、聖典に記述されたとおりに厳しくサーダナをしたならば、彼は結果を得るでしょうか?
マハラジ 結果は得るだろうが、彼はそれらのなかに、さなぎのように包みこまれてしまうだろう。
質問者 数え切れないほどの聖者たちが、あなたは成熟し用意ができたときに真我を実現するだろうと言ってきました。彼らの言葉は真実かもしれません。しかし、それらは役に立ちません。時間を必要とする成熟に依存せず、努力が必要なサーダナにも依存しない道がかならずあるはずです。
マハラジ それを道と呼んではならない。それはある種の技なのだ。それでさえもない。開いていて、静かで在りなさい。あなたの探しているものは本当にあなたの近くにある。だから、道と呼ぶにはふさわしくないのだ。
質問者 世界には数え切れないほど無知な人々がいるのに、ジニャーニはほんのひとにぎりです。何が原因なのでしょうか?
マハラジ 他者にかまうよりも、自分自身の面倒を見なさい。あなたはあなたが存在することを知っている。あなた自身の上に名前という重荷を負わせてはならない。ただ在りなさい。いかなるものでも名前や形を自分自身に与えることで、あなたの真の本性は隠されてしまうのだ。
質問者 なぜ真我の実現の前に探求は終わらなければならないのでしょうか?
マハラジ 真実への欲望は最高の欲望だ。だが、それはいまだに欲望であることに変わりはない。真実が在るためには、すべての欲望が放棄されなければならないのだ。あなたは在る、ということを覚えていなさい。これがあなたの仕事の資本だ。その資本を回転させなさい。そうすれば多大な利益を生むだろう。
質問者 そもそも、なぜ探求があるのでしょうか?
マハラジ 人生とは探求なのだ。探求するほかないのだ。すべての探求が終焉したとき、それが至高の状態だ。
質問者 至高の状態はなぜ来ては去っていくのでしょうか?
マハラジ それは去来するものではない。それは在る。
質問者 あなたは自分の体験から話しているのでしょうか?
マハラジ もちろんだ。それは時間を超えた常在の状態なのだ。
質問者 私にとってそれは去来し、あなたにとってはそうではありません。この違いはなぜでしょうか?
マハラジ おそらく、私に欲望がないからだろう。あるいは、あなたが至高なる者を充分強く求めてはいないからだ。あなたのマインドが実在に気づかないとき、あなたは死にもの狂いでなければならないのだ。
質問者 全人生において、私は努力してきました。そして何も達成しなかったのです。私は読み、話を聞いてきましたが、すべては無駄でした。
マハラジ 読むことと聞くことがあなたにとって習慣になってしまったのだ。
質問者 それらもまた放棄しました。近頃は読むことさえもしません。
マハラジ 放棄したものはもはや重要ではない。あなたが放棄していないものは何だろうか? それを見つけ、放棄しなさい。サーダナとは放棄するものを探すことだ。あなた自身を完全に空っぽにしなさい。
質問者 どうして愚か者に智慧を望むことができるでしょうか? 人が強く望むためには、欲望の対象を知る必要があります。至高なるものが知られていないのに、どうやって求めることができるでしょうか?
マハラジ 人は自然に成熟していくものだ。そして真我の実現にふさわしくなるのだ。
質問者 しかし、成熟の要因は何でしょうか?
マハラジ 自己想起、「私は在る」という気づきがあなたを強力に迅速に成熟させる。あなた自身に関するすべての観念を捨て去りなさい。そして、ただ在るのだ。
質問者 私はすべての道や方法や技や計略に疲れました。それらはすべて精神的なアクロバットです。実在を直接、即時に知覚する術はないのでしょうか?
マハラジ あなたのマインドを使うことをやめ、何が起こるか見てみなさい。これだけを徹底してやりなさい。それだけだ。
質問者 私が若かったとき、短いけれども忘れがたい奇妙な体験をしました。それは無としての存在、ただの無でありながら、しかも完全に意識して在るというものです。しかし危険なのは、すでに過ぎ去った瞬間の記憶からそれを再生しようとする欲望をもつことです。
マハラジ それはすべて想像だ。意識の光のなかで、ありとあらゆることが起こる。人はそのどれにも特別な重要性を与える必要はない。花の眺めは神のヴィジョンを見ることと同じように奇跡的なものだ。それはそれとして放っておきなさい。なぜ思い出し、その記憶を問題にしなければならないのか? それを片寄りなく見ることだ。高い低い、内側と外側、永遠と一過性を区別してはならない。彼方へと超えていきなさい。源に戻りなさい。何が起ころうと変わらない自己へと向かいなさい。あなたの弱点は、あなたが世界のなかに生まれたと確信していることだ。実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、つねに再創造されているのだ。すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとして見なさい。その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。
質問者 もし私がその光ならば、なぜ私はそれを知らないのでしょうか?
マハラジ 知るためには知る能力のあるマインド、知るマインドが必要だ。しかしあなたのマインドはつねに走りまわり、けっして静止せず、完全に反映しない。目の病で視界が曇っているとき、どうして月の壮麗な姿を見ることができるだろう?
質問者 太陽が影をつくり出す原因であるかぎり、影のなかに太陽を見ることはできない、と言えるでしょうか?私は振り返らなければならないのです。
マハラジ またしても、あなたは太陽、身体、影という三位の概念をもち出した。実在のなかにそのような区別はないのだ。私の話していることは、二元性や三位とは何の関わりもないことだ。知的な理解や言語表現をしてはならない。ただ見なさい。そして在りなさい。
質問者 在るために、見なければならないのでしょうか?
マハラジ あるがままのあなたを見なさい。他者に聞いてはならない。あなた自身に関して他者に言わせてはならない。内面を見なさい。すべての師たちが言えることはこれだけだ。ひとりの師からほかへと渡り歩く必要はない。すべての井戸のなかに同じ水があるのだ。一番近い井戸から水を引くがいい。私の場合、水は私のなかにあり、私が水なのだ。
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HN:
Fiora & nobody