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質問者 その状態の中に幸福はないのです。


マハルシ 「そこに幸福はない」は単なる想念でしかありません。真我は至福であり、純粋でシンプルなものです。あなたは真我です。あなたは至福以外の何ものでもないのです。至福として在りながら、幸福がないと言うことはできません。真我が「幸福はない」と言うことはありえません。そう言うのは真我ではないものです。真我の至福を実現するためには、真我でないものを取り除かなければならないのです。


質問者 どうすればよいのでしょうか?


マハルシ 想念がどこから立ち現れるのかを見いだしなさい。それは心です。心あるいは知性は誰にとって機能するのでしょうか? 自我です。知性を自我の中に融かし去りなさい。そして自我の源を探し出しなさい。

(対話618)


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心理的な安全を求めるのは逃避である


心理的に、またあらゆる面でこの世界に混乱が起きているとき、私たちは銀行預金とかイデオロギーといったような、ある種の安全という囲いで自分を囲ってしまいます。そうでなければ、お祈りをしたり、教会に通ったりします。しかしこのような行為は、現にこの世界で起こっていることから、実際は逃避しているのです。


『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムルティ/根木宏 山口圭三郎訳(篠崎書林 1980年)


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質問者 本質の探究において、人はすぐに自らの無力さを知り、指導者や師の必要性を悟ります。これはある一定の試練を意味しています。なぜなら、指導者を信頼し、彼の助言と教えに従うように期待されるからです。しかし、それでも社会からの要求や圧力は非常に大きく、個人的欲望と恐れがあまりにも強力なため、服従に本質的なマインドの純真さと意志を得ることができません。どうすればグルの必要性と、神に絶対的な服従をすることの間にバランスを見いだせるでしょうか?


マハラジ 社会と環境からの圧力のもとに為されたことはさほど重要ではない。なぜなら、それはほとんど機械的で、単に刺激に反応しているにすぎないからだ。自分自身を冷静に見守り、起こっていることから自分自身を完全に孤立させることで充分だ。注意もせず、盲目のうちに為された行為はカルマ(運命)に加えられる。さもなければ、それは大した問題ではない。グルが要求することはひとつだけだ。明晰性と目的の強烈さ、自分自身に対する責任の感覚だ。世界の実在性そのものが疑われなければならない。結局のところ、グルとは誰か? 世界も、それに関する考えも存在しない状態を知るその人、彼が至高の師だ。彼を見つけることは、もはや想像を実在と見なすことのない状態に達することを意味する。どうか理解してほしい。グルは実在を、真理を、ただ在るものを象徴するのだ。彼は言葉の最上の意味において現実主義者だ。彼はマインドとその妄想に降伏できないだろうし、またしない。彼はあなたを実在へと連れていく。彼に何かほかのことを期待してはならない。
あなたが考えている、情報や知識を与える人は真のグルではない。真のグルは実在を知り、見かけの魅力を超えているのだ。彼にとって、あなたの服従と試練に関する質問は意味をなさない。なぜなら彼にとって、あなたがあなた自身だと信じている個人は存在しないからだ。あなたの質問は非存在の個人に関するものだ。あなたにとって存在するものも、彼にとっては存在しない。あなたが当然と見なしていることを、彼は絶対的に否定する。彼はあなたに、彼があなたを見るように、あなた自身を見てほしいのだ。そうしたとき、あなたは服従し、したがうグルを必要とはしなくなるだろう。なぜなら、あなたはあなた自身の実在にしたがい服従するからだ。何であれ、あなたが自分自身だと見なしているのは、ただの一連の出来事にすぎない。すべてが起こり、去来する間、あなただけが移り変わるもののなかでの不変、推測されることのなかでの唯一自明のものなのだ。観察する者から観察されるものを分離しなさい。そして偽りの同一化を放棄するがいい。


質問者 実在を見いだすため、道を妨げるすべてを捨て去らなければなりません。またその反対に、社会のなかで生き残っていく必要から、人はたくさんのことを為し、また耐えていくように強いられます。人は実在を見いだすために、職業や社会的立場を放棄するべきなのでしょうか?


マハラジ 仕事をするがいい。自由な時間があるとき、内面を見なさい。重要なことは、機会がそれ自体を差しだしているときを逃してはならないということだ。もしあなたが真剣ならば、許された時間を最大限に使うだろう。それで充分だ。


質問者 私が本質を探究し、非本質的なものを捨て去っていくなかで、何か創造的な生活のための機会があるでしょうか? たとえば、私は絵を描くことを愛しています。もし私が余暇の時間を絵画に費やしたならば、それは助けになるでしょうか?


マハラジ あなたが何をしようとも、あなたのマインドを見守りなさい。また、マインドが絶対的に静止した、完全な内なる平和と沈黙の時間をもたねばならない。もしそれを逃せば、あなたはすべてを逃すことになる。もしそれを逃さなければ、マインドの沈黙がそれ以外のすべてを吸収し、溶かし去るだろう。
あなたの困難は、実在を求めながら同時にそれを恐れていることだ。恐れているのは、あなたがそれを知らないからだ。なじみのあるものは知られている。あなたはそれらに安全を感じる。未知なるものは不確かであり、それゆえ危険なのだ。しかし、実在を知ることは、それとの調和のなかに在ることだ。そして調和のなかに恐れの居場所はない。
幼児は自分の身体を知っている。だが、身体を基盤とした区別を知らない。ただ意識していて幸せなのだ。結局のところ、それこそが生まれてきた目的なのだ。在ることの喜びはもっともシンプルな形の自己愛だ。それは後に、真我への愛として成長する。幼児のように身体と自己の間に、何も妨げるものなく在りなさい。生活のなかでの絶え間ない精神的騒音は、そこには不在だ。深い沈黙のなかで、自己は身体を観照している。それはまだ、何も書かれていない白紙のようなものだ。その幼児のように在りなさい。あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありなさい。あなたは意識界に完全に気づいている観照者として在るだろう。だが、あなたと意識界の間には、いかなる感情も観念も立ちはだかるべきではない。


質問者 ただ在ることで満足するのは、もっとも利己的な時間の過ごし方なようですが。


マハラジ もっとも価値のある利己的な在り方だ! 真我以外のすべてを差し控えることで、利己的になるがいい。真我以外の何も愛さないとき、あなたは利己的と非利己的をともに超えていく。すべての区別はその意味を失い、ひとつの愛とすべての愛は、純粋でシンプルな、誰に対してでもなく、誰をも拒まない愛のなかでともに溶けあうのだ。その愛のなかに住みなさい。深く、より深くそのなかに入っていきなさい。あなた自身を探求しなさい。そして探求を愛しなさい。そうすれば、あなたはあなた自身の問題だけではなく、人類全体の問題も解決するだろう。表面的な質問をしてはならない。本質的な、あなたの存在の根そのものに向かいなさい。


質問者 私の真我の実現を早める方法はあるでしょうか?


マハラジ もちろん、ある。


質問者 誰がそれを早めるのでしょうか? あなたが私のためにしてくれるのでしょうか?


マハラジ あなたがするのでも、私でもない。それはただ起こるのだ。


質問者 私がここに来たということ自体がそれを証明しています。この加速は聖者との交わりによるものでしょうか? 前回、私がここを去ったとき、戻ってくることを願っていました。そして、私は戻ってきたのです! 今、私はもうすぐイギリスに帰らなくてはならないことで絶望しています。


マハラジ あなたは生まれたばかりの赤ん坊のようなものだ。それは生まれる以前も存在していた。だが、その存在を意識してはいなかったのだ。誕生とともにそのなかに世界が立ち現れ、それとともに存在の意識が現れる。今、あなたは意識のなかでただ成長するだけだ。子どもはその世界の王だ。成長すると、その王国を管理しはじめる。幼少期に深刻な病気にかかり、医師がそれを治したと想像してみなさい。幼い王にとって、彼の王国は医師の恩恵をこうむっているのだろうか? おそらく貢献した要因のひとつとしてはそうだろう。ほかにも多くの要因があり、すべてが貢献したのだ。しかし主要な原因、もっとも決定的なものは、彼が王の息子として生まれたという事実だ。同様に、師も助けはするかもしれない。しかし、主要な助けとなるのは、あなたが内なる真理をもっているということだ。それがそれ自体を主張するのだ。あなたがここに来たことは間違いなく助けになっただろう。だが、それがあなたを助ける唯一のことではない。重要なのはあなた自身の存在だ。あなたの誠実さ自体がそれを証明するのだ。


質問者 私が絵の仕事に従事することは、私の誠実さを否定することになるでしょうか?


マハラジ もうすでに言ったはずだ。あなたが平和な時間を豊富に自分に許すかぎり、あなたのもっとも敬うべき仕事を間違いなく実践できる。それらの内なる沈黙の時間がすべての障害を必ず焼き尽くすだろう。その効力を疑ってはならない。試してみなさい。


質問者 ですが、私は試したのです!


マハラジ けっして忠実にではなく、堅実にでもなかった。そうでなければ、あなたはこのような質問をしたりはしないだろう。自分に確信がもてないから尋ねるのだ。あなたに確信がないのは、体験にばかり注意を払って、けっして自分自身に注意を払わなかったからだ。すべての体験を超え、あなた自身に興味をもちなさい。あなた自身とともに在りなさい。あなた自身を愛しなさい。究極の安全は自己知識のなかにだけ見いだすことができる。重要なのは誠実さだ。自分自身に正直でありなさい。そうすれば、何もあなたを裏切ることはない。美徳や力は、子どもが遊ぶためのただのおもちゃのコインにすぎない。世界のなかでは、それらは有用だ。だが、あなたをそれから連れだしはしない。その彼方へと行くには不動の油断のなさ、平静な注意力が必要だ。


質問者 では、身体的存在はどうなるのでしょうか?


マハラジ あなたが健康なかぎり、生きつづける。


質問者 内なる不動の生は、人の健康に影響を与えないのでしょうか?


マハラジ あなたの身体は食べ物が変容したものだ。食べ物が粗雑なものか、繊細なものかによって、あなたの健康も決まるだろう。


質問者 では、性的本能には何が起こるでしょうか? それはどのように制御することができるでしょうか?


マハラジ セックスは後天的な習慣だ。超えていきなさい。身体に焦点を合わせているかぎり、あなたは食べ物とセックス、恐れと死に捕らえられたままだ。あなた自身を見いだし、自由になりなさい。


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