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イエスか、ノーかではありません。
イエスか、ノイズかです。



復習 その2


あらゆる思考を潜ませることへの厳格な拒絶


肉体に自己同一化しているのと同じように、思考の内容に自己同一化していることが檻の外枠を決めてしまいます。私たちは檻に収容されているつもりがなくとも、マインドの内側の囁きこそが人を縛る檻です。それが対人関係では最も外側に出てきます。


では本来マインドは、しゃべるものなのでしょうか?


多くのグルに言わせると、マインドは本来、沈黙そのものです。


対象Aを見る。対象Aに自己同一化する。
この瞬間に、マインドは雑念を囁きはじめるのです。


逆に「囁いていないなら」「沈黙しているなら」本来のマインドの姿です。
何とも自己同一化をしていません。


対象Aは無意識の場合たいてい肉体です。私と呼ばれる肉体。
これに自己同一化することは常識でもあります。
もしもこの肉体が私でないなら、私とは何なのか?


不思議だと思いませんか?何とも自己同一化しないのに
「見ること」だけは生き残るのでしょうか?
眼と脳があるのだから当然?その想念がなければ?


肉体「が」見ていると「想念」は片づけようとしますが、
その「想念」をすべて拒絶したあとに、「見ること」は残るのでしょうか?


思考の語る世界観を拒絶した今この瞬間に
無償の愛が出現するとは、本当でしょうか?
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