彼らのパワーはこの地球の下の青い空間の深さよりも深く根をはり、彼らの頭は星とともに宇宙に飛びかい、あなたの目にはとても見えません。彼らはあなたを上から愛すると思いますか。彼らの存在は、この全宇宙の創造物を片手で持てるくらい、とてつもなく広大なものです。それでも、彼らは上から、優位の立場から愛するのではなく、自分の全体性をもって愛するのです。あなたの存在も同じくらい広大なのですが、あなたはそれを忘れてしまっています。あなたは自分のことを、このちっぽけな惑星の上を歩いている、ちっぽけな人間だと思っています。でも、本当はそうではありません。あなたの頭も星のあいだにあり、あなたの脚も濃紺の宇宙空間のかなたまで下りています。それほどあなたは広大無辺です。誰もあなたを助けだしたり、救ったりする必要はありません。あなたが救う者であり、あなたは救われた者なのです。


あなたがしなければならないのは、目覚めることです。「目覚める」ということは、今まで自分の後ろに隠していたものを取りだし、自分の視野のなかにおくことです。「眠れる者」は、自分自身から隠れています。勇者は目覚め、こう言います。「準備ができた。自分をも他人をも傷つけず、調和をもって生きるために、私は知りたい。自他ともに傷つけず、調和のなかで生きることが、この地球でパワーをもって生きる唯一の道だから」


あなたが自分の未解決の問題に直面する勇気を持つと、あなたの心が一挙に大きく開かれ、人間は誰でも同じ問題を抱えているのだ、ということに気づきます。あなた方はみな怖れているのです。それというのも、自分はこの危険に満ちた世界を行く先もわからずにすすんでいる、ちっぽけな存在であると、自分を取りちがえて考えているからです。



豊かさの話をするなら、感謝にふれないわけにはいきません。感謝は、自分には価値があるという気持ちから生じ、豊かさの経験を支えます。というか、感謝知らずと不平不満は、自分には価値がないという感じから生じ、欠乏感にさらに拍車をかけます。どちらも閉じた円環です。


恵みの円環に入りたいのなら、自分自身や他人に愛を与える必要があります。恐怖心の円環に入りたければ、自分自身にも他人にも愛を与えないことです。


感謝する人は、不正な仕打ちを受けることがあろうとは信じられません。怒りに満ちた人は、神に愛されるなぞ想像もできません。どちらの世界に住みたいですか。選ぶのはあなたです。


毎瞬毎瞬、あなたは犠牲者になるか、自分に不当な仕打ちは起こりえないということを思い出すか、どちらかを選択します。前者の場合は、贈り物に不平を鳴らし、それを罰だとみなします。後者の場合は、やってきたものを、まだ今はわからないけれどもきっと恵みにちがいないと思って受けいれます。


感謝とは、神の愛をあらゆるものに見るという選択です。この選択をしたら、どうしたってみじめにはなりようがありません。


人生にどちらの態度で応じるか、その選択次第であなた自身の感じかたは違ってきます。絶望の中に住んでいるのは、あなたがもらった贈り物を粗末にしたからです。


なにかひとつのことについてありがたいと思ってみれば、このシンプルな公式の正しさがわかるでしょう。次に、もらった贈り物を投げすてようとしたとき、ちょっと手をとめ、ハートを開いて、その贈り物を感謝の気持ちで受けとってみてください。そうすれば、贈り物と、それをくれた人との人間関係の経験のしかたが、まるで違ってきます。


次にだれかに判断をくだしたり、非難しようとしたとき、ちょっと手をとめ、その人をハートの中に入れてみてください。あなたが非難しようとした部分を祝福します。


あなたを傷つけることができなければ、相手はあなたを攻撃した罪悪感を負わずにすみます。そして罪悪感がなければ、自分を罰する必要もありません。


ほおを向けるとき、あなたはもう一度なぐってもいい、と挑発しているのではありません。傷つけるなどという行為はないのだ、と相手に思い起こさせているのです。わたしは自分が不当な仕打ちを受けることはありえないと知っている、と相手に告げているのです。相手に対し、自分は攻撃を受けいれるつもりはない、なぜなら、わたしはいまこの瞬間にも価値のある愛すべき人間だとわかっているのだから、と告げているのです。そして自分に価値があるとわかっていれば、必ず相手の価値もわかります。


この世界における暴力や侵害は、あなたがたが犠牲者あるいは迫害者になることを拒否すれば、なくなります。


しかしまずはじめに、すべての無価値感、欠乏感、不平不満、攻撃や防御の必要性などを捨て去らねばなりません。まず、あなたは相手にほおをさしだすことを学ばねばなりません。


ふたつの世界があるように見えるでしょうが、実際はひとつだけです。恐怖心は愛の不在にすぎません。欠乏は豊かさの不在にすぎません。不平不満は感謝の不在にすぎません。


これは隠れんぼのゲームに似ています。だれかがまず隠れます。だれでしょう?あなたでしょうか。わたしでしょうか。


ほんとうは、だれでもいいのです。あなたの番になって、あなたは隠れます。兄弟はあなたを見つけだすでしょう。わたしが兄弟を見つけたように。みんな順番にオニになり、順番に最後には見つけられます。


二極性の世界は、全一の世界から放射されたものであり、またそこへ帰っていきます。これはシンプルなダンスです。こわいことはありません。


自分自身のことをあまり深刻に考えずに、このダンスに加わってみてはどうでしょう。プロのダンサーはだれもいません。でも全員が、ステップを学ぶ力があります。だれかの足を踏んでしまったら、「失礼」と言えばすみます。あなたがたはみな学んでいる最中なのですから、まちがえても当然です。



質問者 観照意識とは不変のものでしょうか?


マハラジ それは不変ではない。知る者は知られるものとともに現れ、ともに消えるのだ。その中で知る者と知られるものが現れては消えていくそれは、時を越えて在る。不変あるいは永遠といった言葉は当てはまらないのだ。


質問者 眠りのなかでは知る者も知られるものも存在しません。何が身体に感覚と受容力をもたせるのでしょうか?


マハラジ 知る者が不在だったと言うことはできない。ものごとや思考の体験がなかった、それだけだ。しかし、体験の不在もまた体験なのだ。それは暗室に入って、「何も見えません」と言うようなものだ。生まれつき盲目の人が暗闇の意味を知らないように、知る者だけが知らないということを知っている。眠りは単なる記憶の喪失であり、生は続いていく。


質問者 では死とは何でしょうか?


マハラジ それはある特定の身体にとっての、生の過程における変化だ。統合が終わり、そして崩壊が始まる。


質問者 しかし知る者はどうなるのでしょうか? 身体の消滅とともに知る者も消え去るのでしょうか?


マハラジ 誕生において身体を知る者が現れたように、死において知る者は消え去るのだ。


質問者 そして何も残らないのですか?


マハラジ 生命が残る。意識は顕現するために、媒体と手段を必要とする。生命が別の身体を創造するとき、別の知る者が現れるのだ。


質問者 連鎖継続する身体とそれを知る者、あるいは「身体─精神 *」との間には、何か因果関係があるのでしょうか?


* 訳注 「身体─精神」 Body-Mind
身体―精神という有機的組織体あるいは身体精神機構を意味する。マハラジの最たる通訳者であったラメッシ・S・バルセカールは、Body-Mind orgnism, Body-Mind mechanism, psychosomatic apparatusなどと解釈している。


マハラジ そうだ。そこには為してきたこと、為し遂げたかったことの想いをすべて記録した、原因体あるいは記憶体と呼べるような何かがある。それはイメージの雲を集めたようなものだ。


質問者 この分離した存在の感覚はいったい何なのでしょうか?


マハラジ それは分離した身体のなかに現れる、唯一の実在の反映なのだ。この反映のなかで、かぎりあるものと無限なるものが混同され、同じものとして見なされてしまった。この混乱の解消がヨーガの目的なのだ。


質問者 死はこの混乱を解消しないのでしょうか?


マハラジ 死においては身体だけが死ぬ。生命、意識、実在は死なない。そして生命は死の後、かつてなかったほど生き生きとするのだ。


質問者 しかし人は生まれ変わるのでしょうか?


マハラジ 生まれたものは死ななければならない。不生なるものだけが不死なのだ。けっして眠ることも目覚めることもないものが何なのか、私たちの「私」という感覚が誰のおぼろげな反映なのか見いだしなさい。


質問者 どのようにしてそれを見いだしたらいいのでしょう?


マハラジ 何かを見いだそうとするとき、あなたはどうするだろうか? マインドとハートをそれにとどめておくのだ。それに対する関心と、確固とした記憶が必要だ。覚えなければならないことを覚えること、それが成功の秘訣だ。真剣さがそれをもたらす。


質問者 見いだそうとするだけで充分なのですか? もちろん、能力と機会が必要なはずです。


マハラジ 真剣さがそれをもたらすだろう。もっとも重要なことは、目的地とそこへの道が異なったレベル上にあってはならないこと、生活と光が調和すること、行いが信条を裏切らないことといった矛盾から自由であることだ。誠実さ、清廉さ、完全性と呼んでもいい。後戻りしてはならない。やり直しはできない。一度征服した地を、離れたり見捨てたりしてはならない。目的に向かうねばり強さと、それを遂行する真剣さがあなたを目的地へと導くだろう。


質問者 ねばり強さと誠実さは天が与えるものです。私にはそのほんのかけらもありません!


マハラジ あなたが突き進むにつれて、すべてはやってくるだろう。まず第一歩を踏み出しなさい。すべての恩寵はあなたの内側からやってくる。内面に目を向けなさい。あなたは「私は在る」ことを知っている。自発的にそこへ戻ってくるようになるまで、もてるかぎりの時間をそれとともに在りなさい。それ以上やさしい方法はないのだ。


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