光と影と見守るもの


光(この場合は顕在意識に近い意味)の中心に美しいものだけがあるとは限りません。照らされたものが醜いものであっても、その醜いものは真の中心との関係性のなかにあります。存在できる、ということがそもそも中心の影響下にあるということです。n


探求者とは彼自身を探している人だ。じきに彼は、身体が彼ではありえないと発見する。ひとたび「私は身体ではない」という確信がしっかりと確立されれば、もはや彼は身体に代わって感じ、考え、行動することはできなくなる。彼は普遍的な存在、知識、行為なのだということを容易に発見するだろう。彼のなかで、彼を通して宇宙全体が真実で、意識的で、活動的になるのだ。これが問題の核心だ。あなたは身体意識として環境の奴隷となるか、あるいはあなたは普遍的意識そのものであり、あらゆる出来事を完全に制御するかだ。


マハルシ ヨーガとは何でしょうか? ヨーガとは「合一」を意味します。ヨーガが可能なのは、そこにヴィヨーガ(分離)があるからです。人は現在ヴィヨーガという妄想に陥っています。この妄想が取り除かれなければなりません。


質問者 どうやって自我をつかまえるのでしょうか?


マハルシ そこにつかまえる自我とつかまえられる自我という二つの自我があるでしょうか? あるいは、一方がもう一方を消し去るという二つの自我が存在するでしょうか?

(対話580)


マハルシ 求め続けていても、望みはかなえられません。しかしもし無欲のままとどまるなら、何であれそれはあなたのもとに来るでしょう。


心が静寂の内にとどまることがサマーディです。世界が知覚されようとされまいと、それは問題ではありません。

(対話582)


人生の一日一日に目的があります。


それは自分の家で、天使が舞い踊るなどというような奇跡的なことでは全くありません。それは、


自分はパワー発生器であり、パワーを発生することによって、ちがいを生みだすことができる、ということを知ることです。自分が生みだしたちがいが、自分の基準に満たないときに、問題が起こります。


自分のなかにある怖れのために、真実を話せなかったり、自己憐憫を克服できなくて、悲しく思うような場合がそうなのです。


テレビはたとえ故障していなくても、スイッチを入れない限り何も起きません。人は自分とテレビとの関係を明確に理解していますから、何も起きなくて当然だと思っています。そこで私があなた方に望むことは、テレビについてのすばらしい知恵のすべてを、もっと広い次元に応用し、「このすばらしい電磁流のスイッチを入れるのは、私の責任です」と宣言することです。



神は努力のなかにあり、そして神は努力をしないことのなかにあります。求めることのなかにあり、見つけることのなかにもあります。


人間を連れ戻すために、神はあらゆることを利用します。


悲しみや喜びを超えた何かがあって、それが悲しみや喜びに意味を与えるのだということを発見します。


あなたという驚くべき存在の外に「父」を見つけることはけっしてできない。そうしようとすることさえ、自分に間違った要求をすることになる。なぜなら、自分の内面から発するものを語るために、あなたは自分の外に出ようとしているからだ。神というものを認識するためのただひとつの道は、自分の内面にある「父」がいかなるものであるのかを観察することだ。


私が愛し、仕えているこの神は、それを通してすべての神秘がなされるものであり、生命全体の絶え間ない継続性である。生命の王国のこの絶え間ない継続性は、永遠に続いていくものであり、そこでは「今」という瞬間だけが存在する。この「今」という瞬間、この特定の瞬間において、神は在るものすべての「在ること」なのだ。そして、これからやってくるたくさんの「今」では、神は、すべての生命が脈打ちながらともに前進している姿、すなわちすべての生命が躍動しながら生き、感じ、広がり、進化している姿であり、神はそれらを通して自分自身の「在ること」を表現しているのである。


神とは在るものすべての究極の姿だが、境界もないし、始めも終わりもない。それは比類なき無限性なのである。


エゴには確固とした核がないので、方向に一貫性がありません。エゴは空に浮かぶ雲とまったく同じです。自分の恋愛や子供、人権や仕事など、あらゆるものを人は命をかけて守ります。ところが、こうした事柄に対するあなたの考えはつねに変化しているのです。つねに形を変え、たえず消えていく雲を守ろうとしているわけです。それはあらゆる瞬間に変化し、年ごとに変わるだけでなく、転生のたびに変化しています。人はすでにいくつかの固定観念を持って<生まれて>きているのに、それらを調べてみて、持ちつづけるべきかどうか、一度も検討したことはないし、固定観念を創り出すのをやめるべきかどうかと考えたこともありません。


人生を大きな目で見たいと思うときに、エゴはあまり役に立ちません。どちらの方向に動いた方がいいかという指針を示すための、核となる中心が存在しないのです。エゴは、「神はこちらだ」とか「善はあちらだ」などという一貫した指示は与えないし、「この方が私は幸せだ」とさえも言いません。指針が何もないので、あちらに行ったりこちらに行ったり、エゴは人をつねに動かしつづけます。人はその動きを<生きる>ことだと思っています。


あらゆる固定観念はエゴのなかに存在します。固定観念のなかには、あなたのところにやってきてぶつかり、やがて去っていくものもあれば、静かにふわりと入ってきて、そのままずっといつづけるものもあります。エゴの動きというのは非常に不安定で、予測できない矛盾したものである、ということを理解しなければなりません。


自分は特にどこに向かっているわけでもなく、目的地があるわけでもないということを、エゴは人に教えてはくれません。


想念とは、特定の周波数をもった電磁気の波動で、肉体を通って頭脳に集中します。その結果が思考と呼ばれる活動です。あなたのものではない想念の波動もあなたの体内を通過します。もちろん<あなた>の頭から発生したように思える想念も体内を通過します。普段あなたは自分の想念と思えるもの、つまり自分のエゴから生まれた想念に関心を払います。『これはわたしの考えだ』と言うよりも、『大きな想念と小さな想念がわたしの体内を通過する』という可能性を受け入れる方があなたの役に立ちます。


ある望みを現実化するための最高の方法とは何だろうか? 「あなたの存在の主(しゅ)」、そして「あなたの神」からそれを語ることだ。「あなたの存在の主」とは魂のことだが、それは感情的なシステムを通して体を司っている。この魂が、ホルモンの流れを放出するように脳下垂体に対して指示を出すのである。「あなたの存在の神」とは、あなたであるすべてを内包し、あらゆる思考があなたの存在の中に入ることを許す光のことだ。「あなたの存在」とは、物質の現実を体という形を通して体験している自我のことであり、それは価値判断を下すことを促し、思考の「在ること」、つまり思考の純粋性を変質させているものである。それゆえに、「変質した自我」という言葉があるのだ。したがって、あなたが「自分の存在の主と神」から何かを語るとき、あなたは、自分のすべての部分が一体になった状態をもたらしていることになる。そして、この状態こそが、あなたの望むものを現実化し、創造するための最高の力をあなたに与えてくれるのである。


自分が限りない思考を受け取ることを、「自分の存在の主と神」から望むとき、その望みが満たされるという思考は、魂の中で感じられ、体の中で現実化し、脳下垂体を活性化する。すると、脳下垂体が開き始めるのだ。脳下垂体が開くにつれて、より偉大なホルモンの流れが松果体の中を通ることになる。そうすると、そのホルモンの流れが眠っているマインドを目覚めさせていくのだ。それは脳の別の部分を開き、もっと偉大で純粋な思考の振動数を全身で体験することを可能にしてくれるのである。


より高い振動数を持つ思考が入ってくると、それらはあなたの脳の目覚めている部分を通るように導かれる。後頭部にある松果体が、このより高い振動数を受け取ると、それはふくらみ始める。これによって、頭が痛くなったり、少しめまいがしたり、頭が軽くなったように感じることがある。それから、この振動数は強力な電流へと変換され、中枢神経系によってあなたの体のあらゆる細胞へと送られる。それによってあなたは、体中に高揚感を感じたり、体がしびれるような感覚、体が持ち上げられるような感覚を味わったりすることになる。というのも、あなたがこれまでに感じてきたものよりも強力なエネルギーが、あなたの全身を駆け抜けているからだ。その振動数はあらゆる細胞を点火し、細胞の振動数を加速する。あなたが無限の思考を受け取れば受け取るほど、体はさらに速く振動するようになる。すると、あなたの体は光り始めるのだ。というのも、あなたは自分の体の密度を光へと逆行させ始めたからだ。



天道別命(モーゼ)でなくて、天路別命(あまじわけのみこと)
2018.06.22 Friday - 00:01 - by ○○公園


私はある霊能者の方とお会いしたところ、その霊能者の方は「貴男の前世はモーゼではないのですか?」と尋ねられたことがあります。私は即座に自分の前世に「モーゼ」の時はありませんと否定はしました。そこは私にも解っているのです。ただ、魂の世界では国常立尊様との関係でモーゼとの関連性があるだけです。


私が子供の頃に臨んで来た霊声は、「私は私であり、旧約聖書の神であり、アブラハムの神であり、そなたの神である」と言って来たことから、それが偽りの神でなければ旧約聖書の神と関連するからです。私は長じて、幾多の霊能者に出会って来たところ、7~8名の霊能者の方から「貴方の本守護神は国常立尊様です。他に天之御中主様、あるいは閻魔大王」と告げられて、アラーの神も記紀神話の創造神も同じと知ったしだいです。


その霊能者の方は私を見ると、何故か「モーゼ」と思われる姿が貴男から出て来ると言われるのです。


この日本に自分は「お釈迦様とモーゼとイエス」を出した永遠の仏陀その者だと名乗っておられて、多数の信徒を持っておられる方もありますが、私の様に大本教神諭を基本解説にしている者からすれば、そうした名乗りをすることが正しいのか疑問には感じるところです。何の証拠も出せないからです。霊的世界に関わっていると、何の証拠も出せないから言った者が勝ちが多々あります。


その人が言っていることが本当なのか?。その【証明】も「反論」も難しいからです。その言葉を信じるか信じないかだけになってしまいます。


私が大本教神諭解説に特化したのは、私が修業中に私の肉体に大本教出口なお開祖と覚しき霊が私に懸かり、それに追随して出口王仁三郎聖師と覚しき霊が懸かり、霊媒通しで出口なお開祖と覚しき霊が【大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕しだい】と言われたことから、大本教をどう料理するか。そこにあったと言えます。


ただ、私の役割にモーゼのような役割があることは否定しません。モーゼは牛頭の像で知られることから、日本で大本教から出された【牛虎金神・国常立尊】と関係があるのではないかと言われています。仏教で言えばお釈迦様の根本道場たる【祇園精舎】の守護神は【牛頭天王】とされています。私も霊界では【牛頭】の姿の存在だったからです。自分が「牛頭の姿」であった光景を見た時、自分は「牛頭の人」かとがっくりもしましたが、そこから【太一】の言葉に行き着くことも出来ました。


そのモーゼはユダヤ人をエジプトから脱出させて【紅海】を渡らせて、四十年間荒野を彷徨って【カナン】の地に行かせるをしたわけです。これは歴史的な事実と言えます。


私は大本教神諭予告の九つ花を解読して、人々に今の地球を脱出させる【後悔】を渡らせて、日本語のアイウエオの「四十」の先の「ラの言霊からみろく(369)の良心神」を説いていますが、その行き先はカナンではなく【華南】と出たのです。


その「華南」とは中国の「華南」省の形式を取りますが、中国そのものではなくて鮮やかな花(華)が一面に咲く南の世界と言う意味です。天国は【お花畑】だと言われるように、美しい花が咲き誇っているからです。天国世界に渡る意味が「カナン」だと考えられるのです。


私が子供の頃に臨んで来た霊声は、【私は私であり、アブラハムの神であり、そなたの神である。旧約聖書の神であり。我の書は旧約聖書であるなれども、旧約聖書の内容は暗号書の様なものであり、旧約聖書をいくら読んでも意味は解けぬ。この日本は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり。この国に満ちあふれている物からその意味を知ることができる】と告げられていました。で、私は旧約聖書の内容はこの日本で紐解けると見て来たのです。


また、私が日本神道の世界に飛び込んで、日本神道とは「旧約聖書」の世界かと感じるところが多々あったのです。ただ、私が見ている世界とは今の人類の歴史ではなく、大本教霊界物語で展開されるような超太古からの引き継ぎなのです。今の世に出ておられる神々では解らない。知らない世界です。


しかしながら、今の神社に鎮座されている比較的若い神々や諸霊には解らずとも、国常立尊様の御引退劇の当時、国常立尊様の天使(神司)団に所属していたような魂を持った方達が、今の世に少なからず生まれ出ておられます。そうした人達の遙かな記憶の先に超太古のことが出て来るのです。どの方も、今の世の歴史の縄文時代とか弥生時代などとは言いません。遙かなる超太古です。


大本教霊界物語において、モーゼの神は神代の時代には【天道別命(あまじわけのみこと)】と言い、その後に【エリヤの神】として出たとします。「エリヤ」とは旧約聖書に出て来る預言者のことで、ヘブライ語の意味は【ヤハウェ(主)は我が神なり】なりです。


私は日本語は日本の「国に常に立つ御言(みこと)」と言っています。で、私は【国常立御言は我が神なり】としています。


ヘブライ語の「ヤハウェ」は、アラビア語で「アッラーフとかアラー」となります。日本語のアイウエオの並びは「ア」の門を出て「ラ」に至るまで四十荒野の彷徨いとなるわけです。


その「あまじわけのみこと」に大本教の出口王仁三郎聖師は【天道別命】の漢字を振られたのですが、私に【天路別命(あまじわけのみこと)】と【道】と【路】違いの漢字が最近になって出て来ました。すると意味が変わって来ます。


天と路を組み合わせた漢字は存在しません。だが「天」は「雨」に通じます。そこに出て来るのは【露】なのです。大本教霊界物語では「露国の悪神」が出て来ますが、私に出て来たのは【露国への旅立ち】です。私はその「露国」と「ロシアの悪神」とではどう違うのかと首を捻っていたのですが、これは「ロシア(露西亜〉国」に行くという意味ではありませんでした。


露の意味は、暴露や発露で解る様に、露の意味は内部に潜むものが表面に現れる。隠れていることが出来ずにはっきりと目に見えてくる。露見、露呈のこと等です。道は自分とは異なった者達の首を取ってその首を携えて進むであり、路は神霊が天下る道を指します。単に天の道を別れて行くのではなくて、全てが暴露されて天の神の降臨において【各の足】の行く路が別れるなのです。


一部の霊能力者の方達は、既に人類は【二方向】に別れて進んでいると言われます。それが誰の目にも解らないのは、肉体がこの世に一緒に同居しているからです。この世は魂の修業場であり勉学の場なので、悪もこの世では同居を許されています。


元々、人は死ねば世界のどの宗教でも説いて来た【天国と地獄論】で解る様に、「二方向」に別れて行きます。ただ、創造神の慈悲において【輪廻転生】があったので、別に天国界に行かなくても三途の一つ「中有界」からこの世(現界)に差し戻し。地獄界に行ったとしても、ある程度の地獄(霊界の刑務所)生活を経ても人間界に戻すがあったのです。また、天国界からも更なる上の天国界に進むためには、一度この世に出るがありました。


だが、【輪廻転生】のシステムが終了すれば、人の魂は天国界(みろく世)と地獄界に大別されて、もう地獄界から天国界の路は遮断されてしまうのです。その時をもって、この世で縁をもっていても、天国と地獄との永遠の別れに入ることになります。もう、霊界でも二度と相まみえることもなくなるのです。


みろく世に渡るには【後悔(悔い改める)】が必要なのです


何の【悔い改め】もしない者が天国に行っても、そんな天国はまたもや汚れた世界に成ることぐらい常識があれば解る話です。


みろく世に行くキップとは、スピリチュアル霊感者が自分勝手に発行出来る様なキップではないのです。また、宇宙人云々ではないのです。


みろく世に渡るキップとは善悪判定の【閻魔(閻羅)大王】が発行するもので、この世の閻魔大王は各自の良心神で【魂の○の中の真柱で円真】なのです。


ただそれを、大本教の出口王仁三郎聖師は「ニセ型」の第十三の「ス神」論で展開されたなのです。そこに、この大本教に現れた変性女子(出口王仁三郎聖師)はニセ者だ。待っていたならば【みのか尾張の国から誠の女子の尻尾が見えたならば】と、みのか尾張の国から出る第【四十一号線】の路に【良子】の型を告げられたのです。


私の神霊世界の旅は、昭和【五十五】年に私の目の前を真っ暗にして臨む大音響の霊声によって「良子」と呼ぶ女性と知り合い、その女子が大阪の【十三(じゅうそう)】に消えたことから、何故に「良子」は「十三」に消えたのか?。その謎を追いかけのです。


私が伏見稲荷山で修行中、私の【腹】から男性の太い声で、良子に出会わせると言う稲荷神に対して【何時まで稲荷神に騙されていたならば気が済むのだ!】と私を叱責する声が出て、私は現世御利益主義の稲荷神の元を去り、【言霊】の世界にと転じたのです。そのことによって、十三(ス)に消された【ラ(良)】子の意味が解って来たのです。稲荷では「米」型の言霊の仕組みが解けないなのです。


言霊の世界で知る【米】型は「稲荷」神にはあらず


【ら】のひら仮名も【ラ】の片仮名も元字は【良】


良の漢字は【艮の部】で、艮を理解すれば辿り着く


私は霊能者をしている者ではありません。霊的要素は持ちますが、霊能者としては蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊等のこの世を支配している下級霊界に関われる能力がない致命傷を持ちます。ある霊能者の方が、貴方には霊世界で貴方の目になる者。杖になる者が必要だと告げられましたが、そうした人が居ないのです。まるで、手足を持たない【ダルマ】状態なのです。


私の元に霊的な災いからの相談が持ち込まれますが、私の目には霊が見えないから何も対処も出来ません。しかし、私の目にその原因が何かと見えた時には、その問題は解決します。暴露です。解決が出来た時だけ、私の背後の霊団が見せてくれるからなのです。


私に【天路】別の字が出た以上、霊的世界では【天路別】が出ていると思われますが、それが何時この世に出て来るかは、まだまだ解らないなのです。


しかしながら、その時が【刻々と近づいて来ている】のは解る者には解るのです。


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