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旅の本質


あなたが宥(ゆる)しを行なうたびに、あなたは自分の愛する能力にはめてしまった条件づけを、ひとつひとつ溶かしてゆくのです。あなたが宥すたびに、愛はより深くあなたの中で目覚め、その愛を拡大する能力もまた増してゆきます。それが旅の本質です。


非難したいものごとを、進んでよく見てください。それこそ罪悪感を脱ぎ捨てるてっとりばやい道です。
あなたが誤りだと思うものでも人でも、それはあなたが自分自身の誤っていると思っている箇所を見せてくれているだけです。兄弟よ、それはあなたの罪悪感なのです。もっとよく見てください。でなければ、それはあなたの人生をむしばみつづけます。
幻想の思いこみを真実にしないようにしてください。自分の判断・批判を正当化するのをやめてください。そんなことをすると、自分と他人が切り離されているという確信を強めるだけです。


勇気をもってください。いまこそ果敢であってください。あなたを悩ましているのは、あなたの罪悪感にすぎないのを見てください。あなたを悩ませるすべてのものごとを見て、それを深刻に受けとめた自分を宥してください。やましいところのある人だけが、自分の狂った世界の中のものごとを何でも深刻に受けとめます。


あなたの旅の中で宥されねばならぬ人間はたったひとり、それはあなたです。


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あなた方のこの時代は終わりを迎えようとしている。それは「肉体の時代」であった。新しい時代はすでに地平線上にその姿を見せつつある。それは「光の時代」、「純粋なスピリットの時代」、「神の時代」と呼ばれるものだ。すべては平等であり、天の王国はつねに自分の中にあったのだということを人間が知っている時代である。「光の時代」は、人間を無限の思考へと、そしてただ在ることの愛と喜びと自由という崇高な王国へと連れ戻してくれるだろう。この新しい王国そのものになる者たちは、人間の中でも将軍や暴君たちではなく、平和の布告者であり、制限というよどみを超えてこのように言う者たちだ。「私は神であり、自分が見るものすべてを愛する。なぜなら、私は自分が見るものすべてであり、私は自分であるものを愛しているからだ」と。この理解に到るそれぞれの者は、自らのたったひとつの光によって、意識全体を上昇させることになる。そして、あなた方は叡智という真珠で豊かに満たされ、ひとりずつ無限の状態へと戻っていくのだ。そしてその叡智によって、あなた方はそれから先の永遠の中で、さらに賢く創造していくことができるのである。


この天界でのあなた方の人生は、壮大な幻だった。それらは大いなる夢だった。だが、あなた方は多くを学んだ状態、神のことを理解している状態で、その夢から目覚めるのだ。


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マハラジ あなたはどこから来たのかね?


質問者 アメリカから来ました。ですが、ほとんどはヨーロッパで暮らしています。インドには最近来たばかりです。私はリシケーシの二つのアーシュラムに滞在し、そこでは瞑想と呼吸法を教わりました。


マハラジ どのくらいの期間そこに滞在していたのかね?


質問者 ひとつのところでは八日間、ほかでは六日間です。私はそこでは楽しめず、立ち去りました。それから三週間、私はチベット人のラマ僧とともにいました。しかし、彼らは皆、形式と儀式にばかり夢中でした。


マハラジ それでは、そのすべての結果とは何だったのだろうか?


質問者 間違いなく、エネルギーの向上はありました。しかし、リシケーシへと発つ前に、南インドのプッドゥコッタイの自然療法の療養所でダイエットと断食を行ない、それが途方もなく良い結果をもたらしました。


マハラジ エネルギーを感じはじめたのは、より良い健康のせいかもしれない。


質問者 私には何とも言えません。しかし、それらすべての試みの結果として、身体のあちこちで炎が燃えはじめたのです。そしてありもしない声やマントラの復唱を耳にしました。


マハラジ それでは、あなたは今、何を求めているのだろうか?


質問者 さて、私たちは皆、何を求めているのでしょうか? 何らかの真理、何らかの内的な確信、何らかの真の幸福です。さまざまな真我実現の学派では、気づきに関する話をたいへん多く聞きます。それゆえ、気づき自体が至高の実在だという印象に最終的に行き着くのです。それはそうなのでしょうか? 身体は脳によって面倒を見られ、脳は意識によって光を照らされ、気づきは意識を見守っています。気づきの彼方には何かがあるのでしょうか?


マハラジ あなたは気づいているということをどうやって知るだろうか?


質問者 私は存在する、と感じるのです。それ以外に表現しようがありません。


マハラジ あなたが注意深く脳から意識を通って気づきへと観察していくと、二元性の感覚が続くことを見いだす。あなたが気づきを超えた彼方へと行くとき、そこには非二元性の感覚がある。そこに知覚はなく、ただ純粋な存在だけがある。もし存在という言葉が何か特定の存在を意味しているというならば、それを非存在と呼んでもいいだろう。


質問者 あなたが純粋な存在と呼ぶものは普遍の存在、すべての存在ということでしょうか?


マハラジ すべてとは特定のものの集合を暗示している。純粋な存在のなかでは、特定という観念自体が不在なのだ。


質問者 純粋な存在と特定の存在には何か関係があるのでしょうか?


マハラジ 存在と単なる現れとの間にいかなる関係がありうるだろうか? 海と波の間に何か関係性があるだろうか? 実在は非実在の出現を可能にし、それを消滅させる。はかない瞬間の連続が時間という幻想をつくり出すのだ。しかし、純粋な存在の永遠の実在性は運動のなかにはない。なぜなら、すべての運動には不動の背景が要求されるからだ。それはそれ自体、背景なのだ。ひとたびあなたのなかでそれを見つけたならば、すべての区別と分離から独立したその存在を失ったことはけっしてなかったと知るだろう。しかし、それを意識のなかに探してはいけない。そこに見いだすことはないだろう。どこを探してもいけない。なぜなら、何もそれを含むことはできないからだ。その反対に、それがすべてを含み、すべてを現すのだ。それは、それ自体は不可視でありながら、すべてを可視にする日の光のようなものだ。


質問者 意識のなかには実在を見いだすことができないと私に言うことが、いったい何の役に立つというのでしょうか? ほかのどこでそれを探すというのでしょう? それをどうやって認識するというのでしょうか?


マハラジ それはシンプルなことだ。もし私があなたに口のなかの味はどのようなものかと尋ねたならば、あなたは、「それは甘くもなく、苦くもなく、酸っぱくもなく、渋くもない」と言えるだけだ。それはすべての味がないとき残ったものなのだ。同じように、すべての区別と反応がなくなったとき残るものが、シンプルで実質的な実在なのだ。


質問者 私に理解できることと言えば、私ははじまりのない幻想のなかに捕らえられているということだけです。そして、どうすればそれを終わらすことができるのかわからないのです。もしそれができるのなら、とっくの昔にそうしていたでしょう。過去に、私は多くの機会を得ていたに違いありません。未来もまたそうでしょう。起こらなかったことは起こることができないことなのです。あるいは、もしそうであったとしても、続かないのです。遥か何百万年も後の、私たちの哀れな状態は、良くても約束された究極的な消滅であり、最悪では、果てしなく続く無意味な繰り返しへの脅威なのです。


マハラジ あなたの現在の状態が無始無窮だと、どうやって証明するというのだろう? 生まれる前、あなたはどうだったのか? 死んだ後、あなたはどうなるのか? そして現在のあなたの状況を、あなたはどれほど知っているだろうか? 今朝、目覚める前のあなたの状況さえ、知らないのではないかね? あなたはわずかばかりの現在の状態を知るだけで、それからすべての時と場所における結論を引き出しているのだ。あなたはただ夢を見ているだけかもしれない。そして夢が永遠のものであると想像しているのだ。


質問者 それを夢と呼ぶことが状況を変えるわけではありません。私の質問を繰り返します。私の果てしない過去が満たせなかったことに、どんな希望がもてるというのでしょうか? なぜ、私の未来が過去とは違うと言えるのでしょうか?


マハラジ 熱にうなされた状態で、あなたは過去と未来を投影し、それらを実在だと見なしているのだ。事実、あなたの知っているのは現在の瞬間だけだ。なぜ、想像上の過去と未来について尋ねるより、今とは何なのかを調べようとしないのだろうか? あなたの現在の状態は無始でも無窮でもない。それは一瞬のうちに過ぎるのだ。それがどこから来るのか、どこへ行くのか、注意深く見てみなさい。あなたはじきに、その背後にある永遠の実在を見いだすだろう。


質問者 なぜ、私は以前にそうしなかったのでしょうか?


マハラジ すべての波が海のなかに沈んでいくように、すべての瞬間はその源へと帰っていくのだ。真我の実現とは源を発見し、そこにとどまることによって成り立つのだ。


質問者 誰が発見するのでしょうか?


マハラジ マインドが発見するのだ。


質問者 それは答えを見いだすのでしょうか?


マハラジ それは答えの必要のない、質問のない状態に在ることを見いだすのだ。


質問者 生まれたということは事実です。死ぬことももうひとつの事実です。それらは観照者にとってどのように映るのでしょうか?


マハラジ 子供は生まれ、人は死ぬ。単なる時間の経過のなかでの出来事だ。


質問者 観照者にとって進歩というものはあるのでしょうか? 気づきは進化するのでしょうか?


マハラジ 気づきの光が焦点を当てたとき、見られるものは多くの変化を通り抜けるかもしれない。だが、変化するのは対象物であって、光ではないのだ。植物は日光のなかで生長する。しかし、太陽は成長しない。それ自体では、身体も観照者も不動のものだ。だが、それらがともにマインドのなかにもたらされるとき、両方とも動いているように見えるのだ。


質問者 そうです。動き、変化するのは「私は在る」だけだということが理解できます。「私は在る」はいったい必要なのでしょうか?


マハラジ 誰がそれを必要とするだろうか? それは今、そこにある。それにははじまりがあり、終わりがあるだろう。


質問者 「私が在る」が去ったとき、何が残るのでしょうか?


マハラジ 来ることも、去ることもないものが残るのだ。完成へ向けての進歩と進化という観念をつくり出したのは、つねに貪欲なマインドなのだ。それは妨害してから秩序について語り、破壊してから安全を求めるのだ。


質問者 運命、カルマには進展があるのでしょうか?


マハラジ カルマとは満たされなかった欲望と、理解されなかった恐れの未使用のエネルギーの蓄積にすぎない。蓄えは絶えず新しい欲望と恐れによって補充されていく。それが永遠にそうである必要はないのだ。あなたの恐れの根本原因であるあなた自身からの疎外と、欲望の根本原因である自己への切望を理解しなさい。そうすればあなたのカルマは夢のように消え去るだろう。地上と天国の間で、生は続いていく。何も影響されはしない。ただ身体が成長し、滅びるだけだ。


質問者 個人と観照者には何の関係があるのでしょうか?


マハラジ 何の関係もない。なぜならそれらはひとつだからだ。分離してはいけない。関係性を探そうとしてはいけない。


質問者 もし見る者と見られるものがひとつなら、どのように分離は起こるのでしょうか?


マハラジ その本性からして異なり多様である名前と形に魅せられて、あなたは自然であるものを区別し、ひとつであるものを分割するのだ。世界は豊かな多様性をもっている。だが、あなたがなじめず、おびえを感じるのは誤解によるものなのだ。危険な状態にあるのは身体であって、あなたではない。


質問者 基本的な生物学的不安、逃避の本能が多くの形を取り、私の思考と感情を歪曲してしまうことは理解できます。しかし、不安はどのようにして現れるのでしょうか?


マハラジ それは「私は身体だ」という観念によって生じた精神的状態だ。それは「私は身体ではない」という反対の観念によって取り除くことができる。どちらも観念であり、偽りだ。しかし、ひとつがもうひとつを取り除く。どの観念もあなた自身のものではないことを認識しなさい。それらはみな、外側からあなたにやってくるのだ。あなたは全力をあげて考えなければならない。あなた自身があなたの瞑想の対象になりなさい。あなた自身を理解しようと努力することがヨーガなのだ。ヨーギになりなさい。あなたの人生をそれに捧げなさい。熟考し、驚き、探求しなさい。あなたが誤りの根本と誤りを超えた彼方の真理にたどり着くまで。


質問者 瞑想のなかで瞑想するのは誰でしょうか、個人、あるいは観照者でしょうか?


マハラジ 瞑想とは意識の高次の状態を貫き、最終的にそれを超えていこうとする意図的な試みなのだ。瞑想の技法とは、後に残してきたレベルの理解を失わないまま、つねにより精妙なレベルへと注意の焦点を移行する技だ。ある意味では、それは制御しながら死を迎えるようなものだ。人は最低の段階からはじめる。社会環境、習慣と慣例。身体的環境、姿勢と身体の呼吸。感覚器官、それらの感覚と知覚。マインド、その思考と感情。人格の構造全体が把握され、確実に捕らえられるまでだ。瞑想の最終段階は、アイデンティティの感覚が「私はこれだ」を超え、「そのような私が在る」を超え、「私はただの観照者だ」を超え、「そこに在る」を超え、すべての観念を超えて、非人格的な、純粋な存在へと到達されることだ。だが、あなたが瞑想するときは精力的でなければならない。それは間違いなくパートタイムの仕事ではない。あなたの興味と活動を、あなたに必要なこととあなたの家族にとって最低限の必要に制限しなさい。あなたのエネルギーと時間を、あなたのまわりにマインドが築いてきた壁を破壊するために確保しなさい。私を信じるがいい。けっして後悔しないだろう。


質問者 私の体験が普遍的なものだと、どうやって知るのでしょうか?


マハラジ 瞑想が終わったとき、すべては直接知られるだろう。どのような証明も必要ない。すべての海の水滴が海の味を含んでいるように、すべての瞬間は永遠の味を含んでいるのだ。定義や描写は探求を先に進めていく有用な誘因としての役割にあるが、あなたはそれらを超えて、否定的言語以外では定義不可能な、描写不可能なもののなかへと進んでいかなければならないのだ。
結局、普遍性や永遠性でさえも、時間と場所に拘束されたものに対立する、単なる概念にすぎない。実在はひとつの概念ではない。顕現もまた概念ではないのだ。それは概念とは何の関係もない。あなたのマインドに関わりなさい。その歪曲や不純を取り除きなさい。ひとたびあなたがあなた自身の自己を味わったなら、どこでも、いつでもそれを見いだすことができるだろう。それゆえ、あなたがそれを実現することは本当に重要なことなのだ。一度それを知れば、けっして失うことはないのだ。
だが、あなたは強烈で、困難さえともなう瞑想に自分を捧げなければならないのだ。


質問者 正確には、あなたは私に何をしてほしいのでしょうか?


マハラジ あなたのハートとマインドを「私は在る」について熟考させなさい。それが何なのか、どのようなものなのか、その源は何なのか、その意味とは何かを熟考しなさい。それは井戸を掘り下げていくことにとても似ている。生命の泉に達するまで、あなたは水でないものをすべて拒絶していくのだ。


質問者 私が正しい方向に進んでいるということを、どのようにして知るのでしょうか?


マハラジ あなたの熱意、明晰性の進展と、修練に対する献身によって知るのだ。


質問者 私たちヨーロッパ人にとって、静かにしていることは非常に困難だと知りました。世間のことで頭がいっぱいなのです。


マハラジ いいや、そうではない。あなたがたもまた夢を見ている。ただ私たちとは夢の内容が違うだけなのだ。あなたがたは完全性を未来のなかに求めている。私たちはそれを今のなかに見いだそうとしているのだ。限定されたものだけが、完成されうる。無限なるものはすでに完全なのだ。あなたは完全だ。ただ知らないだけなのだ。あなた自身について学びなさい。そうすれば、驚くべきことどもを発見するだろう。
必要なことはすべてあなたの内側にある。ただ、あなたは敬虔さと愛情を抱いてあなた自身に接近しなければならない。自己非難や自己不信は悲惨な過ちだ。あなたの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、あなたがあなた自身に抱く愛のしるしなのだ。私があなたに願うこととは、あなた自身への愛を完全なものにしなさい、ということだ。あなた自身のなかの何ひとつ、否定してはならない。あなた自身に無限性と永遠性を与えなさい。そして、あなたはそれらを必要としないことを発見しなさい。あなたはその彼方に在るのだ。


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