後ろの人の表情


怖い話ではないんですけど、フィオラさんがあるとき言ったんです。アンタしゃがんでみて? そして私がしゃがむと後ろからニヤリと笑った人の顔が見えました。ホラーじゃないですよ。
人にはそれぞれ背後の人の表情があり、地上で生きている人は「気づきにくい」のだけれど、いつも「二人ぶん」の表情で精神の健康状態を示しているんだそうです。
後ろの人の表情が曇っているときは、魂の価値観に合致してないというわけです。
わたしたちは覚えていないだけで全員が全員、自筆の「計画書(人生の台本)」を持っています。そこには魂がやりたかったことが書いてあり、そのために必要な舞台セットや場面転換についてもすべて書いてあります。思っている以上に偶然というのは少ないです。
後ろの人はそのシナリオの筋を把握していて、呆れたり悲しんだり喜んだりします。何ができるわけではないんですが、それを「視野にだけは入れておいてほしい」という意味のしゃがんでみて? でした。n020130



目の前に打たれた石に単一の意味しか見ない危険
(今日の大河の感想です)


斎藤義龍が父道三の講じた織田信秀との和議を「愚か」と断じたことに引っ掛かりました。囲碁や将棋で相手の打った手の意味を一つの文脈でしか見ていない内は、ただの初心者です。どういう意図を持つ石なのか、隠された目的や機能をすべて洗い出そうとするのが普通で、最低条件とさえ言えます。しかしボードゲームのように俯瞰することができない現実の局面では誰もが義龍のようなミスをしてしまいます。
目の前の石を「浅く」捉えていると、今度は自分が打つ石も軽くなっていきます。その軽さは周囲に伝わります。人間の「裏」の意図も読めなくなります。複数の可能性を視野に入れていないので、自分の出した結論の経過観察もせず、事実に照らしたフィードバックも少ないのではないかと思います。
こういうドラマを見るとき、人間は「自分を疑うこと」が人生では習慣として必要だなと思ってしまいます。ただ信じればいいのとは違います。疑って疑って、叩いて叩いて、それから信じればいいんですから。その反面、神仏は一途に信じ続けていいと思うんです。n



1989年、世界に激震を走らせた「東欧革命」。中でも異色だったのはチェコスロバキアの「ビロード革命」です。市民による非暴力的な活動と対話によって平和裏に民主化を果たし、世界的に大きな注目を集めました。率いたのは劇作家のヴァーツラフ・ハヴェル(1936-2011)。後にチェコ大統領も務めた彼の主著「力なき者たちの力」が今再び、脚光を浴びています。アラビア語に翻訳されたこの著作は「アラブの春」を支えた市民たちに熱心に読まれました。また、トランプ政権下のアメリカでは、政治学者や歴史学者たちが、この本から「新しい形の全体主義」に抵抗する方法を学ぼうとしています。


1970年代のチェコスロバキアは、東欧でも最も過酷な全体主義体制の只中にありました。そんな体制を果敢に批判し続けたハヴェルは何度も投獄。出所後も秘密警察による厳しい監視にさらされます。この体制に一人の人間として抵抗を続けていく方法はありうるのか? ハヴェルは仲間たちと積み重ねてきた経験や知恵を抽出する形で、この著作を書き上げたのです。



ハヴェルによれば、全体主義は、消費社会の価値観と緊密に結びつく形で「ポスト全体主義」という新たな段階を迎えたといいます。強圧的な独裁ではなく、「精神的・倫理的な高潔さと引き換えに、物質的な安定を犠牲にしたくない」という人々の欲望につけこむ形で、高度な監視システムと個人の生を複雑に縛るルールをいきわたらせる社会体制。そこでは、市民たちは、相互監視と忖度によって互いに従順になるように手を差し延べあいます。このような社会では、既存の政治綱領など全く意味がありません。それよりも「思っていることを自由に表現できる」「警察に監視されない」「威厳をもって人間らしく暮らせる」といった、最も基本的な「生の領域」に働きかける新しい形の運動が必要だというのです。


ハヴェルは、地下出版や真実を訴える音楽家グループらと緊密に連携しながら、地道な形で抵抗の基盤を形成し続けました。そうした積み重ねが、強固な「ポスト全体主義」体制に風穴を開け、「ビロード革命」を成し遂げたのです。この著作には、ハヴェルが展開してきたそうした運動のアイデアや方法がリアルな形で書き綴られています。


第二次大戦中はナチスに蹂躙され、戦後は社会主義体制にのみこまれ、自主的な判断をしようとすると戦車に踏みつぶされてしまう東欧。とりわけチェコスロバキアは常に大国のはざまで決して主体とはなれず、受け身としてしか存在できなかった。その結果、巧妙な全体主義、官僚支配体制、監視社会等々二十世紀の暗部の集積地となった。一言でいうと、独裁と消費社会が結びつくことで生まれた「ポスト全体主義」と呼ばれる新たな現象だ。それは強圧的な独裁ではなく、「精神的・倫理的な高潔さと引き換えに、物質的な安定を犠牲にしたくない」という人々の欲望につけこむ形で、高度な監視システムと個人の生を複雑に縛るルールをいきわたらせる社会体制だった。


「ポスト全体主義」という体制の中では、市民たちは、相互監視と忖度によって互いに従順になるように手を差し延べあう。そこでは既存の政治理念など全く効果をもたない。対抗するには「人間らしく暮せるか否か」という基本に立ち返り、人間の「いま、ここ」を起点として政治運動を再構築する必要があるという。「真実の生」を求めたハヴェルたちのこうした運動は、21世紀の様々な問題を先取りしており、そこで生み出された知恵や思想には現代の問題を解決する大きなヒントも溢れている。


今から約三十年前の一九八九年、東欧、つまりヨーロッパの社会主義国の体制が次々と崩壊していきました。ポーランド、ハンガリーに続き、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁も同年十一月九日に崩壊しました。チェコスロヴァキアもまた同年末に体制転換をすることとなります。ただ、他の国々と少し異なっていたのは、のちにビロード革命と呼ばれるほど体制転換が比較的スムーズに行なわれたこと、それから、国の顔である大統領になったのが戯曲家だったということです。そう、かれの名前は、ヴァーツラフ・ハヴェルです。


ちまたでは「芸術は政治を扱うべきではない」といった意見を聞くことがあります。二十一世紀の日本では想像しにくいかもしれませんが、社会主義体制下のチェコスロヴァキアなど東欧諸国では、小説や戯曲を発表しただけで逮捕されることがしばしばありました(現在でも、そのような状況は複数の国で見られます)。そこでは、「政治的なもの」を直接扱っていなかったとしても、「文学」が「政治的なもの」と見なされることが頻繁に起きたのです。


ハヴェルが『力なき者たちの力』を執筆した一九七〇年代のチェコスロヴァキアは、「正常化」という旗印のもと、共産党主導の政治体制がより深く人々の生活に関わっていた時代でした。とりわけハヴェルら多くの市民にとって、それは「絶望」的な時代でした。しかしこの文章を読んだ人々はある思いを抱くようになったようです。それはもしかしたら自分にも「力」があるかもしれないという思いです。『力なき者たちの力』が地下出版で刊行されると、国内の人々の間で読まれ、さらに翻訳を読んで大いに力づけられたと後年伝えるポーランドの活動家もいます。本書が読まれたのは、社会主義の東欧だけではありません。「アラブの春」の折にはアラビア語に翻訳され、街頭で抗議活動をする人々の励みになったとも言われています。また『力なき者たちの力』の執筆の契機の一つとなった「憲章七七」の精神は、中国の民主化運動を進めたノーベル平和賞受賞者の劉暁波にも色濃く影響を与え、かれは「零八憲章」を起草します。


ハヴェルは、まず今自分がいる場所、つまり全体主義体制の分析から本書を始めています。そのため、この本は東欧の政治を論じているだけだと誤解されるかもしれません。ですが、一九八九年の東欧革命から三十年ほど経過した今、この文章を読む意義は、社会主義体制のヨーロッパという歴史の一ページを知るということだけにとどまりません。名著と呼ばれるものがすべてそうであるように、この本もまた、多層的な読みを可能にしてくれるものです。


人の「生」すべてに関わるような、より広い意味での「政治」も、独自の観点から論じられています。ハヴェルはこの本の中で、「前- 政治的」領域という表現を用いて、具体的な政治の形をとる前のさまざまな生の様相に着目します。それは、音楽であったり、宗教であったり、物質的な欲望であったり、多種多様なもので、通常の政治のレベルでは「見えない」ものです。ですが、そうしたものが政治の領域と密接に繋がっていることを明らかにしました。



世界を捉えたり、表現するには言葉が不可欠です。ハヴェルは、自分の生きている世界を戯曲や詩、エッセイを通して表現してきました。かれの特徴の一つに、すでに使われている言葉や表現の意味を吟味し、よりふさわしい表現を提示するという点があります。例えば、かれがよく使った表現に「反政治的政治」というものがあります。「政治」というと特定の政党の支持や投票といった具体的な政治行動を想起しますが、ハヴェルはそのような「政治的」ではないことこそが政治の本質だと捉えます。『力なき者たちの力』という書物もまた、「無力」と思われている人々の「力」に光をあてるものです。


抵抗運動の大きな波が始まる起点は、あるロックミュージシャンの逮捕だった。ただ自分たちの好きな音楽を演奏し、真実の生を謳歌したいだけだった「プラスチック・ピープル」のメンバーが治安紊乱罪で逮捕。これを契機に「他者の自由のために立ち上がらなければ自分たちも自由を断念することになる」という機運が人々の間に芽生え、やがてそれは基本的人権を擁護しようという運動に繋がる。同時に、地下出版、アングラ・ミュージック、自主講座、独自の宗教活動など、公的な領域とは独立した活動の場が次々と拡大、体制を揺さぶり始めるのだ。


ハヴェルはとても言葉を大切にする大統領で、ラジオを通して国民に伝えるときも、日常会話に近いわかりやすい言葉で語りかけていたそうです。
そんな政治家………、いたんですね。
原稿の棒読みか、変にこむずかしい言葉を使うか、芝居がかったパフォーマンスか、はたまたウソばっかりついているか、そんな人ばっかりかと思っていました。


劇作家でもあったハヴェルは、生涯「言葉の問題」を追究し続けた。イデオロギーとして働く言葉は真実を覆い隠し、人々を「見せかけの世界」に埋没させる恐ろしさを持つ。その一方で、言葉は、動かしがたい強固な現実をずらしていくことで、人々を「真実の生」へと解放しゆく、市民たちの武器ともなりうる。


嘘の上に嘘を塗り固めた政府、忖度に支配された悪しき官僚制、我が身の保身や安定と引き換えに倫理や尊厳を売り渡す人々。そんな「ポスト全体主義」と呼ばれるかつてのチェコスロバキアの社会主義体制と劇作家ハヴェルはどう闘ったか? 今回取り上げた「力なき者たちの力」は、ハヴェルが仲間たちと積み重ねてきた経験や知恵を抽出する形で書かれた名著です。当時は、地下出版という形で出され、わずか10部ほどしかなかったといわれています。



実は、1970-80年代のチェコスロバキアは、内部告発が権力によって握りつぶされ、ルールが恣意的に捻じ曲げられ、空虚な官僚的言語によって現実が隠蔽され続けるなど、東欧でも最も過酷な全体主義体制の只中にありました。そんな厳しい体制に対して、市民たち一人ひとりはどう抵抗できるのかをハヴェルは考えぬきました。


上滑りする空虚な官僚言語が人々に蔓延する恐怖を描く戯曲「ガーデン・パーティ」。「平和」という言葉を連呼するうちに、いつの間にか「戦争」という意味に転化していくことを象徴的に表現した視覚詩「戦争」。そして、「現実を隠蔽する偽りの言葉」や「定型句だけを使って、全く責任をとろうとしない匿名化する権力」の怖ろしさを鋭く批判した「力なき者たちの力」。チェコスロバキアをかつて覆った「ポスト全体主義」へのハヴェルの鋭い批判は、現代を生きる私たちをも鋭く刺し貫きます。


では、「忖度」や「同調圧力」に支配された体制にあって、一人ひとりの市民には具体的に何ができるのでしょうか?


「国民の前で決して嘘はつかない」。ハヴェルが大統領就任演説で示したのはその強い姿勢でした。前政権のごとく嘘でごまかすことなく、「我が国は繁栄していません」と赤裸々に現実を語ったハヴェルの言葉に、国民は「ようやく真実を語るリーダーが現れた」と歓呼の声を上げました。これは、何よりも、ハヴェル自身がディシデント(反体制派/異論派)と呼ばれた頃から変わらず続けてきた「真実の生」の実践でした。


たった一人の勇気ある行動が一個師団をまるごと武装解除する力を持つことがあるとハヴェルはいいます。「真摯に取り組んだ、〈慎ましい仕事〉が悪い政治の批判となる」とも述べています。何も難しいことではありません。我が身の保身や安定と引き換えに倫理や尊厳を売り渡すことなく、良心に恥じない誠実な仕事を地道に続けること。自らの醜い欲望だけのために嘘を塗り固めて現実を隠蔽しないこと。ハヴェルが一貫して語り続けたことは、実は極めてシンプルです。そうした人間が一人、また一人と増えていき、互いにつながりあっていったとき、立ちはだかる分厚い壁が揺らぎ始めるのです。


04 2024/05 06
S M T W T F S
21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
HN:
Fiora & nobody