第三のヒロシマ前夜27


みな身から出たさびだ。
さびを出すのが嫌だったら自分を純金にするか、絶えず自分を磨いていなければいけない。自分では何もせずに、さびが出るのに不平を起こすのは己を知らない者だ。

武者小路実篤


マハルシ それには、「私は心や現象を超越した真我である」という強烈な確信が必要とされます。


マハルシ たとえ心が活動的であろうと、それが何だと言うのでしょう? それはただ根底に在る真我の上でさ迷っているだけです。心が活動している間でさえ、真我をとらえなさい。


マハルシ ただ「私は真我である」という断固たる確信が必要なだけです。他の活動は、むしろあなたにヴェールを覆っているのです。


マハルシ つまり、確信が弱かったのです。

(対話406)


マハルシ あなたの心が落ち着きを失ってさ迷い出すからです。
疲れるのは心であってあなたではないのです。


新しい状態を得ようとする必要などありません。あなたが抱いている想念を今棄て去りなさい。
あなたは想念から自由だからです。


想念から自由になりなさい。何もとらえてはいけません。それらがあなたをとらえているわけではないのです。


質問者 マハルシは「想念を心から剥ぎ取るべきだ」と言われました。


マハルシ それ自体が想念なのです。
あなたに必要なことは、ただあなたの限定を剥ぎ取るだけです。


質問者 しかしそれが最も困難なことなのです。


マハルシ これもまた想念です。そしてそれが障害なのです。

(対話472)



ボブ あなたの経歴は?


デル 私は1972年に探求をはじめました。私はTM(超越瞑想)からはじめました。それから他の瞑想やたくさんのことを試みました。長いこと把握しようとしてきました。それで、その把握のプロセスに人はどう明け渡すのでしょうか?


ボブ あなたが話しているそのあなたというのは何ですか? あなたはそのなかを覗いたことがありますか?


デル 私は今それに働きかけています、あなたの本を読んでから。


ボブ あなたは自分が存在することを知っています、そうですね? あなたはそれを否定できません。その自分が存在することを知っていることは、マインドをとおして「私は在る」という思考として表現されます。あなたが自分だと思っているその人とは、単なる精神的な像なのです。それには独立した本質が何もありません。もしあなたが意識していなかったら、あるいは気づいていなかったら──つまりもしその知っていることがそこになかったら──あなたは自分自身というその精神的イメージをもつことはできなかったはずです。ですから、そのエゴ、あるいは偽りの自己中心とは、すべてがそこから評価される参照点であり、それは虚構なのです。そしてあなたは、全人生をその虚構とともに生きてきたのです。分離という観念は、その「私」という観念に基づいた虚構です。あなたが求めているもの、あなたはすでにそれなのです。その「私」という観念がはじまるやいなや、それはつねに対極のペアのなかで機能します。もしそれが過去、つまり記憶でなかったら、それは未来、つまり期待や想像です。その範囲内で、それは対極のペアのなかで振動しているのです。良い/悪い、楽しい/苦しい、嬉しい/悲しい、と。あらゆることがそのあなた自身というイメージから判断されますが、それは過去の死んだイメージなのです。それが有効な参照点でないのは、過去からのものだからです。それは死んでいます。あなたが求めているもの、あなたはすでにそれなのです。あなたはこの現在の瞬間から外に出ることはできません。あなたは過去を思い出すことはできますが、過去の瞬間を生きることができるでしょうか? もちろんできません。あなたは現在に過去を思い出すことができるだけです。あなたは未来を想像することができますが、それはこの現在しか、たった今しかできません。ですから、これこそが現実なのです──この瞬間が。これこそがあなたが生きられる唯一の瞬間です。あなたは逆戻りして、過去を思いだすことができます。悟りや、そういうナンセンスをすべて期待することはできます。私たちはそういうことを何年もやってきました。そしてそうするなかで私たちは疑う余地のないものを見逃してきたのです。この現在という瞬間です。だから、これを見ることです。それを調べるのです。あなたは、あなたがあなたであるものと、つまり純粋な存在意識とともに残されるのを発見するでしょう。


デル 私のすべての欲望が浮上してくるのを、私はどうすれば止められるのでしょうか?


ボブ 誰がですか? もう一度見てください。あなたが「私はどうすれば……」と言うとき、あなたは誰のことを言っていますか? それに目を向け、それを尋ねるのです。わかりますね。欲望とは何か? ひとつの思考です。それはひとつの思考への固着です。もしあなたがある想念や思いつきに固着しなかったら、その想念は自由に流れます。いいですか、その固着はエネルギーの詰まりです。それはあるがままに対する抵抗です。あるがままに対するどんな抵抗も、葛藤です。あなたは思考を止めることはできません。それはただその思考にはどんな実体も、また独立した本質もないことを理解するということなのです。あなたのなかには、何かを止めたり何かをしたりできる何らかの力をもったどんな実体も存在しません。しかしそれを理解することが重要なのです。その抵抗の認識は、無抵抗の地点から起こるに違いありません。その無抵抗の瞬間、あなたは在るのです。自分が抵抗していることを、あなたは無抵抗からしか認識できません。例えば、もしあなたが完全に狂っていたら、あなたにそれはわかりません。正気の地点からしか、あなたは自分の狂気を認識しません。その無抵抗の地点からの抵抗の認識のなかで、あなたはごく微妙なくつろぎに気づくでしょう。そしてしばらくして、それがより頻繁に起こるうちに、それはもっとはっきりしたものになります。その瞬間、そこに手放しがあります。


デル しかしそれをどう手放すのですか?


ボブ あなたにはできません。そこに何かをするあなたはいません。それはただ認識するという問題です──見守り、その瞬間に気づいているということです。「どうやって」と言ったとたん、あなたはやり方を物色しているのですが、あなたは再びそれを自己中心に、参照点に関係させているのです。


デル その認識はどこから来るのですか?


ボブ 純粋な知性エネルギーからです。あなたはたった今、自分が存在していることを知っています、そうですね? あなたにはこの部屋のあらゆるものが見えていますね? それをあなたはどこから認識しているのですか? 思考ですか? それは思考に先だって在るのではありませんか? あなたが考える前に、あなたはすべてを見ているのではありませんか?


デル はい。


ボブ その自然に知ること、または純粋な知性エネルギー、それが本当のあなたです。その空虚、その認識する空、知る力に満ちた、知性に満ちた空です。だから私はそれを、「神」や「霊」といった言葉ではなく、むしろ「知性エネルギー」と呼ぶのです。なぜなら神については誰もが違った概念をもっているからです。それは混乱を引き起こします。私が話している知性エネルギーとは、宇宙で機能しているのと同じ知性です。それは星々を軌道に保ち、潮の満ち引きを保っています。それがあなたの心臓を鼓動させ、あなたの食べ物を消化し、といったことをしているのです。あなたは自分の細胞に成長するように告げる必要はありません。その「私」は何もできないのに、それができると私たちが信じているのは、私たちの焦点が考えることのなかにあるからです。


デル 最近六ヶ月間というもの、私はたくさんの瞑想と自己探求をしてきました。ラマナ・マハルシは人びとに「私は誰か?」と問うようにと告げました。


ボブ それであなたは何かを発見しましたか?


デル いいえ。


ボブ そうです、なぜならそこには何もないからです! あなたはけっして、マインドのなかにその答を見つけることはないでしょう。


デル それが私が探していた場所です。私たちの過去の条件づけのために、私たちは答えを求めているのです。そしてそこに答えはありません。


ボブ そのとおりです。マインドは二元論です。それは対極のペアのなかへと振動していくのです。


デル もし私たちがマインドのなかに答えを見つけられないのなら、私たちはどこでそれを見つけられるのでしょうか?


ボブ フルストップ。


デル どこにフルストップがあるのですか?


ボブ たった今です。思考がないと、あなたに見えることが停止しましたか? あなたに聞こえることが停止しましたか?


デル いいえ。


ボブ ただ考えるのをやめただけでは、あなたは存在をやめもしなければ、分解することもありません。フルストップはマインドに先立って在ります。思考がなくても、あなたはまだ存在しているのです。


デル あなたはどうやって思考を止めるのですか?


ボブ あなたはそれを止めません。あなたにそれを止めることはできません。そうではなく、思考が何であるかを理解するのです。あなたが自分に「もし自分がそれについて何も考えなかったら、たった今何が間違っているのか?」と尋ねるとき、あなたはどうするでしょうか? あなたはちょっと止まって調べるでしょう。その一瞬の沈黙の、その瞬間には、そこに思考はありません。そしてそこに思考がないとき、あなたは何を認識するでしょう? あなたは自分が何も言えないことを知ります。あなたには、いいとか悪いとか、そんなことは何も言えません。でもあなたは分解していない。あなたはやはり、自分が存在するというその基本的な「知」──マインドに先だって在るその存在意識なのです。そこで、あなたは考えるマインドと実在との──その純粋な知性との違いを理解します。それはつねにそこにあるのですが、私たちはあまりにもマインドに焦点が合っているために、それを無視するのです。私たちはマインドがすべてをやっているのだと思う。そうではないのです。

「Living Reality(P152-155)」



質問者 マインドの最高の力は、理解、知性、そして洞察です。人は三つの身体をもっています。粗大身、微細身、原因身* (プラーナ、マナ、カラナ)です。粗大身は彼の存在を反映し、微細身は知識を、原因身は喜びに満ちた創造性を反映します。もちろん、これらは意識のなかで形成されたものです。しかし、それらは各々の特質をもって、分離しているように見えます。知性(ブッディ)はマインドのなかでの知的能力の反映です。それがマインドを知識あるものにするのです。知性がより優れるほど、知識はより広く、深く、真正になります。ものごとや人を知ること、そして自己を知ることは、すべて知性の機能なのです。最後のものがもっとも重要で、前の二つを含んでいます。自分自身や世界を誤って理解することは、不正な考えや欲望をもたらし、それがまた束縛となります。自己への正しい理解が、幻想である束縛からの解放に欠かせません。これらすべてを理論としては理解できるのですが、実際問題となると、私は状況や人びとへの対応に失敗し、私の不適切な反応が束縛をさらに加えるばかりなのです。人生は私の鈍く、遅い思考にはあまりにも速く進みます。古い習慣がすでに繰り返された後で私は理解するのですが、遅すぎるのです。


* 訳注 粗大身、微細身、原因身
粗大身はストゥーラ・シャリーラと呼ばれ、一番外側の身体、肉体を表す。微細身はスークシュマ・シャリーラと呼ばれ、知的な働きをする身体を表す。原因身はカーラナ・シャリーラと呼ばれ、内面的な身体を表す。ヒンドゥー教の教義においては、これら三つの身体をトリ・シャリーラと呼んでいる。


マハラジ それでは、あなたの問題とは何かね?


質問者 私には知性だけではなく、人生で起こる出来事に即座に対応できる能力が必要なのです。そしてそれが完全に自発的でないかぎり、即座とは言えません。どうすれば、そのような自発性を達成できるのでしょうか?


マハラジ 太陽を引きつけるために鏡にできることは何もない。それはただ輝きつづけるだけだ。マインドが用意できしだい、太陽はそのなかで輝くのだ。


質問者 その光は、真我のものでしょうか、あるいはマインドのものでしょうか?


マハラジ 両方だ。光はそれ自身原因をもたず、変化もしない。マインドが動き、変化するにしたがって、それは色づけされる。それは非常に映画に似ている。光はフィルムのなかにはないが、フィルムが光に色づけをし、それを遮ることによってあたかも動いているように見せるのだ。


質問者 あなたは今、完全な状態に在るのでしょうか?


マハラジ 完全とはマインドが純粋なときの状態だ。状態が純粋であろうと、不純であろうと、何であれ、私はマインドを超えている。気づきが私の本性なのだ。究極的には、私は存在も非存在も超えている。


質問者 あなたの状態に到達するには瞑想が役立つのでしょうか?


マハラジ 瞑想はあなたの束縛を見いだし、それらを緩め、解き、自由にする。もはや何にも執着しなくなったとき、あなたの分の仕事は終わったのだ。残りはあなたのために自然に為される。


質問者 誰によってでしょうか?


マハラジ あなたのマインドを探求させ、ハートが真理を求めるよう促す地点まであなたを連れてきた、その同じ力によってだ。その同じ力があなたを生きさせているのだ。それを生命、あるいは至高なるものと呼ぶがいい。


質問者 同じ力がやがて私を殺すのです。


マハラジ あなたは誕生のとき、存在していなかっただろうか? 死が訪れるときも、存在しているのではないだろうか? つねに存在するその人を見つけだしなさい。そうすれば、あなたの自発的で完全な反応に関する問題も解決するだろう。


質問者 永遠を実現することと、つねに変化しつづける出来事への努力を要しない適切な反応は、二つの異なった別々の問題です。あなたはどうやらその二つをひとつにまとめてしまったようですが、何があなたをそうさせるのですか?


マハラジ 永遠を実現することは永遠、全体、宇宙、そしてそれらを含むすべてになることだ。すべての出来事は全体性の作用であり表現だ。それは根本的に全体との調和のなかに在る。全体性からのすべての反応は正しく、努力なく、即座のものでなくてはならない。さもなければ、正しくはありえない。遅れた反応は誤った反応なのだ。思考、感情、そして行為はひとつにならなければならず、また状況の求めに応じて、同時でなければならない。


質問者 どうすればそうなるのでしょうか?


マハラジ もうすでに言ったはずだ。あなたの誕生時に存在し、あなたの死を観照するその人を見いだしなさい。


質問者 私の父と母でしょうか?


マハラジ そうだ。あなたの父、母、あなたの存在の源だ。問題を解くには、その源にたどり着かなければならない。真我の探求と冷静沈着さという普遍的解決法による問題解決においてのみ、正しい回答が見いだせるのだ。


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