はじめに空が存在していた。


中間においても空は存在し、終わりにも空が存在している。
これが不変の真理だ。これが真の知識だ。これ以外の知識は読むことも、語ることも、理解することもできるが、真の知識とは呼べない。それゆえ、理解できること、知り得ること、達成できることはすべて忘れ去るがいい。それらは真理ではない。真理とはまったく違ったものなのだ。


プンジャジ(故人。愛称パパジ。ラマナの弟子。ガンガジの師)「覚醒の炎」より。
今夜は彼の弟子であったフランス人女性「マヤ」さんの手紙を引用します。夫の「ニコル」さんが訳しています。


三日前、私はマヤと素晴らしい時を過ごしました。彼女とともに同じ理解や同じ生命力を分かちあうことはなんという喜びでしょう……


……それ自身が在ることを知っているのです。私はマヤをずっと知っていたと感じています。それはまったく真実です。彼女は私自身のハート、私自身の光、そしてわが同志です。私は彼女を愛しています。そして生命力は無数の姿をとっています。それでも、私がいまだに「他者」と呼ぶ人の姿をとって、それ自体とそれ(生命力)が一つであると認識することはなんという喜びでしょう。マヤがこの手紙を翻訳してくれることでしょう。


……今朝早く、ベッドの中で静かに横になっていたとき、遠くにいる子供たちのことを想いました。そのとき燃えるような、私を飲みこむような、「この瞬間、私とはいったい何なのか?今この瞬間、私の子供とはいったい何なのか?」という問いが起こったのです。どんなイメージも、概念も、この問いからは湧き起こりませんでした。それでも、私は突然その答えを言葉やイメージや概念の背後に見たのです。そこには何の動きも、時間も、距離も、分離の可能性もないことが、とても、はっきりと見えました。いたるところで、すべての物事の中に同じ存在の本質が、今、たった今、はじまりも終わりもなく、形も色もないものでありながら、単一で、真実の、考えうるすべてのものの基盤として存在しているのです。このヴィジョンは、それ自身が在ることを知り、それ自身が唯一の存在で在ることを知っているという存在の叫びだったのです。


私は私の源に、けっして離れたことのなかった本来の「場所ではない場所」に戻ったのです。なぜなら、その場所は「私」そのものだからです。この輝く真理に抱かれて、私は深遠な歓喜に満ちあふれていました。あたかも部屋全体が、音のない「私」という美しい静寂で包まれたかのようでした。私は、私がすべてを動かす存在の本質だということを、たった今、はっきりと理解したのです。存在する今そのもの。私はその「今」です。私は同じ存在です。私は名前も、形も、色も、姿も、動きもない存在の本質でありながら、「私」という意識の中に現れるすべてに名前や、形や、色や、姿を与えるのです。


突然、私は疑いの翳りもなく、私がバラを生長させ、鳥を歌わせ、森の水を流れさせる唯一の本質であり、それが自然に何千もの色彩を与えていることを感じ取ったのでした。
私があなたに書いていることは、師よ、少々奇異なことかもしれません。言葉に置き換えるのはとても難しいことです。それでも光と智慧であるあなたの愛と恩寵ゆえに、私は試みています。それができるのは、あなたが私を通して書いているという確信があるからです。「私はただ『それ』なのです」


「私はただ『それ』なのだ」という確信は、ますます揺るぎないものになっています。私は存在の本質、原初から根源にある本質、「私」という本質以外の何ものでもありません。私はすべてに満ち、いたるところに存在しています。私はすべてであり、すべてが私なのです。そこにはそれ以外何も存在せず、距離さえもありません。


ほんの一瞬のうちに、遠くにいた私の子供は、ふたたび無である私自身になり、しかも生命の本質である私自身の中に現れました。ですから、名前は存在せず、遠くの子供も存在せず、別れや遠くに暮らすということも、もはやありません。私は、それ自体を「私の子供」として現し、また無数の形態を通して今を生きている存在の本質、私自身の単一性を認識するために無数の宇宙を創造するその存在の本質なのです。


もしそうだとすれば、私はこれまで永遠に存在してきたように存在しつづけ、そしてもし進化というものがあるとすれば、それはただそれとして在ることでそれ自体をより深く知り、理解してゆくことの中にあるのみです。私は単一で、唯一の存在の本質です。


私自身が唯一の存在の本質であることを知って、恐れは消え去りました。どこに恐れが根を下ろせるというのでしょう?私一人が存在するとき、誰が誰を恐れさせるというのでしょう?私は一人であり、同時に私は娘や息子、友人、そして感嘆すべき師プンジャジの姿を通して生きています。私はまた動物、植物、鉱物や岩石でもあるのです。私の真我である師よ、今この瞬間ニコルにとって、何であれ一日のうちに起こることを完結させるためには、ただ一つのことをするだけでいいと深く感じています。私は私が触れ、見、感じるすべての中に生きる唯一の存在の本質であることを忘れないこと、私がいまだに他者と呼ぶものを通してそれ自体を見ている存在の本質として人生を生きること、そしてもしそれを忘れたなら、ただそれだけが存在するのだから、忘れることもまた存在の本質であることを忘れないことです。存在の本質、空、沈黙は、今同じものとなりました。それらに違いはないからです。


深い敬意と誠実な愛とともに



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody