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自分が船頭で貴人を一人乗せているとしたら


唯一の客である貴人を水に何度も投げ落として来たのか、一度も水に触れさせることなく「水面上」を移動して来たか。
潜水船頭だったりして。


貴人から運賃を水増しして奪い取ろうとしたか。
貴人に船から見える風景を何と説明して来たのか。


船頭と貴人と船は一体だ。
でも船頭は貴人が船を降りた後、悔いることがあるらしい。
航海を後悔することがあるらしい。
何を悔いるのか。


きっと貴人の扱い方を悔いるのだろう。n230122



木花咲耶姫様の御神示より
2020年01月21日
自分を守るための態度


人は己が一番可愛く、己の考えこそ正しきと考えるゆえ、そを否定さるれば怒りて、気の短きものは人をたやすく批判す。
人間はある意味、傲慢にて、己の過ちは気づかぬうちに棚上げせんとす。
傲慢さをおさえ、我欲、執着をいかに抑えられるや、それが人間の大切な修業のひとつなり。
他者の心の中は見えぬものなれば、そこには、誤解も、勘違いも生ずるなれば、いつも謙虚にて穏やかなるものは、己の中の、傲慢さをよく知り、人の心はわからぬことを心得ているものなり。
いつも小さき事に腹を立て、人を批判ばかりしているものは、器小さきて、己の傲慢さを調整できぬ者なればなり。
人は己が一番大切にて、己が一番可愛いのは、誰しも同じなれば恥じ入ることはなし。
なれど己が可愛く守らんとすればする程に、謙虚にて、人に寛大にて、一歩ひく態度こそ、逆に己を守ることとなるを悟るべけれ。



ヴィヴィアン・リー主演で映画化されて人気を博し、世界で今も読み継がれる名作「風と共に去りぬ」。もともとジャーナリストだったマーガレット・ミッチェル(1900 – 1949)が怪我の療養中に執筆し1936年に発表して以来、多くの人たちが今なお愛してやまない永遠のロングセラーです。「恋愛や友情の数奇さ」「どん底を生き抜く人間の力強さ」「本当の心に気づけない悲劇」といったさまざまなテーマを、克明な人物描写、心理描写を通して見事に描き出したこの作品から、現代人にも通じる生きるヒントや社会の見つめ方を読み解いていきます。


舞台は南北戦争前後のアメリカ南部。大農園主の長女スカーレット・オハラは、愛するアシュリの婚約を知り告白するも心を覆せません。当てつけに彼の婚約者メラニーの兄チャールズの求婚を受け入れます。ところが南北戦争の勃発はスカーレットたちの運命を翻弄していきます。チャールズの病死、アトランタへの移住、そして彼女のその後の生涯を左右するレット・バトラーとの再会。さらに、北軍の勝利は、スカーレットの家族と故郷タラをこれ以上なく荒廃させ、どん底の中で彼女は起死回生を誓います。生き抜くために金の亡者と化すスカーレット。数奇な運命の中、彼女はバトラーとの再会を繰り返し、二人はついに結婚します。しかし、その結婚は、更なる悲劇へと二人を追い込んでいくのでした。



大農園主の長女スカーレット・オハラは、愛するアシュリの婚約を知り告白するも心を覆せない。当てつけに彼の婚約者メラニーの兄チャールズの求婚を受け入れる。一部始終を見つめスカーレットに惹かれていくレット・バトラー。ところが南北戦争の勃発はスカーレットら全員の運命を翻弄していく。チャールズの病死、アトランタへの移住、そして怪しい男バトラーとの再会。スカーレットの恋心も状況の変化によってさまざまに変化していく。


ついに北軍がアトランタへ侵攻。産気づいた親友メラニーの看護で逃げ遅れたスカーレットだったが、バトラーに救出される。途中戦線に参加するためにバトラーとは別れることになるが、彼のおかげで故郷タラへと帰還する。だが彼女を迎えたのは戦争によって荒廃した我が家と家族の姿だった。絶望的な貧困の中で起死回生を誓うスカーレット。しかし北軍の過酷な課税措置は彼女から家や土地を奪い去ろうとしていた。これまで描かれなかった正義の軍・北軍の暗部。それによってもたらされた深い分断。この作品は現代アメリカの闇や私たちの暮らす社会の暗部を映し出している。


ミッチェルは子どもの頃からプライバシーに大変こだわる人で、「今日、何をしたの?」「今、何をしているの?」などと聞かれるのが大嫌いだったそうです。1926年ごろ、彼女は、どこに発表するあてもないままこの物語を書き始めます。骨折の療養中のことでした。彼女の秘密主義は、小説を書き始めると極限まで強まっていったようで、ミッチェルが何かを書いていることに気づいた相手に対してさえ、一行たりとも原稿を見せたことがなかったといいます。


作品の舞台となるのは、19世紀中頃のアメリカ南部。スカーレット・オハラは、ジョージア州内陸部にある綿花プランテーションの長女としてなに不自由なく育った、天衣無縫のヒロインです。その少女が、南北戦争勃発の直前から、戦中、戦後の「再建時代(リコンストラクション)」およびその後にかけての12年ほどの時間をたくましく生き抜く姿を描いています。スカーレットが片思いを続ける好青年アシュリ・ウィルクス、その妻となる恋敵メラニー・ハミルトン、スカーレットの真の姿を愛し、支え続ける怪紳士レット・バトラーとの、恋愛、結婚、憎しみ、友情、別れなどが多層的に絡み合う大作です。


映画の影響が強いためか、『風と共に去りぬ』には白人富裕層のロマンスという固定イメージがあるようです。しかし原作を繙(ひもと)いてみれば、そこにはさまざまな人種、階層、そして個々の文化と矜持(きょうじ)を持つ多彩な人々が集っています(そのうちの重要な何人かの役は映画ではカットされてしまっています)。むしろ、この大作を力強く動かしていくのは当時マイノリティだった人々――黒人であり、移民であり、貧者、社会の異端者、日陰者のような人たち――なのです。ミッチェルが描きだそうとしたのは、たんなる白人のロマンスというよりは、多人種、多階層をバックグラウンドとした多文化混交の物語だったと思います。



スカーレットとアシュリ、スカーレットとレットの波乱万丈の愛情物語は、ストーリー展開の太い軸となっています。しかしながら、今回は、本来控えめな脇役と見られていたメラニーに注目し、一見正反対の性格を持つメラニーとスカーレットのダブルヒロインという形でこの物語を捉え直してみたいと思います。この二人の女性の多面的で複雑な友情関係こそが、本作の要だとわたしは考えるからです。


一般的に翻訳とは、外国語を日本語に移して「書く」作業のことだと思われているようです。しかし実は、翻訳では原文を的確に「読む」という部分が作業の九割くらいを占めると私は考えています。読んだ上で、自分の言葉で再創造する。ここが一般の読者と異なる点で、翻訳者は原作者の「言葉の当事者」にならなくてはなりません。そのため、わたしは常々、翻訳を「体を張った読書」であると表現しています。


税金を払わなければ故郷を奪われることになったスカーレットは、羽振りのいいバトラーを誘惑するが見透かされて拒否に合う。不幸に陥らないためには手段を選ばないと誓ったスカーレットは、妹から資産家の婚約者フランクを略奪。また事業を起こし金の亡者と化す。順風満帆だった彼女だが、秘密結社KKKと黒人たちとの抗争に巻き込まれ命の危険に晒される。やがてその事件は自分たち家族を悲劇に陥れていく。どん底の中で手段を選ばずに生き抜こうとするスカーレットの生き方は今も賛否が分かれる。ミッチェルはなぜこうした人物像や生き方を描いたのか。


黒人たちに返り討ちにあい、夫フランクを失うスカーレット。失意にある彼女を救ったのはバトラーだった。数々の因縁を超えて結ばれる二人。しかしアシュリへの思いが捨てきれないスカーレットにバトラーはいらだつ。親友メラニーの遺言によってもう一度深い愛に気づくスカーレット。しかし、時期はすでに遅くバトラーは家を出て行ってしまった。このエンディングは必然だったのか。そして彼女に最後に残されたものとは?


「この小説、ディストピア小説としても読めるんですよ」「映画では全然目立たなかったメラニーがカギなんですよね、この小説って」「自由間接話法を使った高度な文体戦略がこの小説の面白さを支えているんですよ」「この小説って実は後ろのほうから書かれていて、そのことがわかると意外なことがわかるんです」等々と、読み解きのアイデアが鴻巣さんの口から次々に飛び出してきました。








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