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上野○園さんのように、良心を省みることが重要で、
愛、愛、愛だけが大事と言っている教えは危険という見方は一理あります。


でもそれは、世の中に出回っている「愛」の教えがピンキリだからです。
「愛」という言葉はもっとも手垢がついていて、
何を意味しているのかが人によって違います。


奇魂(くしみたま=知の働き)の欠けた愛を愛と呼んでいる場合は危険ではないでしょうか?という主張です。


ではそれは知識のことでしょうか?
叡智は知識ではありません。


叡智は、今この瞬間何が最も適当なのかということに対するわたしたち一人一人に最初から内在する感覚の源のことです。


愛と叡智はひとつです。
ですから、人の愛と叡智と調和しないものは、愛でも叡智でもありません。


ほんものの愛は、愛に貢献し、
ほんものの叡智は、叡智に貢献します。


それは神と調和し、兄弟と調和し、わたし自身と調和します。
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無題
nobodyさん こんばんは。お久しぶりです。
今でも感情の解放を実践中ですが、許さなければいけないものがまだまだ私の中にあることを実感している今日このごろです。
瞑想は、調子が良ければ以前に比べて少し深くできるようになってきていると思います。頭痛や手足の骨、膝まで痛かったり喉とか身体的違和感はあるんですが、時々、胸が温かくなったり、胸の後ろ(背中)にも温かさや動きを感じることもあります。
一方で日によってはいまだに瞑想が難しく感じることもあるんです。これ以上緩めると大洪水になって身体がバラバラになりそうな気がして。そんな時は深呼吸したり、勝手にnobodyさんの光をイメージして安心しようとしています。nobodyさん今のところこれくらいは許してくださいね^^
今年もnobodyさんの日記に励まされました。
とても感謝しています。ありがとうございました。
青空 2015/12/21(Mon)22:56:37 編集
Re:無題
青空さん、お久しぶりです。今回も本当に嬉しかったです。青空さんには毎回励ましていただいている気がしますが、それは青空さんの思いやりが伝わってくるからです。許すもなにも、贈り物をいつもいただいているのはわたしのほうです。ありがとうございます。


>nobodyさん こんばんは。お久しぶりです。
>今でも感情の解放を実践中ですが、許さなければいけないものがまだまだ私の中にあることを実感している今日このごろです。



叡智(今この瞬間何が最も適当か)は生きることを通して「のみ」学ばれていくものだと教えられました。感情を一度一度燃やし「尽くす」ことの重要性を最近強調されていた教師の一人はねもとまどかさんでした。
http://ameblo.jp/nemotomadoka33/entry-12097860470.html
(心がここにある炉だとわかってしまえば何が来ても恐れる必要はなくなります)
燃えた気がする、からもう少しだけ我慢して燃えきるまで待つ必要を強調されているのは新鮮で、記憶に残っていました。


生きることを通してのみ、愛と叡智はここに体現され、その挑戦から死ぬまで逃れられないのが現実ですよね。それは葛藤であり、悩み多き挑戦であっても、青空さんが生きてくださっていること自体が周囲への恩寵です。
でもその現実に、自我が考えるたった一人で挑み続けるのか、自分より大いなる自分(個の内なる神とも言える内なる師)とともに歩む(ことを自覚している)のかでだいぶ変わり、楽になるようにも思います。


>瞑想は、調子が良ければ以前に比べて少し深くできるようになってきていると思います。頭痛や手足の骨、膝まで痛かったり喉とか身体的違和感はあるんですが、時々、胸が温かくなったり、胸の後ろ(背中)にも温かさや動きを感じることもあります。



チャクラは背中側にも通じているため、肉体に重なる高次エネルギー体(こちら側にチャクラがあります)の動きを感じていらっしゃるのかもしれません。天頂(クラウン)、胸中央(ハート)、へそ(ソーラー)の3つを通る循環が滞っていないこと、特にへそと胸を貫通する柱は、小我から大我への認識の調整(単にワレヨシに陥らないだけ)でうまく通るようになります。
腹を割るという言い方の「腹」と、胸の「愛」と、頂の「天」、
腹が愛と天と矛盾しないことで光の柱になります。この矛盾を調整する修練のために、わたしたちは生きているのかもしれません。


>一方で日によってはいまだに瞑想が難しく感じることもあるんです。これ以上緩めると大洪水になって身体がバラバラになりそうな気がして。そんな時は深呼吸したり、勝手にnobodyさんの光をイメージして安心しようとしています。nobodyさん今のところこれくらいは許してくださいね^^



許すなんてとんでもないです。いま、青空さんは完璧です。もし逆に何かの価値体系でわたしが「こっちがイイ」「あっちよりこっち」と感じさせる何かがあったら、それはわたしの人格上のいたらなさ、未熟さでしかありません。その場合ご容赦くださいはこちらの台詞です。こんなブログを読んでくださっているだけで感謝です。


瞑想中、バラバラになりそうだったり、どうにかなってしまいそうなくらいエネルギーが暴走することを感じられても、エネルギーの「動きそのもの」は必ず信頼できるものだと師より聞いています。


そこまで(バラバラになりそうと感じるくらいまで)行けるだけの瞑想の上級者の気分がわたしにはわからないんです。


川に入って泳いでいたら、一瞬溺れそうな気がしてきた。
溺れるか溺れないかはわからないが、それを試すことは恐ろしくてできない。
そこに限界が生まれる。
限界は現状における「不信」です。それは正しいかもしれないし、不必要な杞憂かもしれません。青空さんの取り組みも、取り組んだゆえの不信と限界も、大いなる愛の光のなかにあると思います。
それは日々生きることと一緒ですね。
人生の混沌が完全に信頼できるものかどうかなんて、神が存在することを思い出せないのと同様に人にはわからないわけです。道端で舌うちされたことが、お釈迦様のあたたかい手の上かどうかは本当にわからない。でもその流れを信頼しようと努め、感謝していこうとする人たちは、不幸ではありません。
不幸なのは一人ぼっちで切り離されていると思いこみ続けようとすることです。それは自分の心理的態度でしかなく、選択できるからです。愛を見つけよう、今の自分と今の周囲に寄り添おうという別の選択ができるからです。


>今年もnobodyさんの日記に励まされました。
>とても感謝しています。ありがとうございました。





ありがとうございます。つつしんでその暖かいお気持ちをいただきます。
わたしこそ、青空さんにいつも励ましをいただき、感謝しています。
よいお年をお迎えください。また年末年始のコーヒーブレイクに覗いてくださると嬉しいです。ありがとうございました。
【2015/12/23 05:11】
無題
nobodyさん、こんばんは。お返事くださってありがとうございます。nobodyさんの返信に真心を感じ、胸が痛熱くなりました。とってもうれしかったです。

ねもとまどかさんの記事読ませて頂きました。感情を燃やし尽くすことが大切なんですね。
私、スピリチュアルに出逢ってから最初は感情を感じようとしても少しも緩めることができなかったんです。緩めようとするとパニックになって息ができなくなりました。部分的に緩める練習をしていって、少しづつ解放できるようになってきました。
でもペインボディの密度が濃いと自覚しているので、常に感情エネルギーを観察できる状態までもっていかないと追いつかないと思ったんです。だから不安・怖れを常に感じている燃やしている状態をめざして瞑想をしています。一日中集中できるようになりたいです。

安心したくて、傷つきたくなくて無意識にしてきたことが逆に不信を募らせ、簡単にはゆだねることができなくなってしまった。信頼しようと努めることの重要性を改めて認識させていただきました。
ありがとうございます。

今日はクリスマスですね。nobodyさんにいただいたやさしく勇気を与えてくれた言葉が私にはクリスマスプレゼントとなりました^^
これらを支えに、さらに自分に寄り添っていこうと思いました。年末年始の日記もコーヒーを飲みながら読ませていただきますね。でも、もし日付だけだったらその空白を意識してみます^^
それでは、またコメントさせていただきますね。
ありがとうございました。


青空 2015/12/25(Fri)00:31:06 編集
Re:無題
青空さん、こんばんは。こちらこそこんなに心をこめたご返信をいただきありがたいです。ありがとうございます。ねもとまどかさんの記事をご覧くださったのですね。ブログで拝読するだけなのですが、ねもとまどかさんには高潔さと神の愛のために生きる覚悟を強く感じています。


>nobodyさん、こんばんは。お返事くださってありがとうございます。nobodyさんの返信に真心を感じ、胸が痛熱くなりました。とってもうれしかったです。



とんでもないです。そしてこちらこそです。ありがとうございます。


>ねもとまどかさんの記事読ませて頂きました。感情を燃やし尽くすことが大切なんですね。



業という一定方向への推進力は複数の燃料でできていて、その一つは間違いなく感情です。たとえば怒りは、誰に対して、どんな内容に対してという区別を意識下では持っていません。怒りは怒りなんです。たとえアベ政権に対して怒っていようと、何の罪もない赤ん坊に怒りを向けているのと実質は変わりません。燃やさずに溜め込めば、どの対象、どんな内容にでも暴発するときを迎えます。
これがなぜかと言えば、アベ政権に対する怒りだと思っているのは顕在意識だけで、実際は「自分に対する怒り」であるからです。
どんな感情も、対象は「自分」です。「相手に対する感情」と言うのはありません。すべてが「自分に対する感情」です。
相手からもたらされたのは「想念」です。
それが自分の霊域に入り(引き寄せられ)、「感情」に転化します。
自分の領域で起きていることですので、感情はすべて自己消化しなければならない自己エネルギーです。1%も他人のエネルギーは含まれていません。
「感情」が「自分に対するもの」であることに気づかずに溜め込んでしまうと悪循環が始まります。


・想念→霊域→感情→抑圧(自我による感覚拒絶)→想念→霊域→感情…(この繰り返し)


感情を燃やせていないので、感情を生み出す原因となった同じ系統の想念がより強化され信念(霊域に網のように展開された想念のシナプス回路のようなもの)になっていきます。常に同じ思いこみを引き寄せる習慣の束がより太くなっていきます。脳の記憶がより強固になるようにです。


想念は相手や外部環境のものですが、感情は自分の生み出した子供です。
自我の考える原因と、抑圧の判断が誤っているんです。
自分の子供である感情に、自分で愛を与え、燃やしていきます。
ハートセンターの愛の炎が感情を変容させます。


>私、スピリチュアルに出逢ってから最初は感情を感じようとしても少しも緩めることができなかったんです。緩めようとするとパニックになって息ができなくなりました。部分的に緩める練習をしていって、少しづつ解放できるようになってきました。



教えてくださってありがとうございます。
青空さんのスピリチュアルとの出会いと、感情を感じる取り組みと、緩めることのできない反応、少しずつ解放できるように練習していったこと、これらのすべてが青空さんという命を通じて表現・体現されていて、
青空さんという命の「あり方」自体が「愛」だと感じました。
青空さんが愛です。
青空さんが自分で自分をコントロールできないように、
愛は愛であることをやめることはできません。
できるのは「自分は愛ではない」と勘違いすることだけです。
いつか愛になりたい、という想いもいま愛そのものです。
自己尊重は、自己へのゆるしは、ありのままの自分が既に愛であることを認めることです。認めること=ゆるし、そのものです。


>でもペインボディの密度が濃いと自覚しているので、常に感情エネルギーを観察できる状態までもっていかないと追いつかないと思ったんです。だから不安・怖れを常に感じている燃やしている状態をめざして瞑想をしています。一日中集中できるようになりたいです。



ペインボディの自覚も、観察状態を望まれることも、不安・怖れを常に感じ燃やしている状態をめざされていることも、一日中は集中できなかったかもしれない今日も、愛です。
これを認めてくださるとき、根源的な変化が訪れる可能性があるか、もしよかったら自問してみていただきたいと思いました。
わたしは答えを知りません。青空さんの深遠な計画の中の答えをももちろん知りません。
でも感じました。
青空さんは、もう答えっぽいです。
「青空さんが=答え」っぽいです。


バーソロミューはこういう書き方をしました。
「このような態度は、問題を取りちがえている結果から起こっています。
問題は、あなたが何かを知らないということではありません。
問題は、何か見つけなくてはならない、あるいはこの瞬間以外に何か必要なものがある、とあなたが考えていることなのです」


それ以外にはまったく問題は存在しないとしたら。
唯一の問題はこの瞬間以外に何か必要なものがあるとわたしが「考えていること」だとしたら。
愛の光は、まず(ありのままのこの)自分をゆるすことが初めてできたとき、
まず自分をゆるして、ゆるされた自分によって、関わった他人も全員ありのままゆるすことができたとき、そのベールを明かします。
感情解放が先ですよとみなさんが言うのは、感情が溜まっているとき、自分がゆるされていないからなんです。


>安心したくて、傷つきたくなくて無意識にしてきたことが逆に不信を募らせ、簡単にはゆだねることができなくなってしまった。信頼しようと努めることの重要性を改めて認識させていただきました。
>ありがとうございます。



とんでもないです。青空さんのように読んでくださっている方がいるだけで本当に光栄ですし、不信は単なる過程ではないとも思います。
「不信」という作品は、神が創造を計画されたものです。青空さんが今持たれている不信のバランスは完璧であり、神の作品です。次の瞬間のための材料ではありません。
青空さんは、いま完璧な愛です。これから愛になっていくわけではないと思うんです。意識はA地点からB地点に移動している主体が自分であると考えるよう訓練されているので、今この瞬間に存在する「ゆるしと愛」のことになかなか気づけないんです。


>今日はクリスマスですね。nobodyさんにいただいたやさしく勇気を与えてくれた言葉が私にはクリスマスプレゼントとなりました^^
>これらを支えに、さらに自分に寄り添っていこうと思いました。年末年始の日記もコーヒーを飲みながら読ませていただきますね。でも、もし日付だけだったらその空白を意識してみます^^
>それでは、またコメントさせていただきますね。
>ありがとうございました。



本当にもったいないくらいのお言葉をいただいてしまいました。ありがとうございます。わたしにできるかぎりの書き方をしたいと思います。ぜひまたお話させてください。
ありがとうございました。
【2015/12/26 03:33】
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