忍者ブログ






人の心を揺さぶるものが時々あるのは、
それが ほんとうだから なんです。


揺さぶられていることを否定しきれなくなるから、表に出てきます。


ほんとう
に集中すればいい。簡単な話なんです。


とするとですね、大抵の場合、
人は自信がなくて、浅はかで、涙もろくて、誰かのせいにしたがりで、
弱いものなんです。


それが ほんとう の姿です(表面的にはね)。


でも「さらに弱くなる方法」がひとつありまして、それは


ほんとう の姿から逃げようとすることなんですよ。


弱いもの である ほんとう から逃げようとしないとき、


人は助け合うこと、かばい合うことを学びます。


世界的苦難や津波には、それでようやく対抗できる可能性が少し生まれるんだと思います。


そして ほんとう にはもっと奥の ほんとう もありまして、


ほんとう は内側に ヒーロー がいるという可能性もあるんです。
でもそのヒーローにはほんとうから逃げているようでは届きません。


一歩踏みとどまって ほんとう と向き合うということ。
そこから大切な展開はいつも生まれていきます。n



skさん、イルカの置物は大丈夫です。お返事ありがとうございます。
憑代の話は念のための説明ですので気になさらないでください。返信はここまでで、下は本文です。n


先日skさんにそれは新型コロナのこと以外にも効果があるのだろうかと質問いただいたことがあって考えたことがあります。
この日に書いた次の3点は


1、現実を現実として許容する
2、そこでどうしたいのかはっきりと覚悟を決める
3、2点を踏まえた上で(最終結果は)主の御心のままにと委ねる


新型コロナ騒ぎ以外の今後のすべての事態に適用できると思います。
どんな悲劇が次々に襲ってきても、一緒です。
フィオラはこの3点を「常識」としましたが、意外とこの地上ではそんなことはないです。


私が強調したいのは、
フィオラはこういう姿勢を基本にしているということです。
本質は信じるものの表層は疑い抜くこともそうです。n


今日の最後に思うことです。
この世にあるものはすべて、有限で、頼りにならないものばかりです。
それらはこの世の奥にある本質、無限で、頼りになる結晶のようなもののために、
表現(体現)のために使用されることが目的の有限物ばかりだからなんです。
私たちの肉体だってそう。


この目的を私たちは本末転倒してしまうことが多いです。
奥の本質は目に見えにくいからです。


人と人との人間関係だってそうです。
大切なことは「神との関係」にベクトルが定まり、人間関係はそのための表現となることなんです。


私はそう思います。
神がいない世界で、
有限物だけで人形劇をやらせるとき、人形の糸の先に(劇全体を捧げるに足る)「神」や「本質」を想定しないと、人形繰りの深奥は見えてきません。


ある意味ではすべては「使い捨て」で、
私たちの深奥にある「神との関係」に捧げられるためにのみあるのかもしれません。


でも一つ一つの人形にも、その動きにも、
最後に言う言葉は一つです。
あなたとのご縁に感謝します。たくさんの贈り物をありがとうございました。n050105


PR
02 2026/03 04
S M T W T F S
1 2 3 4 5 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
HN:
Fiora & nobody
忍者ブログ [PR]